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    gt_810s2

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    「地獄で首洗って待ってな、高杉。勝ち逃げはさせねェ。次は必ず……俺がとるぜ」
     そう言った男の泣き顔は、夕焼けに照らされて輝いていた。俺はその瞳を光らせたものが涙だと気付いていた。だが、無理矢理作られた笑みを信じた。いや、あれは確かに、俺の見たかった笑顔だったのだ。奴が変わらず奴であるという証明。俺が護りたかった――――未来を託した男は護られたという、証明。
     安心して目を閉じると共にふわりと意識が抜ける感覚と、満ち足りた感情はきっと忘れられるものではない。



    「……夢か」
     嫌な夢というには、あまりにもリアルだった。俺の体を抱く温もり、血が抜けていくにつれ下がっていく己の体温。胸を包む穏やかさ。目を覚ましたというのに、そこに辿り着くまでの道のりが、己の視点として脳内に流れ込んできて、感情が目まぐるしく動く。一人の人間の記憶をそのまま移植されるような気分だった。情景が飛び込んでくる度に、心臓が抉られるようにも、撫でられるようにも感じられ、気付けば涙を流していた。
    「悪い夢でも見たか」
     縋るように視線をやった男は、隣で眠たそうに問いかけてきた。記憶の中に出てきた男と、恐らくその人生の中では俺が最も重視した男と同じ顔をした男は、俺の恋人だった。はじめてキスをした時にしっくりきたのだ。この男と恋仲になるのだと、理解した。なし崩しに体を重ねて今に至り、恐らくそれは変わらないのだろうと思っていた。
     だが脳内を過る記憶が、はやく離れろと告げていた。ただの夢だと言い聞かせるように男に口付けたが、眠りについて朝が来ても、第二の己の声は消えなかった。それどころか誰かの記憶が更に濃くなった。それはやはりここにいてはいけないと告げていた。

    ****************

    「……興味深いな」
     サングラスに隠された瞳が映す感情を見止めることは出来なかった。万斉はカップに注がれたコーヒーをひと口飲んでから口角を持ち上げ、続けた。肋骨の裏が擽られたような居心地の悪さがある。
     最低限の貴重品だけを持って家を出てきた俺は、頼る場所もなく、かと言ってお節介な幼馴染の手を借りる訳にもいかず、かつての同級生である万斉の下へ来た。詳細は語らなかったが、知らない男の記憶が夢と共に流れ込んできて、どうやら誰かの記憶が――――前世の記憶というものが俺の中には存在するようだ、と話すのを、万斉は黙って聞いていた。
     助言を求めた訳ではない。ただ話を聞かせたかった。この馬鹿気た夢を第三者の口から否定されることを信じていて、カップがソーサーに戻されるまでの間も楽し気な唇を見つめた。さっさと「それは夢だ」と続けろ。そう口走ってしまいそうだ。だが俺の期待を他所に万斉は異なる言葉を紡いで微笑んだ。
    「お前がそんな風に焦って感情を顔に出すのを、この六年間ではじめて見た」
     睨みつけると、両手を上げて肩を竦めて無言のまま赦しを請うてきた。どうやら俺が求めている言葉を理解した上で、口にするつもりはないらしい。融通の利かない男だ。だが、そういう点をかえって信頼していた。
     出会ったのは高校一年生の時。入学式だ。父親に入れられたエスカレーター式の私立の高等学校で過ごす三年間を想い、初日から辟易していた。馴染みの面々に一般入試で入ってきた一部の見慣れない顔が変化であるぐらいで、中等部から生徒の顔ぶれはほとんど変わらない。誰も彼もが父親と同じくだらない自尊心に囚われて生きていた。その中で黙って息をしている己のことも嫌いだった。
     幼馴染の銀時、桂とは中学三年間、ほとんど会わなかった。毎年寄越される桂からの年賀状に近況は詳しく記されていたが、俺の方から連絡をとったことはなかった。最初の一年は子供の頃に通った道場で顔を合わせ、昔のように喧嘩もしていた。だが徐々に増えていく課題、強制的に入部させられた部活、往復二時間かかる通学に体力を奪われ、意欲がなくなっていた。
     万斉は試験を受けて入学してきた、いわゆる一般生だった。その呼称は学校によってまちまちだろうが、うちの学校でそれは蔑称に等しい。中等部は莫大な入学金を払えば全員入学することが出来るが、卒業し高等部に進学することさえ出来れば学力が担保されている。裏を返せば、中等部は金があるだけの馬鹿の集まりだ。入学試験を乗り越えるための実力をお膳立てされた環境ではなく、自らの力でつけてきた者達を貧困だと馬鹿にし、差別していた。一クラスに二、三人しかいない一般生は、大抵、肩身の狭い思いをさせられていたように思う。
     俺はそれと同じになるつもりはなかった。だから声をかけた。今思えばそんなことを大した問題にしそうな男ではなかったし、ともすれば、周りの人間とは違うことを証明したいがために声をかけた俺の行動は、こいつからしたら鬱陶しかったかもしれない。だが俺はこいつと出会ったから学校を辞め家を出て公立高校への転学を決めた。一緒に来るかと聞いたが、成績優秀者に与えられる音大への特別推薦枠が欲しいと万斉はそこに残った。
     飄々とした男だ。何度か会ったが特に周りを気にする様子もなく三年間を過ごし、都内の音楽大学に進学した。インディーズで曲を作ってインターネットに公開しているらしく、そこそこファンもついているらしい。
    「泊めてくれ」
    「は? 拙者のアパートにか」
    「…………あぁ」
    「仮にも恋人がいる身だろう。銀時と言ったか、いくらなんでも黙って消えた恋人が他の男の家にいると知ったら気が気ではない」
    「だが、あいつの下に帰るつもりはねェ」
    「別れるのか」
     答えられなかった。これが最悪なほどに生々しい夢だとしても、俺が持つ前世の記憶だとしても、どちらにせよ銀時と一緒にいられる気はしなかった。俺が生きてきた銀時は記憶の中の銀時に似た男とは別ものだと思うのに、それでもどうしても重ねて、抱き締めずにはいられなくなる。それは本能的に抱く恋心ではなかった。何かもっと別の、強烈な、例え死んでも離れられない、異常な想いだった。
    「わかった。どのみち、考える時間が必要らしいな」
    「悪い。……世話になる」
    「……晋助、拙者がお前のそんな顔を見るのは、これっきりであることを願っている」
     記憶がまた流れ込んできた。見えたのは、血塗れで俺の方を見て微笑む万斉の背中で、胃の中のコーヒーが溶岩へと変わったかのように激痛が走る。もう夢だと逃げることは出来そうになかった。これは俺の記憶だ。紛れもない、俺の。人選を誤った気がしたが、すぐに思い直した。増えた記憶を辿る限り、どうやら今俺が頼ることの出来る人間は、一人残らず俺のために前世で苦しんだ人間らしい。
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