頼まれごと3いつもと同じようにリオンが待つ部屋へと足早に向かっていた。その日は別件での仕事があったので定刻通りとはいえず十五分ほど遅刻していた。
外気が筒抜けている渡り廊下に足を踏み入れると涼しげな風が通り抜けていった。季節の変わり目を感じる。そろそろ自分の着ているものを変えないといけないかもしれない。麻布では風が通り抜けて暑さには良くてももう汗ばむ陽気にならないだろうから木綿などがいいのだろう。そう思ってみると日の光の弱さもだいぶ弱くなったと思った。
「失礼します、リオン様。遅れて申し訳ありません」
部屋に入るといつも通りリオンが待っていた。
「大丈夫だよ、珍しいね。遅れてくるなんて」
ちょっと様子がいつもと違うような気がしたが皇子はいつもどおり話しかけてるし変なことはない。
「少し手放せない仕事がありまして、手間取ってしまいました」
「ノールは真面目でちゃんと仕事くれるから重宝されてるんだね」
「そうでもないですよ、ただやる人がいないだけです」
「そうかな。ぼくが分からないところはすぐ答えてくれるしすごいなって思うけど」
「それは昔、私が分からなくてつまづいたところだったので答えられるだけですよ・・・リオン様?」
話の途中でリオンが右手で胸に手を当てて、息遣いが荒くなっているのに気がついた。
「どうしましたか?」
「うん。ちょっと苦しいだけ。大丈夫だから」
皇子の額にはうっすらと汗ばんでるようにも見える。もう風が涼しく、暑くはない気温のはずなのに。
「あの・・・お身体の具合が悪いのでしたら人を・・・」
自分には人を癒したりする力も知識もない。だったらそれに詳しい人間に委ねるべきだと思った。
「嫌・・・人なんて呼ばないで。お願いだから・・・ノール」
リオンの小さい左手がノールの黒い法衣の裾を掴んだ。
「また・・・弱い皇子だって言われるんだ。お父上はあんなに強い方なのに。でもそれよりも・・・みんなが憐れみや悲しい顔でぼくを見つめるのが嫌なんだ・・・」
「悲しい・・・?」
「・・・ぼくは強くならなきゃ。強くなって、いつか・・・」
苦しそうな顔をしながら眼光には強い意志が見え隠れしていた。
ノールは仕事を引きつける時の修道女の会話の断片が頭をよぎった。
ー皇子はお身体がよろしくありません。私たちもそして陛下もそれを心から痛んでおります。皇子のお身体が少しでも良くなるのであればとそれは神にもすがる思いで大切にして成長を見守ってまいりました。どうか幾らかでも皇子の生きる力になってもらえれば陛下もきっと安心なされると考えております・・・
体がよくないのは皇子にとっても不本意なのだろうが、それによって周りを心配にさせているのが何よりも心を痛めている事なのだろう。
こうして苦しんでいる中で自分より周りの人間への気遣いにノールはひどく感銘を受けてしまった。
自分の服に縋った小さな手を大切なものでも拾ったかのように己の手を重ねた。
「・・・わかりました。今日は昨日より少し冷えましたからお身体に障ってしまったのでしょう。今日は早めに切り上げてゆっくりしましょう」
「うん・・・ありがとう。だいぶ楽になってきた」
握った手を握り返す程には落ち着きを見せていた。顔を見れば優しく微笑んだ皇子の眼差しがあった。
何もかもが幼くてあどけない。しかし小さな子どもの魂は年老いてもそのままあるというもの、そのまま成長していつかこの国の王になってほしいと思った。
その判断が間違いだったのことがその二日後に訪れた。
いつものように朝の挨拶を父親である陛下の玉座に皇子が訪れた際にまるで魂でも抜けたかのように皇子が床に倒れてしまった。あまりの突然の出来事に周囲はしばし硬直し、ようやく誰かが堰を切って駆け寄り救命を活動が行われた。
幸いにも命には別状はなかったが数日は意識がはっきりとせず、しばらく安静にしなければならなくなった。
誰が最初に口に出したかは分からない。ただ色々な人が色々なように口にしている間にきっと話が膨らんだ。
このところ、皇子の元に闇魔道士が出入りしてたからそいつが皇子に悪い呪いでもかけたんじゃないかというものもいれば、さすがにこの国の皇子にそんなことをするわけがない、しかし今回の件はやっぱり闇魔道士なんて人を癒したり助けたりなんて出来やしない。所詮魔物が使うような邪悪な魔道なんて研究しているような奴らは信用できないともいうものもいた。
悪い噂も四十五日続けばネタが尽きる。いつまでも引きづらないと頭では分かっている。しかし自分があのとき人を呼んでさえいれば、そのようなことが起きなかったのではないかと思うと他人が自分のことを悪く言うのは当然のことのように受け入れられた。皇子が死ななかったからよかったとも思いきれず、自分の責任を感じずにはいられなかった。
そうやって一週間、二週間とすぎたあたりから自分の元に何度か皇子の事づけを預かっているというものが現れて、皇子があなたに会いたいと申し出が来るようになった。
面会したい気持ちと罪悪感がある気持ち、それよりも皇子にどんな顔をして会ったらいいのか分からない気持ちがせめぎ合って結局丁寧に断った。
そうして自分と皇子を引き合わせた修道女が会いに来た。
「もう私は皇子と関わり合わないほうがいいと思うのです」
ノールはその修道女に本音がポロッと出てしまった。
「・・・それは私も皇子に言ったのです。ですが、皇子も関わりあうかどうかにしてもちゃんと会って話さないといけないと皇子も言われました。私も皇子の言い分が一理あると思うのです。どうか一度、会っていただけませんか」
ただ一度だけ。自分がはっきりと言えばそれで終わる話だと思った。そして終わりを迎えればまたいつもの住み慣れた暗い場所に戻るだけなのだ。
歩き慣れた道はすっかり寒さを感じる程に季節が進んでいた。あまり長居すると指が冷たくなってきそうだったが生憎長居するつもりはなく足早に廊下を駆け抜けていった。
しかし少しだけ道が違う。まだ皇子は安静にして静かな場所で過ごしている。
修道女に言われた場所に着けば決して重くはないが開くのに勇気がいる扉の前で立ち止まった深呼吸をして扉を叩いた。
中から声がしたので開けてみると、付き人が一人とベットから窓の外を眺めている皇子がいた。
自分に気がつくと付き人が黙って立ち上がって部屋を立ち退いた。
それ違いざまに何かありましたらお呼びくださいと言われた。
付き人がいなくなっていよいよ皇子と二人きりになってしまった。
どのように話を切り出すべきかと悩んでいると
「ここからだとちょっと角度が合わなくて見づらいけど、いつもいる部屋からはね、ノールが渡りの廊下から歩いているのが見えるんだ。ノールがさっき歩いてるところを見えるんだよ」
「そうでしたか。ずっとここまできていましたがそれには気がつきませんでした」
「・・・一度だけつまづいてるところ見たこともあったな。ちょっと抜けてるところあるみたいだね。でも別に気にならないよ」
そういえば一度だけ石畳の間につまづいて危うく転けそうになったことがあった。履いている靴が劣化していたのも良くなかった。
「お身体は大丈夫ですか」
「大丈夫って言いたいところだけど、今も目眩とかあって。でも季節が変わると体もそれに合わせて慣らして行かないといけないのに、このところは魔道の勉強が楽しくて普段より夜更かして・・・ねえだから・・・その・・・」
リオンが俯いて手元の指をもて遊ばせてフラフラしている。
「楽しんでもらえたらならそれはよかったです。私もお役目を充分果たせました」
「・・・そんなもう終わりみたいな言い方しないで。ぼくはノールが渡り廊下を歩いているのをずっと楽しいながら・・・」
リオンの手元が水滴が落ちてきて指を濡らした。
「はぁ・・・魔道の基本的なものはもう十分すぎるほど習得しています。あとはあなたが理魔道士としてあるいは闇魔道士として生きるかなのです」
「それは分かってる。分かってるんだ。でも・・・」
やっぱり引き受けるべき仕事ではなかった。
「私は一介の闇魔道士でしかありません。師を仰ぎ見るようなほど魔道の技能もありません。魔道の勉強を続けたいのであればもっとふさわしい人のもとで指導を仰ぐべきです。これ以上私と関わり合うのは」
「・・・ぼくはこの国の皇子です!」
リオンが大きな声でノールの言葉を遮った。自分で出した声の大きさに驚きを隠せないようだったがぜいぜいと息を切らしてそれでも言葉を続けた。
「ノール、ぼくはなんできみに会いたいって人に頼んでまでいったのか。わかる?」
「・・・」
「ぼくはね、嬉しかったんだ。ぼくの周りの人たちはみんなお父上の言葉で動いてくれてる。それはとても正しい事でぼくだってお父上の言葉ならどんな言葉でも従うよ。でもノールはぼくの言葉に従ってくれたんだ。そんな事なかったし、自分の言葉を信じてくれるのがこんなに嬉しいことだったなんて知らなかった・・・」
「ですがそのことがあなたの命を危険に晒すことでもありました。私は判断を間違えたのです」
「確かにノールは間違えたかもしれないけど、元を正せば自分の体をちゃんと分かっていなかったぼくが悪いんだよ。さっきも言ったけど、夜遅くまで勉強していたのは確かだし。ノールが自責を感じることなんかないんだよ。ねえぼくが悪かったんだ・・・だから・・・」
「ではあなたは・・・」
「ノール、ぼくのそばにいてほしいし、元気になったら闇魔道を教えてもらいたい・・・・」
「?えっとそれはつまり・・・?」
リオンの言った言葉に自分が予想していたのとは違うものが含まれて言葉に詰まった。
「だから、闇魔道を・・・」
「いえそれは私の教えられることまでなら全然構いませんがそれ以外に今なんとおっしゃりましたか?」
「え、だから・・・そばにいてほしいって・・・」
さっきまで涙まで流していたリオンの目が充血して赤いのは確かだが、もうそれで赤いのかなんなのかわからない。
「ちょっとお待ちください。私は先ほど申したとおり一介の・・・」
「お父上もずっと若い頃から仕えていた方がいらしてとても信頼関係があって・・・いつかぼくにもそんな方を・・・」
「あのですから、私はただの・・・」
多分皇子が話されているのは陛下から黒曜石を承ったデュッセル将軍ではないかと推測できる。今の陛下から信頼も厚いどころか部下からも慕われて、その方を慕って兵士に志願するものさえいるとか。
自分のような人間がそんな人間になれるわけがない。いやなろうと思ってなれるものでもない。自分とは雲泥の差もある。
「・・・リオン様、お言葉を返すようですが私はそんな頼りになるような人間ではありませんよ」
流石に荷が重すぎて心が半分くらい放心状態だった。
「頼りないのはぼくも同じだよ」
無邪気なそうなリオンの顔を見てると仕事を断る言葉が見つからない。
「とりあえず元気になったら今度こそ闇魔道教えてよ、ノール」
「それは。別に構いませんが・・・」
ノールの頭にはきっとまだ幼さが残るこの皇子も成長するにつれてもっと良い人が従者になってくれる未来が訪れるのではないかという希望が湧いた。
それとは別にもう少しだけこの皇子と関われるのが嬉しいのは確かである。暗いところが好きでもなく、明るい場所が嫌いというわけもでもなく、ただ明るい場所にあなたがいた。それだけのことなのである。
月日は流れて。
まだ幼さが残っていた皇子も成長して、自分と同じ目線で対話できる背丈になっていた。
「もう私から教えることはありません。それどころか今のあなたは闇魔道士として達人の域まで達しています」
出会った頃からその才能が見えていたが、自分の想像以上闇魔道士になった。
「指導してくれた人が良かったからね」
成長しても変わらず優しい方であった。
「私の役目ももう終わりましたね」
それとなくノールはリオンに冗談を投げかけた。
「何言ってるんだい、ノール。闇魔道の研究こそきみの本分だろ?」
「そうでしたね、ようやく私の本分に戻れます」
彼の理想は遥かに高い。自分のような人間がどこまでついているかわからないができる限り彼のそばに居続けよう。断りきれなくてここまで来てしまったが、もうその覚悟は出来ている。