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    はるち

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    はるち

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    楽園への旅路、自由への出発。
    差し出されたその手に、その人は何を思うのか。

    #鯉博
    leiBo

    楽園行最終列車 日も落ちた後では、吹きさらしの駅のホームはただ寒くて暗い場所だった。時計を忘れてきたので、日が落ちた以上の時間をドクターは見失う。駅に到着しては出発していく列車は秒針のように正確なので、そこまで困りはしないけれど。今ホームに停まっている列車が本日の最終便であると、無機質なアナウンスが告げていた。
     ベンチにぼんやりと腰掛け、ドクターは列車に乗り込む人、降りる人を眺めていた。あれは家族や恋人に別れを告げているのだろうか。惜しむように互いを抱きしめる人々、出発した列車が見えなくなるまで手を振り続ける人。あるいは大きな荷物を持って希望に目をきらめかせた人間が降りてくることもある。
     けれどもそんな感動的な一幕を演じる人間はごく少数で、大体の人間は日常の延長線として列車に乗り込み、そして降りて、ホームを離れていく。
     ほい、と。ホームに設置されていた自動販売機で買ったお茶をリーがドクターに手渡した。寒さでかじかんだ指に体温が戻る。キャップを開けて口をつけたけれど、彼が淹れていくれるお茶に慣れた舌にはいささか物足りなかった。唇を湿らせるに留め、ドクターはそれを両手で包んだ。
    「ありがとう」
     ようやく告げられた言葉は、何に対するものなのか。彼は黙って肩をすくめ、自分の分の茶を飲む。隣に座る彼が風を遮ってくれなかったら、自分はもっと寒さに凍えていただろう。ドクターは手の中にある温度を握る力を、少しだけ強めた。
     少し外の空気を吸いにいきましょう、と彼に誘われたのは定時を過ぎた時だった。今日の秘書を任せていた彼は、半ば強引に自分を立たせると、そのままロドスの外へと連れ出した。迷い子のように腕を引かれるまま、やってきたのは龍門だった。人々の喧騒と立ち並ぶ露店から漂う香辛料の香りがこの都市の息遣いだ。けれども彼がそこで足を止めることはなく、もっと街の奥へと、先へと、果てへと進んでいく。
     二人がたどり着いたのは、けれども世界の果てではなく。ここではないどこかへと繋がる列車だった。
    「これに乗ったらどこまで行けるの?」
    「龍門の外までは。そこから先は別の移動手段が必要ですね」
     ただ、と彼は穏やかに言葉を続ける。内ポケットから煙草を取り出し、一本を咥えて火をつける。まばらな蛍光灯の下で、燃えるそれは死を控えた星と同じ色をしていた。
    「行こうと思えばどこへだって案内しますよ。例えば――そうですね。尚蜀なんてどうです? きっと気に入ると思いますよ」
    「どんなところなの?」
    「風光明媚、って言葉が似合う場所ですよ。風は高く、雲を払い月を弄ぶ。今から行くと……。そうですね。雪が見られるかもしれませんね」
    「雪、か」
     雪は、嫌いではない。新雪の柔らかな感触も、月の光を白白と照り返す玉石のような冷たさも。
    「船に乗って川遊びなんてのはいかがです? 熱い茶を飲むのも乙なもんですよ」
     その時は出来合いのものじゃなくておれが用意しますから、とリーはおどけて笑った。ふ、とドクターは息を零す。溜息のように、笑い損ねたように。
    「尚蜀に行って……。その後は?」
    「そのままもっと遠くに行くのはどうですか。そのまま二人で暮らすのは」
     煙草の匂いに混ざって届く、彼の言葉が心地よかった。そのまま酩酊したくなるほどに。手を伸ばせば届く場所に彼はいて、きっとその手を取って連れ出してくれた願えば彼はそれを叶えてくれるだろう。
    「どこかの山奥に家を持って。料理はおれがやりますから、洗濯はドクターにお願いするとして……。掃除は交代制でいいですかね? 食材はまあ、なんとかしますよ。家庭菜園なんてどうです? 初めは苦労すると思いますが、数年も経てばそれなりのものが作れるようになるでしょう」
    「……そうして、二人で暮らすのか?」
    「ええ。おれとあなたと、二人で」
     ドクターは目を閉じ、頭蓋の中で反響する彼の言葉に耳を傾けた。それはあたたかな夢だった。背中に負った重圧で軋む体を温めて、死の寒さに凍える心を暖めるには、十分すぎる程に。
     それは良いね、と。ドクターは立ち上がる。リーは咄嗟に手を伸ばしたが、けれどその指先がドクターを捉えることはなかった。
    「でも、もっと素敵な夢を見たんだ。――もっと素敵な夢があるんだ」
     一歩、二歩。ドクターは駅のホームに止まったままの列車へと近づく。それが今日の最終便だということを、アナウンスがしきりに告げていた。車体にドクターが手のひらを重ねる。鉄の塊は、ドクターの肌から容赦なく体温を奪っていった。
    「いつか鉱石病の治療法を見つけて、鉱石病患者への差別もなくなって。そうして皆、幸せに生きていけるようになる。――私達二人だけじゃなくて」
    「……そのために、あなたはどれほどの犠牲を払わなければならないんですか?」
    「さてね。でも私はもう十分に幸せだよ。君がこうして、そばにいてくれるからね。だからいいんだ」
     くるりとドクターは振り返り、ベンチに座ったままのリーを見る。歩み寄ったドクターは、リーの手を引いて彼を立たせ、そうして告げる。
    「帰ろうか。私達のロドスに」
     
     ***
     
     ロドスに戻って来た時にはもう日付は変わっていた。終電も行った時間であれば致し方ない。ロドスを出たときよりは、ドクターの足取りには幾分かの活気が戻っていた。――であれば、あの束の間の逃避行にも意味があったのだろう。終電一つ分の意義が。
     そのままその人を自室へと送り届けたリーは、自分に用意されたゲストルームに向かおうと踵を返した。廊下に彼の足音が響き、数歩進んだ先で彼は足を止めた。
    「こんばんは、ケルシーさん。ドクターなら今日はもう寝ちまいましたよ」
     沈黙は一瞬だった。柱の奥から、陽炎が滲むように人影が現れる。
    「こんな時間まで外を連れ回されたからさぞかし疲れているのだろう」
    「そんなことはありませんよ。長いこと外に座ってましたから、体は冷えたかもしれませんがね。……ああそうだ、これを」
     リーがケルシーに向かって何かを投げる。危なげなくそれをキャッチし、ケルシーは改めて放られたそれを見た。
    「……これは?」
    「おしるこです。自動販売機にあったもんで。あの赤いフードのお嬢さんに渡しといてください。おれたちに付き合って、ずうっと外にいたでしょう。すっかり冷めちまいましたが、お詫びということで」
    「……」
     ケルシーは無言で、リーから渡されたそれを握りしめた。それで用は済んだというように、リーはケルシーの傍らを通り過ぎようとし――視線が交錯した先で、思い出したように口を開く。
    「もしあのまま、ドクターをさらっていったらどうしてました?」
    「起こらなかった可能性の話をする必要はあるのか?」
    「じゃあ現実に起こっている話をしましょうか。死人みたいな顔色で毎日仕事して、薬物頼りでかろうじて動いているような今のドクターを、あなた方は一体どうしたいんですか?」
    「ドクターの健康状態については我々も憂慮している。明日からは業務量も減らす予定だ」
    「そういう話をしたいんじゃないんですよ、おれは」
    「ドクターが背負っている責任は、ドクター自身が負うべきものだ。それを肩代わりすることは誰にもできない」
     交錯する琥珀と翡翠の瞳が、春雷よりも激しく明滅する。ふ、と息を吐いて目を逸らしたのは、リーの方からだった。
    「やめましょうか。こんなところで」
     今日のところはおれも休ませてもらいますよ、とリーはひらひらと手を振り、廊下を後にする。背中に刺さる翡翠色の視線を感じながら、リーはそっと目を閉じた。
     今はただ、あの人の眠りを、誰も妨げないように。
     せめて穏やかな眠りが、あの人を包んでくれますように。
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    はるち

    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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