ワンライ(ちょこ/ひげ) テーブルの上には酒瓶とぐい呑み二つ、それから各々が好むつまみ。
今宵も空にはいい月が浮かんでいる。相棒との同道を始めてすっかり習慣になった、晩酌の時間だ。
この日のためにとっておいた上質などぶろくは、まったりとした飲み口に反していささか度数が高い。あまり酒に強くない相棒の頬は、ほんのりと赤らみ始めていた。
「お前さん、そろそろやめといた方がいいんじゃない?」
「別に潰れたところで何も問題ないでしょう。敵のアジトは壊滅し、この国の闇組織は全て制圧……明日は一日中ホテルの部屋で寝ていても、誰も責める人間はいないのですよ」
今やDISCARDを凌ぐ巨大組織のボスである男は、酒に酔わされとろりと潤んだ目線を寄越してくる。
熱を孕んだ紫から逃げるように、モクマは懐に忍ばせていたものを、チェズレイの手元のぐい呑みとこっそりすり替えた。
とはいえ、忍びはかの怪盗ビーストほどに手癖が悪くない。相手が酔っていようとも、さすがにその所業には気づかれていた。
「おや、何です……? 美しい酒器ですねェ」
「えへへ……キレーだよねえ。とっときのお猪口なの。ささ、こいつでぐいっと」
平凡なぐい呑みから早変わりした切子グラスの猪口に、白く濁ったどぶろくを注ぐ。一口分だけあって、あっという間に杯が満ちた。
かつてはアルコールの味が好きではないなどと言っていたくせに、あまりにも無防備に飲むものだから、これで少しはペースを落とさせたい。……なんて、そんな理由はただの建前で。
いつもはきっちりとボタンを留めている喉元が露わになっていたり。切れ長の瞳が緩んでいたり。誰もを惑わす甘い声で「モクマさん」などと囁かれれば、不惑の理性も揺らごうというものだ。
生涯を共に過ごすと誓った相棒に、相棒である自分に無防備な姿を見せる若造に、あらぬ劣情を抱いていると知られてしまったら。この劣情を突然真正面からぶつけたら。もしも拒否されたら、どうする? どうなる?
忌避、嫌悪、侮蔑。しどけない視線が、冷え切ってしまったら。
三十を迎えたとはいえ、相手は一回り近く離れた若造だ。部下からの信頼も厚く、すさまじく情が深い。対して自分は、大きな過ちを犯し、既に人生の半分が過ぎ、頭もとうに真っ白になってしまった何も持たない男だ。
自分から律儀に同道を切り出してきた若造に、下衆な感情を隠したままでいる。自身の感情と向き合うたび、伸びしろある若者から賜った言葉が頭をよぎった。
――自分にとって重要なモンを、他人を理由に諦めんじゃねえ。……オレはあんたを認めてる。だから、あんたがあんた自身を下げるのを見るたびイラつくんだよ。
また悪い癖だ。収まったはずの逃げ癖が、こんなところで発揮されている。チェズレイ本人を理由に、自分にとって大切なものを諦めようとしている。
自分を卑下して、どうしようもない理由をいくつも並べ立てて、いつまでも臆病風を吹かせている。
「……私の隣にいながら考え事とは、余裕ですねェ」
気づいた時にはもう遅かった。
手にしていたぐい呑みが奪われ、中身を一気に飲み干される。
「えっ……大丈夫? おじさんが口つけちゃったやつだよ?」
チェズレイは手の甲でぐっと口の端を拭い、「今更でしょう」と吐き捨てた。
「……本当に、今更だと言うのに」
いつの間にやら猪口の方も空っぽになっている。すっかり酔いが回っている相棒は、珍しく困ったように眉を下げていた。