夜のしじまにひとりはさみしい ベッドのスプリングが軋む音と、甘くて高い女の嬌声。
が、薄い壁を挟んだ向こうから聞こえてくる場合、人はどうするべきなのだろうか。
それはもう狸寝入りしか無い、とリーはデスクに突っ伏したまま努めて冷静に呼吸を繰り返した。本来であればもうこの移動都市を出てロドス本艦へと向かう予定だった。突然の悪天候により、交通手段が使えなくなるまでは。もう一泊を余儀なくされたドクター達だったが、しかしそれは他の人間も同じであり、この都市内の宿泊施設はどこも満室だった。勿論野営という手段もあるが、この悪天候ではさすがに屋根と壁のある空間が恋しい。リーを始めとするオペレーターが必死に手分けして空きのあるホテルを探し、なんとか見つけ出したはいいが、しかし人員に対して空室が少なかった。
「じゃあリーと私は同室でいいよ。どのみち護衛が必要だ」
さらりと言ってのけたドクターにより、他のオペレーター達も好きに部屋割りを決め始めた。フェンとメランサ、サリアとフィリオプシスと言った具合に。
だから、格好の理由をつけてこの人と同室になれたことが、喜ばしくはあったのだが。
「――、っ……」
まるで安っぽいポルノ映画でも見せられているような気分だった。いや、実際に聞こえているのは音だけなのだが。だからこそ想像力が煽られて――ああもう、自分は何を考えているのか。
作戦終わりで自分は疲れており、体力のないこの人はもっと疲れている。二人が押し込められた部屋のベッドはシングルで、自分は床でもいいと主張したのだがそれでは疲れが取れないだろうと食い下がって、結局自分はデスクに突っ伏して眠ることにした。翌朝の身体がどれほど痛むのか、心配がないわけではないが、しかしそれよりも優先すべきものがある。
だから。
「――ねえ」
つ、と。床に垂れた尾を、温かい何かが撫で上げる。鱗の一つ一つ、その輪郭を確かめるように。
「まだ起きてる?」
それが、毛布から腕を伸ばしたあの人であることは、振り向かずともよくわかる。
「……」
「もう、寝たかな。今日の作戦は、君に無理をさせたからね」
でしょうよと、声には出さずに応える。クラッシャーを何体か、遠距離からの砲撃にフィリオプシスからの回復で耐えながらのオリジムシの相手。全く、人のことを一体何だと思っているのか。それでも、期待しているよ、と。作戦に出る前に、そう見送られては、こっちだってそれに応えたいのだ。
「……リーにも、聞こえていると思うんだけど」
それはきっと、この夜の静寂を引き裂く、壁一枚向こう側で起こっているものを差すのだろう。
「君はなんともないのかな」
指先の熱と混ざって、ドクターの吐息が肌を掠める。それは夜の静寂を裂き、吸い込む息から血流に乗って全身を巡る毒だ。
「……私は、期待、してたんだけど」
その人の指が、尾鰭の先端、破れたレースにも似た場所に触れる。枯れた花を慰撫するような手付きだった。その花は本当に触れると落ちるのか確かめるような、窘めるような、試すような。
もう寝た振りは不要だった。上体を起こし、振り返ると、毛布から顔を覗かせているその人と視線がかち合う。
寒いだろうからおいで、と天幕を掲げるように毛布を持ち上げて。
「ドクター」
寝台に身を滑り込ませると、どれほど自分の体が冷たくなっていたかを、抱き締めたその人の体温から思い知る。けれどもその人はそれを拒まずに。腕を首筋に回して、自身の熱を分け与える。
「いつからですか?」
壁の向こうから聞こえる音に当てられたのか、それとも。口づけの合間に、その人はそっと囁く。吐息に混ざるあえかな声は、けれども夜の闇の中では月光めいて婉然と響く。この胸に、真っ直ぐに。
「君といる時は、いつも」