2023.03.31
春日井甲洋はおかしな人間だ。自分の考えを優先させてやろうって様子が見られない。なのに妙に頑固で、相手をするのが面倒になる。
「ねえっ、俺だけで大丈夫だってば。ついてこないでよ」
「君の心配してるわけじゃない。島の負担を減らすためだ」
これだ。話しかけてみてもこちらの意見を聞いてくれないのだから、会話が成立してるなんていえない。人といえば自分の考えをもって交流するものじゃないのかな。意思をぶつけて、言葉を交わして助け合う。その不便さが面白い存在じゃないのかな。そう理解していたのに、甲洋にはちっともその傾向がない。恐怖や警戒、それから、腹をくくって力を借りてやろうって意思を返される方がよっぽどわかりやすい。
「島が頼んだら、海の底でもついてくるわけ?」
これへの返事はなかった。でもたぶん、イエスだろう。そこに彼の役割があるのなら。
春日井甲洋の優先事項といえばミールに与えられた役割に沿うことで、敵対の意思なんかないと伝えても、監視。義務。責任。そんな、短い単語を思い浮かべながら俺のそばにいる。彼の意思じゃなくて、島を守る戦士としての行動だ。せっかく、好きな通りに手足を動かせるのに。自分だけの考えを持てるのに。せっかく言葉を持って生まれたのに、わざと権利を放棄したままなんて、そんなのはつまらないじゃないか。
せめて仕方なしにとか、思ってくれればいいのに。他の人間みたいに、俺になにか思ってみればいいのに。言われるまま、平坦に行動されるのはつまらない。
「ねえ、俺と話すの、めんどうくさい?」
「別に。返事をするくらい、厄介とも思わない」
「本当に? 俺といて、なんにも思わないの?」
「必要がない。君たちと島の緩衝材をこなすのに、感情的になる理由もない」
「ふうん。つまらないの」
ああ、そうだ。つまらないなら、面白くなるようにしてみよう。たとえば一緒にいるのが嫌になるよう振り回してみるとか。たとえば、もういいって思わせるくらい、構い倒してみるとか。たとえば……たとえばそう、俺たちの関係に名前をつけられるくらい、働きかけてみるとか。そうしたら、甲洋の心を見せてもらえるかもしれない。
残念ながら、そんな試みは長くは続かなかった。思いつく限りを試しても変わらない甲洋に、先に音を上げたのは僕の方だった。
「僕たちって、どうして仲良くなれたのかな」
試食のケーキをつつきながら、何度も思考実験した疑問を言葉にしてみると、カウンター向こうで洗い物をしていた甲洋が顔を上げた。
「どうしたの、急に」
「ほら、会ったばかりの頃って全然だったじゃない。喧嘩ばっかりで、騒がないのって咲良や真矢にお説教されたりしてさ」
「喧嘩っていうか、ほとんど来主がごねて叱られてたけどね」
海神島に住み始めて何日か過ぎた頃、初めて甲洋と喧嘩をした。僕の発言に、甲洋が反論を返したのだ。個の感情を見せた甲洋からここにいてもいい、という意味の言葉を引き出して……それから、僕たちの関係は変わった。返事は理路整然とした反論だけじゃなくなったし、甲洋からも言葉をくれる。単純で、だけど大きな変化だった。
今の甲洋は、甲洋の心を大事にできている。今の自分を受け入れてくれた島を思えばこそ、島の為に動いている。ただ、それだけの為に邁進していた頃と同じはずなのに、今の方がよっぽど好きだ。きっと、自分でそうしたいんだって気持ちを見せてもらえているからだと思う。
「甲洋ってば僕たちみたいだったんだもん。心があるのに、ミールの望みに従ってばかりでさ」
「物好きだよね。もっと話して楽しい人だっていたのに、俺ばかりに構って」
「甲洋と話したかったんだよ。楽しく話すなら、きみとがよかったの」
物好きにさせたのは誰なんだか。世界でたった一人の、閉じこもっているつもりもなかった目の前の甲洋なのに。
その扉をこじ開いたのは僕だ。表面に見えなくても、どこかにあるはずの心に触れたかった。そうしたら、甲洋と話すことも楽しくなるはずだと信じて。思えば、甲洋の意思で僕を知ろうとしてもらえなかったことが気に食わなかったのかも。最初にむきになったのは僕だった。まったく、心というものは制御がきかなくて面白い。
はじめはこんな、面倒な過程なんて求めていなかった。赤い揺りかごを出た日から、ずいぶん変えられたものだ。
口がゆるむのをごまかしたくて、ひとくちぶんのケーキを含む。おいしい。こんなにおいしいおやつを作ってもらえるのも、甲洋を構い倒したおかげかも。
「なに、今度は思い出し笑い?」
「ううん? 甲洋が僕を変えたんだから、責任取ってもらわなくちゃって」
人の振る舞いは難しくないと思っていた僕に、辛抱強くするにも限界があるって教えてくれたのは甲洋だ。変わらない態度で、僕の知らない僕をいくつも見つけてくれた。今のままでも十分楽しいけど、甲洋なら、これからどうすればいいかも教えてくれるはず。
もうひとくち。またひとくち食べて返事を待つ。卵と小麦粉、それからバターの成果物が口の中でほろほろほどけてく。零央のケーキもおいしいけど、甲洋が作ってくれるともっとおいしい。話をする時と同じように、製作者との関係も味覚に影響するらしい。
ケーキの残りがほんのちょっとになっても、甲洋の返事はこない。水を出しっぱなしのまま、きょとんと目を丸くしてる。
「甲洋? 僕、変なこと言った?」
アーカイブの真似はしたけど、事実を言っただけだ。おかしな顔の甲洋の代わりに、身を乗り出して水を止める。僕の手を目で追いながら、まだ迷う素振りをして首を傾げた。
「来主が俺を変えたんだろ。責任取ってもらうなら、俺のほうじゃない?」
甲洋はちっとも変わってない。不器用で、素直で、優しい甲洋のままだ。そばで見てきた僕が言うんだから間違いない。なのに甲洋は、自分は変わったと申告してる。それも、物好きな僕のせいで。
「それ、本気で言ってる?」
僕の質問は冗談半分だ。なのに困った顔で頷くから、大声で笑ってしまった。やっぱり甲洋って変わってる。それも、すっごくいい方に!
「ところでさ、責任ってどう取ればいいの?」
「うん? さっきの話?」
「そう、それ。同じ言葉を使ったってことは、僕にもできることがあるんでしょ」
「自分から言ったのに、なにしてもらおうとか考えてなかったの?」
「甲洋が教えてくれると思ったの。今までもそうだったから」
「俺、来主の先生なんかしてたっけ」
「さあね。で、甲洋は僕になにしてほしいの? 叶えてあげたいから、言ってみてよ」
「ええ……? 俺も買い言葉で言ってみただけだからなあ。して欲しいとか、考えたことなかった。いつも通りでいてくれたらいいよ」
「抱きしめてほしいとか、ちゅーしてほしいとかは?」
「……ちゅーって、どこに」
「おでことか、ほっぺたとか? ほら、咲良がよく衛一郎にしてるでしょ。美羽の記憶でも、弓子からよくしてた」
「ああ……」
「興味ある? あるんだね」
「まだなにも言ってない」
「甲洋が言いよどむのってほしい時なんだよ。知らなかった?」
「……いや、まあ、それなりに、わかってるつもりだけど」
「僕も甲洋に触れてみたいと思ってる。甲洋も僕からの行動がほしい。変えた責任、取りあえるんじゃない?」
「それ、意味わかって言ってる?」
「だって甲洋、僕のこと好きでしょ。僕も好きだよ。興味を満たしあえるんだから、ちゅーできるよね」
「じゃあ、俺からしてもいいんなら、キスが欲しいかも」
「へえ! どこにしてくれるの?」
「唇」
「それはまた、どうして? おでこやほっぺたとどう違うの?」
「俺を満たしてくれるんなら、逃したくないから」
「? 逃げないよ。甲洋といたいんだから」
「ありがとう。俺も同じ気持ちだよ。来主のよりは、ちょっと特別かもだけど」