一目惚れと温もり足元を園児たちが元気に駆けていく。真新しい制服に黄色い帽子、それからチューリップのネームプレート。視線の先には『にゅうえんおめでとう』の文字。
そんな光景にふと自分の幼い頃のことを思い出す。
一目惚れ、だったと思う。初めて出会ったあの日、俺は薫に恋をした。
※※※
俺と薫の出会いは幼稚園の入園式。『にゅうえんおめでとう』と書かれた看板の前で写真を撮っている薫を見た瞬間、体を電流が駆け抜けた。
美しいし桜色の髪とそれが映える白い肌。他の子と比べると華奢な体に凛とした表情。この出会いは運命だと思った。俺は将来この人と結婚するのだと。
だからすぐに駆け出して、胸に付けられたチューリップのネームプレートに書いてある文字を叫んだ。
「かおるちゃん!」
静止する両親の声を振り切ってぎゅっと抱きつく。息を吸ったらとてもいい匂いがした。
「おれとけっこんしてください!」
気がついたときにはそう口にしていた。順番を間違えた。まずは『恋人』からじゃなきゃいけないのに。俺は急いで訂正をする。
「まちがえた!おれとつきあってくだ──うっ…」
突然感じた衝撃にお腹を抱えて蹲る。痛い、痛すぎる。こんなに痛いのは初めてだ。暫くたってから思いきり殴られたのだと分かった。お父さんにすら殴られたことないのに。
「かおるちゃん…なんで…」
制服の裾を掴んで見上げれば、ふるふると肩を震わせて口を開く。
「おれはおとこだ!」
え?今なんて?
「お、れ、は、お、と、こ、だ!」
口を開けて固まる俺に、言葉のナイフが突き刺さる。
男。オトコ。おとこ。男?本当に?嘘じゃなくて?いや、でも本人の表情はいたって真剣だ。じゃあやっぱり…。
そこまで考えたところで今度は頭に激痛が走る。
「いったい!」
「何やってるのよ虎次郎!失礼でしょ!」
母さんだった。
「うちの息子が申し訳ありません…」
「いえいえ、いいのよ~。元気があっていいじゃない」
それから一言二言交わしてから「虎次郎も謝りなさい」と頭を手で抑えられた。
「ご、ごめんなさい…かおるちゃん…」
「だからおれはおとこだ!」
衝撃の出会いから数分後。俺たちは手を繋いで幼稚園のホールへと入場した。二人組を作って並べと言われた俺は、真っ先に薫ちゃん。いや、薫の元へ向かったのだ。
「いっしょにいこ!」
俺がそう言って手を差し出せば。
「ふん」
とそっぽを向きながらもその手を掴んでくれた。俺が嬉しさを噛み締めていると「いくぞ」と言って腕を引かれる。
「うん!」
色とりどりの紙吹雪が舞う入園式。俺の視線は桜屋敷薫という男を捉えたまま離さなかった。
※※※
「なぁ、薫。俺たちが初めてあった日のこと覚えてるか?」
隣を歩いている薫に問う。
「俺たちが初めてあった日…」
ばさりと優雅な仕草で扇子を開き、口元を隠して思案する姿は妖艶でいて美しい。毎日の様に見ているというのに未だに見惚れてしまう。
「あぁ、どこぞの馬鹿が俺のことを女だと間違えた日のことか」
「うっ」
こちらを睨めつける視線はあの頃より数倍も鋭い。薫は成長するとともに美しさや気品──外面とも言う──に磨きがかかったが、それと同じくらい。いや、それ以上に気の強さや鋭さも増した。
『美しい薔薇には刺がある』なんて言葉があるが、薫の場合は棘どころではなく鋭いナイフだろう。まぁ、そのナイフの切っ先を向けられるのは俺にだけだけど。
「あの頃からお前は馬鹿だったな。人の顔を見るなり抱きついてきて結婚してくれ、なんて」
「いやまぁ確かに早すぎるとは思うけど…でも仕方なかったんだよ」
「仕方ないとはなんだ」
薫は怪訝そうな顔をする。なんだ、と言われても仕方ないものは仕方ないのだ。だって───
「一目惚れだったから。後にも先にも、あんなことしたのはお前にだけだ」
あの日から俺の薫に対する感情はずっと変わらないどころか日に日に、毎分毎秒大きくなっている。男同士だとか、幼馴染だとか。確かに悩んだこともあったけど。ない頭で必死に考えて辿り着いた結果はただ一つ。
俺は『薫』だから好きになった。性別も幼馴染という関係も全く関係ない。たとえ薫が女の子だったとしても、幼馴染じゃなくて年上だったり年下だったりしても、俺は絶対に薫を好きになる。だって恋とは、一目惚れとはそういうものだろう。
「は?」
目を見開いて驚く薫。その反応は意外だった。どうせまた馬鹿だとか脳みそまでゴリラだな、とかなんとか言われると思っていた。それなのに、目の前の薫は白い頬だけでなく耳まで真っ赤になっている。
「お前何言って…」
どうしようもなく可愛くて、どうしようもなく愛しくて、堪らず抱きしめた。
「おい、離せ!誰かに見られたらどうするんだ!」
シアラルーチェの客に見られたって、薫の取引先のお偉いさんに見られたって構わない。むしろ見せつけるだけだ。でも離したくないのはそれだけが理由じゃなくて。
この情けなく真っ赤になった顔を薫に見られたくないからだ。
「好きだぜ、薫。初めて出会ったあの日から、これから先白髪頭になってもずっと」
「……っ、いい加減にしろ!この色欲ゴリラ!」
ドゴッという音を立てて足を踏まれる。どんな力だ。俺よりよっぽど薫の方がゴリラなんじゃないのか。
「痛ってぇ!なにすんだよ!」
「ふん、お前が悪い」
「俺が何したっていうんだ!」
俺が叫ぶと、不思議に思った周りの視線が集まりだす。
「ちっ。ほら行くぞ脳筋ゴリラ」
薫はぐい、と俺の腕を引く。その手はあのころと比べて大きく男らしくなっていたが、伝わる温もりはちっとも変わっていなかった。