空閑汐♂デイリー【Memories】25「お疲れさん」
「ざっす、ようやっと乗れてこっちも役得すわ」
国際航空宇宙学院日本校の第一格納庫に併設された教官室で、吉嗣から投げられる言葉に紺色のフライトスーツのジッパーを下ろしながら汐見は小さく笑う。その表情はどこか晴れ晴れとしていた。
「タロンをダシにでもしないと来ないだろ、お前」
「バレバレすか」
肩を竦めて笑った汐見に、吉嗣は大きなため息を一つ零していた。ため息ついでにポケットから煙草を取り出したのを目敏く見つけた汐見は言葉を重ねる。
「俺にも一本下さいよ」
「汐見お前も遂にヤニ中毒者の仲間入りか」
「あからさまに嬉しそうにしますね、二十八にもなればそりゃ色々ありますよ。酒も飲めるし煙草も覚えちまう」
吉嗣から差し出された箱から一本引き出した汐見は、出されたライターの火の中へと咥えた紙筒の先端を潜らせた。緩く立ち上る二本の煙をぼんやりと眺めながら、思い出したように口を開く。
「そういや、今更スけどご結婚おめでとうございます」
「お前にはな、あまり言われたく無いんだよなぁ!」
「晴れて俺の義弟すね」
「だから言われたくねぇんだよ!」
思わず天を仰いだ吉嗣に、汐見はケラケラと笑い声を上げていた。こんなに笑うのはいつ振りだろう、なんて思いと共に「しっかし、逃げ切れませんでしたね。あんなに俺に助けを求めて割に」と返せば「その助けを一切合切無視した義理の兄には言われたくねぇ」と拗ねた声が返される。
「お前に助けを求めてた頃は、澪も高校生だったからな。卒業しても勢いが変わらん所か、これで堂々とアタック出来るなんて言われた日にゃ絆されるしか無いだろ」
「あぁ、センセちょろいから」
「言ってくれるな……」
はぁぁ、と分かりやすく項垂れる吉嗣に汐見は笑いながら首元のボールチェーンを引き出し彼へと見せる。そこに揺れる認識票と認識票に重ねてチェーンに潜らされた二つのリングを視認した吉嗣は、呆れたような笑みを浮かべる。
「そろそろセンセの義兄を一人増やそうと思って」
「決まったのか」
「今年向こうのテストパイロットが一人引退するんすよ。その後釜すね」
ふぅ、と煙を吐きながら口元だけで笑みを浮かべる汐見は、どこか猛禽類を思わせる瞳で窓の外へと視線を投げる。
「俺もようやっと秒速十一キロを出せそうです」
秒速十一キロメートル、それは第二宇宙速度と呼ばれる地球の重力を振り切る速度。それがなければ、約束の場所までは辿り着く事すらままならない。
「俺にとっては、宇宙よりも地球の方が寒い場所でしたよ。センセ」