2021.11.24
布をまとえば朝が来る。カーテンも開かずの薄暗闇でフリルを整えられるくらいには、このお洋服とも付き合いが長くなった。
「おはよう。今日はなにして過ごす?」
音も立てずに用向きを探しに来る主人の声に、またかと呆れるのも慣れたものだ。そのうち、呆れてやるのも諦めるだろうか。囲うように匿われるのも、人懐っこく遠慮のないのと付き合うのも初めてなものだから、先の予想がつかない。
「……ノックをしろと教えたのはあなたでしょう。早くから末端を構っている場合ですか?」
昨夜眠る前に、なにやら所用を片付けるのが面倒だとぼやいていたはずだが。振り返ると、着せさせられた裾の広い細かな装飾の施されたネグリジェから着替えもせず、先程まで俺のいたベッドに寝転んでいる。
「僕の家だからいいの〜。拾った子のお世話をするのも主人の役目だもん」
玩具の手入れ、の間違いだろう。あてがわれた部屋はやたらに広い。眠る以外の機能もないが、二十人で雑魚寝も易いほどに。匿ってくれと逃げ込んだ日、隅の調度品まで値の張りそうなここへ放り込まれた時はありがたく身を投げだして眠ったものだが、本気で俺の私室として、ついでにお昼寝の場所としておろしたての寝具まで運び込ませたとはまさか思うまい。
じろじろと品定めされる事はなかったが、訊ねる俺をもののようにも扱おうとしない使用人の不気味な態度が記憶にこびりついている。
「君の話を聞くのも楽しいけれど、たまには僕のないしょばなしでもしよっかな。お話したいこと、たくさんあるんだよ」
一人で予定を組み立てたらしい坊っちゃんが、シルクの裾から伸びる生脚をぱたぱた揺らす。撫でる爪先はすっかり冷たい。近付いても食事の匂いはしない。ぐっすり眠って、機嫌良く目覚めでもして、裸足でここまで駆けてきたらしい。
「その前に、腹になにか入れましょうよ。ただでさえ不健康なんですから」
「君が作ってくれるなら食べるよう」
「料理人に落ち込まれるのはいやです。布一枚で過ごそうとするのもやめてください」
「はあい。隣、座ってくれるよね」
「ご命令であれば」
「おねがいなのにな」
大きな屋敷を背負う身だが、聞き分けはそれなりにいい。ちぇ、と唇を尖らせて、俺の枕を抱きしめる。このまま歩かせたら余計にいけない。食事に向かわせる為には、空間を与えられた俺よりものびのび過ごす少年に、まずは置きっぱなしの私服を着せるところからだ。
壁に隔てられた向こうのウォークインクローゼットから適当に見繕って戻ると、お利口にボタンを外しながら待っていた。覗く胸元まで薄い。ぱたぱた走り回るくせ、小さなショコラで済ませようとするからだ。
「ボタン、外せるならご自分で着てくださいよ」
「どうして。君が選んだのだから着せてくれるべきでしょう」
「……はあ……」
無抵抗な腕に、少しだけ意図を持って触れてみても抵抗はない。指を滑り落ちるシルクを脱がせて、腹を冷やさないようアンダーウェアを被せてから、少年に着せるにしては可愛らしい薄ピンクをまとわせる。何枚か重ねれば、薄い体も少しはましになった。ネグリジェは、適当に置いておけば他の使用人が適切に手入れしてくれる。誰も彼も慣れたものだ。主人が野良犬の元へすっかり入り浸るのを誰も見咎めない程度には自由の身であるらしい。
「ありがとう」
「いいえ」
礼を怠らないところはいい。こいつの距離感も、どうして異性装をさせられているのかも教えられないままだが、こいつの作った箱庭は、肌に合わずとも居心地はそう悪くない。
今日も一日が始まる。どうせ、昨日と代わり映えはしない平和な一日が。エスコートまで望む手を無視して赤ん坊のように腋に手を入れて立ち上がらせる。寄り掛かろうとするのを避けても、機嫌を悪くしたふうもない。
散歩に付き合う弟のように、半歩後ろを歩きたがる主人を好きにさせて、眠る前に鍵を掛けたままにした扉を開く。毎度律儀に掛け直しているのか、どこかに隠し扉でも作っているのか知らないが。
「今日こそは操って呼んでね」
俺を名で呼ばないくせに。
「ここを追い出される日に、呼びますよ」
「えーっ、それじゃあ一生呼ばれないじゃない。条件緩和を要求します」
全面の窓からやわらかな日差しが差し込む。ダイニングルームに付いたら、メイドの用意した熱めの紅茶に砂糖をふたつと、ミルクを五ミリリットル注いで、やけどしない程度まで混ぜてやって。ブレッドの焼き上がる香りにまじってバターの気配がする。スープを飲ませろとねだるのを断ったら、後は静かな時間だ。確約のない日々を、せいぜい楽しむとしよう。