ワンライ(カウント/格言) 無機質なデジタルタイマーが、規則正しく数字を刻み続けている。爆発までのカウントダウン。絶対絶命の大ピンチだ。
しゃがみ込んで爆弾を解体していたチェズレイが立ち上がり、ふう、と息を吐く。そして両手を挙げてみせた。「お手上げ」だ。状況に反して困った様子も焦った様子も見せないのは、さすがは根性の据わった詐欺師というところか。
今宵はふたりで敵のアジトに潜入していた。裏組織同士の取引の証拠が隠されているという情報を掴んでいた地下室。そこへまんまと誘い込まれたのだと気づいたのは、出口を閉ざされ、ドアを厳重にロックされた後だった。閉じ込められた部屋には悪事の証拠などはなく、ふたりを出迎えるかのように、部屋の中央にカウントダウンタイマー付きの時限爆弾が堂々と鎮座していた。
物騒な話だが、敵対組織のアジトをいくつも爆破してきた自分たちは、爆弾の扱いにはそれなりに慣れている。そのチェズレイが匙を投げた。とすれば、爆発から逃れるにはこの部屋から脱出するしかない。
さて、どうするか。この地下室へ出入りするためのドアは一つのみ。頑丈な鉄製で、外側から鍵がかけられている。壁と床は打ちっ放しのコンクリートで、当然、窓もない。普段から誰かを閉じ込めておくために使われる部屋なのか、微かに嫌な匂いが篭っていた。脱出に役立ちそうな道具もなければ、目立った装飾もない。
モクマは鎖鎌の分銅でドアに何度か衝撃を与えてみた。鉄製のドアはびくともしない。チェズレイの細身の仕込み杖では、掠り傷程度しか与えられないだろう。どちらの武器も攻撃しているうちにズタボロになってしまう未来しか想像できなかった。コンクリート製の壁も、こんな武器ではぶち破れそうにない。
一か八か、モクマは爆弾を持ち上げ、ドアの前へと運んだ。位置をずらすだけで爆破しないことは、チェズレイが既に確認していた。運が良ければ爆破の衝撃で出口が開けるかもしれない。爆発規模によっては、ふたりとも怪我では済まない状態になっているかもしれないが。
「万事休すだねえ」
足掻くモクマを眺めながら、チェズレイはドアから距離を取り、埃っぽい床にスカーフを敷いて悠々と座り込んでいた。「私は死ぬ気はさらさらないですよ」と宣うほど生に対する執着は強いというのに、彼らしからぬ振る舞いだ。何か勝算があるのか、それとも潔く覚悟を決めたのか。
モクマもチェズレイの隣に座り込んだ。ディスプレイが示す真っ赤な数字は、残り五分を切っている。
「すまんね、お前の夢を叶えてやれそうになくて」
「おや。私の夢は私のものですよ。たとえ相棒のあなたといえど、叶わずともあなたには何の責任もありません。それより、あなたの方は何かやり残したことはないのですか?」
「俺? そうねえ……」
守り手として生き、守り手として死ぬ。それがモクマの人生の大義だった。
このまま死ねば、モクマはチェズレイを守り切れず死ぬことになる。何としてもチェズレイを生きて逃したかった。
しかし己が死を迎える瞬間に、そばにチェズレイがいるならば、これ以上の幸福はない。そう思う自分がいることも事実だった。
けれど叶うならば、もっとたくさん美味いものをふたりで食べて、晩酌して、世界中の国を訪れ、人々を笑顔にして回りたかった。親しい友人たちとも、もう一度会いたかった。
あれこれと尽きない欲が次々と頭の中に浮かぶのに、口をついたのは我ながら最低の一言だった。
「あー、こんなことならお前と一発くらいヤっとくんだった」
「……おやおや。さすがは下衆だ、腹の底で相棒を組み敷いてみたいと思っていたとは」
「組み敷くっちゅうと随分乱暴だけども……こういうのって合意が大事でしょ」
「私からの合意がないから手を出せなかった? そもそもあなたからそのような誘いを受けたこともないのに?」
「だから、ちゃんと誘えばよかったって」
そばにいるだけで満足だった。
チェズレイが笑顔を見せるたび、心が震えた。
ふとした瞬間に腹の底で沸き上がる欲には蓋をしていた。己の欲と向き合うことを知ったはずなのに、肝心なところでまた臆病風を吹かせていた。
最低な欲求を直球でぶつけた下衆に、チェズレイは何を思うのか。タイマーは残りあと三分。罵倒を浴びせるか、口を閉ざすか、それとも下衆の命を奪ってみせるのか。
「してみますか?」
「へっ?」
「この世に未練を残したまま死ぬのは御免でしょう」
言いながらチェズレイはモクマの肩にしなだれかかるように体を預け、蠱惑的な上目を向けた。
いつになく間近に迫る相棒の白皙。長い睫毛とアメシストの瞳が、モクマを誘うように瞬いている。気づけば、モクマは薄い唇に自身の唇を重ねていた。
初めてのキスだ。否応なく胸が高鳴る。こんなふれ合うだけのキスで。十代の小僧でもあるまいに。
すぐに唇を離すと、追いかけるようにチェズレイの唇に捕らえられた。二度目のキスは、一度目よりも長く、深く。唇の柔らかさまでじっくりと感じる。
「……お前さん、いつの間にこんなことできるようになってたんだい?」
「ンフフ……リハビリの成果ですよ」
三度目のキスは、舌まで深く絡ませ合うディープキス。
口づけを交わしながら、下衆な腕は細腰へと回っていた。ジャケットの裾を捲り、素肌にふれる。
「ンッ……んぅ……ッ」
チェズレイが身を捩るたび、自然と口づけも深まる。粘膜を貪り合い、体液が混ざり合う。セックスを思わせるようなキスだった。
「あっ……モク、マ、さ……ん……ッ」
四度目、五度目とキスを重ねるにつれ、タイマーの数字はどんどん減っていく。
51、50、49――
気づけば残り一分を切っていた。
……今生の別れ、か。
晩酌をしながら交わした奇妙な約束のことが脳裏を過ぎる。果たさなければ。そう思うのに、唇はチェズレイの熱くて滑らかな粘膜と唾液を貪ることに必死で、碌な余裕も残っていなかった。
唇を重ねたまま、しなやかな体を抱き竦めるように爆弾に背を向ける。どの程度の威力の爆弾かはわからなかったが、せめてこの美しい相棒の体が惨たらしく四散してしまわぬように。
――5、4、3、2、1。
「……え?」
耳を劈く爆音も、背中を燃やすような衝撃も、いつまで経っても襲ってこなかった。
相棒に目を向ける。美貌の詐欺師は、モクマの腕の中でニタリと長い舌を覗かせて笑っていた。
「……嵌められた?」
「フフッ。嵌めようとしていたくせに何を仰る」
「あ、お前さんそっちでいいの……?」
「ご随意に」
思わぬ展開に目を剥いたが、つまり、とうに爆弾処理は済んでいたということだ。それをこの詐欺師は無二の相棒に黙っていた。一体どうしてそんな嘘を吐いたのか。
その問いを投げかけさせぬまま、チェズレイはすっと立ち上がった。
「さて、モクマさん。爆発が起こらないことに気づいた敵が、ここへ乗り込んできたタイミングがチャンスです。頼りにしていますよ、守り手殿」
「あー、はいはい、おじさんに任せてちょ。今なら五人でも五十人でも倒せそう……!」
話すを掘り下げさせないということは、都合よく解釈していいということなのか。
かくしてチェズレイが予測した通り、地下室に雪崩れ込んできた厳めしい男たちを一人二人と薙ぎ倒し、気づけば十人以上の怪我人の山が積み上がっていた。
「素晴らしい……! 最速記録ではないですか?」
「そうね、善は急げっちゅうからね! いや、思い立ったが吉日かな!?」
開け放たれたドアから堂々と脱出し、チェズレイを抱えてひた走る。目的の証拠品がなかった以上、作戦も仕切り直しだ。作戦が失敗したというのに、両腕に抱いた詐欺師は楽しげに高笑いしていた。
とにかく今日は帰ったらヤる。絶対にヤる。何が何でも添い遂げる! ああ、ほら、『据え膳食わぬは男の恥』ってやつ!