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    はるち

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    はるち

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    ドクターがロドスを辞めた後に龍門で二人暮らしをするお話

    #鯉博
    leiBo

    Utopia,or the loss of sanity 大昔いつの代には、神様の眷属にするつもりで、神様の祭りの日に人を殺す風習があった。おそらくは最初は逃げてもすぐに捉まるように、その候補者の片目を潰し足を一本折っておいた。そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した。――引用:一つ目小僧その他 柳田国男

    「その人に触らないでくれますか?」
     龍門の街角にあるベンチ、そこに座っている人影は、精巧にできた人形のようだった。白磁の肌にひと目で上等とわかる炎国伝統の衣装、伸びた前髪が顔の半分を覆っており、目蓋は閉ざされている。たまたまベンチの前を通りかかった男は、惹かれるようにそれへと手を伸ばした。これは人形なのだろうか、それとも。
    けれども指先が届くより前、背後から聞こえた声に肩を震わせる。三歩で男と並んだその声の主は、焦りとも怯えともつかない表情で固まっている男ににこりと微笑みかけた。しかしその鬱金色の瞳は欠片も笑っておらず、無慈悲に夜を統べる月を連想させる。男よりもずっと上背のある、龍族の男だった。
    「あ……ええと、その」
     男が喉の奥から、からからに乾いた言葉を絞り出す。声の主は男に指一本触れていない。だというのに、現在進行系で縊られているようだった。額に脂汗が滲む。二人の沈黙を破ったのは、水晶を打ち鳴らすように玲瓏な声だった。
    「リー、もう帰ろう」
     男が眼球を横に滑らせる。見れば、人形――否、こうして動いているということはやはり人間だったのだ――が、眼を開けて男たちの方を見ていた。
    「■■■、お待たせしてすみませんね」
    「そんなに待ってないよ。こうして龍門を眺めるのも悪くない」
     リーと呼ばれた男は、ひょいとその人を片腕で抱え上げる。ドクターと呼ばれた方も決して小柄とは言えない体格をしているはずだが、しかしリーの腕の中にあると、それこそ人形のようだった。
     それきり彼らは男には一瞥もくれず、その場を去っていく。その背を呆然と見送っていた男は、手を振るようにひらひらとはためくドクターの服の袖を眺め――ふと、気づいた。
     あの袖の中、本来ならば右手があるべき場所には、まるでなにもないようだ、と。

    ***

     ドクターが「ドクター」を退いて、もう一年が経つ。
     全ての発端は一発の爆弾だった。混戦の中で炸裂したそれは、ドクターからあらゆるものを奪った。左足の膝から下、右腕の二の腕から向こう。しかしそれの一番の功績はそれではない。
     記憶を奪い、戦闘指揮能力を残した石棺とは真逆に、ドクターから戦闘指揮能力を――正確にはそれに付随する様々な演算能力も――奪った。
     皮肉なものだ、とドクターは思う。自分が戦争から離れることを、もう戦場の指揮を取らないでくれと望んだ人間はきっといただろう。けれどもそれを叶えたのは、切なる祈りでもひたむきな願いでもなく、悪意と敵意と殺意で構成された爆弾だったのだから。
     砂を噛むような時間と機械的に繰り返される数々の検査を終え、主治医から失われた能力がもう戻らないことを通告された時のことは、今でも繰り返し夢に見る。
    「君がもう戦場に立つ必要はない」
     それは廃棄処分にも似た宣言だった。数多の犠牲を払って石棺から連れ出されたのも、かつての記憶が戻らずとも今こうしてロドスのトップとして存在しているのも、全てその能力があってこそだった。それが失われた今、自分にどんな価値があるのか?ケルシーに呼吸をするよう促されなければ、喉に詰まった絶望で窒息死していたかもしれない。
     その後、どうやって病室に戻ったのかは覚えていない。覚えているのはただ一つ、怪盗のように面会謝絶の病室へと現れた、あの探偵の姿だけ。
    「どうしたんです、死んだような顔をして」
     来客の存在に、ドクターは上体を起こした。いつの間にか扉の前に立っていた男は、一歩一歩近づいてくる。リノリウムの床を踏む革靴の音が、狭い病室に反響する。
    「……もう私に存在価値はないんだ」
     もう自分が「ドクター」であることはないのだと、ドクター――否、■■■は語った。ケルシーからの説明を繰り返す録音装置さながらに。戦闘指揮の能力はない、演算能力もない、ここにいる価値がない。
     もう少し落ち着いたら、義足と義手を使えるようにするためのリハビリを開始すると言っていた。しかしそれにどれほどの意味があるのか。自分にはもう戦場に立つことすらないのに?
     涙の一つさえ零さず、砂漠を渡る風のような声で語るドクターの横に、リーはそっと腰を降ろした。かかる体重にベッドのスプリングが軋む。
    「ロドスにはもう、あなたに値をつけてはくれないんですか?」
    「……」
     過ぎるのは、自分を親のように慕う少女と、自分の主治医だった。自分に戦闘指揮官以外の価値を見出す人間は、きっといるだろう。しかし。ロドスの置かれている現状において、今の自分は弱みにしかならないのではないだろうか?
    「あなたが自分に価値を見いだせないのなら」
     ひび割れた心に染み込む言葉は、慈雨にも甘露にも等しく、
    「おれに言い値で買わせてくださいよ」 
     悪魔が手招くように蠱惑的だった。

    ***

    「今日は何が食べたいですか?」
    「……じゃあ、麻婆豆腐を」
    「はいよ、しばしお待ちを」
     あの後、ケルシーとリーの間でどのような話し合いが行われたのかはわからない。今の自分は「保護」という形で、リーの探偵事務所に転がり込んでいる。時折人の気配を感じるから、護衛という形でロドスのオペレーターが近くに配置されてはいるのだろう。「ドクター」はもう脅威ではないのだと、対外的に示すこの行為が、戦術としてどのような意味を持つのか。今のドクターにはもうわからない。あるのは、もう自分はあの船に戻ることはないだろうという、鉛のように冷えた確信だけだった。
    「喉が渇いたでしょう。ほら、茶をどうぞ」
     片腕は自由に動くといくら主張しても、リーは甲斐甲斐しく世話を焼くことを好んだ。今のように、茶杯を口元まで運び、唇に押し当てて、■■■に飲ませてやる。巣立った子どもたち三人分の愛情を一身に受ける居心地に悪さを超えた後に残るのは、真綿で包まれるような安堵と不安だった。
     いつか、これが当たり前になったときに。自分は果たして、彼無しで生きていけるのか。
    「……君が淹れてくれたものしか飲めなくなりそうだよ」
     リーはひっそりと笑った。世界は片腕の人間が生きていきやすいように設計されているわけではない。ペットボトルの一つすらまともに開けることのできなくなった■■■にとっては、あながち世辞でも冗談でもない。
    「そうなってくれたらいいんですけどねえ」
     冗談めいた言葉の後で、何かを言おうとした■■■の口に飴玉が放り込まれる。夕食ができるまではまだ時間があるから、これで口寂しさを紛らわせ、ということらしい。
    爆弾が奪ったものはもう一つある。味覚だ。この飴玉も、きっといちご味なのだということを、色と鼻に抜ける香りから判断するより他ない。
     元から味覚にはあまり拘らない性分だったからそれほど困ってはいないが、しかし彼の手料理を味わえなくなったことだけが悔やまれる。最も、■■■から失われたものを理解しているリーは、例えば匂いや食感、舌触りや彩りで■■■を楽しませる料理を作ってはいるのだけれど。
    「あなたは自分に価値がないって言いますけどね」
     厨房へと向かっていくリーの背中に、あの日の姿が重なる。病室で毛布をかぶって震えていた自分の背を、優しく撫でた時の声を思い出す。
    「おれにとっちゃ、あなたはそこにいてくれるだけで、値がつけられないほどの価値がありますよ」
     彼なしでは水を飲むことも食事をすることも、歩くことも満足にできない人間に、彼はどうしてそれほどまでの価値を見出すのか。
     その答えはきっと、彼の舌で紡がれてこの舌の上で蕩けるもので、それは愛と呼ばれるものであると、■■■はそう信じていた。
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