最高の晩餐リオンが自身の理想のために集めた魔道士の中で自分が一番若くて歳が近かったせいか随分親しくさせてもらった。ノール自身も人生で友達がいたとは言えずようやく見つけた親しい間柄というのが皇子というのは気が引けない。相手は王族なのだから、畏れ多いことこの上ないので一歩でも二歩でも引いて接していた。
親しくなっていくなかでそんなノールの気持ちとは裏腹にリオンがとある行動を取り始めたのがきっかけだった。
いつものように魔道研究の書籍を読んでいると、後ろから自分を呼ぶ声がして振り返ろうとした瞬間リオンが自分の体に抱きついてきた。
「リ、リオン様???」
ノールはリオンの行動に驚いてしまった。
自分の顔のすぐ横にリオンの端正な顔があること、それに対してもノールの心中が穏やかにしてくれない。
「親しい人との間柄だと挨拶に抱擁したり、頬に口づけたりするのは普通だから別に驚くことはないんじゃないかなぁ」
そういうや否やリオンはノールの頬にそっと口付けをした。
「あの・・・親しくしてくださるのは嬉しいのですがあまりこういったことを私のような人間にするのはよろしくないと思います・・・」
「いやだった?・・・いやだったらもうしないよ」
返答次第では今度の彼との付き合いが大きく変わる言葉に冷静になって考える。
「・・・嫌ではありませんが、その・・・人を憚れるますね」
色々な考えが浮かんでは消えたが自分の本心はこれだろうということを率直に言った。
「人のいるところではしないようにするよ、ねえせっかくだからノールからもして欲しいな」
「そ、それは随分と恐れ多いですね・・・。いえ、リオン様がよろしいのなら」
そういうと気恥ずかしさを纏いながら恐る恐るリオンの頬に自分の唇をつける。
他人に対してしたことがないことを国の皇子にしてしまうことで多分の少し体が震えていた。
された方のリオンは見るからに上機嫌で嬉しそうに笑っていった。自分のような人間でも人を喜ばせることができるのだと思うと、こちらまで嬉しくなった。
「緊張するね・・・」
その日は初めての試みにリオンは緊張と期待で胸を高鳴らせていた。
以前から古代に失われたという闇魔道の一つに時の垣間というものを研究していた。
もし用いれば時が歪み、空間の因果がなくなり異界の世界にも干渉できるという。もちろん、まだ研究途中ではあるが、そのほんの断片的なものの理屈を利用すると未来に起きることが見られるのではないかということが分かり始めていた。
それはとある土地の天気だった李、海運で港が多いグラドには数時間後の波の高さだったりを予見しその精度は次第に上がっていった。
今日はもっと大きなことがわかるように聖石の周りに浮遊する力も用いて大きな実験をしようとこの日までずっと準備をしていた。
数人の魔道士と皇子を囲んで映し出された未来はとてつもない大きなものであり、それは想像を絶するものであった。
実験が行われたときグラドでは珍しくない小さな揺れを感知した。未来を映してくれる大きな鏡はその揺れが影響したのか、そう遠くない未来に今までにないほど大きな揺れに見舞われてしまうのが見えた。
ここまで大規模な予見をしたことがないせいもあって映像も精度も不鮮明でただ大きく割れる大地がぼんやりと見えたにすぎなかった。
そして一瞬だけだったが多くの人が痩せ細って地面に倒れているのが確認できたのである。
その場にいた人間は固唾を呑んだ。ほとんどが不明瞭ではあったが内容が凄まじいものだったせいである。
言葉が見つからなかった。何を切り出せばいいかと誰もが言葉を探していた。
「初めての実験だったから失敗したのかな」
リオンが第一声を上げた。
「不鮮明な映像だったし、音も聞こえてくるはずだったから。次こそは成功させよう。今日はこの辺で終わりにしよう」
そう言って今日の仕事を早々と切り上げてしまった。
後片付けのために居残っていた人も自分の仕事が終わって帰る人間が一人、また一人といなくなっていく。
ノールは気まずいながらも実験で使った資料や道具を片付けていた。
「ここはもういいよ、あとはぼくがやるから」
自分のすぐ横にリオンが立っていた。
「いえ、ここは私がします。明日以降も私が使うものですから」
「・・・そう、ぼくは」
リオンの言葉が詰まったと思ったら、左手で頭を抱えて机に右手をついてしまった。
「・・・ごめん、ちょっと今日の実験のために少し無理をしちゃったかな。それでも昨日は早めに休んだつもりだったけど」
「少し安静にしたほうがよろしいかと思います」
「そうだね。奥の部屋で休んでいるからここの片付けが終わったら声をかけていって。一応、ここの部屋の管理はぼくがお父上の許可をもらってるから」
そう言ってリオンは部屋の奥の方のへと入っていった。
奥の部屋には設備としては医務室のような役割があった。自分たちにしていることは決して安全なことではない。もしも魔道に失敗した時のために速やかに処置ができるように医薬品や簡易的な寝台が置いてあった。
ノールは黙ってリオンの弱々しい背中を部屋の奥に消えるまで見ていた。
明日以降も使うとは言ったものの、多分一から作り直さないといけないのはわかっていた。今日のこと以外にも仕事としてはまだあったが正直何から手をつけたらいいか考え直さないといけない。
まだ誰も成し得たことがないことしている。その事の大きさに今回の一件で身に染みて理解した。
明日のことを考えながら、明日仕事をやりやすいように片付けた。
さほど時間は流れていないと思ってみると思ったより時間が過ぎている。
帰るにしても先程リオンの指示した通りに一度声をかけてから帰らなければ。
リオンが消えるまで背中を見続けた奥へと自分も行く。
なんの変哲もない部屋の扉を叩いて部屋に入った。
「リオン様・・・?」
リオンが薄暗い部屋の寝台で寝ていた。よほど疲れていたのか自分の鳴らした音にも反応しなかったようだ。
本棚には魔術の本が並べられていた。割れやすい瓶などは地震が多いグラドではあまり置かれずに机の引き出しなど入れられていることが多かった。
おそるおそる寝台で眠るリオンの元に駆け寄ってみる。
「リオン様・・・」
また呼んでみても起きる気配がない。どうしようかとリオンの顔を覗き込んでみると、端正な顔立ちの整った顔を確認する形になって思わずドキッとしてしまった。
このまま起こしてしまうのは良くない気がした。
(置き手紙でも書けば)
そう思った瞬間、リオンが寝返りを打って自分のほうに向けられた。
寝ていたリオンがパチっと目が開いた。視界にはノールが入っているはずだ。
「すみません、起こしてしまいましたか」
「・・・あぁ。今のは夢か・・・。ノール?」
まだ寝ぼけているのか、頭がはっきりしないのか。それでもリオンが気怠そうに起き上がった。
「ごめん、そこに水差しがあるだろ?コップに注いでもらっていいかな」
リオンが指差す方のテーブルには水差しとコップが置いてあった。
「はい」
リオンが水が飲みたいのを理解してコップに水を注いで、水の入ったコップを彼に渡した。
「ありがとう」
手渡されたコップを受け取ってゆっくり飲み始めた。
「随分と熟睡されていたようですね」
「そうだね、きみが入ってきてるのにも気が付かずに寝てたみたいだし。ちょっと横になるだけのつもりだったんだけどなぁ・・・」
「・・・あの、片付けが済みましたので私は帰ります」
「そう、ちょっとだけ話聞いてもらってもいいかな。そこの椅子にでもかけて」
そう言って椅子へかけるようにノールに言った。特に断る理由もないので黙ってそのままリオンの指示に従った。
「ねえきみは夢を見たりする?」
「夢ですか?どうでしょうか、本を読んでいるうちに気づいたら朝になってることが多いのであまり見ない気がします」
「それはきみらしいね。昔から予知夢なんて言葉があるけど、そう、未来の出来事が夢となってみることができるんじゃないかと考えた人もいるんだろうね。ノールはどう思う?」
「そうですね。さまざま文献で語られることを私なりに解釈するなら人々は夢にさまざまな意味を持たせようとしたのでしょうね。それが現実で起こる何かを暗示している、または自分の身に起こる何か、予言、変調を夢という形で啓示を受けようと・・・あ、すみません」
話が少し長過ぎたような気がしてノールが一旦言葉を止めた。
「あ、ごめん。面白かったから別に続けてもらって良かったんだよ。ぼくは夢は見る方だと思う。さっきも寝てた時も夢を見てた。でもそれは過去の出来事。ただの昔の話」
「どんな夢でしたか」
「小さい頃の話だよ。とある小さな村が不作でね、お父上が城の食糧庫を一つその村のために開けたんだ。お父上は笑いながら「リオン、今日からおかずが一つ減ってしまうが我慢してくれよ」って言ったんだ。ぼくはなんの不満もなかったよ。食べられるパンが一つ減ったも、ぼくはお父上と半分にして二人で食べる一つのパンが最高のご馳走だと思ってたから・・・」
「・・・」
ノールが返す言葉がなかった。
「あんなこと、本当に起きてしまったらそんなことですら無意味なんだろうね・・・」
不鮮明で不明瞭な未来の映像を思い出した。
「血の気が引くというのは久しぶりに感じました。昔からグラドは地震が多いのは確かですがそのような揺れなど経験にないことです」
ノールの言葉を聞いてリオンはまるで寒さに凍える幼児のように両肩を震わせた。
「あぁ・・・ぼくは。嘘でもあんなものみたくなかった。みたくなかったよ、ノール・・・」
リオンはノールに縋りつくように彼の胸の中で静かに泣いていた。
きっと陛下にも今日のことは報告するのだろう。まだ自分たちの技術が未熟でそんな大災害が起こるなんてありえないと思っていた頃の話だった。
【おまけ】
陛下に告げた後も繰り返し行われる実験はただ自分たちの技術の精度が上がるばかりでとてつもなく恐ろしい未来がこの国の訪れるのが明白になっていくばかりだった。
絶望が最初に殺すのは人の心だったと今思えばそうだった。
「王というのはとても重いんだ・・・」
陛下か亡くなったときからリオンは孤独になったのだ。父の死を悼む暇もなく寄りかかるものも縋るものもなく、ただ王の責務だけが彼にのしかかったのだ。
カランと音がした。
聖石しかない筈がリオンの手には禍々しいもう一つの石が握られている。これが滅びの未来を見たものが下した結末か。
もう語る言葉も尽きたのだ。自分たちの夢も希望もあの禍々しい石が結末といえばこれほど滑稽な話もないだった。
空しさや儚さ、国を救おうとしたはずがこの世界に古の魔王を呼び寄せてしまうことになってしまうとは。
今は自分はただ己の死を待つだけがこの魂の安息になる手段しかないのである。
変な奴だと言われた。どんな悪いことをしてここに来たのか、服装からして闇魔道士なのだから悪いことをしてもおかしくないと思われたかもしれない
よく思われないこともこんなことがなくても度々あったのでどうも思わなかった。
「こんな食えたもんじゃない食事を平らげる奴」
しかももうすぐ処刑にされるのにとも小声で聞こえた。
「・・・私には死んだら悲しむ人も居なければ待っている家族もいません。ですがこんな粗末なものですら食べられず死んでいく人々、それに心を痛めて身を粉して救おうとした方々を知っています。失うものがない私のただの信条です」
兵士が何を思ったかは知らない。せいぜい、硬いパンで喉を詰まらせないように水分を含ませて食うんだなと言われた。
数日後死ぬ人間のことなど構っておけるこの国は安穏ではない。いつ自分の寝首を切られるかわかったものではない。
もしも自分の魂の安らぎがあるのなら深い暗闇の淵か、かつてみた希望の残光か。