まね「すまない、小黒は外に出てしまっていて」
春節の夜、小黒は風息達の下で過ごすのが慣例化していた。昼までに各々顔見知りとの挨拶を済ませて、夕方頃に風息が無限と小黒の拠点に顔を出す。それから小黒を連れてふたりが出て行って、翌朝戻って来るまでは無限も新年会に参加するのが通例だ。
「そっか。早く来すぎたかな」
「いや、そろそろ頃合いだろう。呼び戻そうか」
無限の分の土産だとビニール袋を手渡しながら特に気にした様子もない風息が部屋に上がり込む。その背中に視線をやりつつ提案してみたが、んん、と風息は気のない声を上げるだけだった。
「友達と遊んでるんだろ。もうちょっと後でいいよ。それにあんたとちょっと話してくるって言っておいたから、多少遅くなっても大丈夫だし」
「そう?」
ふたりが暮らすには少々広すぎるきらいのある短期賃貸マンションは、居間と寝室に向かう廊下が枝分かれしている。初めて室内に足を踏み入れた風息がどちらに行くべきか、廊下の向こうの様子を窺っている間に彼に追いついた。緩く背を押して風息が進むべき方角を示してやって、ふたりで居間に辿り着く。
客人である風息をソファに座らせて、電気ケトルで湯を沸かしている間に茶の用意をする。せっかくだから普段より良い物で茶を淹れてからふたり分の茶器を盆に乗せて風息の下に戻ると、彼は黄色と黒の彩色がされた帽子を手にしていた。
「何これ」
「朝に小黒が着けていたんだ。ほら、寅年なのもあるし、耳が見えても飾りみたいだろう」
「ああ、なるほど、写真ある?」
あるなら見せてと手を伸ばしてくる風息に無限のスマートフォンを術で渡しながら、帽子が戻されたローテーブルに盆を置く。苦も無くロックを解除した風息がアルバムのアプリを開くのを見ながら、無限は先に茶に口をつけた。
一通り写真を見終えて満足したらしい風息が無限にスマートフォンを返してきて、自分のために用意された茶で口を湿らせる。それから手を戻そうとして、ふいと迷った指先が再び帽子に触れた。
「子供用だから結構きついな」
「あなたは豹だろう」
それを言ったら小黒は黒猫だし、と少々強引に帽子を被った風息が笑った。帽子の下で何かが弾むように揺れて、彼が丸みを帯びた肉厚の耳を珍しく出しているのが分かる。普段は触れることのない装飾品が当たるのが気になるのかもしれない。
その動きに誘われて帽子の上から耳を撫でてやると、風息がこれ見よがしに喉を鳴らして無限に擦り寄ってきた。外気に触れていた髪や頬の表面はひんやりとしていて、手の平で温めてやりたくなってしまう。
「虎ってそんなに甘えんぼなの」
「どうだろう。でも天虎は甘えんぼだ」
獣の耳を揉んでやるとくすぐったさが勝るようで、風息が指から逃げるように手の平に耳を押し付ける。喉の奥でころころと笑うような吐息を零しながら応える風息の仕草を見て、無限は名前の挙がった彼の末弟である妖精の姿を思い出した。模様のせいか厳つい印象があるが、気を許した相手の前では小黒と似たようなものなのかもしれない。
そうなんだ、と応えながら頬を片方の手で覆ってやれば、すっぽりと収まりながら風息がまるい口調でそうだよと返事をする。視界の端のテーブルの上に小黒が着けていた虎柄の尻尾を見つけて、無限は尻尾を引っ掴むと風息を抱きこんで帯に挟みこんでやった。
「何、本物出した方がいい?」
「いや、引っ込みがつかなくなりそうだ」
腰辺りに着けられた尻尾の飾りを梳くように撫でて、少々挑発的に誘う風息に無限は降参する。小黒は可愛らしいだけだったのに、恋人が同じ恰好をすると随分印象が違って見えるものらしい。
尻尾を引っ張って早々に風息から剥がしてしまうと、自分でやったくせにと風息がからからと笑う。それから無限の肩口に頭を擦りつけると、帽子を浮かせて外してしまった。その刺激でまた耳が震えて、無限の肩をぴたぴたと叩く。
「……もうちょっと触ってもいいけど」
ふかふかで触り心地のいいそれに気を取られていると、風息が寸の詰まった耳をぴんと立てて無限に差し出して来る。誘われるままそろりと指先を耳に添わせると、目を細めて再び無限の手に頭を擦り寄せた。
望まれるまま黒に近い色の毛並みを撫でると、風息は頬を緩めてくすぐったそうでいて満足気にも聞こえる吐息を零す。その音が酷く心地よくて、無限は誘われるように風息の唇に自らのそれを寄せた。