2023.03.20
「ちょ、と、おひいさ」
「シッ! いい子で、静かにして」
意識した途端おねだり下手になるこの子に懸命に呼ばれて、熱視線を交わしてすぐ、未使用の一室に忍び込んだ。期待でいっぱいの、うるうるした蜂蜜色と見つめ合って、それから。唇を重ねようかの間際、壁の向こうからぼくを呼ぶ声が聞こえた。「日和くん?」と。飛び込むところを見られていたんだろう。
話したくないわけじゃない。ただ、まだ二人でいたいだけ。息をひそめている間に諦めてくれないかなと、ジュンくんを胸に隠して数分。壁越しの声はまだ近い。
「ちょっト、モジャ眼鏡。早く入れヨ」
「急かさないでくださいよ〜。日和くんたちが通ったなんて、見間違いだったかもしれませんし」
夏目くんと、つむぎくん。宙くんはいないらしい。
「ドア、開ければわかるでショ。ボクもジュンくんに伝言があるかラ、いるなら話したいんだけド」
「そうですねえ。いっぺんに済ませられるならよかったんですけど……」
この時間に揃っているってことは、仕事終わりなのかも。だったら離れるまでまだかかるかもしれない。なんとも都合の悪い。
「おひ、んむ、ぐ」
「こら、暴れないの」
ジュンくんはジュンくんで、腕の中でもぞもぞ不満そうにする。静かにと言ったばかりなのに。呻き程度ならあちら側に漏れはしないだろうけれど。
どうしようかな。メアリを愛する時より強く、跳ねた髪を撫で付けてあげる。やましい仲ではないのだし、二、三交わして仕切り直すべきだったかも。
「……うーん。空気を見間違えたのかもしれませんね」
「ハァ?」
「ほら、埃ってきらきら光りますし。日和くんみたいって考えたせいで、勘違いしたのかも」
「ンなワケないだロ。なに言ってんノ」
「あはは。……あいたっ!? もう、夏目くんったら……」
つむぎくんと夏目くんの声が遠ざかっていく。ドアに耳を当ててみて、すっかり聞こえなくなった頃、抵抗の弱くなっていたジュンくんを離してあげる。
「……ぶはぁッ!! ……はあっ……窒息死させる気ですか!?」
さっきまで抱えていた子に、今度はぼくが押し付けられる。呼吸の乱れがひどいね。止息法を教えてみるべきかな。されるがまま、にされてあげて、真っ赤な顔にふう、と吹きかける。あまり効果はなかったみたい。
「だって、暴れるんだもの。抱き締めてあげたら、お口を閉じてくれるかなって」
「あんたのッ、胸でッ、息もままならなかったんですよッ!!」
厚着はしていないのだけど。言っておいて、うなり始めた子の腕をくすぐる。手首から辿って、たくし上げたアウターの袖をなぞり、それからゆっくりと肩に手を絡めてを抱き締める。普段ならばこのまま。また、期待に揺れる蜂蜜色がぼくだけをうつす。けれど、まぶたは下ろしてあげない。
「ジュンくん。ぼくたち、キスできなかったね」
「え? ああ、まあ……」
「ざんねんだったねえ? ぼくはこれから約束があるし、ジュンくんも茨が待っている」
「別に、キスくらい……今日じゃなくてもやれますし」
そう。唇を重ねたいなんてのは、二人きりの為の口実だ。熱を感じられたらいい。注ぎそこねて滾った愛を、与えるに今は相応しくない。
アウター越しに指先を突き立てる。果てが近づく頃、ぼくの爪がかくところ。にぶちんのジュンくんに、ようやく教え込んだ合図。
「続きは夜に、ね?」
「…………」
今度は耳まで赤い。首も。強引になれる癖に、ずっとうぶなんだから。
「ジュンくん。お返事は?」
「ハイ。早めに迎えに行きます」
「よろしい。ちゃんと、お部屋で待っていてあげるからね」
さて。また誰かに見つかる前にお暇しなくちゃ。りんごほっぺの名残に染まった子と静かな廊下を急ぐ。つむぎくんが目敏かっただけらしく、他にひと気はなかった。ジュンくんはいくらか赤いままだったけど、茨ならかわいい顔を見せても構わない。
ハプニングに見舞われたけれど、終わりよければ、いい日和。なんてね。