2021.10.31
「甲洋は、ハロウィンしないの?」
定休日のおかげで静かな店内に来主の声がよく響く。自ら手伝いを申し出に来たと思ったら。好奇心の出処はルヴィだろうか。平和な時こそ羽目を外せと笑う彼女は、ときおり来主にこうした行事の入れ知恵をする。
「お前、お菓子なんか持ってないだろ。いたずらされたくて言ってるわけ?」
「それもいいけどー、今日はおいしいやつ作ってきたんだ!」
じゃん、と口で効果音まで付けて取り出したのは、オレンジと焦げ茶のリボンにラッピングされた、白い丸状の……なんだこれ。小麦粉のかたまりか?
見覚えのないものの正体を知りたくてじっと眺めると、興味を引けたと確信したらしい少年が、得意げに笑みを浮かべて銀板に預けた袋のリボンをほどく。袋ごとくれるんじゃないのか。
「これ、羽佐間先生と作ったのか?」
「持ってきたぶんは僕の手作りだよ。スノーボールクッキーっていうんだって。名前を付けた人、雪を食べてみたかったのかな」
指先が汚れるのも構わない様子でいそいそ取り出して、ほんのりレモンの香りがするボールを唇に押し付けてくる。食え、という事らしい。お決まりの文句をまだ言っていないけど、もらえるのなら遠慮なく。手持ち無沙汰の水道栓を締めて、かがんで口を開けてみせると、そっと舌に乗せてくれた。
「ん、ほんとだ。うまい」
「でしょっ。きれいに焼けたから、食べさせてあげたくってさ」
粉糖をまぶされた焼き菓子は、見た目よりも軽くてほろほろ崩れる。もうひとつ欲しい。開けて待つ口に次をよこしてくれる。
「へへ、ハッピーハロウィン」
自分の口にも放り込んで、冷えたキッチンに二人分の咀嚼音が増える。菓子を楽しむ日じゃないんだけど、まあいいか。せっかくの今日だから、ちょっとだけいたずらしておこう。
「菓子がないなら、いたずらでキスしてやろうかと思ってたのに」
「えっ? ……しないの?」
「ハロウィンだからな。お菓子をもらっちゃったから、今日一日いたずらって決めた事はできないんだ」
「……今日が終わるまでずっと?」
「うん。ルールは守らなきゃいけないだろ」
そんな縛りはない。たぶん。洗い物を再開させる横で惑う様子を見るに、俺のトリックは成功したようだ。
「……う、じゃ、じゃあ、これならいい……?」
頬を包む手にぐい、と来主を向かされる。無理やり引っ張られて跳ねた手が水音を大きくする中で、伸び上がった少年の顔が近付く。ぬるい唇が重なった。
「……ぼ、僕からのいたずらってことで」
確かにルールには反していない。慣れない口実を使ったせいか、耳までひどく赤らんでいる。
棚ぼたにもほどがある。こいつに教えてくれただろう、ルヴィに礼をしなきゃ。今度ディランと来店してくれたら、丁重にもてなさせていただこう。