氷柱のうちで水温む「誰が行く」
「お前が行くべきだ、雑用を任されているんだろう」
「いいや俺は新入りだからそういう役割なんであって、まだ勝手に押し入るような関係を築けちゃいない」
「そんなことを言ったら、俺達みんな駄目だろう」
肘で小突き背中を押し合い、高杉が眠る部屋を見ては互いに視線を移して睨み合う。鬼兵隊員たちがかれこれ五分ほどそうしているのを、銀時はじっと眺めていた。早朝訓練が終わった後で汗だくの彼らは、水浴びも後回しにそうしている。
伝令の機会を逃したのか、なにか返却しなければならないものがあるのか。高杉晋助という男に惹かれ集った鬼兵隊の隊員たちは、高杉のいないところでは息を荒くして彼の強さや高潔さを語る割に、いざ本人を目の前にすると異常なほどに委縮してしまうことがあった。入隊してからの期間が短い若者たちほどそうであり、珍しい光景ではなかった。
大抵は外が騒がしいことを察した高杉が中から出てくるので、ここまで長引くこともないのだが。
「お前ら、何してんの?」
「ぎっ……銀時さん!」
背後から肩を抱かれた男たちはいっせいに飛び上がる。その声が聞こえても、戸は開かない。一番端にいた男が、銀時と戸を交互に見た。
「総督が朝稽古にもいらっしゃらなかったのに、まだ部屋から出てこないんです。普段なら絶対にこんなことはないんです、が……⁉」
言葉が締まる前に、彼らのもとから銀時はいなくなっていた。あれだけ躊躇われていた部屋への訪問を簡単にやってのけ、ずかずかと奥まで入り込んでしまう。その背中からは焦りが滲んでいたものの、勇気が出ない彼らはどうにかつま先を伸ばして僅かでも目に映る範囲を広げることぐらいしか出来ない。
「おい高杉。……おい、聞いてんのか? 寝てんの? おーい?」
異様な気配に息を呑む間もないうちに、銀時は部屋から飛び出してきた。襖の一枚を半分ほど開いていたのを足で押し、両腕になにか――彼らの見間違いでなければ高杉晋助その人――を抱きかかえて現れた。
道着を外した銀時の胸元に凭れかかる高杉の顔色は白鼠がかけられたようであり、普段であれば絶対にその腕の中で大人しく抱かれていることなどない彼がぴくりとも動かずに銀時に身を委ねていた。右手は腹の上に置かれていたが左手はぶらりと垂れ、朝稽古を過ぎた刻に纏うことなどほとんどない寝巻のままでいた。
何より異様なのは銀時の表情だ。様子を伺った時には力抜けていた目蓋も唇も、頭上をのんびり流れる雲を思わせるような空気を背負っていたというのに、今彼の後ろに控えるのは何もかもを焼き尽くす炎。
ひゅ、と、遠巻きにも聞こえる浅い息が聞こえたと同時に、喀血でもしたかと錯覚するほどの乾いた咳が繰り返し響いた。医務室へ一直線に駆けながら、銀時は何度も高杉の名を呼んで、すぐに見えなくなる。
「なあ、今俺……何を視たんだろうな」
「そりゃあ、総督が銀時さんに運ばれた……んだろう。恐らく、体調を崩されていたから」
「そうか。…………なあ、おかしなことはひとつも、なかったよな?」
「あぁ、なかった。普段は喧嘩ばかりの銀時さんが取り乱して総督の名を呼んでいたなんでこと、断じてなかったよ」
「そうだよなあ。朦朧としているとはいえ、普段なら這ってでも銀時さんの手を振り払う総督が大人しく運ばれていたなんてことも、なかった」
「…………俺、あんな銀時さんを見たの、戦場で敵方の手にかかりそうになったのを助けてもらった依頼かもしれない」
「正気でいたけりゃ忘れろ。今日は普通の日だったよ。なんにもない、なんてことはない平凡な午前だ」
「昼飯の用意、手伝いに行こうかな」
「そりゃあいい考えだ。仲間を助けるってのは、大事なことだからなァ」
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部屋に入った銀時の目に入った高杉は、寝巻の帯を中途半端に解き、布団からは体を半分だけ出して突っ伏していた。呼びかけにも答えない、恐らく手にとろうとしていた水が入った湯呑には届いておらず、抱きかかえれば銀時を認識するにも苦労しているようだった。
その光景を目の当たりにした銀時の頭に浮かんだのは、またか、の三文字。
彼がこういう状態の高杉を見るのははじめてではなかった。幼少の頃から人に頼るのを得意とせず、多少の不調であれば呑み込んで過ごしてしまう高杉は、自らの力で歩けなくなってから態度に現わすのだ。部下が出来てからはうまくやっていたようで、早めに休むなど対策をとっていたはずなのだが悪い癖と言うのはどうにも抜けないものである。
掴んだ手首は熱を持っていて、湯呑をくちもとまで持っていったところで、それを含むために動くことはない。溜息をひとつ吐いた口で銀時は中身を口に含む。赤子を抱くように首を腕で支えて片方の手で口を開かせた。まず歯を開かせるためにわずかに舌で水を与え、侵入者を確かめるように動いた歯を舌で支え、気道に入り込まないよう神経質に舌を伝わせ水を流し込んでいく。
ごくり、と喉がなり、もう一度。二度目でようやく、呻き声が漏れた。
瞼は痙攣し、酷い汗で支えるために触れた肌が既にびっしょり濡れている。浅い呼吸は銀時の名を呼ぶことすら出来ない。
「馬鹿なんだよお前は、俺になんか頼りたくない癖によォ。だったらしんどい時にはさっさと言えっての」
膝で支えた下から両腕を差し込んだ銀時は、腹に力を込めて高杉の体を持ち上げた。膝の下に片腕を、もう一方で上半身を。指先は絶対に彼を落とさないようにつよく、強く、しっかりと力を込めている。
足で開いた襖の隙間からぶつけないように、過去の経験上恐らく頭痛も抱えている高杉の体をあまり揺らさぬようにしながら、銀時は高杉を運んだ。浅くなる息に急かされて、咳き込んで激しく暴れる体に追い立てられながら、一刻も早く医務室へ。
頼って貰えなかった自分へ抱えた腹立たしさで、どんな表情をしているのかなど気にする余裕もないままに。