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    ゆうに

    五悠!!!!!!!!!!!

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    ゆうに

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    初恋エンドロール②

    #五悠
    fiveYo

    初恋エンドロール②「今日は何日だ?」
     とんとん、とボールペンで問診票を突きながら、家入が問う。
     白衣で紛れもなく医者らしく、脚を組んで虎杖と向き合っていた。
     診察室が落ち着かないのか、虎杖は椅子の上でもぞもぞ尻を動かしている。部屋の角に立つ五条も、同様に気を短くしていた。
    「あーっと、十二月、十七日だよな」
     虎杖は虚空を見ながら、記憶をたどる挙動をして、今日の日付を言う。
    「カレンダーや、スマホは見たか」
    「うん、朝起きた時にスマホの通知チェックして」
    「そうか、昨日のことで、覚えていることはあるか」
     淡々と問診を続ける家入と、首を捻っている虎杖。
    「えー、うーん、……あれ……」
    「誰かに会ったとか、何か話したとか」
    「んん……話したとは思うんだけど、誰に会ったまでは……あ、あれ……?」
    「授業の内容は」
    「……わ、わかんない……」
    「昨日の夕食は?」
    「覚えてない……」
    「最近の出来事で、強く印象に残っていることはあるか」
    「宿儺の指が二十本見付かったこと」
    「そうか、他には」
    「印象ってんでもないけど、気になってるっつーか、俺いつ指食べるの?」
     虎杖の様子は、虚言を言っている風でもなく、本当に疑問に思っていることを口にするようだった。
    「誰も何も言わないから、気を遣ってるとか、先延ばしにしてくれてんのかとか、思ってさ、でも、俺は指全部食うって決めたんだし。……しっかし、ここまで来ても、その後どうなるかなんて、やっぱわかんねーや」
     翳りを見せた少年は、振り返って五条を仰いだ。
     どういうことだ。口にはせず家入と目配せをする。
     薄い口紅を差した口元が、ふう、と溜め息を零した。何が起こっているのか明らかにするのが私の仕事だ、と家入が視線で告げている。

     *

     まず、虎杖は十二月七日に、二十本の宿儺の指を全て食べている。そして宿儺は祓った。処刑は撤廃された、上層部も虎杖に手出し出来ない。処刑撤廃から今日まで、主に任務に進路相談、授業の日々を過ごしている。
     これらを説明しても、虎杖は初めて聞くような話のような顔をしていた。
    「これまで、十七年間生きてきた記憶が欠落している様子はない。とは言っても記憶が歪んでいるとか、間違って覚えていることについては知りようがないが。身内が居ないのは痛いな、友人や出来る限りの関係者に話を聞こう」
     ボールペンのノックの部分で額を小突く家入は、隈の消えない目を細めていた。
    「恐らく虎杖は、宿儺が居なくなってからの出来事を記憶していない」
     今言えることはそれだけだ、と家入は問診票を机に置いた。明日また来るように、と虎杖に告げる。スマートフォンで予定登録しておくこと、伏黒や友達にも伝えておいて、忘れていたら教えてもらうこと。家入が医者らしく滔々と喋る。
    「お大事に」
     家入からのお決まりの文句を土産にして、虎杖と五条は診察室を後にした。

    「――、俺、きっと先生にも迷惑かけたんじゃない」
     廊下を歩きながら、虎杖は五条を見上げる。
     自身の状態がはっきりしていないのに、他人の心配をする。五条のよく知る虎杖ではあるけれど、子どもが大人に気を回す必要なんてないのに。
    「全然。それよりさ、覚えてないんだよね、処刑撤廃してからの記憶を」
    「うん」
     こっくり頷く虎杖に、思わず安堵してしまう。
     つまり、五条の告白のことを覚えていなければ、飴玉をあげたことも記憶していない。
     返事する気もなく、地下室に来なかったわけではない。だって告白のことすら覚えていないのだから。
     五条好みの味の飴玉を渡したこと自体覚えていない。冷たくされたわけでも、突き放されたわけでもない。
     振られたわけじゃない。
     そのことに、深く安心してしまった。虎杖の状態は喜ばしいものではないから、悪いとは思うけれど。
    「付き添ってくれてありがと先生、お礼後でするよ、つっても覚えてないかもしれないから、なんかして欲しいことあったらその時教えて」
     寮に続く分かれ道で、虎杖は立ち止まって笑う。今日はここでさよなら、と告げる笑顔に、思わず手を伸ばしたくなった。
    「じゃあ今して」
     五条から、脊髄を通していないような言葉が出てしまう。
     虎杖は「今?」、ときょとんとした目を向けた。
     だって今日のことも忘れてしまう可能性があるのなら、今記憶している間に、想い出を積み重ねたい。虎杖に未来が待っていると信じていたけれど、そんなもの本当はなかったのかもしれないのだから。

     *

     虎杖は部屋の中をくるくる見渡して、物珍しそうに瞳を輝かせていた。
     棚に敷き詰められているDVDを見て、タイトルを確認して面白そうにしている。
     室内にあるものは、主に映画のDVDばかりだ。一番目を引くものは、壁のスクリーンで、豪勢なホームシアターとして充実した一室だ。天井にプロジェクターがあり、ここから映像を投影する。虎杖の腰の高さまであるスピーカーも高級品で、部屋も防音になっているから、どれだけ大音量でおうち映画を楽しんでも、誰に文句を言われることもない。
     地下にある部屋だが、空調が効いていて、十二月だけれど程よく温かい室温だ。
     高専にある、五条の部屋は地下にある。自由にカスタムし尽くして、教員の部屋にはとても見えない、秘密基地のような自室だ。
     虎杖が死んでいた間匿っていた地下室とは通路で繋がっていて、奥にある階段を下っていくと行ける。
     しかし虎杖を五条の部屋に招くのは初めてだ。
     地下は二階層になっていて、修行に使った畳部屋もある、広い空間だ。虎杖を匿っていたのは地下二階、映画修行と虎杖が寝起きしていた部屋もそこにある。
     地下一階が、五条の生活スペースだ。改造している地下空間は、五条好みの快適な空間だ。映画を観るシアタールーム、ベッドルームに、虎杖と戦闘訓練をした和室もこの階にあり、虎杖は匿われている間、五条の生活スペースに足を踏み入れることはほぼなかった。
     虎杖に手招きすると、素直についてくる。自分を好いている相手に対してあまりに無防備な少年だ。そもそも虎杖は、五条の告白を覚えていないのだけれど。
     寝室は虎杖の寮の部屋の倍はある広さで、角に寄せるようにベッドがある。虎杖は口を半開きにして好奇心いっぱいにしている。初めて訪れる友だちの部屋を見ているようで、高専に来た時に、伏黒の部屋を覗いて「ちゃんとしてる」、とらんらんと目を輝かせていたことを思い出して、記憶に障害があっても、虎杖は変わらないな、と五条は口角を上げた。
    「ベッド持って来させるから、今日からここで寝てね」
     決定事項のごとく告げる五条に、虎杖は口をあんぐり開けた。
    「って、え、先生と一緒に?」
    「そう。今日の記憶は抜けてないみたいだけど、明日どうなるかはわからない。朝一番に確認する相手が居たらいいだろ」
    「それもそうだけど」
    「硝子に診てもらうほうが良かった?」
    「う、いや、医者って言っても、そこまでは、いや、先生なら良いってことでもないけど、伏黒とか……」
    「悠仁」
     耳元に僅かに掛かる色鮮やかな短髪を、指で撫でた。虎杖はじっと五条を見返している。最初にした告白のときのように、視線を外すことはなく、琥珀の瞳が五条を映していた。
    「僕は君が好きだ」
     つくづく格好がつかないな、と頬を撫でて、愛しい輪郭を確かめる。
     真剣になるほど口が半開きになる癖のある虎杖が、ぱくりと口唇を開いていた。
    「だから君のことを見ていたい、他のやつに見せたくない」
     初対面の時のように、口を近付けて、接吻の距離になる。呼吸が擽り、逃げられない虎杖がぱくぱく空気を求めるように、口を開閉する。
    「そういうことだから、よろしくね」
     名残惜しいが、それ以上触れることはせず、ぱっと距離を置いて、伊地知に連絡した。今すぐベッド持って来て、と一方的に告げると、ひたすらに戸惑いの声がスピーカーを揺らした。
    「いや、かわいそうだよ、伊地知さんこき使うのやめたげて、こんなことで」
    「じゃあ悠仁、何処で寝るの」
    「床とか……」
    「だめ」
    「だめて、三十路がぶりっこするなよな、別に俺、何処ででも寝られるし、今すぐベッド持って来いとか、伊地知さんが仕事できても大変でしょ」
    「じゃあ、一緒に寝る?」
     流石に踏み込みすぎたかもしれない、告白直後に同衾に誘うなんて、せっかちすぎだし、警戒されて当然だろう。
    「それでいいよ、なんも起こんないでしょ」
     しかし虎杖はあっさりと了承した。
     五条の方こそ、逆に突っ込みを入れたくなる。
    「告白したんだから、ちょっとは意識してよ、手篭めにしようとしたらどうするのさ」
    「それを言う時点で、実行する気はないんじゃない?」
    「……、わかんないでしょ、男は狼なんだよ、殴れば言うこと聞くと思ってるかもしれないよ」
    「先生に殴られて言うこと無理矢理聞かせられようとしたら、俺全力で抵抗するし、だいたい男の俺に何しようってんだよ」
    「……キスしたり、ハグしたり、もっと、いろいろ」
    「出来るの? 俺に?」
     本当に、自分がどういう目で見られているのか理解していない瞳で、虎杖は腕を組んだ。
    「好きだって言ってんじゃん」
    「うーん、ちょっと今考えられないっていうか。記憶のこととか、もしかしたら、先生のその告白だって、覚えてられないかもしんない」
     虎杖は実際に、五条の最初の告白も、他の出来事も覚えていない。
    「明日、朝起きても覚えてたら、そん時ちゃんと考えるよ」
     逃げているわけではないだろうけれど、明日虎杖の記憶がどうなっているのか、虎杖当人にも五条にだってわからない。
     考えないように努めているのだろう。告白を忘れてしまうことが残酷な仕打ちだと、虎杖も理解はしているだろうから。
    「そんじゃ、俺は死んでた時に使ってた部屋で寝るから」
     さり気なく部屋から去ろうとした虎杖だが、そうは許さないと、後ろから抱き締めて逃さないようにした。
    「悠仁、いかないで」
     何処にも逃がしたくはなかった、今日の告白だって忘れてしまうかもしれない。だったら、眠る時まで、虎杖のありようを見ていたい。虎杖の中から今日のことが消えてしまうのなら、せめて五条だけでもその存在を焼き付けていたい。
    「一緒に居て」
     五条の心臓が早鐘を打つ。抱き締めていると、鼓動も伝わっているだろう、情けないところは見せたくないけれど、虎杖を引き留めるためなら、縋り付いていたって構わない。
    「……へ、へんなことしない?」
    「なんも起こんない、でしょ」
     五条の言葉に、虎杖は墓穴を掘ってしまったように、うぐ、と唸った。
    「……、いいよ、むしろ俺になにか出来るってんなら、してみろってんだ」
     ベー、と舌を突き出して、虎杖は首を向けて五条を上目遣いで見る。
     お望みならしてやろうか、とどれだけ言おうとしたか。結局、肩に鼻先を埋めて、失言してしまいそうな口をぎゅっと真一文字に結ぶことしか出来なかった。ここで軽口に便乗出来ない辺り、虎杖の言う通りなのだろうな、と抱き締めている腕に力を込めた。

     *

     五条の部屋は地下にあるが、二十四時間空調が効いていて適温になるようにしてあり、リビングには雑多に趣味のものが置いてあるので、見た目にも楽しい極楽な空間になっている。
     反してベッドルームはシンプルで、物はあまり置かれていない。ベッドの脇に棚があるだけで、少ない家具が部屋をより広く見せていた。
     常に清潔にしてあり、布団からはひだまりのにおいがしている。しかしそれよりももっと強い存在感があるのが、腕の中の少年だ。
     明かりは消してあり、地下故に窓もないくらい寝室で、二人の体温だけが閉じた世界の全てだった。
     虎杖はこじんまりとして動かないが、筋肉が硬直していて、明らかに眠れていない。
     ベッドに並んで入った時は、なるべく端の方に行って、五条とくっつかないように狭いベッドの中で逃げていたが、後ろから抱き締めればおとなしくなった。
    「端っこ行ったら落ちちゃうよ」
     そう五条が言うと、虎杖はそれきり口を噤んでしまった。
     壁際にあるベッドで、五条が壁側を陣取っている。五条と反対方向に逃げようとすれば、ベッドから転落してしまう。
     五条一人寝る分には広いサイズのベッドだが、さすがに大の男二人が川の字になると狭いし、寝返りもうち辛い。
     少しずつ、腕を首元から下へと動かしていき、虎杖の腹部で腕を固定した。そう簡単に逃げ出せないだろうが、密着すると五条も緊張が強くなる。
     舌を出して挑発していたのに、今ではすっかり警戒しているようにこちらを向かない虎杖だ。少しは意識してくれているのだろうか。
     好きな子で、何回か告白していて、けれど虎杖が覚えているのは直前の一回のみ、答えも貰っていない。
     こうして腕の中にいるのに、虎杖はそのことさえ、忘れてしまうかもしれないのだ。
     いっそのこと、既成事実でもつくってしまうか。
     好きな子がこんなに近くに居るんだ、もっともっと深く触れたいと思ってしまう。無理強いなんてしたら抵抗されるだろうし、軽蔑もされる。ベッドに入る前は何も出来ないと思っていたけれど、こうして間近で触れていれば、理性で抑えられないほどに情念の炎が燃え上がる。
     たとえば無理矢理手篭めにしたとしても、記憶に残らないかもしれないんだ。
     記憶がなくても、繋がりだけでもあれば。
    「――先生」
     力んだ五条の腕に抗議するように、虎杖が口を開いた。
     邪な考えを見透かされたようで、若干後ろめたさを引き摺った声で答えた。
    「なに、悠仁」
    「俺もさ、なんかおかしいと思ってたんだ、朝起きてから、スマホ見て、カレンダー確認して、日付がなんか記憶と違うかな、って」
     ぽつりぽつりと洩らすその声は、曇天からついに雨が落ち始めたようだった。
    「見たことないメッセージとか、こんなアプリ入れたっけ、みたいなのとかさ、んで、真希先輩の髪。俺は、今日の俺にとっては、初めて見た格好だったんだけど、嫌な思いさせたよね、謝りそびれて」
    「真希はそういうの気にする子じゃないよ」
    「でも、詫び入れときたいけど、明日になったら、忘れてるかもしれない」
     どれだけ不安なことだろう。知らない記憶、変わった記録、見知った筈の先輩のがらっと変わった髪型。それに五条の突然の告白も含まれるかもしれない。
    「君には、味方がいることを忘れないで」
     寄り添うことを誓った腕に、きつく力を込めた。
     虎杖はひとりじゃない、けして。信頼の置ける友人が居る、頼りになる先輩が居る、サポートする大人が居る、そして五条が居る。
    「君を好きな僕が居ることを、忘れても、忘れないで」
     たとえ今日のことが記憶に残らなくても、魂の隅っこにでも留めておいて欲しい。
    「先生が覚えておいてくれるんなら、安心かな」
     やっとこちらを向いた虎杖は、目を細めて、安堵を浮かべた笑いを見せた。
     何も忘れたりなどしない。そのことで苦しんだとしても、虎杖が今日を覚えていなくても。そのやわらかい笑みを、いつまでも記憶に刻み続ける。彫刻刀で跡を刻むように、彫った端から血が流れたとしても、絶対に、絶対に。

     *

     五条はショートスリーパーだ。体質もあったかもしれないが、そうならざるを得ないほどに多忙だ。今では、眠っても短時間しか眠れない。
     虎杖が眠った後に五条も眠り、虎杖が目覚める前に五条は目覚めた。寝る前は五条に背中を向けていた虎杖は、起きた時は五条側を向いていた。口吻のように、初対面の時のように近い。
     むにゃむにゃ、となにやら寝言を言いながら、よだれをこぼして眠っている。睡眠時特有の浅い呼吸が、肩をゆっくり揺らしていた。
     窓のない地下室だが、朝になれば電灯が点くようにタイマーがセットされている。徐々に明るくなっていき、五条が起きる時間にはLEDが全灯になる。日が昇る時間が遅い冬でも、体内時計が狂わないように、同じ時間に明かりが点くよう設定してある。
     十段階の電灯で、今は四段階ほどの明るさだ。全灯になれば、虎杖も覚醒するだろう。
     それまでは、この穏やかな寝顔を見つめていたい。
    「もう、食べられない……」
     なんてベタな寝言だ。面白いので録音しておきたいが、動いたら起こしてしまいそうだ。
     寝ている間でも、虎杖をしっかりと抱き締めていて、五条の腕が腹にがっちり絡んでいる。
    「ゆび、十本も、むりだってぇ……」
     微笑ましかった寝言が一気に不穏になった。
    「悠仁」
     前髪に鼻を擦り寄せて、何処か柑橘系のにおいがする髪のにおいで鼻孔を満たした。
    「起きないと、チューするぞ」
     額にそっと唇を押し当てる。前髪のせいか、虎杖の額は狭く見える。形の良いおでこに、五条のそれをこつんと重ねた。
     虎杖の睫毛がぴくりと震え始めて、ゆっくりと琥珀の瞳を現していくそのさまを、しっかりと見詰めた。
     少年院での事件の後、湿った匂いのする解剖室で、確かに骸になっていた少年が、寝ぼけ眼で起き上がって、まるで長い眠りから覚めたかのように死から蘇った時みたいに。
     虎杖が腕をのんびり上げて、五条の頬に触れた。ぺちぺちと軽く叩くようにして、ほっぺたをつねって伸ばした。
    「ぁにふんのゆぅじ」
    「……わ――っ」
     引っ張られた頬のまま、虎杖を呼べば、半目からばっちり目を見開いた虎杖が飛び上がった。大きな白目がばっちりと五条の姿を映している。よく見ると、虎杖の目は二重になっていた。そう言えば寝起きに二重になる人も居るんだよな、とテレビか何かで見た話を思い出した。
     後ろに飛び退いた虎杖は、ベッドに尻から落ちて「いてえ!」、と叫んだ。
     寝間着のトレーナーが肩まで下がって、鎖骨が顕になった。戸惑った瞳で、ただ五条を床から見返している。
    「な、なんで、俺、先生と一緒に ここ俺の部屋じゃないよね、ここどこ! ね、ねえ五条先生、どういうことなの」
     そうでなければいいと思ったことばかり当たってしまう。
     覚えていない。虎杖は、昨日のことを。どうして五条の部屋に居るのかも、一緒に寝ていたのかも、そして、五条の告白も。

     *

    「恐らく、眠ったら記憶がリセットされるのだろう」
     家入は気怠げに、隈のある目元を細めて、指先で髪を弄んでいた。
     二回目の診察だが、虎杖は落ち着かなく椅子に座っている。一回目と同じように。いや、『今』の虎杖にとっては、最初の診察なのだ。
    「昨日と同じく、宿儺を祓う直前までの記憶はあるが、それ以降から昨日までの記憶がない。起きている間は記憶が保持されているが、眠れば消える」
    「一日で記憶がリセットされる、って認識で良いのか」
    「概ねな」
     家入は嘆息しながら問診票を机に放った。
    「短期記憶は出来ても長期記憶は出来ない、解剖出来たらいいんだけどね」
    「や、やめて欲しいんすけど……」
     虎杖は青ざめながら、顔を引き攣らせた。
     つまり、と五条がまとめに入る。
    「今の悠仁はファミコンゲームみたいなもんかな、セーブ機能がないレトロゲーム」
    「あー、昔のドラクエみたいな? あれってパスワードがセーブ代わりなんだっけ?」
    「それそれ」
    「でも俺、ゲーセンでゲームはやるけど、昔のゲームはよくわかんないんだよな、友達んちでゲームやらしてもらうことはあったけどさ。五条先生も昔のゲームとかやってんだ」
    「あ、言っとくけど、僕スーファミ世代だからね」
    「スーファミとファミコンって違うの? 同じやつじゃないの?」
    「……スーパーなやつとスーパーがついてないやつだよ……こ、このっ、ゲーム詰んだらすぐ攻略検索する世代が!」
    「え? それのなにがおかしいの?」
    「わー、これだからゼット世代は! ゲームってのは苦労して進めるからこそクリアした時の達成感がだなぁ」
    「五条、その不毛な会話を延々と続けるのをやめろ」
    「硝子だって同世代のくせに!」
    「オマエみたいなクズと一緒にするな」
     家入は胸ポケットをまさぐり、煙草を取り出そうとしたが、ここが診察室だと気付いて煙草を元に戻した。苛立ちの大元である男に対して、顎でしゃくって退室を促した。
    「五条、オマエが居ると診察がスムーズにならない、出て行ってくれ」
    「えー、悠仁のお父さんとして付き添いの義務があるんだけど」
    「はっ、記憶のない間に、五条先生は俺のお父さんになったの」
    「そうだよ、僕がお腹を痛めて生んだ大事な息子だよ」
    「つ、つまり、先生でお父さんでありお母さんであると……っ」
    「出て行け五条」
     家入が苛つき気味に、出入り口の扉を指差した。
     悪ノリ親子もとい師弟なので、会話がとっ散らかりになって診察が滞る。五条は文句を言いつつも「元気でね悠仁、辛い時は僕の顔を思い浮かべて……」、と今生の別れのような鳴き真似を残して去っていった。
     喫煙家のせいで落ちている肺活量で、家入は長い溜め息をこぼした。今日って禁煙何日目だっけ、医者の不養生とはよく言ったもので、脳がニコチンに依存させられているだけだと理屈で理解していても煙草に手が伸びてしまいそうになる。そもそも胸ポケットに煙草を入れておくこと自体禁煙に対して効果がない。
     ふう、と紫煙を吐くような素振りをして、家入は診断を再開した。
    「まあ、五条の言っていたゲームの例えでいいかな、虎杖のこれまでの人格と記憶は初期インストールされてて消えていないが、セーブ機能がない。パスワードで退避も出来ないが、似たようなことは出来る」
    「ふむ?」
     家入からいくつかアドバイスを貰った虎杖は、明日の診察の予約を取り付けた。忘れずスマホで通知設定をして、虎杖は頭を下げて診察室を後にした。
     廊下の長椅子に腰掛けていた五条に歩み寄り、虎杖が笑い掛ける。
    「終わったよ、五条先生。ありがとう」
    「いえいえ、お父さんですから」
    「……お父さんは、添い寝、するものなの」
     朝からずっと気になっていたことを、虎杖はついに訊いた。
     いつも通りの目覚めのはずだった。虎杖にとっては。寮の自室で眠りから覚めたはずなのに、目の前には五条が居た。
     五条は教師で、虎杖と間違いなんて起こすはずがない。でも記憶がないから実際のところはわからない。何故五条の部屋に居たのか、記憶がない間に、そういう踏み込んだ関係になったのか。なにもわからない。状況だけが進んでいて、感情がスタートラインに立ち残されている。周回遅れの現状が、ぐるぐると廻旋していた。
     五条のしていたゲームの例えで言うなら、序盤だけ遊んでいたゲームを、いきなり友達の遊んだ終盤のセーブデータでも開いてしまって、知った世界観のはずなのに、理解の及ばない展開になってしまっているような、虎杖だけが置いていかれているような気分なのだ。
    「……君が心配しているような、間違いがあったわけじゃないよ」
     五条は椅子から立ち上がる。身長差で見下ろす目線になるが、五条は膝を曲げて、虎杖と目の高さを合わせた。
    「君の記憶がリセットされるようになったのは、十二月七日からだ。異変にはっきり気付いたのが昨日、十二月十七日。一日で記憶がリセットされるか確信がなかったから、僕が様子を見る為に一緒に居たんだ」
    「そ、そっか……」
     間違いなどなかったことに、ほっと心ゆるびした表情を浮かべた虎杖だ。
     言ったことに嘘はないが、下心全部告げた訳じゃない。
    「でも、君がどうなってしまうか、僕自身の目で見届けたかった」
     告白したこと、それも忘れてしまうこと。そうなってしまうのなら、五条自身の目で全てを見ていたかった。
    「悠仁のことが好きだから」
     想いを伝えたことさえ忘却の彼方にいってしまって、虎杖が覚えていられないなら、せめて五条だけでも、この目で焼き付けたい。
     ネガフィルムを現像するように、暗室に浮かび上がる記録を、まんじりともせず見届ける。血が噴き出そうとも、目を逸らしたくなろうとも。
    「え、俺を、……え?」
    「ライクじゃなくて、ラブ」
    「ご、五条先生から一番遠い台詞じゃねっ……?」
    「月が綺麗ですね、の意味」
    「今まだ昼間だけど」
    「はー、情緒がないね、そう言う色気より食い気、花より呪霊退治ってとこが好きなんだけど」
    「こ、告られてんの、ディスられてんの俺」
     虎杖は頬を紅潮させるが、ときめきよりも、動揺が大きく見える。
     告白されたことに驚いて、心臓を高鳴らせてはいるが、戸惑いと、答えに迷っているようだ。
    「……ごめん、どう答えたら良いのかわからん」
     虎杖は五条と視線を交わさず、壁の何が面白いのか、じっと染みを見ていた。
    「いっぺんにワーっと色んなこと聞かされて、先生に告られて、俺どうしたらいいのかわからない」
     告白を受け入れるどころじゃない精神状態だ、当たり前だろう。
     それでも、明日に先延ばしだったり、待ち合わせ場所に来なかったり、答えさえもらえなかったり、そんな風に宙ぶらりんで生殺しにされるより、「わからない」と返事が貰えただけでも、幾分ましに思えた。
     イエスでもノーでもない、どっちつかずのグレーだが、虎杖が悩んで出した答えなら、貰えただけで今は良かった。
    「……そっか」
    「ごめんね五条先生、あ、あのさ、……告白って、これが初めて?」
    「うん」
     五条は嘘をついてしまった。
     本当は今日が初めてじゃない。宿儺を祓った日と、昨日も恋心を伝えている。それを正直に言えば、何度告白しても諦めないしつこい男だと思われるかもしれない。実際諦めの悪い自覚はあるけれど。正確な告白の回数を教えたくなかった。
    「……そっか」
     虎杖は頷いて、伏黒達と会って来る、と去って行った。いまいち腑に落ちない顔をしていた虎杖が引っ掛かったが、ひとまず家入と話をすることにしよう、と再度診察室に入室した。

     五条と家入、二人だけの診察室は、自然と空気が重たくなる。どっしりと足元に纏わり付いて身体を引っ張っているようだ。
    「治す方法はないのか、硝子」
    「現状は。診察は続けるが、……原因は『あれ』しかないだろうな」
     宿儺を祓ってから、記憶が定着しなくなった。脳と呪力の関係は未だブラックボックスだ。受肉体から呪いが居なくなったのだ、混ざり合っていた部分がなくなって、残った虎杖に、どんな悪影響があったって不思議ではない。
    「クソが」
     思わず地が出てしまう五条を、家入は興味深そうに観察した。低く唸って舌打ちをする。十年以上掛けて高専時代の粗野な言動を削いでいたのに。そっちのほうがらしいんだけどな、と家入は脚を組む。
     五条が虎杖に懸想していることは勘付いている。今朝だって、付き添いで診察にやって来たけれど、生徒を案ずる教師以上の顔で虎杖を心配していた。五条がコンプラ抵触で停職になろうと、家入には知ったことではないが、高専からの付き合いである級友の恋路には下世話な興味がある。青春に後ろ髪を引かれている男が、春を掴もうとしているのだ。特に応援も援護射撃もしてやらないが、成り行きは見守ろう。
    「手放すなよ」
     気付けずに取り返しのつかないところまで心が離れてしまうことの、恐ろしさったらない。後から思い返して、なにか出来ることがあったのではないか、もっと気を掛ければよかった、言って欲しかったことを言ってあげられたらよかった、なんて自問自答してしまう。
     自分の責任だと全て背負い込む必要までない、家入は取り繕わない格好をした、新宿で言葉を交わした時の、もう一人の級友のことを思い返した。バカだよアイツは、自分でどうにもならないことを、自分一人でどうにかしようとしなくていいのに、なまじ何でも出来るやつが親友だったから、きっと引き返せなくなったんだろう。自ら追い詰めるような退路の立ち方をして、両親まで手に掛けて、本当にバカ。
     かち、と発火石の音がして、診察室だと言うのに煙草に火を点けたことに、家入は自分で少し驚いた。吸うなら外で吸おうと思っていたのに。禁煙を心掛け、煙草を吸う数を抑えようと努めていたのに、つい手が伸びてしまう。
    「悪い医者だな、硝子は」
     けむ、と五条は顔の横で手をぱたぱた振って、煙を避けるような素振りをした。
     煙草の煙は有害だから、無限で弾けないのか、と突っ込もうとしたが、代わりに家入は煙を五条にふっと吹き掛けた。
    「たっく、……硝子に言われるまでもないっての」
     五条が咳払いをして立ち上がると、脚の長さ故に、巨人のように見える。家入は椅子に座っているから尚更。
    「手放さないよ、なにひとつ」
     最強として振る舞うしかない男は、何ひとつ取りこぼさないと誓うように、目隠しの下からでも貫くような視線の強さを持っていた。
     生きていれば、失うものが多くなるのは当然だ、割り切ったほうが楽になる。
     どうにも出来ないことをどうにかしようなんて、しないほうが良い、その方が楽だから。
     それでも五条は教職を選んで、家入はズルして医師免許を取って医療の道に進んだ。
     手を抜くところは抜いているが、サボるというより楽できるところで楽をしている。五条も家入も適度に気抜きする要領はある。
     目の前の出来ることをしていた結果だけれど、少しでも良い方向に進んでいると信じたい。
     悪友のためなんて言わないけれど、なにに後悔する生き方なんてしないように。

     *

    「と言うわけで、今日から悠仁は僕と一緒に暮らすことになりまーす」
     五条の居住空間である地下一階の空き部屋は、それまでと違って、随分と俗っぽく変わっていた。壁には海外金髪女優の水着ポスター、棚には少年漫画に雑誌、床にはプライズ品のぬいぐるみ。五条好みとは違ったジャンルのサブカル郡だ。
    「待って、どういうことなの五条先生」
     虎杖は呆然と部屋のものを見渡していた。五条の持ち物ではない、ここにあるものは全て虎杖の私物だ。元は虎杖の自室にあった調度品が、そっくりそのまま五条の地下室にあった。
    「伊地知が一時間でやってくれましたー!」
    「ジョバンニみたいに言わないでくれない 伊地知さんをスーパーマン扱いしてこき使うのやめたげなよ! 私物持ち出すとか俺に了承取ってからしてくれない つーかなにゆえ同居することになってんの!」
    「悠仁はさ、明日起きたら今日の記憶はなくなってるんだろ、だったら朝一に状況を教えるやつが居たらいい」
    「そうだけど、だからって、先生と、なんて……」
    「僕が悠仁を襲うかもしれない、とか考えてる?」
     わざと挑発的に、虎杖を見下ろして、目隠しを親指で上に上げた。
     瞳に気圧されたのか、虎杖が一歩後退る。告白して、意識しているのか、身を守るように脇を締めて拳を握りしめた。
    「君を好きな男として、信用できないってのはわかるよ。まあ悠仁は、そんな簡単に組み敷かれてくれないだろうけど」
    「い、いざとなったら、金玉蹴って逃げるし」
    「あっはっは、それでこそ僕の好きな悠仁だ」
     無限のある五条には容易く攻撃は通らないし、力量差は埋められないほど開いている。それでも本気で抵抗すれば、五条から逃げ切れると虎杖は思っているのだろう。かわいいなあ、と五条は堪え切れず笑う。最強の五条を一人の人間として見ている、呪術師でも最強の男でもない、ただの五条悟と認識している数少ない人間。手のひらで一息に握り潰せるのに、呑気に全身を預ける齧歯類を見ているようだ。
    「ベッドは夜までには届くらしいから。寝るとこは別々ね」
    「そ、そう」
     虎杖は露骨に安堵の息を洩らした。
     今朝は訳もわからず添い寝していたのだから、混乱もひとしおだったろう。起床の度に驚かせてベッドから落下させるのもかわいそうだ。
    「悠仁の部屋は今日からここね。高専に通うのもこの部屋から。死んでた時は地下室に居たんだし、生活順応能力は悠仁ハイスペックだろ。地下室生活も問題なし。明日記憶がなくなってても、まあ大丈夫だろ」
    「まあ、今もそこまでキョドってないから、明日も大丈夫だろうけど」
     はああ、と虎杖は肩を落とした。
     同居に困ってはいるけれど、直に慣れそうな感じだ。ただ慣れても、明日はまた同じことを説明して、受け入れることに時間を割かないといけないだろうけれど。
     明日はどうすれば良いんだろう。
     二人がそう思っていても、口に出すことはしなかった。
     言ってもどうしようもないし、なるようにしかならない。一番不安なのは虎杖だし、五条だって結局虎杖とどう付き合っていけば良いのか、正直迷っている。
     明日も記憶がなくなっているのだろう、今日を置き去りにして明日に進む。恋心への「わからない」、との返答も忘れて、明日は別の答えを出すかもしれない。今度は断られるかもしれない。
    (僕は明日も告白するつもりなのか)
     明日は受け入れられてもらうことを信じて、今日と同じように想いを伝えてしまうのだろうか。
     結局、虎杖のことなんて考えていない、気持ちを抑えきれずに伝えてしまう。内側から風船が膨らんで、無理に抑え付けたらどう爆発するかわからない。それこそ急所蹴りされようと、泣かれようとも、ものにしてしまうかもしれない。虎杖から一番遠ざけるべき人間だろう。
     それでも離れたくはない。
     今日を忘れて明日に早飛びしてしまう少年が、どう生きるのかを見ていたい。誰よりも近くで。

     *

    【続】
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