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    ジェイ←フロに見せかけたジェイ→←フロが番になるまでとそれに嫌々巻き込まれるアズールのよくある話です。本編では触れられていない魔法の概念を捏造しまくっておりますのでその辺りは頭を緩くしてご覧いただければと思います。
    R5.6現在までの原作ゲームの本編・イベント・各キャラPSは一通り履修していますが、忘れている部分があるかもしれません。色々捏造を含みます。あんまりにもな誤りはこっそりご一報ください。

    #ジェイフロ
    jeiflo

    束縛の咬魚は誘惑と番いたい【3】(上)*****


    休日にオクタヴィネル寮の談話室を利用する人はあまり多くなく生徒の姿はまばらである。部活動に励む者、各々の部屋でゆっくり過ごす者、麓の街などに出掛ける者、モストロ・ラウンジで働く者の四つのパターンに大体の寮生が分けられるからだ。
    この週末のジェイドはオープンから夕方までのシフトに入っていた。夕方以降はアズールと交代なので、本日の業務の引き継ぎと来週の予定の大まかな打ち合わせを済ませて、やっと部屋に戻ろうかというところだったのだ。休日ということで日中のカフェはなかなかの盛況振りであったが、そのわりに疲労はあまり感じていない。だというのに、ジェイドは閑散とした談話室の強化ガラスの向こう側の海でのんびり泳いでいる魚たちや華やかな珊瑚礁をぼんやりと眺めながら暫し立ち尽くしていた。ここのところ気付けば何度もあの日の夜のことを思い返している。
    あの後部屋に戻ってフロイドの手首の具合を確認すると、案の定薄っすら鬱血してしまっていた。仮の姿である人間の体はどこもかしこも柔くてこういう時に不便だと思う。相手は取るに足らない雑魚であったということもあって、多少怖がらせるのみに止めて五体満足で逃がしてやったのは、今思えば少しばかり甘かったかもしれないと自省していた。必要最低限の仕事は出来ていただろうが、あの夜のジェイドは完全に普段通りとは言い難かったという自覚はあった。と言っても件の生徒の個人情報は特定済みなので、次に何か機会があれば暫くはまともに物が握れなくなるよう指の一本くらいは使えなくしてやるつもりだ。フロイドはそんな大したことのない痣など至極どうでもよさそうにしていたものの、ジェイドはすぐに回復魔法をかけて痕を消した。本人は大袈裟だと笑っていたが、他人が彼の身体に付けた傷を見過ごすことなど許容できない。ジェイドの魔法で治癒可能な範囲の怪我であれば負傷の経緯を確認して速やかに治療するのが常だった。陸ではフロイドの言う通り大袈裟な処置かもしれないが、海では小さな傷だったとしても命取りになる場合があるのだからこれは最早癖のようなものだ。
    あれ以来フロイドのえも言われぬ美しいあの歌声を決して忘れないよう繰り返し思い出している。それでもきっと時間を経るごとに記憶は褪せていってしまうのだろうと思うととても惜しくて、出来ることなら巻貝の中にでもあの晩の歌声を閉じ込めておけたらよかったのにとジェイドは夢想せずにいられなかった。フロイドの恋情が籠る初めての贈りものだったのだから。世間で言う“普通の兄弟”の感覚がどうなのかはとんとわからないのだが、片割れから与えられたものならどんなものでもジェイドは大切にしていた。錬金術で失敗した歪な色と形の宝石も、途中で飽きてしまったと押し付けられた妙な風味のするお菓子も、それを貰って嬉しいかどうかは別にして無下にするようなことは決してしなかった。
    いつもアズールに言われているが、二人は物理的にも精神的にも距離が近すぎる。それ故にジェイドは番の話を持ちかけられた時からずっと悩んでいた。自分は間違いなくフロイドに対して愛情を抱いているが、それがどういう種類の愛なのか判断に迷っていたのだ。一般論を参考にできない以上、その基準は自分の中で見つけるしかない。フロイドはきょうだいと番の境界をどのように区別したのだろう。彼に意見を求めてみたいところだが、自分なりの答えを導き出せなければ今後堂々とフロイドの隣に立てないような気がして聞くのは憚られた。かといって線引きが曖昧なまま決断をして大事なきょうだいとの関係が取り返しのつかない事態に陥るのはジェイドにとって最も恐ろしいことだ。だからこそ彼にたっぷりと考える時間をもらえるよう交渉したわけだった。
    そのフロイドはというと今日は完全にオフの日で、朝食の時に麓の街へ行って買い物をしてくるという話を聞いたがもう部屋には帰って来ているだろうか。ここのところジェイドは学業に加えてモストロ・ラウンジ関連の案件と副寮長としての仕事が忙しく、きょうだいと休みが重ならない日々が続いていた。寝起きしている部屋は同じなので毎日必ず顔を合わせてその日あったことを互いに話すことはできているが、なにせ二人は別々の部活や趣味も抱えている。仕事をする上での人員配置も、どうしても効率重視になるのでフロイドとポジションが被ることはそう多くない。時間はいくらあっても足りていなかった。そう思うと談話室でガラスの向こうの海をぼんやり眺めていることが急にとても勿体ない気がしてきて、こうしてはいられないと部屋に戻るためジェイドが踵を返そうとするのと談話室の扉が開いて不意に声をかけられるのはほぼ同時のことだった。

    「あ~~、ジェイドだぁ!こんなとこで何してんの?」

    気配には聡い方だと自負しているが、半身相手にはどうにも気が緩んでしまっていたらしい。オーバーサイズのシックな色のモッズコートに派手めなインナー、ダークカラーのジーンズを少しロールアップしてショート丈のワークブーツを合わせている、朝に披露してくれたおでかけスタイルのフロイドが喜色満面の笑顔で駆け寄ってきた。その顔を見られただけで先程までの悶々とした気分がスッと晴れていくようで、我ながら単純なものだとジェイドは内心自嘲した。

    「お帰りなさい、フロイド。ラウンジの仕事を終えて部屋に戻るところだったのですが、…少し考え事をしていました」
    「ふーん…そぉ。おつかれさま、ジェイド。晩ごはん作ってあげるから、部屋でゆっくりしてていいよー。メニューはオレが食いたいやつにしちゃうけどね」
    「おや、それは何がいただけるのかとても楽しみですね」

    フロイドが作る料理は相当調子の悪い時でなければ美味しいものばかりなので、ジェイドとしては何を作ってくれるにしても嬉しい申し出だ。昼の休憩を取ったのはスタッフの中でも一番最後だったので賄いをガッツリ食べてから三・四時間程しか経っていないが、燃費の悪いジェイドのお腹は早くも空腹を訴えている。そうと決まればシェフの気が変わらないうちにまずは部屋に戻って荷物を置きに行かなければ。フロイドを見ればなかなかの大荷物で、彼お気に入りの洋服店や靴屋のショッパーが幾つかと夕食のための食材、そして一際目を引くのは浮遊魔法をかけて運んでいる厚さ数センチの長机のような形をした謎の品物だ。部屋の扉くらいの大きさはあるだろうか。どこにもぶつけないように気遣っている様子を見るに壊れやすい物なのだろう。久々に街へショッピングに出掛けられて楽しかったのもあるのだろうが、それにしてもフロイドの機嫌はとてもよさそうに見える。フロイドから食材の入った袋と洋服のショッパーを預かり、自室に向かって移動しながらジェイドは厚手の段ボールのケースに包まれた中身のわからない物品にちらりと視線を移した。

    「なんだかとてもご機嫌ですね。その大きな荷物に秘密が?」

    話題を振るとフロイドは一層嬉しそうに瞳を輝かせた。彼はいつも相棒に自分の考えていることを当てられるのを喜ぶ。今日もジェイドは気まぐれな可愛いきょうだいの希望に見事沿うことができたようだ。上機嫌を全身で表すように軽やかな足取りで並んで廊下を進んでいた無邪気な片割れは、目尻の下がった甘い顔立ちをますます蕩けさせ、ジェイドの腕に自身のそれを絡ませて身を寄せた。

    「あはっ、やっぱわかっちゃう?あのねージェイドこの間、店でオレに絡んできた客横取りして談話室で“お話”した時にうっかり姿見壊しちゃったって言ってたじゃん」
    「ああ…横取りとは心外ですけれど。そうですね、あの方々は大変気が立っておられたようで、仕方なく相応の手段で対応せざるを得なくて…」
    「ンフフ~、そういうことにしといてあげるー」

    まるで恐ろしい目に遭わされたのは自分だったかのような困り顔を作ってジェイドはあの日ことを回想する。その様子を見てフロイドは同情を示すでもなくにんまりと含みのある笑みを浮かべた。
    談話室には寮生たちに身だしなみの確認を意識させるため出入口付近に姿見が設置されている。ハーツラビュル寮やポムフィオーレ寮よりは優しめかもしれないが、オクタヴィネル寮もモストロ・ラウンジに立つ際は特に服装の指導が細かく入る。中にはそんなことは全く意に介さない自由を体現しているような人魚もいるが、そういった寮生の方が数は少ない。最低限、ラウンジで働く時と教師や寮長副寮長の前では粗相のないように気を遣える分別のある生徒が大多数だ。そんな寮生たちのための姿見だが、ジェイドが先日の困ったお客様を制圧する際に注意が足りず破損してしまい、今は撤去されている状態だった。現場の証言を統制しやすく、オクタヴィネル寮のルールが及ぶ範囲内でけりをつけたかったので、ある程度の広さもある談話室に誘導したが損失をゼロにするには至らなかった。ラウンジのお高い備品でなかった分、鏡の損壊自体に関するアズールのお咎めは軽度で済んだが、被害は被害である。怖い顔をして「契約違反では?」とご機嫌斜めになる寮長をなんとか言い包めるのにジェイドが少しだけ手を焼いたのは記憶に新しい。結局、ジェイドとフロイドで補填可能なレベルのものであればこちらで損失を受け持つことで大目に見てもらえるよう話を付けたのだった。

    「でさ、アズールに『今回はそもそもの元凶であるあなたが損失を補填しなさい』って言われて、代わりのを見繕ってきたんだけど…」

    ご丁寧に幼馴染みの声真似をしてフロイドは今日街に出掛けることにしたあらましを簡単に話す。そうして壊れたものの代わりがこの大きな荷物だということらしい。しかしただアズールの指示に従って買い物をしてきただけで、平凡や退屈を好まない片割れがここまではしゃぐことはまずない。つまるところ彼の購入したこの姿見はそんじょそこらのありふれた物ではないということだ。興味深いネタの予感を察知してジェイドは普段あまり見せないようにしている凶悪そうな笑みを浮かべた。

    「ふふふ…どうやら良い買い物ができたご様子で」
    「うん、そーなの!麓の街で骨董市やっててそこで見つけたんだけど、なーんかこの鏡からヘンな気配がするでしょ?」

    廊下の真ん中で包装を開けてじっくり吟味するわけにはいかないので、ジェイドは歩きながら簡易的ではあるが意識を集中させて言われた通りに気配を探る。すると浮遊魔法を使っているフロイドのものの他に、何か別の魔力がそこはかとなく感じられた。アズールも交えて詳しく調べてみないことにはどういった魔法がかけられているのかわからないが、呪詛系や攻撃系の魔法のように特有の嫌な感覚は伝わってこない。その類の勘はジェイドよりもフロイドの方がより敏感に働くので、そちらの方面での心配はあまり必要ないだろう。しかしカウンター系や条件発動系の魔法である可能性も捨てきれない。解析が済むまでは油断しない方がよさそうだ。それに骨董市で見つけたという点がジェイドには引っ掛かった。出店の許可は正式に出ているのだろうが、そういった場では魔法の使えない人々の間で魔法道具がそれとは知られずに取引される例が時折あるのだ。鏡などいかにもと言うべき物だろう。ジェイドはまじまじと包装された姿見を眺める。

    「…はい、たしかに…。呪具などの明らかに悪質な品物ではないですが、何らかの魔法がかけられているようですね」
    「えへへ、よくわかんなくておもしろそーだよねぇ♪」

    正体のわからない魔力を宿した物を前にしているとは思えない明るい声音で、フロイドは無邪気に笑う。ジェイドは渦中の品から片割れへ視線を移して思わず瞠目した。魔法の掛かった出所不明の姿見に、つい警戒心が働いて柄にもなく深刻に捉えてしまっていたジェイドだったが、フロイドの屈託ない笑顔を見て肩の力がふっと抜けるのを感じた。隣のきょうだいは尚もあっけらかんとして朗らかに話を続けていく。

    「そんでー、さっきそのまま談話室にコレ置いてこようとしてたんだけど、やっぱアズールに一回見せとかないと怒られるかもしんねーって思ってさ。だからラウンジが閉店する頃に一緒に見てもらいに行こ、ジェイド」
    「ええ、勿論お供しますよ。僕もアズールの反応が気になりますし」

    考えてみればこの姿見から感じられる魔力はそう強いものではない。このくらいの魔力量なら出来ることも限られてくるだろう。それにアズールに魔法の鑑定を頼むつもりであるのならば余程のことがなければ間違いはない。
    元よりきな臭いものにあえて手を出す悪癖は二人とも似たり寄ったりなのだ。ジェイドもしばしば毒であると知りながら山で草花やキノコを採取し、栽培・観察・解剖・摂取など命の危険の及ばない範囲で研究することを部活の活動内容の一つにしているので、フロイドのことをとやかく言ったところで説得力は皆無である。双子にとって一番重要なのは、結果として自分たちの好奇の飢えを満たせるだけの愉悦が得られるかどうかということだ。それにはある程度危ない橋を渡った方がより快楽は大きいということを二人はよくよく知っている。今回の姿見も、ただ享受しているだけでは退屈な学生生活に少しの刺激を加えたいという程度の悪戯心に過ぎない。

    「…それにしても、貴方はまたよくわからない品を買ってきてしまって。これから何事も問題が起きなければいいのですけれど」

    口にしている言葉と浮かべている表情が完全に矛盾しているジェイドとお揃いの顔でフロイドはクスクスとせせら笑った。
    話している間に自室に辿り着いた双子は鍵を開けて住処へと滑り込む。フロイドはすぐさま今日購入した物たちを自分のベッド周りに無造作に置き、外套を脱いで自分の椅子の背凭れに引っ掛けた。そしてジェイドから食材の入った袋を受け取って、寮の共用キッチンで夕食の支度をするべく機嫌よく部屋を出て行った。


    *****


    食事と入浴を済ませた後、モストロ・ラウンジの閉店を見計らって、双子は寮長のもとに向かった。
    アズールの分析によると、鏡にかけられていた魔法は保護・強化系の一種で、鏡面を破損から守るためものだということらしい。わざわざ鏡にそのような魔法を掛けて定着させておくほどこの姿見を大切にしていた魔法士が歴代の持ち主の中にはいたようだ。額の部分も流線を中心とした緻密で美しい意匠が施されていてオクタヴィネル寮に相応しい気品が漂っている。装飾は画一的でなく細部にまで拘りを感じる仕事ぶりを見るに、おそらく職人の手作業によるものだろう。ただ、なかなかの年月を経ている品物なのか、姿見にかけられた保護魔法の効果で全体的に致命的な瑕疵はなく鏡面にも目立った傷みはないものの、額は無傷とはいかず所々ヒビや欠け、色褪せなどの経年劣化が見受けられた。フロイドは額がどうだろうが鏡として機能するなら気にすることはないのではという意見だったが、アズールに難色を示されたため、ジェイドが修繕と手入れを買って出ることで談話室に設置する許可が下り、一旦姿見を二人の部屋に持ち帰って来たところであった。

    「流石はアズール。解析はお手のものでしたね」
    「は〜あ…かけられてた魔法は面白味なくてガッカリだったなー」

    部屋に入って左手がフロイドの陣地だが、そちらには姿見を置けるだけのスペースはなさそうだ。ジェイドはウツボらしく縄張り意識が強いので、例えフロイドの私物であってもスペースを貸したりはしないが、今回は仕方なく自身のチェスト横の壁に鏡を立て掛けておく。手入れを終えれば談話室に置くためのものであるし、一時的に預かる分には陣地の問題は不問にすることにした。

    「よい品物だったことには違いありません。曰く付きでなかったのは残念でしたが、フロイドの目利きも素晴らしいですよ」

    ジェイドは額縁部分の劣化具合を精査し必要そうな道具を見立てながら、自慢のきょうだいの審美眼を褒め称える。陸の美術品に詳しいわけではないが、素人目に見てもこの姿見は立派な物に思えた。
    アズールが値段の探りを入れていたが驚くほど値が張るなどということもなく、精巧な作りのものにしては割安と言える価格だった。フロイドも安値が付けてあることを疑問に思って事情を聞いてみたと言う。売り主によると「近々古くなった家を引き払って引っ越しをするので、物置に眠っていた品を可能な限り売り出して家財を新調するための資金の一助にしつつ身軽にすることを優先しているから」だそうだ。骨董商を生業にしているわけでもなければ魔法士でもないらしい店主ならば納得の値付けだろう。
    しかし既に鏡への興味が失せてしまっているフロイドは眠そうに欠伸をしながら自分のベッドに仰向けに寝転がり、ぼんやりと天井を見上げていた。

    「鏡なんて映れば何でも一緒だし。そんなことよりアズールあっという間に魔法解析終わらせてきて超つまんない。ちょっとは手間取れっての」

    本人がそれを聞いていれば勝ち誇ったように嘲笑してきそうな文句を膨れっ面で垂れるフロイドにジェイドはくつくつと忍び笑いをする。
    支配人の命令に従って契約相手を妨害しに行くのも仕事のうちな二人だが、その何かと多忙な支配人に悪戯や意地悪を仕掛けて構ってもらえるよう仕向けるのも昔からお気に入りの遊びなのだ。折角学業からの営業を終えてそこそこ疲れているだろう頃合いを狙ってアズールを訪ねたというのに、今回の魔法の解析は卓越した魔法士の卵であり寮長を務める彼にとっては大した妨げにならず、双子揃って早々に追い返されてしまった。
    当てが外れて幼馴染みにたっぷり遊んでもらえなかったフロイドは行き場のない不平不満を持て余し、俯せに寝返りを打って四肢をバタバタさせ埃を立てる。見兼ねたジェイドは額の傷みの検分をひと段落させると、フロイドの傍に歩み寄ってベッドへ腰を下ろした。臍を曲げている片割れの頬にそっと触れ優しくさすって宥めてやりながら、気休めになるかわからないがアズールの代わりに話し相手を担う。

    「彼は僅かな手掛かりから因果を逆算するのがお得意ですし、その手の分野は特に強いですよね。先程の魔法解析学然り、錬金術や魔法薬学、召喚術と…それから料理も近しいところがあるでしょうか」
    「あー、ね。そもそも鏡に掛かってた魔法がタコちゃんにはカンタンすぎたかー」

    飛行術と体力育成は不得手としていても、座学は基本的に何でも熟せてしまい魔法の実践では精密な魔力コントロールに優れているアズールが相手では、よっぽど複雑だったりマイナーな術式でもなければ手間取らせることはできないだろう。それだけの才覚と実力を彼は弛まぬ努力によって身につけ、日々更新しているのだから驚嘆に値する。尽きることのない向上心が現在のアズールを形作り更なる成長をもたらしていて、彼ならば面白くて未知の世界をたくさん見せてくれるかもしれないとジェイドとフロイドはずっと期待を寄せてきた。そんなアズールにとっては先程二人が持ち込んだ姿見などなぞなぞにもなっていなかったかもしれない。しかも魔法なしの素手での喧嘩なら圧倒できるかと言えば、体力的には不安があるとしても蛸の人魚らしく筋力は双子よりも上なので一筋縄ではいかず、その場合も簡単に勝たせてもらえたためしがなかった。負けん気の強さも折紙付きなのだ。
    心地良い手つきで慰めるように側頭部を撫でてくれる兄弟の手に、自ら擦り寄ってフロイドはもっといっぱい触れるよう催促する。可愛らしい仕草で甘えてくる片割れにジェイドは笑みを深くして求められるがままに両手で顎の下や頭をたっぷり撫で回した。そうして少しの間楽しそうにジェイドの手にじゃれついていたフロイドだったが、大方満足できたのかきょうだいの左手を取り、握ったり摘まんだりして徐に弄りながらだらだらと今しがたの話を続ける。

    「ん~実験はいいけど、オレそういう決められた順序で理屈捏ねさせようとしてくる問題が出るテストはヤだなぁ…。アズールとジェイドはそれ系のばっかわりと得意じゃね?よくやるわ」
    「ええ、まあ…得意というよりは、おおよその順序が決められているからこそ法則性があって解答をパターン化しやすいといったところですかね」

    フロイドは証明問題や一問一答形式の問題が好きではないので、やりたくない時の筆記試験の点数は散々なものだった。理解できていないのではなく、教科書に書いてあるような当たり前のことを改めて記述させられる面白くもない行為が疎ましいのだ。教科書に答えが載っているのだから正解できて当然なのに、それをあえてテストする意味がフロイドには昔からよくわからなかった。決められた答えを書くのを嫌って自分の言葉で回答すると大概は邪道だと否定されるか、そもそも理解されないかで点数にならないことが多い。一方実技では材料や道具の制約はあれど、フロイドの強みである発想力やイマジネーションの力を存分に活かせるため、教師も驚かせるほどの成果を上げられることもあるが、やはりこれもその時の調子によりけりなのが玉に瑕なのだった。

    「とはいえ僕にはアズールほど幅広い知識はありませんので…何にしてもそれなりかと。飛行術なら僕の方がマシですが」
    「どっちもどっちで低空飛行だっての。でもたしかにジェイドはよくわかんねーことに興味偏りすぎ。キノコとかー、キノコとかー、雑草とかー、…部屋に持ち込まないなら好きにすればいいけどさ」
    「おやおや…世の中何が役に立つかはわからないものですよ。もしかしたら授業では教えられないような驚きの発見があるかもしれませんし」
    「どーなんだろうねー。ま、ジェイドの楽しみに口出すつもりはねぇよ。興味ないし」

    ジェイドはアズールと同じく飛行術だけは悲しい程に才能がない。飛ぶこと自体や高所が苦手なのではなく、急降下する感覚が怖くてなかなか高度を上げられないのだ。しかしその他の教科ならば地頭の良さを遺憾なく発揮して筆記・実技試験共に平均以上の点数を取り、マルチに安定した高評価を得ていた。中でもジェイドは理系の科目に強い。フロイドの言う通り興味を持つ分野には偏りが見られるが、好奇心と知識欲が旺盛なことと凝り性な性質とが相まって物事を探究する学問と相性がよいのだろう。また生きるために培われてきた観察眼に優れているため、勉学のみならずよく観察ができれば大抵のことは何でもそつなく成果を上げることができ、アズールの補佐役を務めるに足る高いスペックを備えているのだが、悪知恵がよく働くので配下に置くには扱いにくい人種だというのは幼馴染みの弁だ。

    「貴方の場合は、独自の感性と発想によるところが大きいので、よい結果を出してもそれが第三者の理解を得られるとは限らないのが僕としてはとても歯痒いです。フロイドと一緒に居るとこんなにも毎日が楽しいのに…」
    「アハハッ、それはただジェイドが変人なだけだってオレちゃんと知ってるし〜。そーゆーイカれてるとこ好きだけど」
    「ふふ、お褒めに与り光栄です」

    この双子は他人からの評価を全く気にしていない。
    ジェイドが優等生のような振りをして一定以上の成績を収め、副寮長まで務めているのは学校という閉鎖空間の中で最大限思うままに過ごすためにその立ち位置が何かと便利であり、退屈に日々を消費するのは御免被るだからだ。一方フロイドは地位による束縛も嫌うため、権力を駆使して幅を利かせるアズールとジェイドと同じようには振舞えない。そもそもフロイドにとっては周囲の人間からの評判や学校の成績はこれといった利用価値のないガラクタでしかなかった。なにせ自分の本質をよくわかっていてその上で受け入れてくれている者が二人も傍にいるのだから、それ以上は望まないし名前を呼ぶ気のない奴らからどのように思われていたところで何の関心も持てないのだ。
    天才肌のフロイドのことをジェイドが他人に自慢する言葉に嘘などないが、本気できょうだいの魅力を有象無象に知らしめたいと思っているわけではない。ただ、フロイドの真価を理解できぬ者が徒に彼を排斥し妨げようとすることが許せなかった。ジェイドにとってフロイドは唯一無二の『特別』であり世界のどんな宝よりも得難い存在なのだから。どれだけ奇人変人と言われようが、何のしがらみも憂いもなく楽しそうに笑っている片割れをすぐ傍でずっと見ていられるなら、ジェイドは世界中の誰にも共感されなくたって構わなかった。暗くて冷たい北の深海にあっても尚、恒星のように輝く彼が自分のパートナーとなってくれたあの時から、フロイドが周囲の環境のせいで何かを奪われることのないよう守る者でありたいと、精一杯出来ることを尽くしてきた。それが歪な偏執だと自覚していても、たった一人のかけがえのないきょうだいが誰にも脅かされることのないようにいてほしいと願って止まなかった。
    穏やかな笑顔を向けてくれるフロイドの一筋長いメッシュに、ジェイドは空いている右手でサラサラと指を通し感触を堪能する。その指の動きが擽ったかったのか、今日は少し甘えたな片割れはクスクスと笑い声を上げた。フロイドは腹這いになって肘を突きながら弄っていたジェイドの左手を取って自身の頬に寄せ、海で過ごす時とは違って温かいきょうだいの手に擦りつく。そしてベッドに腰掛けているその手の主をちらりと見上げ目を細めた。

    「…ジェイドと生き残れたから、オレは今日も息ができてるんだって思うよ」

    片割れにしか向けない心を許しきった微笑みを浮かべるフロイドの格別に柔らかい声に、ジェイドは心臓を一つ大きく跳ねさせた。纏う雰囲気が、声の響きが、近頃何度も思い出しているあの夜の、見惚れてしまうような艶やかさで歌を歌ってくれた彼を想起させるものだったから。ジェイドは何となく顔に熱が集中してくるような感覚に知らない振りをして、ぎこちなくも言葉を返す。

    「あの、フロイド。…ええと、変身薬がもうすぐ切れそう…だとかではない、ですよね…?」

    ジェイドらしからぬ間の抜けた返事に、フロイドは頬を膨らませて眉根を寄せた。
    ジェイドはフロイドが期日にきちんと変身薬を飲んだかを服用時間や体温、呼吸音などの細部に至るまで異変がないかどうか知りたがる。それ故にいちいち報告するのが面倒で、いつしか心配性な相方の見ている前で薬を飲むのが恒例になっていた。だからジェイドはおそらくフロイド本人よりその辺りの詳細を把握しているはずなのだ。
    フロイドは頬に添えさせていたジェイドの左手を解放し、次はベッドの上に乗り上げさせようときょうだいの腕を引いてリードする。

    「ちがーう、最近はちゃんと忘れずに飲んでるって知ってるでしょ!てかオレそろそろ眠くなってきちゃった。ジェイドも今日はもう仕事ないなら一緒に寝よ〜」
    「え、ええ…はい。…では、今日はもう休みましょうか」

    モストロ・ラウンジが閉店する時間まで待つ間に二人ともすっかり寝る支度を済ませてしまっていたので、ジェイドは片割れの誘いに乗ってそのままフロイドのベッドに上がる。フロイドは壁側に寄ってジェイドのためのスペースを空けながら適当に布団へ転がしていたマジカルペンを探り当てて一振りし、部屋の照明を落とした。そしてまたぞんざいにペンを放り投げようとするので、ジェイドはそれを受け取って失くさないように机の上へ置きベッドに身体を横たえる。するとフロイドはきょうだいにピッタリと身を寄せて手を繋いで、しっくりくる体勢を整え「おやすみ〜」と挨拶するなり目を閉じた。
    寮のベッドは双子が縦に収まる長さは保証してくれているが、横幅にたくさんは余裕がないので並んで収まろうとするとどうしても窮屈さがある。しかし海で生活していた頃はお互いに尾鰭を巻き付け、少しの隙間もないようにくっついて眠ることも少なくなかったため、二人にとっては狭さなど気になっていなかった。だというのに近頃のジェイドはフロイドのすぐ傍で眠ろうとするとどことなく落ち着かない、胸がそわそわするような気がして寝つくまでに多少苦労をしていた。
    番になってほしいと告げられ彼の歌を聴いてからというもの、一緒に眠る前は特にそれらの記憶を辿ってしまう。自分が片割れをどう思っていてこれからどうしたいと望んでいるのか、様々な感情が綯い交ぜになっていて一向に要領を得ない。まるで濁りきった沼の中に独り沈んでいっているみたいに、もがけばもがくほど深みに嵌って抜け出せないような感覚でいた。十数年ずっと一番近くで見てきているはずの己の半身の、知らなかった顔を目のあたりにして動揺を抑えられないでいるだけかもしれない。でもあの時、あの歌を歌っていたフロイドの表情はとても楽しそうで愛しそうで、そして恋しがっているようにジェイドには思えた。すぐ近くで彼の歌声を聴いていたのに、どうしてか互いがどこにいるのかわからないくらい遠く離れたところからフロイドに何度も名前を呼ばれているみたいに感じられて胸が締め付けられるようだった。それからずっとジェイドは声が出せず、彼が遠くから呼ぶ声に返事をすることができないでいるのだ。応えることが過ちなのか、応じないことが裏切りなのか、今のジェイドには予見できなくてただただ漠然とした重苦しさだけが胸の中に渦巻いていた。


    *****


    ラウンジと寮の仕事と学業の合間を縫っての作業だったので、ジェイドが姿見の修繕を終えたのは一週間程後のことだった。魔法も併用していればもう少し早く終えることも出来たのだが、元々かかっている保護魔法と反発する可能性があったので、今回は手作業中心で進めた。風合いを損なわないためや、繊細なディテールの損傷に対応するためにも、魔法はなるべく使わない方が良いと判断したのも理由の一つだ。最初はある程度古めかしさが目立たなくなるくらいにまで整えられればよしとしたところだとジェイドは考えていた。しかしやってみればなかなか楽しくなってくるもので、こんなところでもつい凝り性を発揮してしまい、気付けば結構な力作が完成していた。作業に集中している時は頭の中を空にできていたことも熱中してしまった一因だったのかもしれない。その間、フロイドは興味を失った鏡の補修を手伝いこそしなかったが、仕事の雑務や衣類の洗濯などをジェイドの分まで片付け、作業時間の確保に協力することで免除すると話をつけていた。そしてアズールから「いや、誰がここまでやれと言った?」という出来栄えに対する褒め言葉も与って、無事に姿見は談話室へ飾られる運びになったのだった。

    ───それから数日後のこと。

    フロイドが次の占星術の授業を受けようかサボろうか考えつつ、廊下の窓から外を眺めて天気と相談していると、多くの小魚たちの足音の中に聞き慣れた忙しない靴音がこちらへ近づいてくるのを感じ取った。空を見つめていた視線を思い描いている人物の方へ移しながら、次の授業はサボらせてもらえないだろうなと気を重たくする。案の定、足音の主は我らがオクタヴィネル寮長たるアズールで、小脇には音楽の教材と筆記具を抱えていてフロイドは少しだけ羨ましく思った。
    窓際の壁に背を預けて両手をポケットに突っ込み、やる気の感じられない面持ちで音楽の教科書を凝視してくるフロイドに、アズールはやれやれと小さく溜息を吐く。音楽室への移動ついでにフロイドの教室を覗くとそこに目当ての人物は居らず、話は後に回すしかないかと思っていたがここで偶然会えたのは僥倖だった。しかしいざ顔を合わせるとなんと締まりのない表情だろうか。機嫌が悪いわけではなさそうだが、両の瞳からは空虚が滲んでいてフロイドが何を考えていたかがアズールには手に取るように察せられた。

    「やる気が出なくても授業をサボることは許しません。最低限、席に着いて机に教材は出していなさい」
    「うへぇ〜。…秒でバレんじゃん…」
    「当たり前ですよ。あなたのそんな顔を見ればすぐにわかりますとも」
    「…だよねぇ。で、そーゆーアズールは何か用?わざわざオレに小言言いに来たんじゃないでしょ」

    ゆるりと口角を上げながらフロイドは壁から二本の尾鰭に重心を移し、身体ごとアズールの方へ向き直る。思考回路が筒抜けなのはお互い様なのだ。他の生徒の模範たる寮長は余程のことがない限りどんなにつまらない授業でも健気に出席する。つまり今アズールに許されている時間はそう多くはないはずだ。そのことをよくわかっているフロイドはすぐに本題に入れるよう促した。

    「ええ、勿論。フロイド、あなた昨日はシフト入っていませんでしたよね。忘れ物を取りに行ったりだとか、少しでもラウンジに寄りましたか?」

    思い掛けない質問にフロイドは目を丸くしてパチパチと瞬きする。何か押し付けたいモストロ・ラウンジの仕事でもあるのかと思いきや、いまいちピンとこない問いを投げかけられて、こてんと小さく首を傾げる。

    「ううん、全然行ってないけど。てか放課後はオレ部活行くって昨日の昼飯のときに話したじゃん。その後はカニちゃんと飯食ってー、寮戻ってシャワー浴びて、ジェイドが帰ってくるまで部屋でゴロゴロしてたかな」
    「……なるほど…そうですか。…やはり、あれは…違う、……。いや、…それにしても……」

    フロイドの返答を受けてアズールは僅かに眉を顰め、右手で口元に触れポツポツと何事か呟きながら長考する。フロイドが嘘をついているとは思っていないようだが、どこか合点がいっていない表情を作るとアズールはすっかり閉口してしまった。暫くは幼馴染みの様子を黙って窺っていたフロイドも何やら常とは違う空気を感じ、そわそわと落ち着きなく左右に上半身を揺らして先程まで擦り硝子のようにくすませていた瞳を、打って変わってキラキラと輝かせた。その双眸に灯る光をアズールはじっとりと牽制するように見つめ返す。

    「なになに、どしたの?ヤバそうなこと?」
    「どうでしょうね。今ははっきりしたことは言えない段階ですので、一先ずお気になさらず。では、僕はこれで」

    素気なくフロイドの横をすり抜けてアズールは音楽室へ向かおうとする。
    たしかに休み時間はあまり長くないが、今すぐに話を切り上げなければならないほど余裕がないわけではないはずだ。ということはもうこれ以上、中途半端な情報をこの愉快犯に与えて面倒な事態へ発展させたくないということだろう。だとしても、フロイドに直接昨日の行動を確認しに来てしまったのは悪手だった。アズールから思わせぶりなことを聞かされてこのまま見逃してあげるほど海のギャングは行儀も性格もよくはないのだ。

    「えーっ、なにそれ!んなこと言われたらすっげー気になるじゃん!教えてよ~」

    足早にその場を去って行こうとするアズールにフロイドは大股の数歩で簡単に追いついて、ブレザーの裾を摘まんでしつこくグイグイと引っ張る。十数メートル進むうちは無視を貫き通していたアズールだったが、音楽室まで着いて来そうな勢いで縋り付いてくる大きな幼児が諦めてくれる気配は全くない。その間「ねえねえ、アズール~!」だの「おねがいー!」だの大きな声で騒ぎ立ててきて通行人の注目を否応なく集めるのだから居心地が悪い。教師たちの間では良識があるという体で通しているオクタヴィネルの寮生としてこの状況は望ましいものではなかった。フロイドをこのまま放っておいて機嫌を損ね往来で駄々を捏ねられるのも、この後自分の邪魔をされ続けるのも煩わしく思えてきたアズールはピタリと歩みを止めて嘆息する。

    「ああもうっ…服を引っ張るな!わかりましたよ!でも、あまり真に受けずに聞いてくださいね。それと、この話を聞いたら教室に戻ってちゃんと授業を受けること」
    「オッケー。それで?」

    急に足を止められたにも係わらずフロイドはたたらを踏みもせず、アズールに合わせてぴったり停止し、要求が受け入れられたことにニッとご満悦の表情だ。アズールは疎ましげにその期待に胸を膨らませてニヤついた顔を見上げてから、再び立ち話をするため廊下の端にフロイドの背を押して退避する。壁際に二人して身を寄せたところでアズールは軽く咳払いをして少々躊躇いがちに話を切り出した。

    「…実は、昨晩ラウンジのバックヤード付近で遠目だったのですが、フロイドらしき姿を見かけたんですよ。それも僕だけではなく他の従業員からもスタッフルームに向かう後ろ姿を見ただとか複数の目撃証言がありまして…。ジェイドには別の仕事を頼んでいて街へ外出させていましたし戻ってきたのは閉店時間の頃でしたので、あなたたちを見間違えた可能性は低い。なので念のために確認してみたという次第です」

    小魚たちの言うことはさておき、そもそもアズールがジェイドとフロイドを見間違えることはまずない。交流し始めたミドルスクールの頃ならいざ知らず、今となっては偶の気まぐれで双子が入れ替わって遊んでいたとしても、どこでどう見分けているのかアズールを騙すことは難しくなってきていた。そんな幼馴染みを少しでも惑わすくらいには特徴を捉えていたとすると、それは只者ではないかもしれない。魔法による企みか、はたまたゴーストの悪戯か。いずれにしてもそれがモストロ・ラウンジで一生懸命に働きすぎた憐れなスタッフたちの集団幻覚でないとすれば、フロイドの姿を模してオクタヴィネル寮内を闊歩するとは良い度胸をした奴がいたものだ。
    フロイドは腕を組んでニターっと不穏さを隠さない笑みを浮かべた。

    「へぇ…いいね~。ちょこっと面白そうなこと起きてんじゃん」
    「あなたならそう言うと思いました。…ハァ…」

    フロイドに擬態したのは何故だろうか。
    双子のわかりやすくヤバい方に逆らう生徒は多くないとはいえ、寮内での権限を活用するには微妙な立ち位置の存在だ。かといって隠密で何事かを仕掛けるにはあまりにも目立ちすぎる。ジェイドや小魚の誰かに化ける方がよっぽど効率がいいような気がするのに、とフロイドは純粋に疑問に思った。アズールもまた今は目的に見当がついていないらしく、自身の支配領域に得体の知れない何かが紛れ込んでいるかもしれないことが不愉快で、苦虫を噛み潰したような表情をしている。

    「…ともあれ、複数証言があったと言っても所詮寮内でのことですし、現場付近を見回りましたが昨日は特に実害や魔法の痕跡は確認できませんでした。現状では不明な点が多すぎる。問題として取り上げるには尚早ですから、今のところ心に留めていただくだけで結構ですよ。ジェイドには僕が話をしますので…」
    「要は独断専行をするなってことでしょ。ココロには留めとくよ」

    もう片方のきょうだいとお揃いの怪しい微笑みと物言いにアズールは思わず眉間を押さえた。
    今のところ双子は基本的にアズールの言いつけには背かないが、それよりももっと面白くなりそうなことを思いつかれてしまえば、いとも容易く指示を反故にし兼ねない。出会った時からこの二人はそういうスタンスなのだ。フロイドもジェイドも正確にアズールの意図を汲んではくれるものの、それを忠実に守るかどうかは本人たちの裁量に任されているところがある。隷属させたいわけではなく、あくまでも対等で良好な協力関係であることが望ましいため、アズールはこの間柄に概ね不満を持っているわけではない。しかし寮の運営に関わることなら話は違ってくる。この学園のオクタヴィネル寮に属している生徒としてであれば、寮長命令には極力従ってもらわなくては困るというものだ。ジェイドの方には一応役職の縛りが付いていても、寮長であり主人である同級生の手に噛み付かんばかりの副寮長で従者のクラスメイトを知っているので、その看板だっておまじない程度のものでしかないだろうと思うとアズールの気は滅入るばかりだった。

    「……やっぱり、まだお前に話すべきじゃなかった。これに乗じて妙な悪戯を仕掛けて攪乱するのはやめてくださいね。何かあれば必ず僕に報告するように。利益のない厄介事はご免ですよ」
    「は~いはい。…じゃ、オレ教室戻るわ」

    いかほどの効果があるかなど知れたことではないが、アズールは駄目押しとばかりに苦言を呈する。それに対してフロイドは気の抜けた返事をすると、アズールに背を向けてひらりと片手を振り、二年生の教室がある方向へ足を伸ばし雑踏の中に消えていった。とりあえず先程した授業を受けるという約束は果たされるらしい。
    自寮きっての問題児の背中を見送ったアズールは、ふと自身が移動教室の最中だったことを思い出し手早くスマホで時間を確認する。すると液晶には本鈴まであと五分ほどにまで迫った時刻が表示され小さく舌打ちをした。あの双子のどちらとでも話をするとどうにもペースを乱されたように感じて気持ちがささくれる。スマホをポケットに押し込みながら、アズールは小走り気味に音楽室へと向かった。


    そしてフロイドがアズールから寮内の不審者情報を聞いてから三日が過ぎた。

    ジェイドにも寮長直々にお達しがあり、当分は疑惑が確信になるような予兆を掴むまで、こちらが過剰に動いて相手を刺激することは避ける方針を取ると念を押された。複数人の目撃証言があっても、具体的に害意を感じる行動や何らかの魔力痕などの証拠が出てこない限りは仕方のない措置と言えるだろう。アズールもじれったそうにしていたが、この目的も正体も不明のただ怪しいだけの影にかまけていられるほど寮長のポジションは暇ではない。最初のうちは取り立てに行ったことのある債務者を中心に、きょうだいの間で犯人予想をして少しだけ盛り上がったのだが、モストロ・ラウンジでの一件以降はこれといった動きも気配すらも窺わせてこないネズミのことなど、すっかり忘れ去りそうになっている頃合いだった。

    その晩、フロイドは放課後のラウンジでの給仕を終え、寝支度を調えて部屋で片割れの帰りを待っていた。モストロ・ラウンジの仕事は超過労働させない主義のアズールだが、ジェイドは副寮長として寮長の補佐役も請け負っているので、ちょっとした面倒事から細々とした雑務まで色んな仕事を割り振られる。今宵もラウンジの営業終了後に片付けなければならない雑事があるらしく、相方をVIPルームに残してフロイドは先に自室へ戻っていたのだ。
    ベッドの上で壁に背を預け寛ぎながらスマホを弄っていると、部屋のドアノブが静かに動く音にきょうだいの帰宅を知らされ、画面から顔を上げて部屋の入口に視線を遣った。

    「おかえり~、ジェイド」
    「………はい、ただいま戻りました。フロイド」

    帰ってくるなりフロイドの顔を凝視したジェイドは、不自然な間を挟んでいつもの微笑みを浮かべ後ろ手に扉を閉めた。すぐに只ならぬ雰囲気を感じたフロイドは訝しんで片割れを注意深く観察する。

    「え、なに?ヘンな顔しちゃって…」
    「いえ…。ええと……疲れ、ですかね?」
    「……へー」

    ジェイドは明らかに適当な受け答えをしながらキャビネットを開けて部屋着を取り出し、綺麗に整えられているベッドの上へ置いて、寮服のハットを取った。
    その間、別事を考えて上の空な様子のきょうだいをフロイドは少し眉を寄せてその一挙手一投足をじっと注視する。時刻は十一時を回っていて、平常時よりは戻りが遅い。何かあったに違いないというのに相変わらず迂曲な態度を取るジェイドにフロイドは呆れながらもすぐに核心に迫るのはグッと堪えて、まずは一歩引いた話題から入ることにした。

    「…てか妙に遅かったじゃん。アズールにエゲツない無茶振りでもされてたの?」
    「いいえ、それは大したことありませんでしたよ。…あの、フロイドは閉店作業の後、…その…僕のところに来たりしました?」

    寮章の入ったマフラーを畳みジャケットの皺を軽く伸ばしてハンガーに掛けながら、ジェイドは歯切れ悪く尋ねる。数日前にも似たようなニュアンスの質問を受けたフロイドの頭にはすぐさま幼馴染みから聞き齧った話が過った。ついに尻尾を出す気になったのか、今度はジェイドの前に姿を現したらしい。さて、今回は何か目立った動きを見せてくれただろうか。フロイドはスマホを枕元に置いて、VIPルームで二人と別れてからの自身の行動を一つずつ思い出しつつ、口に出してなぞっていく。

    「いや、行ってねーよ。ラウンジ閉めて、シャワー浴びに行ったら、あったかいもの飲みたくなったから寮のキッチンに寄って、部屋戻ったわ。ジェイドは今から宿題やるかなーって思ってついでに軽い夜食も作ってたけど、シャワーから部屋に戻るまで一時間くらいってとこだったんじゃね」

    白い手袋を外してボウタイを解き、続いてサスペンダーとカマーバンドも外しながら静かに耳を傾けているジェイドはフロイドに背を向けていて、その表情を窺い知ることはできない。しかし今、彼がどんな顔をしているのかなど、生まれてこの方共に生きてきた相棒にとっては想像に難くないというものだ。
    ジェイドは服飾品を失くしてしまわないよう几帳面に入れ物に纏めながら、いつもと変わらぬ落ち着き払った声色で応答する。

    「そうでしたか…お心遣い感謝します。お察しの通り小腹が空いてまして、このままでは勉強に集中できなさそうでしたので助かります」
    「今そういうのいいから。ね、…見たんでしょ?」

    何をとは言わなかったが、フロイドの隠す気のない好奇で言葉尻が弾む問いに、ジェイドは小物入れの蓋を閉じたところでぴたりと静止する。暫くの沈黙の後、ゆっくり振り返って漸くこちらを向いてくれた最愛のきょうだいは、フロイドが想像していたより二割増しくらいに物騒な笑顔を貼り付けていた。もしもその辺の生徒がジェイドのこんな顔を見てしまったとしたらさぞかし夢見が悪くなることだろう。

    「…はい。なんだか、変な気分です……不愉快だ」
    「あっは、ジェイド顔やば~。オレまだ二人から話しか聞けてないんだよなぁ。ふふ、どんなヤツなんだろ。そんなに似てんのかなー」
    「あまり認めたくはありませんが、精度の高い擬態だったかと。僕もアズールと同じく、先程は遠目にしか見ることができませんでしたけれども」

    ジェイドの話によると、ついさっき見かけたフロイドの姿をした何かはモストロ・ラウンジを出てすぐの寮へと繋がる渡り廊下にぽつんと立っていたらしい。アズールの仕事の手伝いと雑談を含めてVIPルームには四十分ほど滞在していたのに、その時見かけたフロイドは未だに寮服のままだったのが最初の違和感だった。ジェイドもその時すぐに不審な目撃情報のことを思い出し、一本道の渡り廊下の数十メートル程先の方に佇む者に詳しく“お話”を伺うために捕まえようと大きく一歩踏み出すと、ソレは悪さをする時のフロイドによく似た笑みを浮かべると走って逃げて行ったのだそうだ。当然ジェイドにはそいつをそのまま逃がしてやる気などさらさらなかったので直ちにその後を追った。しかし驚くべきはその逃げ足の速さで、まるで本物のフロイドを追いかけているかのような感覚すらジェイドは覚えた。それでもなんとか見失わないようについて行けていたのだが、何度か寮内の角を曲がったところで急に姿が消えてしまったのだという。それはまるでゴーストに化かされたかの様に突然のことで、ジェイドは何が起こったのかわからず驚かされたが、すかさず周辺の見回りをしながら魔力源の探査を行った。だというのに忽然と消えた犯人も、犯人に繋がりそうな手掛かりも何一つ見つけることができなかったので、部屋で待っているだろう本物のフロイドの様子を確認するために一度自室へ戻ってきたということだった。
    ここまでの経緯を話し終えるとジェイドは一息つき、右手を顎に添えて沈黙する。フロイドもタコちゃんのぬいぐるみを手慰みにモチモチと両手で捏ねながら暫し思考に浸った。

    「……考えにくいですが、万が一にでも“あの子たち”の仕業ということはあり得るでしょうか?」

    謎の影を直接目にしたジェイドとしては、幽霊が一番印象として近しいものを感じたらしく、今はもうおいそれと会うことのできない嘗てのきょうだいたちを連想する。
    死人に口なしなので真意はわからないが、彼らは生き残った二人を自分たちと同じ世界に招きたいからなのか、単に暇を持て余していて一緒に遊びたいからなのか、今回のようにどこかに誘い出そうとしているような動きを見せてくることがあった。とはいってもその誘いに乗ったせいでジェイドとフロイドが恐ろしい目に遭った経験はないし、彼らがアズールや不特定多数の他人の前にまで姿を現したということも今までにはない。第一、彼らに会ったことがあるのは故郷の海でのことだった。ジェイド自身も感じている通り、ここで遭遇するのも全くあり得ない話ではないのかもしれないが、それにしては何か引っ掛かるものを感じるのも事実だ。
    フロイドはぬいぐるみを抱きしめ顎を乗せて、眉間に皺を寄せて小さく唸った。

    「んー、やっぱ違うんじゃねーの。アイツらハロウィンの時期にしかコッチに干渉できねぇ雑魚ばっかじゃん。まー、ちょっかいの掛け方がそれっぽくはあるけど」
    「ですよね。例えば降霊術を使われたと仮定しても、対象の遺物がなければ成功率は格段に落ちるはず。彼らの触媒になり得るものなら今頃は海の藻屑ですし…。そもそも学園内でその方面に精通している実力者となるとかなり限られる上に、このような行動に出る動機も薄い方々ばかりです」
    「降霊術じゃなければ幻術魔法かもね。そっちの方がコスト少なくてお手軽だもん」

    第一、死霊に関する魔法は禁忌に分類されているものが多く、学び舎の中にあってそのような魔法を行使するのはリスクが高過ぎる。世界の理に干渉するための煩雑な下準備と術者自身に相応の力量が求められる大仰さにしては、仕出かされていることがくだらないと思わざるを得ない。または完全に他人に成り代わる類の魔法や変身薬も存在するにはするのだがそれも考え難かった。死霊魔術と同じくらい難易度が高く、一般人には気軽に手出しができない危険な代物なので多用するのは現実的でないからだ。
    リーチ家に楯突く外部犯の可能性についてはナイトレイブンカレッジの面目が懸かっているので名門校のセキュリティーを信用するとして、二人とも現時点では考慮しないことにした。
    降霊術でないとするならジェイドもフロイドも思い当たるものといえば、あとは認識阻害魔法や投影魔法などの知覚に作用する幻術系の魔法しかない。

    「…まだ相手の目的がわかんねーけどさ、ソイツが用事あるのは明らかにオレら三人の中の誰かにか、三人ともにだと思ってよさそうだよな」
    「ええ、僕も同意見です。実家の事情が関係なさそうであれば、この案件について大筋の判断は寮長さんに丸投げ…失礼、指示を仰ぐということでよろしいでしょうか」
    「いいんじゃね?何かあったら絶対知らせろってリョウチョウサンも言ってたしー、あはっ」
    「はい、ではその様に。…一体どのようなご用件がおありの方なのか、今後の出方が楽しみですね。ふふふ…」

    偽物のフロイドなどという不快なものを見せられて気が立っていたジェイドも、本物の片割れと話をしているうちに徐々に落ち着いてきたのかいつもの調子を取り戻しつつあった。今回は何故だか双子の論外の方に擬態されているが、もしそれが逆だったとしたら、場合によっては先程のジェイドよりもブチ切れて大暴れしていたかもしれないとフロイドは思う。
    手段はいくつか思い当たるものの、いくら考えてみたところで見当もつかないのは犯人の最終的な狙いだ。こちらに尻尾を掴ませない手腕は見事なものであるが、フロイドに化けてアズールとジェイドの前に現れたのみで何がしたいのかが一向に見えて来ない。モストロ・ラウンジへの物的被害はなかったし、今日も逃走するばかりで攻撃魔法を仕掛けられたりという人的被害もなく薄気味悪さしか残らない。犯人像が全く浮かばず、調べようにも取っ掛かりすら手元にはないのが現状だ。
    ジェイドは少し悩んでフロイドの方に向き直った。

    「フロイド。念のためもう一度、寮の建物内の見回りと大まかな魔力探知を手伝っていただけませんか。火急に対処が必要な事態でなければアズールには明朝、今夜の出来事も含めて調査結果を報告することにしましょう」

    オクタヴィネル寮生の内部犯または共犯かもしれないが、他寮生が犯人だったなら、もしかするとまだ寮内に潜伏していて完全に人通りがなくなるのを待って脱出を図ろうとしていたり、何らかのトラップを仕掛けようとしたりしていることも考えられる。偽のフロイドに出くわした時点でジェイドは周辺を一通り調べはしたが、一旦自室に引き上げたことで相手に時間を与えてしまったし、見落としがあったかもしれないので念には念を入れておきたかった。
    フロイドはマジカルペンを毛布の海からゴソゴソと探し当て、スウェットのポケットにスマホを突っ込んでベッドから立ち上がる。

    「りょーかい。ソッコーで終わらせてさっさと寝よっか。あ、ちなみに今日の夜食はホットサンドだから食べながら見回りできちゃうよー?」

    今後の方針についての話し合いも一段落ついたところで食べ物の話を切り出され、ジェイドは燃費の悪い自身の腹具合のことを思い出してしまって、共生している体内の獣が短く唸り声を上げるのを止められなかった。それが聞こえたフロイドは可笑しそうにニコニコとしながら、ラップと保温魔法を掛けてジェイドの机の上に置いておいた皿を指さす。ジェイドはその指が示す先を目で追うと、こんがり焼けた食パンの香ばしい匂いと間からはみ出しているチーズが抗うことのできない魅力を放っていた。フロイドのホットサンドは残り物が適当に放り込まれるので中身は少々賭けだが、チーズがあれば大概の具の調和は保たれるはずなので今回の夜食は期待しても良さそうだ。ラウンジでの給仕と寮の処務を終えたところでのもう一仕事なのでエネルギーの補給があるに越したことはない。ジェイドははにかんで困り笑いをしつつ片手で腹部を軽く撫でた。

    「少々お行儀が悪いですれど、僕も貴方の作ってくださった夜食を早く食べたいですし…そうしましょう。遠慮なくいただきますね」
    「はぁい、召し上がれー。じゃあオレちゃちゃっと下の方から見てくんね」
    「では僕は上階から巡回を。…フロイド、ありがとうございます」

    その声にフロイドは肩越しに振り向いてニッと微笑み、一足先に部屋を後にして行った。
    ジェイドは頼り甲斐のあるきょうだいの背中を見送って、自身もそれに続こうと夜食の具沢山なホットサンドを片手に自室を出る。あとは寝るばかりだった相棒を駆り出してまでの調査なのだから、少しでも何か手掛かりが掴めるといいのだがと小さく息を吐いた。一日を終えて全体が静まり返りつつある寮の廊下を進み上の階を目指す。歩きながら齧るフロイドが作ってくれたホットサンドの中身はたっぷりの野菜とチーズ、そしてチキンが入っていて夜食にはぴったりだった。


    *****


    「昨晩の概要は承知しました。二人ともご苦労様です」

    大食堂でジェイドとフロイドの対面の席に座り、朝食を取るアズールは二人の報告を聞きながらサラダとミネストローネと数切れのバゲットを完食して食後の紅茶をゆっくりと飲んでいた。紅茶からゆらゆらと立ち上る湯気を眺めてじっと考えを巡らせる。沈思するアズールが結論を纏めるまで、ジェイドは報告しながら食べ進めていた元は一人前どころではなかった量の朝食の残りを全て平らげるのに専念することにした。フロイドはというとミックスサンドイッチを摘まんでいたのだが、食べたい具のものを腹に収めたら途中で飽きてしまったらしく片割れに食べかけを押し付け、自身はストローを銜えてちびちびとオレンジジュースを口にしている。
    結論から言って、双子は昨夜の見回りで犯人に繋がりそうな情報や物証を得ることは出来なかった。警戒状態のウツボ達が敵の害意を察知できないケースは少ない。相手が二人以上にやり手であるか、それが悪意から来る行動ではなかった場合くらいなものだろう。後者ならば随分と暇な奴がいたものだと思う他ないが、前者であれば厄介な相手だと認識せざるを得ない。
    アズールは温かいうちに紅茶を飲み干して空になったカップをソーサーに置いた。取手から外した指がトントンと一定のリズムで卓を打つ。一つ長めに息を吐いて眼鏡のブリッジを指で押し上げると、ジェイドとフロイドを見据えあまり気が進まない様子で口を開いた。

    「差し当たっての対処ですが…不満でしょうけどフロイドは暫く単独行動を避けるのが賢明です。今のところ偽物の姿は寮内でしか見ていないとはいえ、いつ行動範囲を広げられても不思議ではありません。いざという時、あなたの潔白を証明できる人物を用意して保険を掛けておくべきだと思います」
    「うげっ…!……それって、マジで言ってる…?」

    朝食を食べ終えても未だに眠そうに頬杖を突いて欠伸をしていたフロイドは、個人の自由を制限する提言をされてくっきり二重の垂れ目をいっぱいに見開き、げんなりして不機嫌に表情を歪めた。しかしフロイドが機嫌を損ねて威嚇しようが萎縮するような相手ではなく、アズールは眉ひとつ動かさず無慈悲に視線を返してくるのみだ。無言が先程の言葉が冗談ではないということを如実に物語っていた。フロイドはへの字に口を引き結び困り眉を作って助け舟を求めるため、隣に座る相方をじーっと見つめて訴えかける。
    勿論ジェイドは片割れが何と言って欲しいと思っているのかを分かっているのだが、アズールが危惧していることも理解できてしまって、此度は可愛いきょうだいの我儘の全てを聞いてあげるわけにはいかなかった。何より不躾にも半身を騙って何事かを企てている者の思い通りにさせてやることが癇に障る。手っ取り早く犯人の計画を崩したいなら、フロイドのアリバイを確実に成立させておくのが一番の防御策と言えるだろう。少しだけ考える素振りをしてからジェイドは自分の考えを述べる。

    「…たしかに、アズールの仰る通りでしょう。手始めに僕たちの前に現れた意図は謎ですが、フロイドの姿を借りて何らかの事件を起こすことによって本人または寮へ風評被害を加えようとしている…と考えるのが、現状では妥当な推測ですから」

    フロイドはジェイドが自分ではなくアズールの肩を持ったことであからさまに気分を下げ、だるんと食卓に突っ伏した。対してアズールの方は珍しく至極真っ当なジェイドの賛成意見に対し小さく首肯する。少々旗色が悪いと踏んだフロイドは大きく溜め息を吐いて緩慢に上半身を起こし、ジェイドの肩に頭を乗せて不貞腐れた顔はするも、作戦会議の席を立つことはなんとか思い留まった。このまま二人に成り行きを任せてしまっては己の望まない話の流れにされるかもしれない。こうなってしまってはフロイドのやることは一つで、出来るだけ我を通すためにひたすら口を挟むのに努めることにした。

    「…つっても、素行でオレに下げられる評価が残ってるとは思えねーし。アズールの足を引っ張ってやりたいヤツの仕業かなぁ。…あー、ウッザ…」

    フロイドは吐き捨てるように悪態をついて、苛々する気持ちのままに片足を揺する。
    アズールの寮長としての統治能力を糾弾するためにフロイドを出しにしようとしている程度のことであれば丸め込むことは可能であるし、そもそも賢しい彼には他人の助けなど必要ないレベルの案件だろう。ジェイドが懸念しているのは犯人がフロイドの客である場合の方だった。たしかに本人が自覚している通り、教師からも生徒からも既に評判は良いものとは言えない。だが個人を社会的に殺し尽くす方法などそれこそ幾らでも思い付くものだ。仮に怨恨が動機だったとしてどこまで喧嘩を売ってくるかはその根深さにも依るだろうし、フロイドが黙って罠に嵌るほどお人好しではないということはジェイドもアズールも当然分かっている。だとしても今フロイドを完全に単独で動かせるのが得策でないことは明白だった。オクタヴィネル寮の最たる問題児を貶め、それを足掛かりに悪徳商人までも仕留めにかかろうと画策していることだって十分に考えられる。あまり楽観するべきではない状況だと納得してもらうためジェイドは困ったように微笑みながら片割れを諭す。

    「アズールを失脚させることが目的でしたら可愛いものなのですが…。極端な話、例えば犯人がフロイドへ個人的に強い恨みを持った方だとすれば、学園のどなたかを殺傷し罪を着せて退学または投獄しようと考えることだってなきにしも非ずですよ」
    「ハッ…もしそれくらいやっちゃう気概のある相手だったら、ちょっとは遊び甲斐がありそーなんだけど。ねぇ?ジェイド」
    「おやおや、フロイドったら。…ふふ」

    予想はしていたが大仰な言い方をしても、挑発的に鼻で笑い飛ばせてしまう相方がいつもながらに頼もしくて、ついジェイドは釣られて笑みを零す。口では道理を弁えているような発言をしていても、腹の底ではジェイドもそういった手合いを完膚なきまでに返り討ちにするのは面白そうだなどと考えていたことがフロイドには悟られていたらしい。
    仲良く顔を寄せ合ってクスクスと不吉な笑い声を漏らす双子を、アズールは険しい表情で睨み付ける。いつになくジェイドが素直に物分かりの良いことを言うので一瞬油断してしまったが、やはりこのウツボたちは嫌になる程よく似ている。特に性根の捻じ曲がり方がだ。こめかみを押さえて軽く頭を振り、アズールはあらぬ方向へ向かいそうな話題の軌道修正を図る。

    「軽口はその辺になさい。お前たちが常日頃から退屈していることは分かっていますが、犯人の思惑に一から十まで嵌ってやる義理はありませんので、くれぐれも軽率な行動は慎むように」

    すかさず念押ししてくるアズールにジェイドとフロイドは返事の代わりににっこりとお揃いの行儀が良い笑顔を向けて口を噤んだ。アズール自身も各方面から胡散臭いと散々言われ続けてきているが、この二人だってそれに比肩すると言って差し支えないのではと考えてしまう。大多数の生徒達からしたら同じ穴の狢というやつなのだが。
    各々の教室へ解散する前に決着をつけておくべき事柄をうやむやにされないよう、アズールは空咳を一つして難題に取り組むべく改めて先刻の提言を繰り返す。

    「ジェイドの言う例は考え得る可能性の一つに過ぎませんが、どんな形であれうちに無用な火の粉が降りかからないよう、予め警戒はしておきたい。ですから、授業には必ず出席して放課後だけでなく休み時間も極力一人にはならないようになさい。…と言っても、あなたが律儀にこれを守ってくれるとは思えませんが…」
    「あっは、わかってんじゃん。濡れ衣着せられたくないからってずっと小魚と群れてるなんてぜーったいヤダね」

    わかりきっていた返答とはいえ、このままではいつまで経っても平行線になるであろう議題にどうしたものかとアズールは憂鬱な気持ちのままに長嘆する。この措置はあくまでも念のための予防策に過ぎず現況では切羽詰まっているというほど深刻でもないので、フロイドに対して強く出過ぎると逆効果になることが想定され、これ以上言葉を重ねるのは躊躇われた。とはいえそれでも何らかの手は回しておきたいアズールは、腕を組んで難しい顔で閉口する。頭を捻りつつ、さながら首輪を嫌がる猫に有事に備えて鈴を付けようとしているようだと思った。
    そんな手を焼いている様子のアズールをジェイドは少しの間静観していたが、左肩に凭れ掛かるきょうだいの前髪をサラリと右手でひと撫でして自身と鏡合わせのオリーブとゴールドをそっと見つめた。しかしフロイドはすぐに素気なく外方を向いて、意志を曲げるつもりは毛頭ないことを示す。アズールの心情は理解できるのだが、ただジェイドとしても妄りに片割れの自由を拘束することは望ましくなかった。そうなると提示できる妥協案は自ずと限られてくるというものだ。

    「…であれば、そうですね…。授業に関してはどうしてもフロイドのコンディションに期待するしかありませんが、それ以外の時間であれば可能な限り僕が傍に付きましょう。当面はそれで手を打ちませんか?アズール」

    ジェイドはスルスルとフロイドのひと房長い髪を指に絡ませてから、ゆったりアズールへ視線を移して柔和に微笑んだ。丁寧に伺いを立ててくる補佐役にアズールはすぐさま渋い表情を作る。

    「今だけでもフロイドにはぜひとも積極的に授業に出席してもらいたいんですけどね」
    「無理強いできないのは貴方もよくご存知でしょう。それに犯人が醜聞を広めることを狙いにしているとすれば、目撃者が望めない授業中よりもそれ以外の時間の方が危険性が高いと思いませんか?」
    「まあ、より多くの人間に直接現場を見られれば鎮火も困難になりますが…。僕はそもそも相手につけ入る隙を与えたくないと言っているんです」
    「では、アズールは何か代案をお持ちで?」

    フロイドに絶対を求める方法は存在しないとこれまでの付き合いから理解しつつも、アズールはより確実な方法はないものかと考えずにはいられなかった。卓に両肘を突いて指を組み顎を乗せて俯き加減に目を伏せて物思いに耽る。
    たしかにジェイドの言うように相手がわざわざフロイドの姿を模っているという時点で、人目につかないように何らかの工作をしようとしているというよりは、第三者の目を使って悪行を喧伝させようとしていると考えるのが自然だ。マジカメなどのSNSで犯行を偽装し拡散しようとする手段が最も手軽だが、それなら既に実行されていてもおかしくはないはずだった。むしろそうしてくれていた方が後始末のハードルは下がるというものなのだが、最初にアズールがフロイド擬きを目撃してから既に丸四日は経っていることを考えると、今のところ敵にそのつもりはないのかもしれない。だとすれば考えられるのは不特定多数の人間がいる場面において現行犯で何らかの事件を起こそうとする可能性だ。それには生徒たちの動きが予想しやすい平日の授業外の時間帯が一番危険というジェイドの意見は概ね正しい。
    しかし彼は大変有能な補佐役であるのだが、フロイドが絡む事柄となると判断基準がきょうだいに偏ったものになりがちなため、付き添いをジェイドに任せるということはまさしく“何もしないよりはマシ”という状態だろう。とはいえアズールにはそれ以外の方法があまり有効とは思えないのも事実だった。追跡系の魔法は持続時間と捕捉範囲に限りがあり、術に気付かれれば十中八九解除される上に、フロイドの機嫌を著しく損ねるリスクがある。常に誰かを交代で傍に置こうにも、沖合の天気よりも変化が読めない嵐の近くに居ることに耐えられる生き物などほぼ存在しないと言える。ちなみにスマホの位置情報は持ち主が本体をどこかに置き忘れることがあるので、あまり当てにはできなかった。
    いくら頭を悩ませてもやはり今すぐには最良の手段が思い付かず、アズールはひどく苦々しい顔でジェイドを窺い見る。

    「…くっ…仕方がない、わかりました。当座はなるべくあなたたちがペアで仕事に当たれるよう調整しておきましょう。ジェイドの都合が付かない時は僕もなるべく傍に居るようにしますが、フロイドをよく監督するように。…頼みましたよ」
    「はい、かしこまりました」

    舌打ちしたい気持ちを抑えて半分諦めたように力なく了承したアズールは、頭の中でシフトの組み替えや直近に取引の予定のある案件について取り急ぎ計画を変更するため思考を巡らせる。双子に別々の仕事を割り振れないとなると効率が落ちてしまうが、二人が連携してくれれば一件当たりの処理速度が上がるかもしれないとアズールは自身を納得させることにした。ジェイドとフロイドを一緒に行動させると度の過ぎた遊びに興じてしまう可能性は無視できないが、そこは随時手綱を締めるしかないだろう。
    当のフロイドはというと余所見をしてぼんやりと全く他のことを考えていたのだがふと意識を議論の場に戻して、なんとなく耳に入ってきていた二人の会話で必要そうな情報を思い出しながら引き出す。そして先程ジェイドから逸らした目を今度は自ら合わせた。

    「…しばらくジェイドと一緒?それはいいけど、すっげー気分じゃないときはいくらジェイドでも撒いちゃうかもしんねー」
    「勿論、心得ていますとも。フロイドの自由に過ごしてくださって結構ですよ。僕も僕で好きにさせていただきますけれど」
    「うえ〜、ヤなこと言うじゃん…」

    フロイドを尊重するようでいてそうでもなさそうな口振りのジェイドはいっそ清々しさまであるいまいち信用できない笑顔を向ける。結局のところこのきょうだいは自分の都合のいいように仕向けてくる狡賢い奴だと骨身に染みているフロイドは少しだけ滅入ってしまったが、他の誰かについて回られるのとは比べものにならないほど自身にとって良い条件であるには違いなかった。ただ含みのある言い回しが引っかかっただけで。
    ぶすっとしてしまった片割れを眺めてジェイドは小さく笑う。つれないことを言うフロイドについ悪戯心が湧いて、彼の気に食わなさそうな言葉を選んでしまったが、いつだってきょうだいの安寧の一助になりたい気持ちに嘘はない。ジェイドは底意地の悪そうな笑顔を引っ込ませて、機嫌を取るようにフロイドの膨れた頬に優しく指を伝わせる。

    「…とはいえ、ご安心ください。現状ではアズールだって本気で四六時中、貴方を見張らせたいわけではないと思いますから。ですよね?」
    「…………ええ、今のところは」

    ちらりとジェイドに視線を投げかけられたアズールは、色々と思うところをグッと飲み込んで渋々肯定を返した。あれこれ憶測を誘うほどに怪しさは満載でも未だ明確な害意を向けられてはいない段階なのだ。できることなら行動を制限したいが過剰防衛のせいでフロイドを疲弊させることが得策でないのはアズールも頭では理解していた。
    フロイドはじっとりと訝しんだ目で二人の顔を交互に見遣り、やがて細く息を吐いて不服そうに頬杖を突く。この二人とここで話を続けたところでその言葉には常に裏が付いて回るものなのだから、これ以上の口論は時間の無駄だ。ジェイドとアズールを相手取って口で争うのは分が悪いと言わざるを得なかった。

    「ふーん、…あっそ。ちょっとの間だったら我慢できなくもないかもだけど、早くニセモノ捕まえねぇとそのうちオレ、ほんっとーに嫌になるって…」

    一応は了解を示したフロイドだが、眉間に皺をぐっと寄せて鋭い歯列からは微かに低い唸り声が漏れ出ていて、機嫌が斜めであることを全く隠そうとはしない。先の対策を実行に移す前から早速立ち込めている暗雲に先が思いやられるというものであるが、この三人にとってはこれくらいのことは最早いつも通りと言えた。
    漸く話がついたところでアズールは腕を組み背筋を伸ばして、二人に屹然とした眼光を向ける。その輝きは荒天の中の灯台のように逆境にあるほど強く光を放つ、ジェイドとフロイドが好ましいと思うものの一つだ。ジェイドは目を細めてアズールに注目し、フロイドは口をへの字に曲げてしゅんとした様子ではあるが同じく静かに寮長の言葉を待った。

    「僕だってこんなことにいつまでも煩わされるつもりはありません。早々にアレの正体を焙り出すため、今は些細なことでも情報が欲しい。まずは寮生を中心により多くの目撃例を集めるとしましょう。ジェイド、フロイド。いいですね」
    「はい/はーい」

    アズールは号令に対して揃って返事をする双子を少しの間じっと見つめ、そして食卓の上の皿やカップを手早く纏めて先に席を立ち、大食堂の食器返却口へ歩を進める。
    言葉にできない漠然とした予感でしかなかったが、アズールには今回の件はいつものトラブルとは何か質が違うもののような気がしていた。あのイレギュラー大歓迎の不謹慎な彼らのことだ、敢えて口に出さなかっただけで何らかの違和感を感知している可能性は大いにある。下手に先手を打ちに行けないもどかしさで気が逸るが、こういう時こそ特に慎重な行動を心掛けるべきだとアズールは心を落ち着かせる。フロイドの姿でその辺をうろつかれるのは迷惑行為に違いないのだが、正直なところまだ攻撃らしい攻撃を受けていないので敵として見定めるかは悩ましいラインなのだ。擬態された奴の片割れは現時点で既にタダで済ませるつもりなどないのだろうが。敵かどうかは一先ず置いておくとしても、いずれにしろその正体と目的は明らかにしておく必要はある。アズールは胸に渦巻く重たい空気を少しでも逃がすためにふうっと軽く息を吐いた。何はともあれまずは目の前のタスクから順に片付けていくのが賢明だ。そして情報を集めて整理し犯人の思惑を看破して一刻も早く排除しなくては。二人にも言った通りこんな得体の知れない珍事に足止めを食わされている暇などないのだから。

    大食堂を後にするアズールの悶々とした背中を見送り、ジェイドとフロイドもぼちぼち席を譲るためどこぞの大食漢が綺麗に平らげた空き皿を二人で淡々と積み重ねる。お互いの一時限目の授業について話をしながら食器返却口へ洗い物を運び、授業前の憂鬱な気持ちを抱えた生徒たちで大賑わいの大食堂からするりと抜け出した。二人とも今朝の最初の授業は座学であり着替えの必要はないので、教室に向かうにはまだ早い頃合いだ。そんな時は騒がしい食堂に長居をするより、中庭や学園裏の森を散歩したりして時間を潰すのはよくあることだった。今日も今日とて天気が良く、その足は自然と中庭の方へと向かう。
    暫く歩いているとフロイドは肩を並べて廊下を行くジェイドの様子に小さな差異があることに気付いた。その表情を覗き込み、ぱちぱちと瞬きをして小首を傾げる。誰にでも知れてしまうほどではないが、いつもその音を傍で聞いている相棒にとっては浮き立っているように感じる足取りを不思議に思い、フロイドは気になったままのことを言葉にした。

    「…なーんかジェイド、機嫌よさそぉ」

    ジェイドは不意に触れられた自身の機微に少し驚いて左隣のきょうだいの方へ視線を向ける。目を丸くしながらまじまじと見つめてくる無邪気な双眸に、この浮かれた心をいとも簡単に見透かされたと思うと何となく照れくさい心地になった。ジェイドがフロイドの気分の移ろいに敏感なように、その逆もまた然りなのだ。それはそうなのだが、他者に本音を喋らせるユニーク魔法と知人に敬遠されるほどの洞察力を武器にしているスーパー秘書ことジェイドとしては、気が置けない身内が相手だとしても期せずして己の心中をズバリと言い当てられればどこか擽ったくなってしまうのも無理はないだろう。今の自分はそんなにわかりやすかっただろうかとジェイドは自省する一方で、フロイドからの指摘ならばそう悪い気はしていない。変に取り繕うことはせずに正直に胸の裡を明かす。

    「ええ、それはもう…当面の間、貴方と行動する許可を得られましたので。たとえ仕事の一環だとしてもフロイドとたくさん一緒にいられるのは嬉しいですよ。ここのところお休みも重ならないことが多いですし」
    「最近どっこも二人で遊びに行けてなくてつまんないなぁってのはオレも思ってたけど、一緒にいるのは当たり前でしょ。変なジェイドー」

    こともなげに言うフロイドの言葉に先程とは別の意味でドキッとさせられたジェイドの歩調が僅かに緩む。
    たしかに陸に上がって学園生活に慣れてからというもの、やりたいこととやるべきこと、そして相応にやれることが増えてきた。それに伴って別の時間を過ごすことも昔に比べてずっと多くなったことで無自覚のうちに寂しさを募らせていたのだろうか。フロイドにはフロイドの世界があって、それはジェイドも同様だ。それぞれの世界が以前よりも広がって重なる部分が相対的に小さくなったとしても、二人の心が完全に離れてしまうことなどあり得るはずがないし、きょうだいが一緒にいることに理由なんて必要ないというのに。
    ここのところどうにも考え過ぎている節があるな、とジェイドは軽く頭を左右に振り自嘲気味に笑う。

    「…そうですね…当たり前、です。変なことを言いましたね」
    「……ま、最近何だかんだ忙しそうだったし。そういうときのジェイドってさぁ……」
    「何です?」

    右耳に揺れるピアスに指で触れながら突然ピタリと言葉を区切ったフロイドの声をしっかり拾うためにジェイドは一歩分遅れていた距離を埋めて片割れの横に並び歩いた。フロイドは右隣の定位置に着いたジェイドに目を遣って、上辺だけなら優しげに見えるいつもの微笑みを眺め、やがて視線を前に向けて一言ポツリと呟く。

    「んーや、なんでもねえ」

    それがフロイドのものにしては平坦に響いたように聞こえてジェイドは少しだけ気に掛かったが、当のきょうだいはいつもと変わらぬ様子で両腕を天に突き上げながら大きな欠伸をして猫のようにしなやかな体躯を伸ばしている。これは朝一の授業を彼は寝て過ごすことになりそうだと相好を崩して、せめてこの天才肌の知らないことだったり欲を言えば多少なりとも興味を持てることが内容に出てきてくればいいのだがと詮無いことを考えた。
    それから中庭に着くまで互いに何を話すでもなく、遠くから届く誰かの笑い声や二人の靴音ばかりが満ちていた。木陰の近くのベンチに腰掛けてジェイドはよく晴れた空を見上げる。時間帯や季節柄の影響か、はたまた凶悪だと学園で有名な双子が揃っているからなのか、冬の寒々しい中庭には自分たち以外の人影はない。日差しは微かに温もりを伝えてくれているが、時折吹く風は冷え切っていて身体の端からじわじわと温度を奪われている感覚がした。
    ジェイドは空から視線を落として、庭に散りばめられていた落葉を魔法で作った複数の小さな旋風に乗せて巻き上げ、花吹雪のようにして遊んでいるフロイドを見る。綺麗に整えられている芝生を風で抉ったり、枯葉を刃のようにして撒き散らしていないところをみると今日の彼の調子は良くも悪くもないようだった。無数に舞い上がる葉の中を腕を広げてゆっくりとくるくる踊っているその姿は愛らしく微笑ましい。そのまま静かに見守っているとそのうちに飽きてしまったのか、か細くなって最後には消えた旋風の上昇気流を失って落ちるだけになった葉っぱと共にフロイドがドサッと芝生へ大の字に倒れこんだ。ぼんやりと青空を仰ぐフロイドの上に枯葉がまばらに降り積もる。
    ジェイドはベンチから立ち上がり相方の傍まで歩み寄って片膝をついてしゃがみ、顔と髪に乗ってしまっている落葉を一つ一つ拾い上げては払っていく。その間フロイドは緩く目を閉じて大人しくされるがままになっていた。アズールと話をしている時もそうだったが、今日の彼はずっと眠たそうにしていてどこか上の空だ。いくら北方の深海出身の人魚であっても今は人間の身体なのだから、こんなところでのんびりと寝てしまえば体調を崩してしまうかもしれない。頃合いを見て授業に送り出しせめて暖かい教室で寝てもらわなければ、とジェイドが思案していると、いつの間にか薄らと瞼を開いていたフロイドが緩々と話の口火を切った。

    「…ねえ。ジェイドが昨日会ったヤツ、なんとなくオバケっぽいカンジがしたって言ってたじゃん?」
    「え…?…ああ、はい。そうです」

    昨晩寮内を見回った時や大食堂でアズールも交えて話をしていた時は、今回の騒動の元凶についてまだフロイドの鋭い直感に由来する所感を聞けていなかったのだが、何か手掛かりでも思い浮かんだのだろうか。彼は偽物との対峙を果たしていないので、ジェイドは昨日の夜に感じたことをじっくり思い出しながら、少しでもフロイドの着想の助けになれるようにと言葉にして伝えようと口を開く。

    「曖昧さを含む表現になりますが…なんと言うか、以前アズールも言っていたように僕もアレ自体から悪意の類は感じなかったです。それから、気配が希薄な印象だったような気がして…。ですから死霊を使役するタイプの魔法かもしれない、と。何か思い当たりましたか?フロイド」
    「うーん。…あれ、ホラ…。なんつったっけ?……えーっと……」

    フロイドは後頭部に両の掌を回し、足を交互にパタパタと上下して、難しい顔で懸命に記憶を捻り出そうとしている。うーっと呻くような音を喉から出して頭を抱えているが、もう少しで目当ての単語が出てきそうなのかもごもごと何事かを呟く。やがて探していた現象にピンと来たらしく、いっぱいに目を見開いて勢いよく上体を起こしながら「…あっ!」と声を上げた。フロイドを覗き込んで邪魔をしないように様子を見ていたジェイドは素早く身を引いて間一髪で頭が衝突するのを回避した。

    「ジェイドは『ドッペルゲンガー』っていると思う?」

    フロイドは胡坐を掻き右手を地面に突いてずいっとジェイドに上半身を寄せて迫った。
    互いが『ドッペルゲンガー』のようにそっくりな形をしているのにその存在を問うているのは、第三者の立場で見ていたらなんだか滑稽な状況なのだろうなとジェイドは想像する。無論、自分たちは最終的にたった二人になったきょうだいであって歴とした別個体なのだが。そんなことを考えながらも、その手はフロイドが跳ね起きた時に巻き上げて再びあちこちにくっついてしまった葉を丁寧に払っていた。大方の落葉を取り除き終えたジェイドは顎に右手を添え、陸に上がってから聞き齧った眉唾ものな噂話を想起して諳んじる。

    「……フム。その姿をした者の死期が迫っていることを示すものであるとか、重度な精神病患者の症状の一種とされる自己像幻視であるとか、平行世界の自分の影が何かの拍子に現れたものだとか…その正体について巷で諸説囁かれている有名な都市伝説の一つだと記憶しています」
    「そうそう、それ〜」

    フロイドはニコニコと破顔して左右に身体を揺らしジェイドの反応を面白そうに窺っている。魔法でも魔導工学でもなく怪奇現象と推理してくるとは、ジェイドとアズールなら思い至ったとしてもすぐに一蹴してしまいそうな発想だ。
    荒唐無稽だが、恐らくそれが直接の答えというよりは黒幕への糸口なのだろう。普段の言動と衝動的な一面から誤解されがちであるが、平時のフロイドは論理的思考と現実に即して物事を捉えている。だから彼は本気でドッペルゲンガーが犯人なのではないかと言っているのではなく、相手が生物ではないか又は通常の法則に当て嵌まらない魔法を使っているかもしれないと考えているという意図の発言だと予想された。

    「それが実在するかについては僕では判断しかねますが、フロイドは僕らの常識から外れる存在や特異な魔法の可能性についても示唆したいのですね。興味深い意見だと思います」

    フロイドの思考の柔軟さや奇抜な感性はジェイドは元より我らが寮長も頼りにしているところなのだ。そしてこのフロイドの読みは正解ではないにしても、全くの見当違いだとも言い切れないように思われた。
    あのアズールを以てしても何も掴めずにいる今回の“お客様”は、いつもの怨恨や報復が目的の輩とは種類が異なっていると言える。それらが動機の場合はよほど理性的な切れ者でもない限り、ささくれ立つ感情をコントロールしきれずに大抵は何かしらの襤褸を出してくるし、それを三人揃って見落とすようなヘマはまずしないからだ。少なくとも手段か目的に幾らかの特殊性を孕んでいる事案だという点は三人の見解も一致しているし確実とみなしていいだろう。だとするとますます相手の思惑を先読みするのが難しくなり、場合によってはより厄介な事態にまで発展してしまう懸念が生まれるのだが。
    フロイドは芝生からスッと立ち上がって尻や太腿に付いた枯葉をやや乱暴な手つきで払い落とすと身体を反らせて伸びをした。

    「んんー…オレもその話が嘘か本当かなんてどっちでもいいんだけどさ。今まで魔法使った跡が一つも出てきてねーし、二人に何も悪いことしてこなかったみたいだし…。それからジェイドがそいつを直に見たときの感覚を聞いたカンジでは、なんか似てる気がすんなーって思ったんだよねぇ」
    「なるほど。たしかに類似している部分がありますね。ドッペルゲンガーに纏る真偽はさておき、少なくともゴーストが存在することはこの学園の生徒にとっては周知の事実…。もしかするとそのように奇怪な現象もこの世にはあり得るのかもしれません」

    ジェイドも地につけていた片膝を軽く払いながら立ち上がり、スマホで時刻を確認する。早いものでそろそろ予鈴の鳴る刻限が迫っていた。二人でいる時間はあっという間に過ぎていってしまうなとジェイドはこっそり嘆息する。フロイドに目配せをすると視線の意味を察したらしく、かったるそうに左手を右肩に添えて首をコキコキと鳴らし二年生の教室の方を向いた。

    「ウザったいけどアズールが警戒してる通り今んとこオレに用事のあるヤツくさいし、焦んなくても向こうから仕掛けてくるだろーから、もう何日かは大人しく様子見に付き合ってやっかな…。オレの気が変わらなければだけどさ」
    「ええ、何がしたいのかは未だ不明ですが、必ずお相手にも目的があるはずです。であればこの膠着状態もそう長くはないでしょう。少しの辛抱ですよ、フロイド」

    片手をスラックスのポケットに突っ込んで重たげな足取りで教室に向かって歩を進めたフロイドの後に続きながらジェイドはその背中を気遣わしく見詰めた。面白いことのための我慢ならば苦にならないと言ってのける性質ではあるが、今巻き込まれている面倒ごとが彼を楽しませるものである保証はないのだ。最愛のきょうだいに成りすまされただけでも不愉快極まりないのに、その上つまらない相手だったりしたらどう料理してやろう。そんなことを涼しい顔でジェイドが思案していると、不意にフロイドがくるりと振り返った。何か機嫌を持ち直せるようなものでも見つけられたのだろうか、その表情は先程と一転してワクワクと楽しげに綻んでいる。いつものことではあるが一瞬でころころ移り変わっていく片割れの気分にジェイドは覚えず目を丸くした。

    「あはっ。でも~、もしもマジでドッペルゲンガーが犯人だとしたら、オレも早く会ってみたくなっちゃうなぁ。ぎゅーって絞めてみたらそいつどうなるんだろ?」
    「ふふふ…それは是非とも見てみたい対決です。きっとアズールが墨を吐いて倒れてしまうほどに愉快な光景なのでしょうね」

    フロイドは笑い声を上げながらジェイドの手を引き、軽やかに足音を弾ませて教室への道を早足で歩く。ジェイドも奔放なきょうだいと都市伝説的存在の一騎打ちを想像して笑いを噛み殺しながら後をついて行った。
    校内に響く予鈴に急かされた慌ただしい学生たちの群れの中に身を投じ、二人でスイスイと合間を縫って進む。決して離れることがないようにと互いに固く繋いだ手の不自由さをいつにも増して愛しく感じながら、教室に着いてしまえば否が応でもこの手を離さなければならないことも考えてしまって、ジェイドもフロイドも同じクラスでないことをまた口惜しく思った。


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    k_Salala

    TRAININGジェイ←フロに見せかけたジェイ→←フロが番になるまでとそれに嫌々巻き込まれるアズールのよくある話です。本編では触れられていない魔法の概念を捏造しまくっておりますのでその辺りは頭を緩くしてご覧いただければと思います。
    R5.6現在までの原作ゲームの本編・イベント・各キャラPSは一通り履修していますが、忘れている部分があるかもしれません。色々捏造を含みます。あんまりにもな誤りはこっそりご一報ください。
    束縛の咬魚は誘惑と番いたい【3】(上)*****


    休日にオクタヴィネル寮の談話室を利用する人はあまり多くなく生徒の姿はまばらである。部活動に励む者、各々の部屋でゆっくり過ごす者、麓の街などに出掛ける者、モストロ・ラウンジで働く者の四つのパターンに大体の寮生が分けられるからだ。
    この週末のジェイドはオープンから夕方までのシフトに入っていた。夕方以降はアズールと交代なので、本日の業務の引き継ぎと来週の予定の大まかな打ち合わせを済ませて、やっと部屋に戻ろうかというところだったのだ。休日ということで日中のカフェはなかなかの盛況振りであったが、そのわりに疲労はあまり感じていない。だというのに、ジェイドは閑散とした談話室の強化ガラスの向こう側の海でのんびり泳いでいる魚たちや華やかな珊瑚礁をぼんやりと眺めながら暫し立ち尽くしていた。ここのところ気付けば何度もあの日の夜のことを思い返している。
    35652

    k_Salala

    TRAININGジェイ←フロに見せかけたジェイ→←フロが番になるまでとそれに嫌々巻き込まれるアズールのよくある話です。フロイドの記憶力や音楽の才能を拡大解釈し表現しています。彼はきっと海の魔物。無名のモブが沢山喋ります。
    R4.12末現在までの原作ゲームの内容は一通り履修していますが、忘れている部分があるかもしれません。色々捏造を含みます。某ミュージカル映画を批評する目的で書いたものではありませんのでご容赦を。
    束縛の咬魚は誘惑と番いたい【2】*****


    トントンと食材を切る音。ジュワっとフライパンで料理を仕上げる音。カチャカチャという食器を片す音に流水音。それにタンタンと軽やかにリズムを奏でる楽しげな尾鰭の靴音。これまでずっと共にいた片割れにとっては聞き慣れている優しく軽やかな歌声が作業音に彩りを添えている夜のラウンジのキッチンで、ジェイドは目的の人物に声を掛けるタイミングを計り兼ねていた。

    『〜〜♪ 〜♪ 〜♪』

    今夜の気まぐれなシェフはご機嫌麗しいらしく、歌を口遊みながら明日のための仕込み作業をするのに夢中のようだ。ホールへの出入り口に背を向けて台に向かっているフロイドは、少し前から様子を窺っているジェイドにまだ気づいていない。代わりに他のキッチンスタッフの一人がジェイドを認め、わざわざ近くにやって来て小声で話し掛けてきた。何事かあったのだろうか。
    28949

    k_Salala

    TRAININGジェイ←フロに見せかけたジェイ→←フロが番になるまでとそれに嫌々巻き込まれるアズールのよくある話です。まだ起承転結の『起』の段階までなので左右がはっきりしてませんが、今後ジェイフロになります。
    R4.12末現在までの原作ゲームの本編・イベント・各キャラPSは一通り履修していますが、忘れている部分があるかもしれません。色々捏造を含みます。あんまりにもな誤りはこっそりご一報ください。
    束縛の咬魚は誘惑と番いたい【1】*****


    「ねぇオレさ〜、ジェイドのこと好きなんだけど」

    故郷の海を離れ、晴れて名門ナイトレイブンカレッジに入学することが叶い、入念な下準備の甲斐あって貪欲な幼馴染みが寮長の指名を受けて、次いで学園長から飲食店の営業権を千切り取るため大手を掛けようかという頃。海の底のオクヴィネル寮の、学園内でちょっとした有名人である双子の人魚の私室にて。ベッドに片肘を突いて腹這いになり、見るともなしに雑誌をパラパラと捲っていたフロイドの何の脈絡もない一言によってその場の静寂が破られた。
    部屋に備え付けられた貝のような意匠を施された椅子に座って読書に勤しんでいたジェイドは、読みかけの本から自身の片割れへ視線を移す。

    「番になってくんない?」
    11930

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    ジン(R18の方)

    DONEジェイフロです

    お疲れジェイドにフロイドが料理を作ってあげるお話
    なんて事のない日常な感じです

    ※オリジナル寮生割とでます
    ※しゃべります
    ジェイドが疲れてる。
     副寮長の仕事とアズールから降りてくる仕事、モストロラウンジの給仕と事務処理、それに加えて何やらクラスでも仕事を頼まれたらしく、話し合いや業者への連絡などが立て込んでいた。
     普通に考えて疲れていないわけがない。
     もちろんほぼ同じスケジュールのアズールも疲れているのだが、ジェイドとフロイドの2人がかりで仕事を奪い寝かしつけているのでまだ睡眠が確保されている。
     まぁそれもあって更にジェイドの睡眠や食事休憩が削られているわけだが。
    (うーーーーん。最後の手段に出るか)
     アズールに対してもあの手この手を使って休憩を取らせていたフロイドだったが、むしろアズールよりも片割れの方がこういう時は面倒くさいのを知っている。
     一緒に寝ようよと誘えば乗るが、寝るの意味が違ってしまい抱き潰されて気を失った後で仕事を片付けているのを知っている。
     ならば抱かれている間の時間を食事と睡眠に当てて欲しい物なのだが、それも癒しなのだと言われてしまうと 全く構われないのも嫌なのがあって強く拒否できない。
     が、結果として寝る時間を奪っているので、そろそろ閨事に持ち込まれない様に気をつけな 6656

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