雨はあまり好きではない。あの日を…蓮花塢を失った日を思い起こさせるから。
雲深不知処は雲が深いと名付けられているだけあって雲夢に比べると雨がちだ。今日も夜狩についての打ち合わせのため江澄は雲深不知処を訪れていた。蓮花塢を発つ時は太陽が眩しく伏し目がちになったものだが姑蘇に着く頃には太陽は姿を消し雲が空を覆っており、雲深不知処の入口に立った時にはもう雨の匂いがしていた。
打ち合わせが終わる頃には降り始めていた雨は激しさを増していた。これでは剣に乗って帰るのも一苦労だ。と、そこまでの江澄の思考を読み取ったように藍曦臣から穏やかな声が掛けられた。
「江宗主、本日はお泊まりになったらいかがですか?」
「…お言葉に甘えさせていただこう」
その返事に柔らかな微笑みで返した藍曦臣はそれでは湯と食事を用意させますね、と廊下を歩いて行った。はぁ、とため息をついて寒室に戻る。先程までと同じ場所に腰を下ろして額を擦った。雨の日はどうにも頭が痛む。気圧の関係だと聞いたことがあるが治しようがないものだということも同時に知った。雲深不知処に来るといつもこうだ、そして。
「江宗主、お待たせしました」
にこやかな藍曦臣が食事の膳と共に護符を部屋に貼って飲み薬を差し出した。これもまた雲深不知処における江澄の恒例行事と化している。
「いつもすまないな」
「いえいえ。姑蘇は雨の多い土地柄ですから。貴方のように体調を崩される方もよくいらっしゃいます」
気圧を調整する護符を貼ってもらい薬を飲めばすぐに頭痛は引いていく。用意してもらった茶を含み目を伏せれば先程まであれほど鬱陶しく感じていた雨だれがなんとも優しく聞こえる。