転生ファウ晶♀ 私が前世の記憶というものを思い出したのは、初めて魔法を使った時だった。
ふと、誰かの声が聞こえた気がして空に手を伸ばす。するとみるみる私の体は地面から離れていって、青空に少しだけ近くなった。
何かを探すように浮き上がる私の姿を見た両親の悲鳴と精霊達の歓喜の声が聞こえる。
それらの両極端な感情を小さな体に浴びながら私は、『あぁ、生まれ変わったんだな。』と感じたのだった。
***
私には前世の記憶がある。
異世界から月と魔法の世界に召喚された賢者、というとてもファンタジーチックな前世だ。
魔法使いなんて童話の中にしか存在しない世界で平凡に生きてきた私は戸惑いながらも、未知の経験に心を踊らせていた。
大いなる厄災と呼ばれる月を迎撃するために賢者の魔法使いと絆を育みながら結束を固めていっていた。様々な個性を持つ魔法使いとの交流は本当に色々なことがあったと思う。
頭を抱えたこともあったし、上手くいかないことに涙を堪えた夜もあったけれど、彼らの優しさや強さに触れて懸命に日々を過ごすことができた。
そして、そして好きな人もできた。
それまで成人を迎えても色恋に興味を示さなかったわたしがひとりの魔法使いに恋をしたのだ。
初めての感情に困惑しながら彼の背中を追っていく。それが幸せで、でも物足りなくて。
ふわふわと、どろどろとした気持ちを抱えながら伝えたいなって思ったりしていた。
けれどいずれは元の世界に帰る事が決まっている存在の私は、彼の負担になってはいけないと自戒をして距離を保とうとした。
でも、心は嘘をつけなくて。
彼を見るたびに嬉しくなって、苦しくなって、多分バレバレだったのだろう。
頑張って彼を避けていたある日。
私の手を掴んで「同じ想いだ。」と綺麗な菫色の瞳で私をじっと見つめながら言葉を紡いでくれた。
まさか両想いだとは思いもしなかったから信じられなくてびっくりして泣いてしまった私をぎゅっと抱きしめてくれた体温を今でも憶えている。
そんな紆余曲折あって私は彼と恋人になることができた。
その数ヶ月後、大いなる厄災との戦いの夜が始まって。
その後のことは憶えていない。
私が生まれ変わったのは魔法使いを排斥する村だった。東の祝祭で訪れた村のような場所。
恐らく東の国の北付近。
魔法舎の任務では訪れたことのない小さな村だった。
優しい両親と、仲の良い友達に囲まれながら幸せに暮らしていた。
けれど、私が魔女だと発覚してからその平穏な日々は崩れ去ったのだ。
運良く私が魔法を使ったところを見たのは両親だけだったから他の村人にはバレることはなかったが。
優しかったはずの両親は私が重度の病に罹ったことにして私をよその街の孤児院に捨てた。
その辺の山に捨てなかっただけ情はあったのだろうと思いたい。魔法使いと言えど、娘を殺した罪悪感に蝕まれたくなかっただけかもしれないけど。
それから私は孤児院で生活することになった。
魔法が使えることは一応隠しながら日々を過ごした。ここから出されたら幼い私は生活できない。
ブランシェット領ならまだしも、東の国では魔法使いの差別が根強いのを前世の記憶から実感していた。
旅立ってかつての賢者の魔法使いの元へ会いに行こうか、と考えた夜もあったけど彼らはきっと私のことを忘れているだろう。
世界からいなくなった賢者は皆の記憶から消える。
そんな悲しいことを実感したくなかったのだ。
特に、愛しい彼に忘れられてしまっている事に直面したら私はきっとみっともなく泣いてしまうだろうから。
だから、会いたくなかった。
彼の言葉が、彼の匂いが、彼の体温が恋しくなっていたけれど、「こんな女性は知らない」と言われて傷つく勇気は私には無かった。
それだったらこの寂しさを抱えながら生きている方がまだマシだ。こんな私を見たら彼は「強情だな。」と笑うのだろうけれど、私にはそれしか自分を守る方法が無かった。
これが、私の魔女としての幼少期。
***
「アキラちゃん、ちょっと買い出しに行ってくれる?スタ米が無くなりそうで。明日には業者の人が来るから今日の分だけお願いね。」
「はい、わかりました。いってきます!」
幼かった私も成長し、今年で17になる。
どうなるか心配だった孤児院の生活にも慣れて、優しい保母さんに助けられながら成長していった。
容姿は前世とほぼ変わる事なくチョコレート色の髪と瞳だ。
最近は信頼されてきたのか今日みたいなちょっとしたお使いに駆り出されるようになった。そのご褒美としてこっそりと甘いクッキーを渡されるのは気恥ずかしい。
見た目は17歳だけど、前世の分を含めればその倍以上生きているのだから。
倍、と言っても50歳にも満たない私はきっと魔法使いとしてはまだまだ幼い子供なのだろうが。
生きていく内にわかったことがある。
今は私が賢者としてこの世界にいた時から100年ちょっと先の時代らしい。
街の人がグランヴェル国王が100年で任期を締めて後継に譲ると言う噂を聞いた。私が魔法舎にいたときは王位を継いでいなかったからそのぐらいの時間がたったのだな、と考えている。
成長した彼らがどうなったのか気になるからいずれこっそり見に行こうかな、なんて。
規模はそれほどでもなさそうだけど、まだ毎年大いなる厄災は近づいてくるから中央の国では魔法使いのパレードが開催されている。
だからもう少し歳を重ねて、独り立ちできるようになったら行きたいなと思っている。
観衆の中から一目見れれば十分すぎるから。
「おっ、アキラちゃん。今日もお使いかい?」
「はい。スタ米を2キロお願いします。」
よく行くお店の店主さんが朗らかに声をかけてくれた。買い物に行く度に優しくしてくれるおばさんだ。
必要以上に他人と馴れ合わない東の国では珍しい人。
孤児院の保母さんと友人らしくて子供達にも良くしてくれる。
「スタ米なんて重いものやんちゃ坊主達に行かせればいいのに、保母さんも人使いが荒いねぇ。」
「ははは、私が少しでもお手伝いしたいだけなので大丈夫です!それに私力持ちなので!」
「頼もしいねぇ。うちの息子の嫁に欲しいぐらいだ……はいよ、スタ米2キロ。あとおまけのカヌレだ。」
「いいんですか?」
「いいよいいよ。可愛いアキラちゃんに食べて貰えば菓子も本望だろう。」
ありがとうございます、と礼をして私はお店を去った。無事お使いができた安心感で私はふんふんと笑みを溢しながら帰路へと足を向けた。
市場を歩いていると隅っこの方に野良猫がいる。お使いの品を持っているから構いにいくことはできないけど猫が視界にいるだけで頬が緩む。
今でも猫を愛している事に変わりない。
子供を連れた黒猫ちゃんも、ひだまりの中で微睡んでいる茶猫ちゃんも可愛い。
猫達に意識を向けて歩いていたから、私は目の前を歩く男に気づくのが遅れて思いっきりぶつかってしまった。
「あっ、すみません!私の不注意で…….」
謝罪しようと顔を上げようとすれば夢で何度も嗅いだ愛おしい香りが鼻をかすめた。
「いや、こちらこそすまない。怪我はないか?」
甘やかな、懐かしい声が聞こえる。
嘘だ。
こんな東の国の端っこの街にいるはずなんかない。
私は目の前にいる人物を直視できないまま俯く。顔を上げるのが怖くて、腕に抱えてる米をぎゅっと抱きしめる。
目の前には私が、真木晶が恋をした彼がいるのだ。恋しい私の魔法使い、ファウスト。
「……きみ、大丈夫か?」
「だい、じょうぶです。」
カラカラの喉を無理矢理こじ開けて声を絞り出す。挙動不審な私を心配してくれているのか彼はじっとそこを動こうとしない。
はやくどこかにいって欲しいのに。
このままじゃら泣き出すか叫び出すかしてしまうだろうから。
市場の喧騒も聞こえなくなって彼の困惑している息遣いだけが耳に入る。だって、まさか、こんな辺境の街にくるなんて思いもしなかった。
どうしよう。なんでこんなところにいるの。
身動きも出来ずに固まっていると、またまた聞き覚えのある声が聞こえて振り向く。冬の海のような髪の白衣の男がゆっくりと近づいてきた。
「あ、いたいたファウスト。先に行かないでよ。」
「……フィガロ。」
「あれ、ファウストもしかしてナンパ中だった?ごめんね。君にそんな気があるなんて知らなかったな。」
「フィガロ!」
私の記憶のままの姿の南の魔法使い。
大好きな彼の元師匠であるフィガロが現れた。2人の軽口もなんだか懐かしくて涙がこぼれそうになる。フィガロに揶揄われて不満気な声が聞こえて心臓がぎゅっと軋んだ気がした。
「あはは、ごめんごめん。でも可愛らしいお嬢、さ………ファウスト、下がって。」
「きゃっ!」
「おい!」
フィガロが私を路地の方へ吹き飛ばす。
抱えてた米を落とす事は無かったけれど盛大に尻餅をついた。
痛みに腰を摩りながら顔を上げると驚くものを見た。
人目をさけるように私のところまで歩いてくるフィガロは私が見た事もないぐらい怖い瞳をしていたのだ。
魔女になってはじめてわかった。膨大な魔力と積み重ねた年月による経験。北の魔法使い達が警戒するのも今なら納得する。
でも、あんなにフィガロは優しかったのに。
声も出せずに固まっているとフィガロはにこりと口角を上げた。
「ねぇ、どうして君からファウストの気配がするの?見たところ弱い魔女みたいだけど。どこかでファウストの媒介になるものでも拾ったりした?」
彼の魔法具のオーブを浮かべながらフィガロは私に尋ねる。
追いついてきたファウストの視線を感じながら、私は否定しようと口を開けた。
「私、ちがっ」
「言い訳は良いよ。うーん、魂まで絡みついてる感じするなぁ。これじゃ、きみ自身がファウストの媒介になりかねない。ファウスト、何か心当たりある?」
「いや、彼女とは初対面のはずだが。」
彼のその言葉はわかっていたはずなのに、やはり瞳の奥がジンと熱くなる。
強張った彼の顔も、固い彼の声も私のことなんて知らないと言っているようだ。
覚悟していたとはいえ聞きたく無かった言葉を直接ぶつけられて泣き出したくなった。
今にも泣き出しそうな私を横目で見ながら2人は会話を続ける。
「じゃあ、オズみたいに媒介を落とした心当たりは?」
「……無いはずだ。」
「だよね。君はそんな迂闊なことする筈ない。」
「信じてください!私は何もしてません。」
体の震えを抑えながら私は口を開いた。
何も心当たりは無いのだ。今世ではファウストに会ったことは今までなかった。この小さな街でひっそりと暮らしていた。
会いたい、姿を見たいと思っても叶わない願いだから。
そんな私の姿にため息を溢しながらフィガロは言葉を発した。
「何もしてないのならこんな事になってないんだよ。それに、もし君が無実でも俺は君を解放できない。彼の媒介になりうる存在を今まで放置していた事自体が恐ろしいよ。」
「そんな……」
とりつく島がない、とはこの事のようだ。フィガロは冬のように冷たい瞳を私に向ける。
「とりあえず封印しちゃうか。ポッシデ……」
「おい、まて!そこまでする必要はないだろう。彼女にそこまでの力があるとは思えない。」
私を封印しようと魔法を使おうとするフィガロをファウストは腕を掴んで止めた。
封印されそうになったことも驚いたけど、いくら優しい彼とはいえ自分の不利益になりそうな女を助けてくれるとは思わなかった。
そんなの、期待してしまう。
お米をぎゅっと抱きしめて俯く動作に勘違いしたのかファウストが私の前に守るように立ち塞がった。
以前と変わらない、優しい背中。
「ならどうするつもり?」
フィガロの静かな問いかけが路地裏に響く。
「……彼女を魔法舎に連れて帰る。オズや双子に見せれば何かわかるかもしれないだろう。」
「相変わらずファウストは甘いね。」
「うるさい。」
呆れたような声が聞こえる。
二人の中で話はついたのか、フィガロは魔法具をすっと消した。
ファウストはため息を吐いてから私の方へとくるりと向き直る。
座り込んでいる私と彼の菫色の瞳がかち合う。
「あの……」
「すまない、きみを自由にはできなくなった。魔法舎に来てもらう。安全は保証する。勿論、最低限の荷物の回収に行くならついていく。」
立てるか?と言って差し出す彼の手をおずおずと見つめた。反射的に手を伸ばそうとして、中途半端に浮いた私の腕をファウストは優しく触れる。
その瞬間彼はギョッとした顔で「だ、大丈夫か?」と言葉を発した。
「え?」
その問いかけの意味がわからず、私は彼の瞳を見つめた。
けれど記憶にある鮮やかな菫色がぼやけて、海の中にいるみたいだ。
なんて考えているとぽたり、ぽたりと音が聞こえた。頬に落ちる熱をようやく感じて自分が泣いている事に気づく。
そんな私の様子に狼狽しながら彼はしゃがんで私と目線を合わせた。
「いや、不躾だったな。魔女とはいえ年若い女性が素性もわからない男達に脅迫されているんだからな。」
「……ちがいます。」
そんな理由で泣いてるわけじゃないんです。貴方に触れてもらえて嬉しくて、忘れられて悲しくて。よくわからなくなって子供みたいに泣いているの。
だからそんな困った顔をしないで。
否定の言葉しか出せなくて心臓がぎしりと音を立てた。優しい言葉を投げかけられても私の涙腺は決壊したままで、ぽろぽろと涙を溢していた。
「すまない。繰り返すようだが、きみに無用な危害を加えない。約束はできないが信用してくれ。」
菫色の瞳が誠実に、言葉を紡ぐ。
彼は優しく、優しく、いつまでも泣き止まない私の手を優しく握っていた。