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    はるち

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    はるち

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    上手に泣けない博と鯉のお話

    #鯉博
    leiBo

    天使を撃ち落とすものは もし天使がこの大地に存在するのだとしたら、それはこの人の似姿をしているのだろう。
     
    「リー」
     名前を呼ばれる。振り向くとそこには想像した通りの人がいて、しかし手にしているものが想像と違う。
    「どうしたんです、それ」
     ドクターの手にあるのは白詰草で編まれた花冠だった。摘み取られたばかりの花からは青い生き物の香りが立ち上っている。かがんで、という指示の通りに首を下げ、ついでに帽子も外す。満足そうに息を吐いたドクターは、自分の頭にそれを乗せる。いつぞやの昇進式を思い出した。あの時はサッシュだったが。
    「子どもたちと一緒に作ったんだよ」
    「あなたが?」
    「そう。みんなが教えてくれたんだ。私は花の編み方の一つも知らないからね」
    「あなたにも知らないことがあるなんて意外ですよ」
     ドクターは目を細め、頭上にある花冠を見つめる。ロドスには療養庭園がある。その花で、これは編まれたのか。
    「おれに、これを?」
    「子どもたちが、この前ご飯を作ってくれた龍族のおじさんによろしくって」
     ドクターの頬に薄紅色の笑みが浮かぶ。悪戯を隠そうとする子どもの無邪気さがあり、ただ苦笑するしかない。
    「あなたの方が似合うでしょうに」
     今のドクターはフードもフェイスマスクもしておらず、その素顔を外気に晒している。白金の髪を持つこの人は、睫毛でさえも白い。蛍光灯が睫毛の影を顔に落として、作り物めいた美しさを助長していた。初めに会ったとき、この人がフードとフェイスマスクをつけている時は、中に人の形をした虚でも詰まっているのかと思っていたが。
    「これは、私より君に相応しいよ」
     その人はそう言って、花冠を外そうとするおれの手を遮る。これは君のものだ、と福音のように囁いて。
     目を閉じ、この人が子どもたちと共に花を積んでいる場面を想像する。もし、天国というものがあるのだとすれば。きっとその光景が、それに一番近いのだろう。
     
     ***
     
     この人が涙を流すところを、そういえば見たことがない。
    「ドクター」
     雨が無機質に窓硝子を叩く音が聞こえる。甲板で行われた葬儀を終えた後では、執務室の温かさが身にしみた。その空間の主であるドクターは、テーブルの上に置かれたカップケーキをぼんやりと眺めている。
    「ああ、おかえり」
     鉱石病が不治の病である以上、いつか訪れる死は避けられない。そしてそれが、体力の少ない者、例えば老人や子どもから順番に訪れることも。
    「あの子達のために用意したんだけどな、渡せずじまいになっちゃったよ」
     視線の先にあるのはパステルカラーのクリームが乗ったカップケーキだ。食べる前からその甘さで胸が焼けそうだ。しかしそれを食べるドクターの表情に色はなく、どこまでも義務的で機械的だった。きっと砂を食べている時も、この人は変わらないのだろう、と横顔を見ながらぼんやりと思う。
     その人の隣に腰掛ける。共に葬儀に出たときは、フェイスシールドをしていたから、光を黒く反射するその仮面の下にある表情を伺い知ることは出来なかった。
     けれど。
    「君も食べる?」
     ドクターの表情は、普段と何ら変わらなかった。あの時と同じ様に。子どもたちと花を積んで、花冠を作った時と同じ様に、淡い微笑みを浮かべている。白金の髪は祝福のように光を散らし、温かく周囲に光を散らしている。
     まるで何もなかったかのように。
     この人は。例えば、自分の子どもたちや――自分が死んだときも、こうするのだろうか? 自分に手渡すはずだった好意を、他の誰かに使い回すのだろうか?
     だからそれは単なる衝動だった。自分の方へと差し出されたケーキを無視して、その人をソファに引き倒す。手にしていたケーキが床に落ちる鈍い音がした。
    「……どうして、抵抗しないんですか」
     上に覆い被さっても、その人の表情は変わらない。
    「おれはあなたを傷つけるかもしれませんよ」
     手の中で、掴んだ手首が軋んだ音を立てる。いたいよ、とわずかに唇が音を立てるが、しかしそれだけだった。
    「君が本当の意味で、私を害することはないよ」
     どうすれば、この人に傷をつけられるのだろう。どうすれば、この人が瞳に映す、玻璃のような世界に入ることができるのだろう。どうすれば――この人は、自分が死んだ時に、涙を流してくれるのだろう。
     この人は。泣けないのだろうか、それとも、泣かないのだろうか。
     唇が触れても、服に手をかけても、その人は何も言わなかった。その人の肌は冷たく、まるで石像を抱いているようだった。雪花石膏のような肌に、自分の青い影が落ちる。身体を掻き抱くと、自分の体温がその人に雪崩れる。人形が人間になるようにと、体温を分け与えるように。鼓動も、体温も、あえかな息も、押し殺した声も、――確かに自分の腕の中にあるのに。
     その人の頬を、透明な雫が伝う。色のないそれば、天使の流す血のようだった。
     
     ***
     
    「リー」
     けれどもその人は、恐ろしいほどに何も変わらなかった。
    「今日の君は確か……アと一緒に制御中枢に配属だったか。なるべく早く向かってくれ」
    「……あなたは」
     かすれた声が出るのは、何も寝起きだからではない。喉が酷く渇いていた。昨日は結局、水も飲まずに、電気さえも消さずに二人共ソファで眠っていたのか。
    「シャワーを浴びてから仕事だよ。執務室にそんな高尚なものはなくてね。申請は出しているんだけどなかなか通らないんだよ。君からも言ってみてくれないか」
     床に散らばった服を、その人が拾い上げる。昨日の自分が脱がせたのとは全く逆の順番でそれを着て、三つ深呼吸をするころには目の前に立っているのはすっかり普段のドクターだった。
    「それじゃあ」
     白い裾を翻して、その人は去っていく。それを掴もうとして――やめた。影すらも、自分は掴めないだろうから。
     自分もさっさと服を着て、シャワーを浴びに行かなければ。床に落ちた服を拾おうと腕を伸ばし、そこで気づく。パステルカラーのクリームを散らして潰れているカップケーキは、床の上で生ぬるく腐っていく最中にあった。
     
     ***
     
     ――いつかに。天使のようだ、と。その人を評したときのことを思い出す。
     まさか、とその人はゆるりと首を振った。しようのない冗談を聞いたように。
     天使とはね、と。講義でもするように、子どもに言い聞かせるように、その人は語る。花を祝福を振りまくものであって、私のように血と殺戮を振りまくものではないんだよ、と。血の匂いも硝煙の香りも死の気配も、感じさせないその人は、白金の髪と白磁の肌を持つその人は語る。けれど、その考えは今でも頭の片隅にある。この人は天の国から来たのではないかと。痛みも苦しみも悲しみもない場所から、この人はこの大地に降り立ったのではないか、と。
     だから痛みも苦しみも悲しみも、この人の中には存在しないのではないか、と。
    「ドクター」
     けれどそれは間違いだった。間違いだったのだろう。執務室で自分の用のワーキングチェアに座っているその人が、こちらを向く。白衣にはまだ血がついていた。――きっとあの、白うさぎの。
     リー、とその人が名前を呼ぶ。部屋の空気を全て従えて、楽器にするような声だった。それに逆らう術を、自分は知らない。
     おいで、その人が自分を手招く。その人の前に膝をつくと、耳に顔を寄せたその人がそっと秘密を自分の中へと流し込む。
    「私はね、本当は。人間になんて、なりたくなかったんだよ」
     心を透明にして、空っぽのままで。人の心を解する、思考する機械で有りたかった、と。
     嘆くことも悲しむことも、憎むことも恨むことも知らずにいたかった、と。
     嗚呼。この人のかつての有り様は、きっとある意味では正しかったのだろう。戦争をするための機械に成り果てて、亡霊として戦場を彷徨うのは。
    「でも、君たちは――君は、それを私に許してはくれないんだね。私に、人間でいてほしいんだね」
    「……おれは」
    「いいよ。知っているから。君は、やさしい人だから」
     だから、と。その人がするりと椅子から落ちて、自分の腕の中に飛び込む。
    「あたためてくれないか」
     この人は涙を流さない。天の国には、嘆きも悲しみも存在しないから。そんな生き物を傷つけて血を流させるものは、地上に住む人間だ。
    「あの日みたいに」
     触れた肌は冷たい。春を知らない冬のように。春を迎える前に死んでいった兎のように。
     この人をこうしたのは自分なのだ。天使の翼を手折って、地上に留めることを選んだのは。大地の上を歩かせて、瓦礫が柔らかい足を傷つけ、血を流しながら歩くように仕向けたのは。
    「ここは、とても寒いんだ」
     重なる唇から伝わる熱に、天使を撃ち落とした罪を知る。
     それは、大空へと滑落する恍惚と同じ味がした。
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    はるち

    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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