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「波ァ!」
ヨセフの杖が光る。ギルドの中は大混乱になった。
「春先の薄着から透ける油断した毛……ッ!」
「雨粒がとどまりそうな鎖骨!」
「腰骨のラインを後ろから見たときの丸みを帯びた感じが」
退治人たちが慌てふためき、滅茶苦茶なことを口走る。
「ヨセフ!?」
「ははは! Y談の栄えあれ!」
ヨセフは思いもよらぬ駿足で去り、退治人たちはヨセフを追って出て行った。あとにはギルドマスターとドラルクとジョン、そしてクラージィが残された。
「今の、何ですか? ヒプノザ?」
ギルドマスターは日本語で答えたが、クラージィには理解できなかった。代わりにドラルクが答える。
「隠している性癖をさらけ出す催眠です。モジャモジャさん、耐性があるんですかね」
「違うと思う。私は、たぶん何もされなかった」
ヨセフは最初から退治人たちを標的にするつもりで、クラージィに関心があるふりをしていた、ということだろうか。でも、なぜ。
不意に、クラージィは軽い目眩を覚えた。
――まだ生きたくはないか、命を繋ぎたくはないか。
クラージィは誰かの声を思い出した。
――執着はないのか。一つでもあるなら、答えろ。
寒さと痛みと飢えしか無かったはずの記憶に、急に出てきた、誰か。春だったのに吹雪の夜のように寒かった、あの場所にいたのは誰だ。
「『吹雪の悪魔』……ノースディン?」
「ハァ?」
ドラルクが間の抜けた声を出した。
「どうして急にその名前が出てくるんです、貴方」
まだ杭を持っていた頃、クラージィは様々な吸血鬼たちと対峙した。殺さなかった二人。さすらい人となってから出会ったヨセフ。この街に来る以前に限れば、互いに顔を知る吸血鬼は三人だけだ。なぜ今まで思いあたらなかったのか。
クラージィは額に手をあてて考える。
「ドラルク、私の『親』は――」
クラージィは自分の記憶をドラルクに言えなかった。静かになったギルドの入り口に新たな客が現れたのだ。
「黄色め、粋なことでもやったつもりか」
ドラルクは天敵にでも会ったかのような顔だ。ジョンは不愉快そうに舌を出している。ギルドマスターは眉間にしわを寄せた。
ノースディンがギルドの入り口にいた。ノースディンは何か言いかけて口を開いたまま、その場に立ち尽くしているようだった。その視線はクラージィの上から動かない。
ギルドマスターはカウンターの中で腕を組んだ。
「招きませんよ、『氷笑卿』。また乗っ取られてはたまりませんからね」
「ヒャハハーッずーっと立ってろ出禁ヒゲェーッ!」
ドラルクはジョンを抱いたまま高笑いした。ジョンも舌を鳴らしてブーイングを示す。クラージィは戸口に立つノースディンと、彼に敵意を示す面々の間に立っていた。
ギルドの戸口にもう一人、白髪頭の吸血鬼が顔を出した。
「お父様! どうしてここに」
ドラルクを見て白髪の吸血鬼は一瞬顔を明るくしたが、すぐに真面目な顔に戻った。
「ドラルク、ひとを探しているんだが――」
「クラージィ、お前が招いてくれないか」
ノースディンは請うように腕を伸ばす。
クラージィは理由もわからずぎくりとした。全身の皮膚がざわめく。相手の視界に自分がいる、それだけで震える、この歓喜! 戸口からこちらを見ている吸血鬼が、自分に最も近しい血族だ。もはや何の疑問もない。このひとが言うなら何だって――今の今まで忘れていたのに?
単純な疑問がクラージィに思考を維持させた。
――これが『支配』か!
クラージィだってすぐにでもノースディンを招いてやりたい。招いて欲しいと言われていなければ、こちらから傍に行ってやりたかった。だが、それが自分の本心なのか、『支配』によるものなのか判別できない。気付かぬうちに足が数歩、戸口に向かっている。いまや自分の判断は信用できない。どうしたらいい。
「た……タイム!」
クラージィはやっとのことでひと言を発した。嫌な汗が首筋を落ちてゆく。
「タイム!?」
ノースディンが復唱した。
「す、すまないノースディン、ちょっと待って欲しい。……ギルドマスターさん、彼を招きたいです。ダメですか?」
ギルドマスターの返事より先にドラルクが提案する。
「いや、場所を変えましょう。師匠(せんせい)、お父様、いいですね?」