N-3 N-3
人間の街に行ったせいか、真祖があんなことを言ったせいか。あるいはドラウスとあの子の話をしたせいか。近頃のノースディンは昔のことを思い出すことが多かった。
忘れていたわけではない。心の奥に封じ込めて、触らないようにしていただけのこと。そう、ただそれだけ。
落ち着かない気分だった。
ノースディンは気分に任せてあてもなく夜空をふらつき、はるか足下に覚えのある地形を見た。やれやれ。こんなところまで来るとは。
人里はずいぶん様変わりしている。かつてと比べると森が減り、現代的な建築物や舗装された道路が増えた。けれど丘のかたちや川の流れは昔から変わらなかった。
町外れの、ひときわ暗い道路を目指して高度を下げる。一台の自動車が道路をハイビームで照らしながら走って行く。ノースディンは上空でそれを見送った。視線は自動車の去った方向を――そこにわずかに残った森と、古い教会を見るはずだった。
ない。
森も教会も見当たらない。
掘り返され泥をむき出しにした地面には重機のキャタピラ跡が残っている。伐採された木々が端に積み上げられていた。
「……は?」
一瞬、視界が揺れた。目の前の状況が遠いところの出来事のように感じられる。深呼吸をしようとして――うまくいかない。ノースディンは整地作業中の空き地の中央に立ち尽くした。足元の泥が凍りはじめる。
「ない……?」
この際、森と教会のことはいい。重要なのはそこに隠していた物だ。撤去された? どこに!
ノースディンはしばらくの間、周囲に積み上げられた資材や廃材を見て回っていた。朝が近づき、ノースディンはやむを得ず屋敷へ引き上げた。
* * *
二百年近く前の春の夜以来、ノースディンはあの教会の門をくぐったことがなかった。その足はいつも手前の森で止まっていたい。その先に置いてきたものを直視するのが、ノースディンには恐ろしかったのだ。
氷詰めの棺、その中に遺体がひとつ。思い上がった、その結末。無力の証。それが跡形もなく消え失せて、初めてノースディンはその場所に立った。
こうなる前に出来ることはあったはずだ。ちゃんとあの場所に足を運んでおくとか、あの辺一帯の土地を買っておくとか。書斎のカーテン越しに正午の太陽の熱を感じながら、ノースディンは机に向かって両手で顔を覆い、あらゆることを悔やんでいる。二百年放って置いたものに対してこんなにも執着があったなんて。
「ヴェントルーの靴下の話を笑えないな……」
棺はどこへ行ったのだろう。もし、何も知らない人間たちに中身が曝かれたら? 想像したくない。
ノースディンはそのまま書斎で日中を過ごした。使い魔の猫が足元を行ったり来たりしていたが、やがて寒さに耐えかねて書斎を出て行った。
「ノース! 起きろ、ノース!」
誰かがノースディンの肩を揺すっている。机から体を起こすと、なぜかすぐ脇にドラウスが立っていた。猫を片手で抱いて、ノースディンの肩に手を置いている。
窓は開け放たれ、空には上弦の月。猫がドラウスの腕からノースディンに飛びついてきた。
「顔、氷張ってる」
ドラウスに言われてノースディンが自分の顔に触れてみると、目から頬にかけて薄く氷が張っていた。ノースディンはドラウスに腕を引っ張られるまま暖炉の前に座った。ブランケットをかぶせられ、猫と一緒にぐるぐる巻きにされる。
ドラウスは手際よく暖炉に火を熾すと、台所借りるぞ、とひと声かけてキッチンへと去った。ノースディンはブランケットの端で顔を拭った。