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「おーい、そこのあんた! ヘイ、ユー!」
通りの向こうからクラージィを呼び止める者がある。見覚えのある姿だ。頭と口を布で覆い、奇抜な模様の服を着た吸血鬼。シンヨコに来て最初に言葉を交わした相手だ。
「やっぱりそうだ、この間の! あれからどう……良いようになったみてえだな」
困っているならあの建物に向かえ。そう言ってドラルクキャッスルマークⅡを示してくれたのはこの男である。クラージィは男に心から礼を述べた。
「ありがとう、とても」
「お、日本語!」
並んで歩きながら互いに名を名乗る。男の名前は長く、クラージィには何度繰り返しても上手く言うことが出来なかった。
「仕方ねえ、ケンでいいよ。ケン」
「ケン、さん」
「そーそー」
ケンは吸血鬼用の血液パック自販機の前で足を止めた。慣れた手つきで二パック買って、ひとつをクラージィにすすめた。クラージィは断った。
「いいから。お近づきのしるしってやつ」
それから近くの公園でクラージィとケンはベンチに座った。ケンはパックの中身を一気に飲み尽くす。クラージィはパックを持ったままどうしたものかと考える。
「飲まねえの?」
「まだ、慣れないです」
ドラルクからミルクで割って飲む小技を教わって、これまではそれで乗り切って来たのだが。
「え、もしかして成りたて? 吸血鬼」
「エート……」
覚えたての日本語で、クラージィはなんとか説明する。鏡を見せられるまで、自分が吸血鬼になったことに気付いていなかったこと。誰に噛まれたのか覚えていないこと。
「マジかよ、朝になる前に声かけて良かったぜ。じゃあ、『親』噛んでねえのか」
「噛む? なぜ?」
あーそこからか、とケンは頭を搔いた。
「誰かに噛まれて吸血鬼になった奴はさ、噛んだ奴に支配されんのよ。んで、噛み返して独立――自由になるわけ」
「しはい?」
「えーと、ドミネート? コントロール? うーん、大抵はそのへんチャッチャと済ませちまうからなー。支配つっても実際どうなるのか、俺にはわかんねえ、悪い。ところで」
ケンはベンチから立ち上がった。つられてクラージィも立ち上がり、数歩前へ出る。ケンはクラージィに向き直った。
「よよいのよい!」
ケンは石、クラージィは鋏。
クラージィは困惑した。利き手は自分の意思と関係なくジャンケンに応じ、負けるとジャケットを脱いで脇に抱えた。催眠の一種だろうか。クラージィは警戒し、無意識に後退する。半歩以上下がれない。背後に見えない壁のようなものがある。催眠と結界術の合わせ技? バカな!
「ケンさん? これ……!」
「決まってんだろ、こないだの勝負の続きよ! あんたあの時より厚着だからな、フェアな勝負ってわけだ」
落ち着け。クラージィは自分に言い聞かせる。ケンが急にその稀なる能力を自分に向けてきた、その意図がわからない。神よ、私にふたたび戦えと言われるのですか?
「よよい!」
二戦目が来る。
* * *
「フッ、良い勝負だったぜ」
全裸で何を言っているんだこのひと、とは言葉に出さず、クラージィはジャケットの袖に腕を通す。ケンはクラージィよりよほど着込んでいた。フェアとはいったい何だろうか。
「私の勝ち? ですか? でもなんで負けたら脱ぐ?」
「こっちも説明必要だったかー」
よくわからないが、ジャンケンで片のつく話で良かった。ケンは脱いだ衣類をまとめている。寒いから早く着たらいいと思う。
遠くからロナルドと、ジョンを抱いたドラルクが走って来る。
「クラージィさん! 大丈夫……え? 勝ったの?」
ロナルドはかなり驚いているようだった。ほどなく一台の車が到着し、全裸のケンを載せた。ロナルドは車に乗っていた女性と話しをている。
「ご心配なく。留置場みたいなものですよ」
ドラルクがクラージィの隣に来て言った。
「シンヨコ二大ポンチの片方との遭遇、ご無事で何より」
クラージィはケンの話について聞くことにした。
「ドラルク。彼が、『親』の吸血鬼を噛む、という話をしていたんだが、何のことだろう」
ケンとは日本語で話していたので、クラージィには理解できていない部分があると思ったのだ。母国語で話せる吸血鬼がいて良かった。
「あ、そうか。モジャモジャさんは『親』を噛まないといけないのか。しまった、忘れていたぞ。独り立ちの儀式みたいなものです」
「彼は『支配される』と言っていた」
ドラルクは、ふむ、と空を睨んだ。
「古い吸血鬼に噛まれた場合の話ですな。私は生まれたときから吸血鬼だったし、儀式は必要なかった。支配される感覚は私にはわかりません。モジャモジャさん、もしかしてなにか、違和感が?」
クラージィは少し考え、結局首を傾げた。
「なんだよー、内緒話か?」
車が走り去るのを見送ったロナルドが戻ってきた。
「モジャモジャさんの独り立ちの話だよ」
ドラルクはジョンを撫でながら答えた。
「そっか、日本語もずいぶん上達したしな。就労支援とか……」
ロナルドが言うのは、クラージィのこの街でのことだ。「そっか、日本語もずいぶん上達したしな。就労支援とかヒナイチに聞いてみるか……」
ロナルドが言うのは、クラージィのこの街でのことだ。
この街に来た最初の夜、ドラルクは「これからしたいことは」とクラージィに尋ねた。『親』を探しに行くもよし、ほっといてフラフラするもよし。祖国へ帰るもよし、この街に落ち着くもよし。どこに行き、何をしても良いと、ドラルクは言う。
何をするにしても、まずは生活の基盤を整えなければならない。ドラルクから受けている支援もきちんと返したい。『親』の問題は……当面困っていないし、その後で良かろう。
「仕事みつけて……皆さんに、お礼参りしたい」
「どこで覚えたのその言葉?」