【まおしゅう2展示】大魔道士の胃袋を掴もう大作戦「大魔道士、台所を使ってもいいだろうか」
ガンガディアの言葉にマトリフは読んでいた魔導書から顔を上げる。帰ってきたばかりのガンガディアの腕には紙袋があった。
お日様燦々のどかな午後。いつもは薄暗いマトリフの洞窟でさえ暖かな空気が満ちていた。
「台所? 何するんだ」
「もちろん料理だ」
ガンガディアは買い物に行くと言っていたから何か買ってきたのだろう。しかしマトリフは訝しげに眉間に皺を寄せた。
「料理って、どういう風の吹き回しだ」
ガンガディアは料理というものをしたことがないはずだ。普段の食事は果物や肉を生で食べるので調理の必要がなく、いつもマトリフの食事を珍しそうに見ている。そのマトリフだって大抵は魚を焼くか、作ってもスープくらいである。
「実はこんなものを見つけた」
そう言ってガンガディアは紙袋からある箱を取り出した。その箱には「ちびっこお料理シリーズ はじめてのクッキー」と書かれてある。どうやら菓子の手作りキットのようだ。その箱ひとつに材料が揃っていて、簡単に作れるというものだろう。
「お前が作るのか?」
マトリフはその箱を受け取って見る。裏には作り方の説明も書かれていた。工程が少なく、簡単そうである。よく見れば友人によく似たイラストが描かれてあった。どうやらこのキットの監修はアバンらしい。あいつは何をやってるんだ。
ガンガディアはさっそく手を洗っている。やる気満々のようだ。だがマトリフにはひとつの懸念があった。
これって子ども向けじゃないのか。ちびっこって書いてあるぞ?
マトリフはキットを開けてみる。小麦粉や砂糖などの他に、クッキー型も入っていた。かわいいスライム型である。しかも小さな子どもが使いやすいような大きさだ。マトリフが持っても小さいと感じるのに、大きなガンガディアの手で持てるのだろうか。
「まずボウルを用意だな」
「ねぇよ」
「なんということだ」
ガンガディアは悲壮な面持ちで床に手をついた。いや、お前さっき手を洗ったのによ。
「じゃあそのへんの鍋とか使えよ」
「そうか。さすがは大魔道士。状況に応じて臨機応変に対応できるところは戦いも料理も変わらないということか」
「わかったわかった。手洗えよ」
律儀に手を洗い直したガンガディアは鍋を手にする。やる気は失われていないようだ。
「まずは卵だ。これはキットには付属されていないから買ってきた」
ガンガディアは紙袋に入っていた卵を指先で摘み上げた。だが見てるだけで危なっかしい。卵は今にも握りつぶされてしまいそうだ。
「あ」
ぐしゃりと卵が潰れた。卵はガンガディアが持っていた鍋の中に殻と共に落ちる。それを見たガンガディアの顔に血管が浮き上がった。
「おいおい、落ち着けって」
マトリフは鍋の中を覗き込む。卵は崩れて白身と黄身が混じっていた。だが割れた殻はさほど細かくはない。マトリフは鍋から殻だけを拾い上げた。
「どうせ混ぜるんだから割れても平気だ」
「む、そうか」
ガンガディアは冷静さを取り戻したようだ。気を取り直して箱の説明書きを読んでいる。
「次はこの植物油脂を柔らかくすると……湯煎とはなにかね」
「なんだよ湯煎しなきゃいけねえのか。面倒だな」
マトリフは油脂を手に取ると、極々弱い閃熱呪文を唱える。呪文の熱で柔らかくしようとしたのだ。やがて油脂は溶けはじめる。
「こんなもんだろ」
マトリフは柔らかくなった植物油脂を鍋に入れた。
「この二つを混ぜ合わせる。泡立て器というものはあるかね」
「ねぇよ。菜箸とか使っとけ」
「そうか」
ガンガディアは言われた通りに菜箸を手にシャカシャカと混ぜている。さっきから説明書と違うことばかりしているが、まあ大丈夫だろう。
「んで、ここに薄力粉」
マトリフは鍋に薄力粉を入れた。この薄力粉には砂糖も入ってるようだ。計量もしなくていいから便利である。
「これを滑らかになるまで混ぜる……滑らかとは?」
「混ざりゃいいんだろ」
ぐるぐると混ぜていると、なんとなくそれっぽくなってきた。アバンがクッキーを作っているのを見たことがあるから、たぶん合っているだろう。
「あとは型抜きか」
そこが一番の関門に思える。ガンガディアは不器用ではないが、手のサイズと型抜きの大きさが違い過ぎる。しかしクッキー作りがしたいということは、やはりこの工程はやりたいのではないだろうか。
ガンガディアは真剣にクッキー生地を薄く伸ばしている。麺棒なんてないからひのきの棒で代用していた。
さてどうするのかと見ていたら、ガンガディアは包丁を持ってきた。どうやら台所で見つけてきたようだ。
「その型抜きは私が扱うには小さすぎる。私も柔軟に対応することにした」
ガンガディアは包丁で生地を真四角に切っていく。確かに型抜きしなくてもクッキーは作れそうだ。
「あとは焼くだけだ」
ガンガディアは既に達成感を覚えているようだった。完成が見えてきたからだろう。そこでふとマトリフは新たな疑問を見つけた。
「焼くって言ってもよ、どうやって焼くんだ」
「石窯で」
「ねぇよ」
なんでうちの台所にあると思ったんだよ、とマトリフは呆れる。
「君はよくあれで魚を焼いているではないか」
「ありゃかまどだ。鍋か網ならあるけどよ。それじゃクッキーは焼けねえんじゃねえのか」
それを最初に確認すべきだった。アバンの家なら石窯もあるんだろうが、こんな最低限のものしかない台所でクッキーが焼けるわけがなかったのだ。
「つまり……クッキーは焼けないということか」
ガンガディアは気落ちしたのかしゅんと耳が垂れている。その姿に見ているこっちまで悲しい気持ちになった。
「そんなにクッキーが食いたかったのか?」
ガンガディアがこういった菓子類を好むとは知らなかった。だがクッキーならわざわざ作らずとも街で売っていただろう。ガンガディアがそれほどクッキーを食べたいのなら、マトリフは今から買いに行ってもいいと思った。
だが、ガンガディアは俯いたままでぽつりと呟いた。
「君に食べさせたかったのだ」
「オレに?」
マトリフは思ってもみなかった言葉に首を傾げた。
「君はアバンの作るものを美味いと言ってよく食べるだろう。だから私も君が好むような食事を作りたかったのだ」
でかい図体を縮めながらガンガディアが言う。マトリフは不覚にもときめいてしまった。こいつジジイをキュンとさせてどうするつもりなんだ。マトリフは決まりが悪くなって口を歪める。
「じゃあ……とにかく焼いてみるか」
「どうやって?」
「とにかく鍋にクッキー生地を並べろ」
ほらやるぞ、とガンガディアの背を叩く。マトリフはかまどにメラで火をつけた。ガンガディアは鍋にクッキー生地を並べてかまどへと持ってくる。
「さっきオレが植物油脂を熱してたろ」
「閃熱呪文か」
「あれで鍋を上からも熱してやるんだ。そうすりゃあ窯っぽくなんだろ」
「なるほど」
ガンガディアは鍋に蓋をすると、その上に手のひらをかざした。閃熱呪文を唱える。炎が殆ど出ないほどの熱が空気を揺らめかせた。
「ありがとう大魔道士」
ガンガディアが言った。その真摯な声音にマトリフはガンガディアを見上げる。
「君の助けがなければ私は途方に暮れていただろう」
「まだ礼には早いぜ。出来上がってから言うんだな」
マトリフは照れ臭くなってぶっきらぼうに答えた。
しばらくそうしていると、いい匂いが漂ってきた。そっと蓋を開けて見れば、鍋の中でクッキーが焼けている。
「見たまえ大魔道士! 焼けている!」
ガンガディアは満面の笑みをマトリフに向けた。よほど嬉しかったのだろう。その笑顔にまたマトリフは胸がこそばゆくなる。
「じゃあ焦げねえうちに取り出すか」
出来上がったクッキーを皿に並べる。取り出してみると焦げたものもあったが、とにかく形にはなっていた。
ガンガディアはその皿をマトリフに差し出した。
「食べてみてくれ」
ガンガディアは緊張しているのか険しい顔になっていた。マトリフはまだ温かいクッキーをひとつ手に取る。匂いは上出来だ。見た目も悪くはない。さてあとは味だと口に放りこんだ。
ザクザクと噛みごたえのある食感に、少しの苦味が混じる。ガンガディアが心配そうにこちらを見ていた。
「……美味ぇよ」
「本当かね!?」
「ああ」
マトリフはまた手を伸ばしてクッキーを掴むと口へと運んだ。舌で感じる味よりも、ガンガディアが作ったという事実がこのクッキーを世界一美味いものにしていた。
「また君のためにクッキーを焼く」
「そうかい。あんがとよ」
ガンガディアは嬉しそうに微笑み、マトリフもつられて頬に笑みを浮かべた。
この日からマトリフの好物にクッキーが加わった。
おわり