なんでもない日おめでとう「あー・・・、やっと休み」
スティーブンはどさりとソファに倒れ込んで、そのまま動く気力を手放した。苦節一ヶ月、やっと片付けた案件の事故処理まで済ませて、帰宅すらも久しぶりだ。
日付変わってる。今日何曜日だっけ。あぁ、日曜はやっと休める、みたいな話をしたっけ。三日ぐらい前に。
流石に労働基準法違反だろ。いや、わかってるとも。秘密結社に労働基準法なんかないってことぐらい。そもそも俺は経営者側だし。でも疲れるもんは疲れるよ、流石に。
泥のように眠りたい。シャワー・・・、もういいや。めんどくさいし。
快適な寝心地と差し込む朝日で目が覚めた。いやいや、そんなはずはない。ソファで寝落ちたんだから、こんなにふかふかなはずないだろ。起きたくない。
それに、リビングには東からの光が差さないはず。いくらHLだからって、太陽が西からのぼって東へ沈むなんてことはないんだし。
え、じゃあ俺、今どこにいるんだ?昨日寝た時と記憶合ってないんだけど。まさか自分で這って移動したなんてこともないだろうし。
夢心地の中でそこまで思い至って、スティーブンはがば!と起き上がった。
ベッドだ。寝慣れた自分のベッドにいる。服も、ジャケットを脱いだだけで寝落ちたはずなのにちゃんと寝間着を着ている。ていうかなにこれ、僕のじゃない。いや、多分僕のなんだけど初見だ。
「クラァウス!」
君だろ。絶対君だろ、という確信をもってスティーブンが叫ぶと、寝室の扉が開いて予想通りの赤毛の大男が姿を現した。
あ、超ご機嫌だ、とその顔をひと目見ただけでわかってしまう。スティーブンの目には、彼のご機嫌に合わせて花が舞い散っているようにすら見える。むにっと上がった口角も怖いけどかわいい。
「おはよう、スティーブン」
「おはよう、君なぁ」
「む、何か気に障っただろうか?」
「・・・快適に眠れました」
「それはよかった。君にぐっすり眠って貰いたかったのだ」
でしょうなぁ、とスティーブンはため息を吐いた。この真新しいパジャマだって、きっとそのために持参したのだろう。めっちゃ着心地いい。
「いつ来たの?」
「日付が変わって、まもなくだろうか。君がソファで倒れていたので、着替えさせてベッドに運ばせてもらった」
「そう、ありがと」
「うむ」
クラウスはにこにと笑う。今日ヴェデッド来るんだっけ・・・?来ないな。日曜だもん。
「朝食ができている。一緒にどうかね?」
「え、君が?」
「うむ」
そういえば、開けた扉の向こうからは香ばしいコーヒーとトーストの香りが漂ってくる。朝にぴったりの匂いだ。
「食べる」
まだ完全に開いていない目を擦りながらそう返せば、クラウスは嬉しそうに笑った。のそのそとベッドから出ようとすると、床に足をつけるより早くクラウスの腕がスティーブンの膝裏に差し込まれた。
「へ、ちょ、クラウス!」
気づけば、スティーブンの身体は逞しい腕によって宙に浮いていた。お姫様抱っこは、何回やられたって慣れない。
「下ろしてくれよ!」
「今日の君は、一日私に世話をやかれるのだ」
「えっ、なにそれ怖い」
「確定事項だ」
「待って待って!なんで!?僕なんかした!?」
その間にも、スティーブンはダイニングへ連行されていた。椅子におろされ、ふと見ればテーブルの上には朝食というには豪華な料理が並んでいる。トーストの香りはホットサンドだったようだ。しかも、スティーブンの好きなローストビーフの。
テーブルの真ん中には見事な花束が花瓶に生けて飾られている。これはきっとクラウスが持ってきたのだろう。それにしては、いつもより気合が入ってないか?
「君は忘れているだろうとは思っていたが、」
「わすれて・・・?」
激務を熟したあとにボスであるクラウスが労ってくれるのは珍しくないが、これはちょっと、方向性が違うような?
「ちなみに、このローストビーフはミセス・ヴェデッドのお手製だ」
「・・・?」
一ヶ月も帰ってないのに、どうしてヴェデッドはローストビーフを作ったんだ?僕の好物を、帰ってくるかもわからないのにわざわざ用意しておいた?
「まだわからないかね?」
「・・・さっぱり」
スティーブンはきょとん、と首を傾げた。クラウスが僕の世話を焼いて、いつもより豪華な花束を持ってきて、ヴェデッドがローストビーフを作っておいてくれる、理由?
「ちなみに、今夜はレストランを予約してある」
「ますますわからない」
クラウスはくすくすと笑った。こういう時は落ち込みそうなものなのに、今日はその限りではないらしい。それが更に混乱を極める。どうして、僕が彼を理解できないことがそんなに嬉しいんだ?
僕が君についてわかってやれないことなんて、もう何もなかったはずなのに。
「スティーブン」
ふふ、と笑って口角から牙を覗かせながら、クラウスはダイニングチェアに掛けるスティーブンの横に膝をついた。
「え、」
スティーブンがクラウスに視線を移すと、彼は恭しくスティーブンの手を握る。これだから貴族ってやつは。自宅のダイニングですらこんな仕草が様になる奴、他にいないぞ。
「誕生日おめでとう。君が生まれてきてくれたこと、私と出会ってくれたこと、感謝する」
「たん、じょうび・・・」
「うむ」
クラウスは悪戯が成功した子供のように笑った。あぁ、クソ。さぞかし楽しいだろうな!この歳になって成功する悪戯は!
「うっそだろ、え、今日何日!?」
「君の誕生日は6月9日だ、スティーブン」
「そうだよな!6月になったことすら知らなかったよ!!」
月が変わって一週間以上、十日近くもの間自覚もなしに過ごしたのだと思うと、いっそ悔しい。
まだ5月だと思っていた。いや、日付なんかここしばらく考えてもなかった。昨日の夜、ザップが事務所で土曜の夜の映画番組を見ていなかったら、今日が日曜だということもわかっていなかっただろう。
そりゃ、クラウスだって花束のグレードを上げるし、ヴェデッドがローストビーフを作ってくれるわけだ。覚えてなかったのなんか僕だけだ。
「だから今日の君の願い事は、どんなことでも叶うのだ」
「・・・マジか」
そう来たか。戦場で缶詰をわけあったり、デートをしたり、事務所でパーティーをしたり、高価な贈り物をもらったり、日付が変わった瞬間に化け物を氷漬けにしたり、ひと通り最高の誕生日は過ごしたつもりだったが。
「じゃあ、とりあえず」
「うむ」
「朝ごはん食べたら、シャワーを浴びて二度寝する」
「うむ。名案だ」
「起きたらデートしよう。たまには荒事なしで外を歩きたい」
「植物園はどうだね?紫陽花が有名な場所があるのだ」
「いいね。そのあと、君が予約してくれたレストランへ行こう」
それで、今夜は心行くまで抱いてもらうんだ。最高の誕生日じゃないか。
「おめでとう、スティーブン」
「うん」
クラウスは立ち上がり、テーブルにふたつ並んでいたコーヒー入りのマグカップを手に取った。
「まずは、コーヒーで乾杯させてもらっても?」
「ふふ、いいね。懐かしいじゃないか」
そうだ。そんな誕生日もあったっけ。任務上がりで何もなくて、ポットの中で冷め切ったコーヒーで乾杯して、誕生日よりなにより生きていることを祝った日だった。
「乾杯」
クラウスが淹れてくれたコーヒーは、恐らくスティーブンの胃を気遣って酷く薄かった。