水心子の唇が好きだ
突然こんなことを言ったら、きっと多くの者は自分のことを奇怪な目で見るだろう。
恋刀の水心子は、これを聞いたらどう思うだろうか。自分の傍から逃げてしまうだろうか。
唇だけか、と言われたらそれは全力で否定をする。自分は水心子正秀という刀の全てを想っているし全てが狂おしい程に愛しく思う。けれど追ってしまうのだ。彼の唇を、無意識に。
甘味を幸せそうに頬張り、時には悔しげに噛み締め、そして『清麿』と愛おしげに自分の名を呼んでくれるあの唇を。
「清麿」
ほら、また。隣でぼーっとしている自分のことを心配そうに覗き込んでくる愛おしい刀。
「どうしたんだ、先程からぼーっとして…具合でも悪いのか?」
眉を八の字に下げ、伺うようにじっとこちらを見つめる水心子。こちらはと言えば、不謹慎にもそんな心配している彼の唇をじっと目で追ってしまう。
「清麿、本当に大丈夫か?」
こちらを見ているのに、あまりにも返事をしなかったせいだろう。水心子は熱でもあるんじゃないか、と手のひらを額へと当ててくる。
「あぁ、うん…ごめんね。少し考えごとをしていて」
大丈夫だよ、と額に置かれた手を取るとその指先にそっと口付ける。それだけで彼は湯気が出るのではないかというくらいに顔を真っ赤にし、口をぱくぱくとさせていた。
「なっ、ぁ…!」
「水心子のことを考えていたんだよ。好きだなぁって」
間違ったことは言っていないはずだ…とは思う。少しだけ考える方向がズレているだけで。
「こうやって水心子が心配してくれるなら、いつもぼーっとしているのも悪くないなぁ」
「じ、冗談言ってないで…!」
「こんなにも君のことが好きなのに冗談で言うと思う?」
「清麿ぉ……」
口付けた手を離せば更に赤くなってしまった顔を隠すように内番着の襟元をぐい、と上げてしまう。
あぁ、そんなことをしたら可愛い顔も愛おしい唇も見れなくなってしまうのに。
残念だなぁなんて内心で思いながら本丸の庭先へと視線を移す。遠くから聞こえる短刀達の遊び回る声、景趣に誘われてやってきた鳥達の囀り。それらに耳を傾けていれば隣から控えめにぽそぽそと言葉が紡がれる。
「…、たしも…」
「うん?」
「私も……んん、僕も…清麿が好きだ。だから、清麿がぼーっとしていたら当たり前に心配もするし……それと…」
「…それと?」
「…隣に一緒にいるのに、想像の中の僕を好きって思うのは……ずるい」
もはや語尾の方は消えかけているのではと思うほどに小さく呟かれた言葉にどくん、と鼓動が高鳴るのが分かる。
このあまりにも可愛らしい、愛おしい恋刀にどこまで心惹かれればいいのか。
「…はぁ、もう…ずるいのはどっちだい、水心子」
恐らく今の自分は本当に情けない顔をしていると思う。顔は熱いし、頬が緩むのを抑えきれない。それを見られたくなくて、そのままぎゅう、と隣に座る水心子を抱き締めて肩に顔を埋める。
「わっ、ちょ…!清麿、誰かに見られたら…!」
「大丈夫だよ」
根拠の無い『大丈夫』を口にしている自覚はある。けれどそれ以上に愛おしさが勝ってしまうのだから仕方がない。額をぐりぐりと肩口に押し付ければ、諦めたように水心子も背中に手を回し、控えめに抱き締め返してくれる。その仕草すら嬉しくて。
「好きだよ、水心子。君のことが本当に好きで堪らない」
そう言って抱き締める腕に少しだけ力を込めれば彼はあやす様に優しく背中を撫でてくれた。
「……僕も、清麿が好きだ。きっと清麿が思っている以上に僕だって清麿が大好きだよ」
少しの間を置いて返ってきた言葉に思わず顔を上げる。相変わらず彼の顔は真っ赤だけれど、それでも嘘偽りのない真っ直ぐな瞳で見つめられれば、どうしようもなく泣きたくなるような気持ちになった。
「やっぱり…水心子はすごいや」
嬉しいな、と彼の愛おしい唇にそっと指を這わせば、ぴくんと揺れる肩とほんの少しだけ緊張で強ばる身体。
「ねぇ水心子。キスしてもいい?」
「…えっ!?ここで……?」
ふに、と指先で柔らかな唇を押して感触を楽しむ。駄目かな?と小首を傾げて強請るように見つめれば彼はうぅ、と小さく呻く。
「お願い、水心子。想像の中の自分に嫉妬してしまった可愛い君の唇を愛でさせて?」
「……っ、意地が悪いぞ清麿…!」
再び顔を赤くしてしまった彼にくつくつと笑みをこぼす。それでも彼は受け入れてくれたようで、首の角度を上げて目を瞑る。
キスだって何度もしているのに緊張している彼の唇はぎゅ、と一文字に引き結んでいてとても可愛らしい。
力を抜いて、と声を掛けてから頬にそっと手を這わす。そして触れるだけのキスを一度だけ落とす。
それから啄むように、ちゅ、ちゅと何度も口付ければ彼からようやく力が抜けていく。
「大好きだよ」
最後に愛らしい唇を甘噛み、ぺろりと舌を這わせ口を離せば、水心子はふるりと瞼を震わせる。
「ぁ…、きよまろ……」
あんなに緊張していたのに、触れるだけのキスなのに。名残惜しそうに自分の唇を見つめる彼の翡翠の瞳はとろり、と蕩けている。
「ふふ、もっとしたくなっちゃった?」
意地悪くそう聞けば、俯いて唇を噛み締める。傷がついてしまうよ、と大切な唇に再び指を這わすと控えめに指を食んできた。
「…お誘い上手だね、水心子」
部屋に行こうか、と問えば素直に頷く姿が可愛らしくて。抱きしめていた身体を離し、手を差し出せばそっと手を握り返してくる。
「…清麿がしてくれることは、全部好きだから」
ほら、また。そうやって君は僕を無意識に煽ってくる。君がもうだめ、と言っても止めてあげられる自信がなくなってしまうのに。
「水心子が望むなら、いっぱい愛でてあげる」
君のその表情も、仕草も、声も。そして僕の大好きな君の愛らしい唇もぜんぶ。
たくさんたくさん、愛してあげるから。どうか僕の傍から逃げないでいて。