【まおしゅう展示】思い出の味「人間には誕生日を祝うという風習があるらしい」
バルトスの言葉にガンガディアは読みかけの本から視線を上げた。ガンガディアの足元ではヒュンケルが絵本を読んでいる。日も暮れた地底魔城の一室で三人は過ごしていた。
「それがどうかしたのかね」
ガンガディアはバルトスの意図をはかりかねた。バルトスはヒュンケルを連れてガンガディアの部屋に遊びにきている。それはヒュンケルが絵本を読むためだった。ガンガディアはヒュンケルにいくつかの絵本を買い与えているが、ヒュンケルはその絵本をガンガディアの部屋で読みたがった。ガンガディアの部屋には大量の蔵書があり、余暇は読書をして過ごす。ヒュンケルもそれを知っており、ガンガディアの部屋は本を読む場所だと思っていた。
ヒュンケルは自分の絵本を持ってガンガディアの足元に座っている。読書中は静かにすることを条件にガンガディアはヒュンケルの入室を許可していた。それにならってバルトスもこの読書の時間を静かに過ごしている。それを破ってガンガディアに話しかけるのは珍しいことだった。
「私はこの子の誕生日を知らない。祝ってやれなくて残念だと思ってな」
バルトスの骨の手がヒュンケルの頭を撫でる。ヒュンケルはバルトスを見上げて笑みを浮かべた。ヒュンケルは絵本を持ってバルトスの元までいくと膝に座る。バルトスの腕の何本かがヒュンケルを抱きしめた。
「人間というのは凄いな。こんなに日々成長していく」
バルトスは嬉しそうであったが、どこか寂しそうでもあった。本当は誕生日を祝ってやりたいのだろう。ガンガディアにはよくわからない感情ではあるが、助言はできる。
「誕生日がわからないのであれば、この子がここへ来た日を誕生日とするのはどうかね。ちょうど今くらいの季節だっただろう」
バルトスはハッとしたようにガンガディアを見返した。そして白い骨の顔を綻ばせた。
「なるほど。それは良い考えだ」
バルトスはガンガディアが見たこともないほど嬉しそうであった。それほどにヒュンケルの存在がバルトスの中では大きいのだろう。
「誕生日とはどうやって祝うのだろうか」
「様々な風習があるだろうが、いつもより豪華な食事や、贈り物をしたり……」
ガンガディアは書架からいくつかの本を手に取った。人間についての記述があるものだ。人間についてはガンガディアも興味があったので本を集めている。バルトスはガンガディアが渡した本を熱心に読んでいた。
ガンガディアはバルトスが赤ん坊のヒュンケルを連れて帰ってきたときのことをよく覚えている。バルトスには武人として一目置いていたから、随分と酔狂なことをすると思ったのだ。バルトスに抱かれたヒュンケルはまるで卵のように布に包まれており、それを見て人間の赤子はなんと無防備なのだろうと驚いたのだった。
「ガンガ」
見ればヒュンケルがガンガディアの手を引いていた。
「何だね」
「ここ、よんで」
「どれ」
ヒュンケルが持っていたのは最近買い与えた絵本だった。文字の量も多く、ヒュンケルは少しずつ読み進めていた。
ガンガディアはヒュンケルを抱えると見えるように絵本を開いた。そして文字を指差しながら読み方と意味を教える。ヒュンケルは何度か言葉を繰り返して言うと、指先で文字を真似して書いてみせた。
「上手だ」
ヒュンケルは物覚えが早く、既に多くの言葉を覚えていた。ガンガディアはヒュンケルが文字の習得に熱心なことに感心している。知識はいずれ身を助けるが、そのためには文字の習得は必須だった。
「食事……か」
本を読んでいたバルトスは困ったように口にした。ガンガディアが本を見れば料理の挿絵がある。それは誕生日を祝う食事を描いたものだった。
ここにはバルトスのように食事をしない魔物も多い。それでも人間であるヒュンケルのためにバルトスは日々の食事を用意していた。だが人間の文化に疎いために手の込んだ料理などはできないらしい。ましてや本に載っていたのはケーキだった。食べたこともない複雑な工程の料理は荷が重いだろう。
「食事のことは私が引き受けよう。人間の街に行けば手に入れるのは難しくない」
ガンガディアは時おりモシャスで人間に化けて街へ赴いていた。それは魔導書を手に入れるためで、ヒュンケルの絵本もそのときに購入している。バルトスはガンガディアの申し出に安堵したようだった。
「では私はこの子に贈り物を用意しよう」
「おくりものってなに?」
ヒュンケルは意味はわからなくても、何か良いものだと感じ取ったらしい。ガンガディアの膝かから飛び降りると、嬉しそうにバルトスの腕にぶら下がった。
「ふふ、楽しみにしておくといい」
バルトスはヒュンケルを抱きしめた。硬くて温もりなどないはずなのに、ヒュンケルはその腕の中で安心しきっている。
ガンガディアはバルトスとヒュンケルのやり取りを眺めた。やはり理解できない。だが、ヒュンケルのために何かをしたいという気持ちは、わかるような気がした。
***
ガンガディアは人間の街まで来ていた。モシャスで人間に化けているので、誰もガンガディアを魔物だとは気づかない。
ヒュンケルの誕生日会は明日だった。ガンガディアは事前にヒュンケルにどのようなケーキがいいかたずねていた。ヒュンケルは目を輝かせて、前に街で見たケーキがいいと言った。それは以前にヒュンケルを街に連れて行った時に見た焼き菓子のことで、ケーキではないがヒュンケルの望みならそれにしようとガンガディアは言った。
ガンガディアはその時と同じ街へと来ている。あとはその焼き菓子を見つけて買って帰ればガンガディアの役目は終わりだった。
そう思っていたのだが、いくら探しても目当ての焼き菓子はなかった。不思議に思ってある店の店主に尋ねたところ、あの焼き菓子は祭りの時だけの特別な菓子なのだという。そういえば以前来たときは祭りの最中だった。
「どうしてもあの菓子を手に入れたいのだが」
ガンガディアは店主に言った。引き受けたからには任務をやり遂げる必要がある。
「じゃあレシピを書いてあげますよ。この街伝統の焼き菓子だから、他では手に入らないですからね」
ガンガディアは驚いて目を見張った。レシピなど貰ってもガンガディアに作れるわけがない。人間の料理など作ったこともなかった。しかし店主は気前良くレシピを書いてガンガディアに渡した。レシピには沢山の材料といくつもの作業工程が書かれている。ガンガディアはこれは引き受けた任務だと己に言い聞かせた。ガンガディアは眉間に皺を寄せながらも礼を言ってその店でいくつかの材料を買った。
ガンガディアはレシピを見ながら街を歩いた。いくつかの店で材料を調達したのだが、あと一つだけ買えていないものがあった。それはスパイスなのだが、味の決め手になる重要なものらしくてどうしても必要だった。
「おい」
ガンガディアは知った声に呼び止められた。振り返るとそこには大魔道士マトリフが立っていた。
「買い物の邪魔をしたか?」
マトリフは杖をガンガディアに向けて不敵に笑っていた。どうやったのかガンガディアのモシャスを見破ったらしい。ガンガディアは思わずマトリフの腕を掴んでいた。
「いいところで会った」
「は?」
ガンガディアはレシピに書かれたスパイスのことをマトリフに話した。どうしても買いたいのだと言ったら、マトリフは呆れたようにガンガディアを見上げてきた。
「ほんとに買い物に来てたのかよ」
「そうだが」
マトリフは少し考えるようにしてから、ある方向を指差した。
「そのスパイスなら向こうの店に売ってる。スパイス屋じゃなくて薬草屋だけどな」
「そうなのか。助かった」
「おまえ料理が趣味なのか?」
「いや、これは事情があって」
「どんな事情だよ。ってかいい加減に離せ」
ガンガディアは掴んだままのマトリフの手を引いた。先ほどマトリフが指差した方へ足を向ける。
「その店まで付き合ってくれ」
「はあ?」
ガンガディアはマトリフを連れて店まで行き、探していたスパイスを教えてもらって購入した。これで全ての材料が揃ったことになる。ガンガディアはレシピと紙袋の中身を確認してからマトリフに言った。
「お陰で助かった」
「……何もしないで帰るのかよ」
「買い物なら済んだ。では」
マトリフは訝しげにガンガディアを見ていたが、ガンガディアは紙袋を抱えてキメラのつばさを取り出し、地底魔城へと一直線に戻っていった。
そこから焼き菓子を作るのは大変な作業だった。ガンガディアはレシピ通りに作ろうとするのだが、慣れない作業は難しくて失敗を繰り返した。なぜ上手くいかないのかがわからない。ガンガディアは服を粉まみれにさせながら何度も作り直した。これは任務なのだと思うが、それ以上にヒュンケルをがっかりさせたくなかった。焼き菓子が食べたいと言ったときのヒュンケルの笑顔が思い出される。あの笑顔を失わせたくなかった。
何度目かの挑戦の後に、ようやく納得できるものが出来上がった。ガンガディアは粉まみれの指で眼鏡を押し上げる。出来上がった焼き菓子に清潔な布をかぶせた。
誕生日当日、ヒュンケルは骨製の剣をバルトスから貰って大変に喜んでいた。目を輝かせてさっそく剣を振っている。その光景が微笑ましく、ガンガディアもつい表情が緩んでしまった。
ガンガディアが作った焼き菓子も好評で、ヒュンケルはそれを口いっぱいに頬張っていた。砂糖をまぶしているものだから、ヒュンケルの頬は砂糖まみれになっている。バルトスは苦笑しながらその頬を拭いていた。
「ガンガ、おいしい!」
「それは良かった」
ヒュンケルの嬉しそうな顔に、ガンガディアは苦労をしてでも菓子作りをやってよかったと思えた。
「なになに、パーティーなら呼んでよぉ」
騒ぎを聞きつけたキギロまで加わり、はじめての誕生日会は予想以上の盛り上がりとなった。キギロはとっておきのワインを持ってきてヒュンケルに渡すと「大人になったら飲んでみるといいよ」と悪戯っぽく笑った。ヒュンケルはワインをすぐに飲みたがったが、バルトスはそれをヒュンケルが手が届かない場所へとしまっていた。
ガンガディアは骨の剣を持ったまま疲れて眠るヒュンケルを見て、この子もいつか大人になるのだと考えていた。それを見てみたいと思う。きっと素晴らしい剣士になるだろう。だが本を読むことも忘れないでほしいとガンガディアは思った。
***
「ということがあってね」
ガンガディアは話し終えて紅茶を一口飲んだ。ダイとポップは興味津々でその話を聞いていた。
「そのレシピって覚えてる?」
ダイが尋ねるとガンガディアは頷いた。
「勿論だ。それからは毎年焼いたからね」
あれ以降ガンガディアはヒュンケルの誕生日会の焼き菓子担当となり、翌年もその次の年も焼き菓子を作った。だがそれ以降は魔王軍が散り散りになったこともあってその習慣は途絶えてしまっていた。
「じゃあ今年はおれたちも一緒に作らせてくれねえか?」
今度はポップが言った。ダイとポップはヒュンケルの誕生日会の計画を立てているらしい。誕生日会の食べ物は何がいいかとヒュンケルに尋ねたら、昔に食べた焼き菓子がいいと言ったらしい。それでダイとポップはガンガディアにその菓子のことを尋ねに来たのだ。
「それは楽しみだ。そう思わないかね大魔道士」
ガンガディアは横で紅茶を飲んでいたマトリフに言う。マトリフは肩をすくめてみせた。
「また買い物に付き合わせる気か?」
「そうだ。またあのスパイスを買いに行かねば」
しょうがねえなあとマトリフは苦笑する。だが悪い気はしないらしい。
ガンガディアは気持ちが弾むのを感じた。ヒュンケルの成長はガンガディアの楽しみのひとつになっている。今ならバルトスの気持ちがガンガディアにもわかった。バルトスも成長したヒュンケルをどれほど見たかっただろう。
「楽しみだよ」
ガンガディアは焼き菓子を頬張るヒュンケルを思い出す。大きなガンガディアの手で作るせいで、とても大きな焼き菓子だった。それに小さなヒュンケルは必死でかじりついていたのだ。
そしてヒュンケルの誕生日がきた。ヒュンケルは巨大な焼き菓子を目にして珍しく顔を綻ばせていた。ガンガディアが作ったと一目でわかるそれを手にしてかぶりつく。表面にまぶした砂糖が頬につくのも気にせずに食べる姿に仲間たちは目を丸くさせた。だがガンガディアにとっては懐かしい姿だった。焼き菓子を食べるヒュンケルの顔は昔と少しも変わらなかった。
おわり