龍太郎とやんつよのバックアップ一月四日、三が日明けが俺の兄貴、南城龍太郎の誕生日である。仕事で家主が不在の桜屋敷書庵で、俺は和服で湯を沸かしている。
「なんで和服?」
龍太郎が言う。
「薫の命令」
答えると龍太郎は笑う。
「フフ、着慣れなくても似合ってるぞ。薫が帰ってくるまで脱げないな」
しゅんしゅん、と湯が音を立てている。俺は火を見守りながら、
「誕生日おめでとう」
と、龍太郎に桐の箱を差し出す。
「箱入り? なんかすごいな」
「なんか凄いんだよ、薫が選んだやつだから」
「恐れ多いな」
「日常使いできる範囲って言ってたけど。まあ開けて」
「薫の日常使いの範囲わかんねえなあ」
龍太郎は桐の箱にかかった紐を解くと、箱を開けた。蓋の裏に、墨で銘が書いてある。俺には読めない。
「これ、薫の字だな」
「そう、作者でもねえのに」
「いやいや、桜屋敷先生の箱書きなんて有難いねえ」
そして中から取り出したのは、茶色に緑、わずかに黄色の混じった、備前焼の宝瓶だった。宝瓶というのは取手のない急須である。
「うわ、いいなこれ。カリッとしてる」
「焼き締めって言うんだと」
「釉薬がかかってない」
「そう」
龍太郎は宝瓶を両手で持ち、角度を変えて眺めている。
「まあ、随分と立派なものを」
「箱にしまいっぱなしにしないで使ってくれよ。今もう一煎目入れちまうからな」
俺が言うと、龍太郎は宝瓶をテーブルに戻す。
「よろしく」
「お任せください」
俺は宝瓶を自分の手元に移動させる。そして用意していた茶筒を開けると、ふわっと茶の青い香りが漂った。
「それ何?」
「福岡の八女茶。実家じゃさんぴん茶ばっかだったよな」
「そうだったな。東京じゃあんまりさんぴん茶ってないから、ジャスミン茶たまに飲むよ。基本的におんなじだし」
「そうなの?」
「そうですよ、シェフ。ご存知ない? ジャスミン茶の呼び方のひとつの香片茶(シャンピェンチャ)が訛ったんだそうだ」
龍太郎に豆知識を披露され、俺は感心する。
「へえ、どうりで似てると思った」
「緑茶ベースだウーロン茶ベースだなんだってのがあるみたいだけど、それ以上はわからん」
「ふうん」
俺は話を聞きながら茶葉を宝瓶に入れる。一人前二グラムが目安。それから沸かした湯を、宝瓶ではなく用意しておいた茶碗に注ぐ。湯は移すたびに大体十度下がるから、これで九十度。茶碗に注いだ湯を今度は宝瓶に注いで、八十度。蓋をして一分、茶葉を開かせる。
「手つきがいい」
「そりゃね」
一分経ち、宝瓶から茶碗に茶を注ぐ。最後の一滴まできっちり注ぐのは、二煎目も美味く飲むためだ。
「どうぞ、お兄様」
龍太郎に勧めると、龍太郎は茶碗を受け取って香りを聞く。それから一口。
「うまい」
「よかった」
「うん、いいな、コーヒー紅茶だけじゃなくて日本茶も」
「俺も飲も」
先ほどより手早く湯を注いで、龍太郎に入れた温度より高めで茶を煎れる。
「旨味成分のアミノ酸とかテアニンとかは一煎目ですぐ出てくるけど、煎れた後の茶葉にカテキンとかはまだたくさん残ってるんだって。だけどカテキンは温度が高くないと出にくいから、残ってるカテキンの成分を出してやるために二煎目はちょい温度を上げる」
解説していると龍太郎はちょっと眉を上げて、
「虎次郎なのに理屈っぽいな」
と言った。
「どういう意味だよ」
「いやさすが、プロですねってこと」
「褒められてる気がしねえ〜」
「いやいや、ほんと、お前しっかり料理人なんだなあ」
「今更かよ!」
煎れた茶を飲みながら龍太郎に文句を言っても、龍太郎はニコニコしている。気持ち悪い。
気持ち悪いが、
「これだけじゃねえんだよ」
「何?」
「まだあんの、プレゼント」
「それはまた随分とサービスがいいな」
俺は机の下からまた別の箱を取り出す。
「いや、この宝瓶用意してるうちに薫がお茶にハマっちまってさ……、こっちもって」
箱を受け取った龍太郎が中身を確かめる。今度は、宝瓶よりずっと小ぶりの赤茶色の急須だ。
「おー、紫砂壺」
「と、茶盤もある。養壺用の筆も」
「ふふ、養壺もすんの、俺? 楽しそう」
「やったことある?」
「ない。店では何度も飲んでるけどまず家では飲まないし、育てるなんて全く未経験」
龍太郎は首を振る。養壷というのは、急須を使い込んで育てることだ。急須の陶器の小さい穴に、使い込んでいくうちに茶の成分が染み込んで、色も艶が出て茶の味も良くなるらしい。うちでは薫が最近一つ育てている。
俺は先ほど煎れた茶を飲みながら、
「煎れ方は知ってるよな。この急須、茶壺に湯入れて、その湯を茶碗に移してまずは器を温めるだろ。そんで茶壷に茶葉入れて、湯入れて蓋して、茶壷の上からも湯をかけて蒸らして、注ぐ……って、まあ、知ってんならこの辺にしとくけど」
「その筆はなんに使うんだ?」
「筆はほら、養壷用だよ。茶を茶壷に上からかけて、筆で均一に撫でてムラなく育てるんだと」
「ああ、そうか。店で筆で撫でてるの見てさ、何してんだろって思ってたんだよな。なるほどね」
「養壷するなら茶葉は一種類にして、その茶葉専用の茶壷にするのがいいってさ。とりあえず東方美人茶と金萱茶を用意したが、これじゃなくても好きな銘柄があればそれと決めて使ってくれ」
言いながら俺は茶葉の入った缶を龍太郎に渡す。
「おすすめは?」
「俺なら東方美人かな。金萱茶はミルクっぽい香りがして、東方美人は蜜香がする。蜜香ってなんかいいじゃん?」
「名前で選んだんじゃないんだな」
「違うわ!」
「薫は何育ててんの?」
「東方美人」
「だろうな」
「なんだよ」
「いや、仲がいいですねって。薫が育ててるのがおすすめね」
「なんだよ。蜜香いいだろが。言っとくけど、薫が育ててる茶壷だって、茶ぁ煎れてんのは俺だぞ」
「それ何の自慢だ?」
龍太郎がゴソゴソと袂から何かを取り出す。そう、龍太郎も和服だ。……薫のリクエストだろうな……。いつ帰ってくるんだ薫。夕飯には間に合うだろうな?
と、思っていたら玄関から物音がした。薫だ。
「ただいま。来てるな、龍太ーーーー……、龍太郎。あけま……、あけましておめでとう、それに誕生日も……おめ……おめでとう……」
「ありがとう、薫。新年早々お勤めご苦労様。気絶しかけてるけど大丈夫か?」
「おーい薫、まともに喋れてねえぞ。だから龍太郎に和服リクエストすんなって……」
「薫、ほら、台湾土産だよ。三點一刻、ミルクパウダーと砂糖が入ってるから、湯を注ぐだけでミルクティーになるティーバッグ……薫……」
「ああ、龍太郎、ありがとう……俺にうってつけ……」
「薫、お前、人にはあんだけ丁寧に煎れさせといて!」
ーーーーー
龍太郎 授業参観
いないな。
薫はプリントを後ろに回すのを口実に、教室の後ろをざっと見回した。
いないのは分かっている。今日は小学校の参観日で、本当なら薫の親も来る予定だったのだが、急遽仕事が入ってしまって父親も母親も来られなくなってしまった。ごめんな、ごめんね、と謝る両親に、別に構わない、来られたらかえって恥ずかしい、と薫は言った。それは本心だった。
いないし、いなくていい、と思いながら黒板側へ向き直る。その途中で目に入る級友たちはどこか照れくさそうで、でもちょっと嬉しそうで、机の下で小さく自分の親に手を振ったりしている。
プリントが行き渡った頃合いで教師が、
「プリントに書いてある漢字に、一画だけ足して、他のどんな漢字に変身するかな?お母さんたちにヒントをもらってもいいですよ」
と言い、子供たちはプリントに取り組み始める。パラパラと、机から立ち上がって親に話しかけに行くものがいた。
別に親にヒントなど聞かなくていい、漢字ならいくらでも知ってる。薫は一人でプリントに取り組む。日、口、大、木、それぞれに一画足して別の漢字を作るのだ。
「貼ってある書き初めにもヒントがあるよ」
教室の後ろを指差して教師は言う。冬休みの宿題で出た書き初めが壁一面に貼ってあるのだ。薫はまた後ろを向いて、書き初めを見る。問題のヒントなんてなくていいが、指を差されたらなんとなく。
親たちの視線も書き初めに移り、その中の一枚、薫の書き初めが群を抜いていることに気づくと小さな声で、
「桜屋敷くん、大人より上手ねえ」
「本当」
と口々に言い合う。そう言われても特に得意な気分にはならなかった。
親が見たら、このくらいの年の子供は普通こういう字を書くのだと、薫はよくやっていると、褒めてくれたりしただろうか。別に他人と比べて褒められたいわけではないけれど。
立ったり座ったり忙しい級友をよそに、薫は黙々とプリントを埋める。
来ないな。
しょうがない。虎次郎のところは、おばさんが来るって言ってたっけ。隣のクラスだから、あとで顔合わせるかも。そういえば虎次郎の書き初めはひどかった。俺が指導したから、提出用はだいぶましになったけど。
などと考えながらプリントを眺める。木に一画足して、本、末、未、あと何かあるだろうか。と、後ろが少しだけざわついた。
何だ、と振り返ると、龍太郎がいた。龍太郎がいる?
え、と思っていると、龍太郎はニコッと笑って、薫に小さく手を振った。
虎次郎のおばさん、来れなくなったのかな?
虎次郎のクラスは隣だぞ、と言いたくて、小さく指で、隣、隣、とさし示した。すると龍太郎はその意を汲んで、でも小さく首を振った。
か、お、る、と声を出さずに口の動きで薫に伝える。
周りの親たちは、どう見ても若い龍太郎に、一瞬随分若い父親だと驚いたようだが、すぐにお兄さんかな、と思い直したようで、会釈し合っている。
龍太郎は壁に貼られた書き初めをぐるりと見て薫のものを見つけ、じっと眺めて頷いた。上手に書けている、と思ってくれているようだった。
そして黒板を見ると、薫に、スッと指で「J」と示した。
J?と思っていると、龍太郎は黒板を指差した。そしてもう一度、「J」。
あ、と薫は理解した。そしてプリントに、「札」の文字を足した。
ーーーーー
南城部長の営業
「お恥ずかしい話なんだが」
こぎれいな応接セットに座り、目の前の男性は言った。彼は今回の我々の顧客で、ここは彼の執務室である。ふくよかなお腹を窮屈そうに屈めながら、ここだけの話、というように身を乗り出した。
「なんでしょう」
僕の隣で、南城部長が言った。穏やかな声で、両手を軽く開くようにして、相手を促す。
我々は彼の会社の業務改革のコンサルを受注し、一通り業務の流れや組織の体制などの概要を聞いたところだった。細かいところはあとでそれぞれの担当者から話すからね、と話はひと段落し、冒頭のセリフとなった。
「たいていの社員は今回の業務改革の必要性を感じてくれている。今の仕事のやり方が、もう時代遅れのやり方だって、自分たちで気づいているからね。でもきっと、うん、他の会社でもそうだと思うんだが、どうも乗り気でない社員もいる」
「おっしゃる通り、たいていのところはそうですよ」
「そうか。彼らはなにも、今の仕事のやり方に誇りを持っているからというんじゃないんだ。元々、なんていうか・・・・・・、あまり働かない。言われたことを最低限、のらりくらりと時間をかけてやる、成果も芳しくないといった有様だ」
彼はお茶を一口飲む。
「そういう態度の社員がいると、まあ、計画通りに仕事が進まないし、周りの社員もやる気を無くす。かといって、ほら、特に問題を起こしているわけではないからやめさせるわけにもいかないだろう。どうしたらいいかな、と思っていてね・・・・・・」
実によくある悩みである。
「懇切丁寧に仕事のやり方を説明したり、このままじゃ減給だよとか言ってみたり、まあそれはちょっとよくないな、実際にはそんな直接言ってないけどね、逆に部下をつけてみて教える立場にしてみたり、いろいろと試してはみたんだが、どうもうまくない。何かいい方法はないかね」
「そうですねえ、どの会社さんでもそういうお悩みはあるようです。お困りでしょう。実際にどんな方なのかを詳しくお伺いしないと具体的な策は立てられませんが・・・・・・」
僕は言いながら、何か策が出てこないか考える。すると南城部長が、
「昔からよく言われている『象使いと象』の話があるんですが、ご存知ですか」
と言った。
「象?知らないな」
「ベストセラーになった本なんですが、ずいぶん昔なのでご存知じゃないかもしれないですね。行動を変えるには、象使いに方向を与え、象にやる気を与え、道筋を定めること、と言われています。ここで言う、象というのは感情のこと、象使いは理性のことです。例えばーー、頭ではやめた方がいいとわかっていても、ついやってしまうこととか・・・・・・」
「痩せないとと思っているけどつい食べ過ぎてしまうとか」
「そう言うことです。象使いが腹八分と言っても、食べたいと思っている象は巨大ですからね、なかなかうまくいきません」
「本当にそうなんだよ」
彼はお腹をさすって言う。
「何か行動を変えたい時、理性だけに訴えてもやる気は生まれない、感情にも訴えなければいけない。そしてその行動はごくわずかなところからーー、と言う話です。ちょっと長くなりますけどこのままお話ししても?」
「もちろん」
「その本に、例として出されていたケースをお話しします。ある会社で、経費の削減を考えている社員がいました。無駄がとても多くあって、これを改善すれば年間十億ドル単位で費用削減が見込めたんです。ですがそれには大きな業務改革が必要で、その改革をするには当然、上司の承認が必要でした」
「うん」
「改革は大規模なもので、普通に説明してもその上司が承認する見込みは少なかった。それで、その社員は、上司の感情に訴える方法を取りました」
「感情にと言うのは、御涙頂戴的な話か?」
「いえ、そういう感情ではないんです。その社員は、バイトを雇って、自社の持つ全工場で使われている手袋を調べさせました。手袋の種類に加え、それぞれの値段も。そして、調べた手袋を全て調達し、調べた値段を貼って、一箇所に集めて積み上げました。そしてそれを上司に見せた」
「へえ」
「手袋の山を見た上司は、あまりにたくさんの種類の手袋が積み上がっていること、そしてどう見ても同じ手袋に、バラバラの値段がついていることに驚きました。一目で、購買業務に莫大な無駄が発生していることがわかったんです。そしてもちろん手袋の山が、氷山の一角であることも」
「なるほどねえ・・・・・・」
「まあ単に、百聞は一見にしかずってことです。日本語には便利な諺がありますね。それで上司は、理屈だけでなく感情でも、購買の業務改革をする必要を理解しました」
南城部長は、いただきます、と言ってお茶に手を伸ばす。
「今のが、象にやる気を与える話ですね。それから道筋を定めることの話は・・・・・・おや、失礼。残念ながら、次の予定の時間になってしまいました。話の途中で申し訳ありません。よろしければ、続きはまた次の機会にお話しさせていただいても?」
お茶を茶托に戻すとき時計が目に入った、と言う体で南城部長は話す。
「そうか、残念だ。ぜひ続きをーー、面白い話だったから、よかったら懇意にしているXX物産の専務にもしてやってくれないか。この間、そう言う話をしていたんだ」
彼が言うと、南城部長はにっこり笑って、
「もちろんです」
とアポイント調整を始めた。
今日は次の予定なんかないのになあ、と思いながら僕も予定表を確認した。
ーーーーー
調子の悪い龍太郎
「遅くなりました」
フロアに声をかけて、いつもより遅くデスクに着く。
「おはようございます。大変でしたね」
部下が労ってくれて、俺は頷いて答える。
「駅と駅の間で電車止まっちゃって。乗り換えもできないし、くしゃみは出そうになるし、仕事始まるまえに疲れた」
「今日は花粉が」
「来てるよね・・・・・・」
嘆きながら鞄から目薬を取り出して両目にさす。多少はマシになるのでありがたい。
「俺、目痒いのと、くしゃみがね。眼鏡でだいぶ防いでるはずなんだけど」
そう言うと部下は、
「俺はもう、身体中の水分が鼻水になって出ていきます」
と言った。彼もまた花粉症である。
「脱水に気をつけて。そうだ、まうセレブをあげよう」
デスクの引き出しから、うさぎとマングースの写真の入った未開封の箱ティッシュを取り出し、渡す。引き出しを開けるのに上体をかがめたとき、腰に違和感が走った。
止まってしまった電車内で身動きとれず固まっていたところに、駅に到着しても駅員がバタバタしており、階段でベビーカーと荷物を抱えて困っている親子を手伝っていたら、筋を違えたようである。悪化したら嫌だなあなんて思っていると、部下は驚いた声を上げた。
「うわ、幻のまうセレブ!ありがとうございます」
「幻なの、それ?」
「幻なんですよ、ふつうのセレブよりもっとフワフワなんですって・・・・・・」
これは薫がくれたやつなのだが、喜んでくれたようで何よりである。
午前の仕事が終わり、昼休み、いつもの蕎麦屋に向かう。
「あれ」
扉に『本日貸切』の張り紙が貼ってある。
「お休みですね、他に行きましょうか」
部下がそう言って近隣の店を回ってみたものの、あいにくどこも満員だった。
「コンビニで弁当買おうか」
気を取り直してコンビニでカレーを買った。カレーフェアでやたらとカレーが推されていたのだ。
会社の下の広場にはテーブルがあり、そこで買ったものを食べることができる。
コンビニのカレーめちゃくちゃ久しぶりだけど、美味い。美味いな、と思ったところで、しまった、と気づいた。今日の夜カレーだって言ってたな・・・・・・。頭にカレーの気配があったからカレーを選んでしまったのかもしれない。昼夜カレーだ。まあいいけど・・・・・・。
ふと匂いがして部下を見ると、追加で買った納豆を開けている。
「歯、磨くから許してください」
するともう1人の部下が聞く。
「いや、カレーに納豆かけるんですか?」
「あれ?かけない?おれんち納豆かけるのがデフォなの」
「強い匂い×強い匂い・・・・・・」
「いや美味いんだって」
微笑ましくて笑ってしまい、そして腰がまたピキッと違和感を発した。やばいな。
今日は遅く来ておいてなんだが、あんまり忙しくないし早めに帰って整体に行こう。いつもお世話になっている腕のいい整体師さんがいるので、予約しておく。彼にはだいぶ助けられていて、この年でも肩こり腰痛があまり悪くないのは彼のおかげだと思う。末長くお世話になりたい。
と思っていたのに。
整体師さんからの衝撃の事実。
「南城さん、実は僕地元に帰ることになりまして」
「えっ」
「南城さんには長く通っていただいて」
「・・・・・・ああ、本当にお世話になりました。地元といえば、確か北海道とおっしゃっていたような」
「そうです、よく覚えていてくださいましたね」
「北海道ですか、それはなかなか遠い・・・・・・」
「出張で来られた際にはぜひお立ち寄りくださいね」
「ぜひそうさせていただきます」
笑顔で答えたものの、心の中では引き留めたい気持ちがいっぱいだった。するわけないけど。
「と言う感じで、今日はちょこちょこアクシデントがあった日だったんだよ」
妻が作ってくれたカレーを食べながら妻に報告する。すると妻は、
「お疲れ様。私もあったわ今日、ちょっとアクシデントが」
と言った。
「どんな?」
尋ねると妻は、冷蔵庫から納豆を取り出しカレーに乗せながら言う。
「家帰ってきて疲れてベッドに勢いよくダイブしたら、ベッドが壊れた」
「ベッドが」
「そう」
「うちの」
「そう、うちの2階のベッドが。むしろよそのベッドにダイブしたらまずくない?」
「そのほうがまずいな。そうか、うちのベッドが壊れている・・・・・・」
ということは、今日寝るところが壊れている。妻は納豆カレーを優雅に食べながら提案した。
「今日は床で寝ましょう」
「そうしよう」
ーーーー
兄さんの日
頼みがある、と珍しく弟から頭を下げられた。
「どうした、改まって」
「兄貴の力を借りたい。聞いてくれるか」
弟はいつものチャラチャラした様子ではなく、また薫に振り回されている情けない姿でもなく、コックコートを着たまま、カウンターの向こうから客席側に回ってきた。
そしてカウンター席に座っていた俺の横に座り、
「ーーにある廃鉱山、知ってるだろ」
と言った。
「・・・・・・ああ?」
知っている。ちょうど今その案件で沖縄に出張と言う名の里帰りをしているところだ。
少し前、仕事で沖縄にデータセンタを立ち上げた。環境も設備もよく、雇用したメンバーへの教育も順調で、発注した客も大満足の案件だった。その評判を聞きつけた別の客が、同じように沖縄にデータセンタを設立したい、ついては場所の目星をつけてある、と指定してきたのがその廃鉱山だった。虎次郎が言っているのと同じ所だろう。
「噂を聞いた。なんか、あそこにでけえ建物建てるとかって。XXにあるデータセンターみたいなやつ、って」
「噂になってんのか」
「まあ色々、飲食業やってりゃ耳に入る。XXのデータセンターってさ、お前がやってたやつだろ?」
虎次郎は、空になっていた俺のグラスにワインを注ぐ。
「うん」
「その廃鉱山の方もお前の仕事?」
「そうだな、・・・・・・いや」
注がれたワインを飲み、俺は言い直す。
「廃鉱山に目をつけてる客は、俺の客」
虎次郎は言いにくそうに口をもごもごさせている。
「で、頼みって?」
促すと、しばらく躊躇って、虎次郎は言った。
「・・・・・・いい年して、他人の仕事に口出すのどうかと思うんだけどさ」
すっかり育ち切った立派な大人の体でコックコートなんか着こなしている弟が、高校生の子供みたいに頼りない顔で言うので、俺は思わず口角が上がってしまう。
「よかったな、他人じゃなくて優しいお兄ちゃんで」
そう言うと虎次郎はますます子供みたいな顔で言った。
「あそこ、潰さねえって、・・・・・・できる?」
虎次郎はポケットから封筒を取り出して言った。
「報酬出す気か?」
仕事の報酬にしては随分薄い封筒を俺は受け取り、中身を見て俺は声を出して笑った。
「ーーふ、お前、これは断れないだろ」
俺が言うと虎次郎はほっとした顔になって頭をかいた。
「了解。ーーお兄ちゃんに任せとけ」
封筒の中に入っていたのは『言うことをなんでも聞く券』、26年前に小さな虎次郎へ渡した誕生日プレゼントだった。
ーーーー
「お前のそのやたら調子のいいところがめちゃくちゃムカつく」
と、半個室の居酒屋で、テーブルに片肘をついて、反対の手で自分の目を覆いながら、先輩は言った。
「おっと直接的なdisっすね」
「そもそも言葉遣いがおかしい。先輩に向かってなんだその口の利き方は」
「先輩若いのにおじいちゃんみたいなこと言う〜」
「お前は社会人なのに高校生みたいなことを言うな」
先輩は目を覆っていた手を外して、俺を睨んだ。酔ってるってわかりやすい顔なので、全然怖くない。
「せめて部長には敬語を使え」
「えーっ俺いつも使ってるじゃないっすか敬語!部長にも!先輩にも!」
「ないっすかじゃねえんだよ。お前は忍たまを見ろ」
「なんで急に忍たま!?」
「忍たまは目上の人には必ず丁寧に敬語を使っている。見ろ。録画して繰り返し見ろ。平日毎日やってるから」
「ってかまだ忍たまやってんすか」
「やってるに決まってるだろ。31年目だ。10歳の乱太郎がきちんと敬語を使えているのに、お前は全くダメだ。出直してこい」
先輩はグラスに残った酒を飲み、メニューを眺める。だいぶ酔っ払ってるみたいだけどまだ飲む気だ。どうぞどうぞ、介抱する腕力はありますからね。
「10歳の乱太郎が31年目ならもう、乱太郎41歳じゃないっすか」
「乱太郎は歳を取らない!」
「そこ怒るポイントなんだウケる」
笑っていると後ろから南城部長が顔を出した。もともと3人で飲みに来ていたのが、電話がかかってきて席を外していたのだった。
「お楽しみのところ悪い、そろそろ俺帰るから、あとは適当に飲んでって」
払ってるから、と言って南城部長はカバンを持って帰り支度を始めた。先輩は急にシャキッと立ち上がり、
「あの、今日は楽しかったです!ありがとうございました!」
とハキハキと言った。
「突然元気になるじゃん」
俺が言うと先輩は鼻に皺を寄せて俺に威嚇した。何それおもろ。
「南城部長、あざーっした!また明日〜」
「お前、言い方!」
南城部長は俺の軽い調子にも気を悪くした様子はなく、ちょっと笑って片手をあげて出ていった。
南城部長が去った個室で、残された先輩はずっと鼻に皺を寄せて俺を威嚇している。いや、おもろいなその顔。
「犬のアレみたい」
「なんだ犬のアレって!?」
俺は「犬 威嚇」で画像検索して、犬が威嚇している画像を見せる。
「これ今の先輩の顔に似てました」
「殴るぞ」
「パワハラっすね、受けて立ちますよ!」
「受けて立つな、もうお前は本当になんなんだ」
はー、と先輩はため息をつく。目線の先には南城部長が置いていったグラス。半分くらいビールが残っている。
「え、先輩、飲みますか。部長の飲み残し」
「飲ま・・・・・・ねえわバカ!」
「一瞬考えませんでした今?」
「考えてねえ」
「先輩、南城部長強火だからな〜」
「なんだよ強火って」
「強火は強火です」
俺はそのグラスを取ってぐいっと飲み干した。すると先輩がガタッと腰を浮かせて、慌てて叫ぶ。
「お、おま、何してんだ!」
「南城部長と間接キス❤️」
「しんっじられねえ、お前・・・・・・」
「南城部長かっこいいっすよね〜、まじで何をどうしたらああなるのかわっかんねえ〜。から爪の垢煎じて飲むイメージで飲み残しのビールを」
「・・・・・・」
先輩はまだ呆然としている。あれっ、予想以上の強火だった、のか?
「・・・・・・飲みたかった?」
聞いてみると、先輩は首をプルプル振る。
なんか悪いことしたみたいで、俺は思わず先輩の後頭部を掴んで引き寄せる。
チュッ、と口をつけて、あ、ビール少しでもお裾分けしたほうがいいかな?って、舌を入れて絡ませた。
「これで先輩と南城部長も間接間接キスっす!」
口を離してお知らせすると、先輩はがっちり固まって、3秒後にぶん殴られた。ウソ〜。
「パワハラじゃないっすか!?」
「お前のセクハラは棚上げか!?」
「いや南城部長のビールお裾分けしただけっすよ!」
「か、帰る!」
「噛んでる〜」
荷物を掴んでさっさとレジに向かう先輩を追いかけると、レジで「お連れ様にすでにお支払いいただいています」ときた。
「払ってるって、自分の分だけじゃなかったんすね。さっすが南城部長」
お店の人はさらに続けた。
「多めにお預かりしておりますので、お釣りです」
千円札が数枚と、小銭じゃらじゃらでお釣りがきた。とりあえず受け取って、店を出て部長にメッセージ。
『ご馳走さまでーす!お釣り預かってるんで明日渡します』
するとすぐ返事が返ってきた。
『いいよ、締めのラーメンでもファミチキとかでも食って。余ったらコンビニの募金箱にでも入れて俺の徳を積んどいて』
「ですって〜。ラーメン行きます?」
「行かない」
「コンビニは?」
「行かない」
「もー、機嫌なおしてくださいよー。ほらこれ南城部長の隠し撮り」
スマホを向けると先輩は急にこっちをガン見してくる。
「お前・・・・・・」
「あのね、隠し撮りは良くないぞって言いたいんでしょうけど、そんだけ欲しそうにしてたら説得力ねーっすからね」
「隠し撮りは良くない」
「はい送りました〜」
「・・・・・・次からは許可を取って撮影しろ」
「欲しいんだ〜」
ーーーーー
ヤンチャ・強火
昼の食堂でカツカレーを食っていると、目の前に座る同僚に言われた。
「なんであの人としょっちゅう喧嘩してんの?」
チキンカツを齧りながら言われた「喧嘩」に、俺は首を傾げる。
「え?喧嘩?喧嘩なんかしてないよ?てかあの人って?」
心当たりがないので聞き返すと、
「してるでしょ、毎日1回は。隣のチームの先輩と」
「あー・・・・・・?え、いや喧嘩なんかしてないよ!?元気いっぱい喋ってるだけだけど!?」
「喧嘩の自覚がないのね?はたから見てたら毎日やり合ってるように見えるけど」
おれはぶんぶん首を振る。
「やり合ってないやり合ってない、毎日南城部長のかっこよさを語り合ってるだけ!」
「いや仕事してよ。会社で推しの話で盛り上がってんじゃないわよ」
「えっでも南城部長かっけえよね?」
「そりゃもちろんかっこいいけど、良く毎日話すネタあるね?」
「反応薄っす〜。その点先輩はさぁ、一をいうと十返ってくんのよ。あ、ほらいた。せんぱーい!」
レジを通る先輩の姿を見つけ、俺は手を振る。先輩は、げっ、と嫌そうな顔をした。でもこちらにはチキンカツの同僚がいるのだ。
「ほら手ぇ振って。先輩呼び寄せて」
ほらほら、と頼むと同僚も小さく先輩に手を振った。先輩はそちらは邪険にできないようで、しぶしぶ、といった顔でこちらのテーブルにやってきた。
「あっ先輩もカツカレー。気が合いますね俺もっす」
「真似すんな」
「いや俺のが先っすからね!?」
同僚は俺たちのやりとりを見ながらチキンカツを食べ、
「いま、南城部長の話してたところなんですよ」
と言った。すると先輩が言う。
「そういえばさっき南城部長『すき焼き食いたいな』・・・・・・って言いながら客とカレー食いに行った」
「え!?南城部長もカレーっすか!?」
「昼前に打ち合わせしてた客がカレー食いたいって言ってたんだよ。南城部長、すき焼き食いたい気分なのに、客に合わせてカレーにするなんて、なんてできた人なんだ・・・・・・」
「ええ〜すげえ偶然じゃん!今日チキンカツとカレー迷ってなんとなくカレーにしたんっすよね〜」
「お前な、そこじゃねえだろ、南城部長がすき焼きを我慢してるんだぞ!」
「すき焼きは夜食えばいいじゃないっすか。あっ夜誘います!?南城部長すき焼き食いたい気分高まってるっしょ!誘ったら行けんじゃね!?」
「えっ、あっ、そうか・・・・・・?ちょっ・・・・・・」
「『青山一丁目 すき焼き』・・・・・・空いてる空いてる、とりま予約しときまーっす」
「まだ誘ってもいないのに!?」
「ダメだったら俺らだけで行きゃいいじゃないっすか。南城部長誘うわ予約ないわじゃダメっしょ」
「そうだな・・・・・・」
あ、と思って視線を上げると、チキンカツの同僚はいなくなっていた。
「え?先輩の可愛いとこっすか?酔った勢いでうっかりヤっちゃって、普段と全然違う声出してめちゃくちゃ盛り上がったのに終わってシャワー浴びたら白いシャツ羽織って『さいあくだ・・・・・・』ってはちゃめちゃに落ち込んじゃうとこですかね、夢で見ました」
「現実の俺一切関係なくないか!?ってか何つう夢見てんだお前は!?」
では、今回いただいた2点のご質問については持ち帰り確認の上、メールでご連絡差し上げます。
本日は貴重なお時間を頂戴しありがとうございました、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
……あーッ疲れた〜! もー俺さっきから腹の音すげーんすけどマイク拾ってませんでしたかね〜⁉︎
あれっ先輩どーしたんすか、変な顔〜って嘘嘘、かわいいっすよ今日も!
……えっなに? もしかしてマジで俺敬語喋れねえと思ってましたあ⁉︎ ウケる〜‼︎ 社会人ですってば〜‼︎ | ヤンチャな方 | 肩こりがひどい
「おまえな、それ……それは……セクハラだぞ!」
先輩が顔を真っ赤にして言う。
「すげえタメたわりに普通のお叱りだった〜・・・・・・って先輩ストップ、ここ社食っす。人事に通報されます」
すると先輩は声を落として言った。
「お前が社食でそんな話するからだろうが!」
「いや先輩が聞くからじゃないっすか?『俺の可愛いとこってどこ?』って」
「そんなこと言ってない。『お前先輩に向かって可愛いって舐めてんのか、どこが可愛いっつうんだ』って言ったんだ」
「同じことでしょ」
「どこがだ。お前・・・・・・全然悪いと思ってないな」
先輩がまた犬の威嚇みたいな顔をする。
「先輩怒るとこの顔になってめちゃくちゃおもろい」
「・・・・・・」
真似すると先輩はますます鼻に皺を寄せる。やめなって。
俺は先輩の顔真似をやめて、ニッ、と笑って先輩に聞く。
「嫌でした?」
「は?」
「嫌だったらゴメンナサイします。ね、嫌だった?」
「子供か!?決まってるだろ、」
「ねー先輩、絶対嫌?死ぬか俺とやるかだったらどっち?」
「その2択の設定おかしいだろ!?大体、おまえ、死ぬほど女と遊んでるくせに、男とそんな想像よくできるな?!」
「先輩、だから、ここ社〜食〜」
声がでかいんよ、と指で「しー」をすると、先輩はまた声を落とす。
「・・・・・・お前のせいだろうが!」
俺も声を落として言う。
「確かに女の子といっぱい付き合ってましたけど、その夢見た時俺すげー嬉しかったっすよ」
先輩は絶句して、
「・・・・・・は」
とだけ、口からこぼれた。
「あれ、本当だったらいいのに。ね、先輩」
「・・・・・・・・・・・・いや、良くねえよ・・・・・・」
俺はあの日のことを思い出す。
楽しく酒を飲んだ。南城部長の話で盛り上がって、昔展示会に出た時のビデオがあるからって先輩んちに行って、数年若い南城部長の映像見て、そんで横に立ってる新人の頃の先輩見て。
わーカワイー初々しーって言ったらなんか先輩めっちゃ怒るから、今もかわいいっすよって言ったら、そうじゃねえってまた怒って。
怒られながら酒を飲んで、すっかり気持ちよくなって床で寝たら、先輩とやる夢を見た。
夢の中の先輩は、めっちゃいい声出すのに、やりながらやっぱり怒ってた。おもろ。
終わった後にシャワー浴びて頭抱えて『さいあくだ・・・・・・』ってめちゃくちゃ失礼なこと言われても、可愛いなーなんて思っちゃったんだから、俺も大概この人に甘いよな。
「そろそろ夏休みっすね。沖縄いきません?」
「行かねえよ。何でお前と」
「南城部長の弟さんのレストランがあるんですよ」
「行く」
ーーーーーー
やんつよ
ねー先輩、生まれた時何グラムありました?って聞いたら、先輩は、はあっ!?と大きい声を出した。いやいや、声でけえっす。俺は肉を鍋に足しながら言う。昔実家で食ってたのとは違う、うすーくてひろーい、マーブル模様の肉。はい先輩どうぞ〜、と、ほどよく火が通った肉を先輩の取り皿に入れてあげる。
お前、赤ちゃんを、グラムで・・・・・・、と、先輩は肉を見つめながら言うので、いやいや違いますって、和牛グラムあたり何円みたいな話じゃねーっすってば!と俺は慌てて言う。こわ。
俺ねえ、四千グラム超えの、でっかいちゃんだったんすよ。あ、豆腐いります?いらない。じゃ俺、もーらい。
そんでね、なんで赤ちゃんの話したかって言うとー、えっ!?待って、それは流石にひどくないっすか!?いません、隠し子いません!出来てたら隠しませんって。芸能人でもないのに隠す必要あります!?そう、そうですよ、わかってくれればいーんです。もっとわかってください、俺のこと。・・・・・・先輩、顔、顔。また犬の威嚇の顔になってる。
で、もー、話の腰折ったら先輩の大好きな南城部長の話できませんよ。あら急に姿勢が良くなって・・・・・・。はい、お肉どうぞ。ネギもお召し上がりください。しいたけは?嫌い?でも栄養あるんで食ってください。肉ばっか食ってねーで。
もしかしたら前にもこの話したかも〜、なんですけど、エレベーターのない駅の階段のとこで、ベビーカーで困ってるママさん、南城部長がスッと手伝ってたんすよ。かっけえ〜。いやもちろん俺も手伝いましたよ。南城部長、そういうの見かけたら手伝うことにしてるんですって。ねー。かっけーっすよね。だから俺もね、マネするようにしてるんすけど、ママさんに声かけると、どーも俺ちょっと見た目で・・・・・・警戒されるってか・・・・・・、いや笑いすぎですよ。
はい、卵。それもう割下の色じゃないっすか。濃いでしょ。
でね、ママさんたち、細っそい腕で赤ちゃん抱っこしてんすけど、1歳くらいの子って10キロくらいあるんですって。それ片手で抱っこしてんの。すげくないすか。いや出来ますよ、俺らは出来ますけど、女の子って力弱いじゃないっすか。知らない?いやいやそういう女の子良く知ってるマウントとかじゃないっすってば、やだも〜、ヤキモチっすか〜?ってまたその犬の威嚇の顔。
先輩だって知ってるっしょ、コピー用紙の箱、あれ10キロくらいでしょ?女の子持つとヒーってなってるじゃないっすか。まー形が違うし、持ちやすさは違うんでしょうけどね〜。訓練っすね。3キロくらいからじわじわ重さ増やしてく・・・・・・え?麻の苗木を植えてそれを毎日飛び越える忍者の修行がある?そうそう、そんな感じ。てか先輩なんでそんな忍者の話好きなんすか?忍たまファンだから?あ、見始めましたよ、俺も!推しっすか、推しはやっぱ土井先生かな〜。見始めたばっかであんまいろんな人わかんないっす。先輩は?え?ショウセイさん?だれっすか?ググります、どんな字?・・・・・・えっ、なに、この人、ちょっと他のキャラと作画違いすぎません!?
なんだっけ、ちょっと照星さんのインパクトで何話してたか忘れちゃいましたけど・・・・・・あ、そうそう、女の子って力弱いのにママになると鍛えられるんすねえって話・・・・・・だったっけ?部長がカッケーって話でしたっけ?
って話をした後に、店から出て、もう一軒ちょっと付き合ってくださいっつって、繁華街の方へ移動して。
そこでまあなんか女の子が2人、ちょっと柄の悪そうなのに絡まれてた。
それで俺は、先輩ちょっと向こうのドトールでコーヒー買って待っててくれません?っつって先輩遠ざけてから、おーいやめなよーって、柄の悪そうなのに声をかけた。
そんで女の子たちに、お兄さんたちとおともだち?って聞いたらぶんぶん首を振った。俺は喧嘩は全然強くないし、あー先輩にも迷惑かかっちゃったらどうしよって思ったけど、コピー用紙でヒーってなる(であろう)子たちを見過ごせないよなあ〜。と思って、柄悪お兄さんたちに立ち向かう。
あっちの通りで、遊んでくれるの探してそうな子たちいたよ、そっちに行ってみたら?とか言いつつ女の子たちを逃したら、案の定お兄さんたちは怒り出した。ねー。そらそうですわ。すみません、お邪魔して。でも迷惑そうだったじゃん。てか怖がってたじゃん。俺も怖いもん。
エーン、ボコられるかな〜とか思いながら、「へいSiri、先輩にゴメンナサイ先帰って、ってLINEして」。したとたんにお兄さんに胸ぐらを掴まれた。あっダメだこれボコられ確定・・・・・・、先輩どうか帰宅してて。二軒目誘ったくせに帰れとかなんだよって怒られるだろうな〜。またあの犬の威嚇の顔してる?
「おい」
してる。犬の威嚇の顔。
「うわ、いる」
「何だあのLINEは。二軒目誘ったくせに帰れとかなんだよ」
「おおお、一言一句予想通り・・・・・・、てか先輩状況見て」
「喧嘩中だな」
「なんで来ちゃうかな〜!?」
依然として俺は柄悪お兄さんに胸ぐらを掴まれた状態です。柄悪お兄さんもちょっと混乱してるじゃん、普通に話しかけてくると思わないもんね。
柄悪お兄さんも、何だお前ハァァァン!?と先輩に怒鳴っている。
ハァァァンな先輩は俺の胸ぐらを掴んでいる柄悪お兄さんに、
「話を聞くから、手を離せ」
と言った。いや無理でしょ!?
「いやいやいや先輩ちょっとマジで何で来ちゃったかな〜〜〜!?」
逃げてくれよ、巻き込んじゃってごめん。
すると先輩は、「何って」と俺の顔を見た。
「助けに来たんだが」
そう言って先輩は、俺の胸ぐらを掴んでいる柄悪お兄さんの腕をちょっと触った。
するとなんか・・・・・・なんか、えっ、何がどうなったか全然わかんないんだけど、柄悪お兄さんが地面に転がっていた。
ん??と、俺も、お兄さんの方もわかんない顔になった。
先に気を取り直したのはお兄さんの方で、立ち上がって、先輩に掴み掛かりに行った。気づいた俺は慌てて止めようとしたんだけど、その前に先輩がまたなんかお兄さんの腕をちょっと触って、お兄さんはまた地面に転がっていた。
「・・・・・・何が起こったんすか??」
「いや、だから、なんか絡まれてるから助けに来たんだが・・・・・・合気道やってたって言ってなかったっけ・・・・・・?二軒目行くんだろ?」
「行きますし解説してくださいね!?」
ーーーー
やんつよ・ヤヨイさんおみまい
「ナンパしたいなら一人で行ってこい、沖縄」
俺は言った。空港で出発前の待ち時間に、コーヒー買ってきまーす!と行ってなかなか帰ってこなかった後輩に。
「ナンパじゃないっすよ!?」
後輩は両手にストロベリーフラペチーノを持って、両脇に若い女の子を侍らせて言った。
どう見てもナンパだしどう見てもそれはコーヒーじゃない。
踵を返して元の椅子に戻ろうとすると、後ろからバタバタと足音を立てて後輩が追いかけてきた。
「声、かけられた、だけっす、って、ね、先輩、足はっっえ、待って!」
「俺は一人で南城部長の弟さんの店に行くから、お前はさっきの女の子達と遊んでりゃいい」
「いやいやいやいやあの子達行き先違いますからね、てかナンパしてませんし〜、あっ、もしかして、ヤキモチ的な・・・・・・!?あ待って痛いっす痛いっす、こぼれる、ストロベリーフラペチーノこぼれますって!はい一個どーぞ、コーヒー買おうと思ったんすけど、美味そうだったんで。先輩生クリーム苦手でしたよね?はいこっちホイップ抜き〜。そもそも苺が嫌いだったら俺2つ飲みます」
「腹壊すぞ」
「はい、なんで、出来たら先輩飲んでくださいそっち。俺の腹を助けると思って」
俺は渋々カップを受け取る。搭乗までに二つは無理だろ。
機内で俺はあらかじめスクショを撮っていたWEBページを見る。
シア・ラ・ルーチェ、という名のイタリアンレストラン。今回の旅の目的地だ。
尊敬する南城部長の弟さんがオーナーシェフをしておられるらしい。
口コミも上々、料理も内装も雰囲気もよく、そしてシェフがイケメン、というのが共通の評価だ。さすが、南城部長の弟さんである。完璧だ。
「着いたら夕方で、お店の予約の18時にちょうどいいくらいっすよ。てか先輩、昨日も遅かったでしょ。メール、ド深夜に来てましたけど」
「仕方ないだろ、休みの前ってのはどうしてもキリのいいとこまでやっとかないと」
「いや俺はね、あえてすげえキリの悪いところで置いとくタイプっすよ」
「気持ち悪くないのかそれ」
「気持ち悪いっす」
「・・・・・・」
じゃあなんであえてキリの悪いところで置いておくんだ。全然わからない。
「着くまで2時間以上あるし、寝てていーっすよ。はいブランケット。アイマスクいります?」
後輩はそう言ってポイポイとブランケットやアイマスクを渡してくる。
「お前は?」
「俺眠くねーっすもん。眠くなったら寝ます。え、一緒に寝て欲しいっすかもしかして、ってほらまた犬の威嚇の顔!」
悔しいが言われた通り、寝不足で眠かった。ブランケットをかけてアイマスクをし、目を閉じると、あっけないくらい簡単に眠りに落ちた。
ーーーーーーーーーーーーーー
「せんぱーい、起きて〜」
敬意の感じられない適当な敬語で目が覚めた。
「着きました、沖縄っすよ」
アイマスクを取ると、そこにはアロハシャツを着た後輩がいた。
着替えたのかよ。
「帰りはお土産にかりゆし買って帰りましょーね。お揃い」
「断る」
「一瞬くらい考えてくれてもよくないっすか。じゃ俺、南城部長にお土産に買ってこ〜」
「・・・・・・」
「先輩も仲間に入ります?いっすよ〜」
空港から出て、沖縄の、東京都は違う空気を吸い込んで深呼吸する。
ここが、南城部長の育った土地・・・・・・
南城部長の吸った空気・・・・・・
栄養がある気がする。
「いや先輩、俺ら毎日南城部長と同じフロアで同じ空気吸ってっからね」
「何も言ってないだろうが!?」
「そんな感慨深げに深呼吸してりゃそりゃわかりますって。さてさて、有能な俺はタクシーを呼びましたよ。いざ、シアラルーチェ!」
シアラルーチェへはタクシーで15分ほどで到着した。openの札を見ながら中の様子を伺う。オリーブオイルとニンニクのいい匂いが少し漂っている。ドアの前で躊躇っていると後ろから首をつっこまれる。
「何してんすか。予約取ってますよ」
「いや・・・・・・」
「うわ〜〜、なんか先輩の緊張移ってきた。南城部長の弟さんに会えちゃう・・・・・・」
「やめろ、言うな」
「ね〜〜!?緊張しますね!?」
「うん・・・・・・」
立ち往生していると中からドアが開いた。
「いらっしゃいませ、ご予約の2名様ですね?」
今まで見た人間の中で一番大きくて分厚い体に、眩しいくらいの甘い顔が乗っていた。
顔と体の圧がすごい。でも表情は人懐っこい。
「ーーすッげえ!似てるけど似てない!ーーあ痛ッ!殴りましたね!?」
「失礼しました、お邪魔します」
「あの、思いっきり鳩尾に入ってましたけど大丈夫ですか?」
予約席と札の置かれたテーブルに俺たちを案内すると、弟さんは言った。
「はるばるようこそ、飛行機疲れたでしょう?」
落ち着いていて甘い、実にいい声である。
「いえ、ほんの3時間くらいなので大丈夫です」
「ならよかった。龍太郎がいつもお世話になってます」
「・・・・・・!」
南城部長の呼び捨ては新鮮だ。
弟さんは俺の動揺に「?」と一瞬笑顔を見せ、続ける。
「好きなだけ食ってって下さいね。お決まりの頃にお伺いします」
そう言ってメニューを渡してくれた。
残された俺たちは、無意識に詰めていた息を吐き、頭を抱える。
「ねー、先輩。・・・・・・めっ・・・・・・ちゃ、カッケーっすね、弟さん」
「・・・・・・」
「先輩生きてる?」
「・・・・・・生きてる」
「やっぱ南城部長と似てますね、全然タイプ違うけど。っと、何食べます?」
「・・・・・・考えられない」
「じゃ俺選んじゃいますよ。すみませーん!」
注文した料理を、俺は神に感謝しつつ食べた。神様、ありがとうございます。あんな兄弟をこの世に誕生させてくれて・・・・・・。生まれてきて良かった。ログボです。
料理はどれもきれいに盛り付けられており、とても美味かった。シェフが南城部長の弟さんということを抜いても、また来たいと思う店だ。
席を立って会計に向かうと、対応しようとした店員さんにヒョイと手をあげて制し、弟さんがレジの前にに立った。
「どうも、お口に合いましたか?」
「はい!」
なぜかピシッと背筋が伸びてしまう。
「いやすごい姿勢良〜」
「お前はうるさい」
弟さんは少し笑って、
「愚兄にパワハラとか受けてないですか」
と、とんでもないことを言う。
「とんでもない!」
「なら良かった。もしやられたら連絡してください。止めに行くんで。ーーあ、会計は大丈夫ですよ。愚兄からことづかっております」
「な、南城部長・・・・・・!」
ドアを開けて見送ってくれる弟さんに会釈して、俺たちは店を後にする。
「いや〜すげかった。えぐいくらいモテそ〜・・・・・・こわ・・・・・・」
後輩が後ろを振り返りながら呟く。
「なんで怖いんだよ」
「ええ、なんかもうエネルギーが・・・・・・生命の力が・・・・・・」
「生命の力ってなんだ」
「あの人と部長が同じ屋根の下で育ってたの、想像できませんね」
「そうだな。弟さんまだ20代だろ?俺らと同世代とかじゃないか?」
「ヒェッ、それでオーナーシェフ。カッケェ〜・・・・・・さすが南城部長の弟さん・・・・・・」
そう言うと後輩は、じっと俺の顔を見てきた。
「何だよ」
「惚れました?」
「はあ!?」
「いや、仕事できるし、体かっけえし・・・・・・南城部長に似てるし・・・・・・」
「はっ!?南城部長!?そういうんじゃねえが!?」
「そうなの!?」
「そうなの!?じゃねえよ、敬語!」
「そうなんすか!?」
「そうに決まってるだろ、尊敬だよ、何でもかんでも恋愛にすんじゃねえっつの」
誤解に呆れて言うと後輩は、よかった、と大きく安堵のため息をついた。
「なんだ、じゃ俺ワンチャンありますね」
「何でだよ、ねえよ!」
「嘘だ〜、あるっしょ」
「ねえっつの。お前みたいなチャラいの、趣味もペースも合わねえよ」
「そうっすか?」
「お前、俺を舐めきってるけど一応先輩なんだからな、敬えよ」
「舐めきってませんって」
連れ立って歩いているのが、だんだんスピードが上がってくる。競歩するつもりはないんだが。
「先輩の、ムカついても客にキレないとこ尊敬してますよ」
「いやそりゃ当たり前だろ、社会人だぞ」
「資料再利用すっとき、ちゃんとスライドマスタいじくって今年の年度に直すとこも」
「いやそれも当たり前だろ、お前直せよ時々ヒヤッとする時あるぞ」
「コンサルのくせにしゃべんの苦手で、ぜってえぶっつけ本番でプレゼンしないとこも」
「さっきからなんだ、新人研修の評価ポイントか?」
「新人でもねえのにそういう基本的なとこいちいち真面目なとこが良いすねって話です」
「バカにされてるとしか思えねえが・・・・・・」
「いや違いますって、先輩そういうのフツーにできるでしょ?でその上でちゃんとした提案してるじゃないっすか。俺はねー、ダメなんすよね。なまじっかアドリブで何とかなっちゃうから、基本的なとこポロポロミスってんすよね。まあ何とかなってっからいいっちゃいいんすけど。そゆとこちゃんとできるって、俺にとっちゃ尊敬ポイントっす、ガチで」
「ふーん・・・・・・」
「ふーんて。わかってないな〜、ま、いいけど」
「・・・・・・基本的なとこちゃんとしてるからってワンチャン狙われてんのか?俺は。それなら他にも山ほどいるだろ、ちゃんとしてるやつ。うちの会社、むしろちゃんとしてないやつの方が少ないぞ」
「いやそれはまた別の話っすよ。今のは尊敬ポイントで、恋愛とは別っす」
「ふーん」
「ふーんて。もっと話膨らましてください」
「興味ない」
「なんでワンチャン狙われてるか気になりません?」
「何でワンチャン狙ってんだよ。女遊びに飽きたから手近にいる俺か?」
そう言うと後輩は、まさかあ、と手を顔の前でぶんぶん振った。
「女遊びってほど遊んでませんし。ちゃんと真面目に付き合ってたっすよ。まー、あんま長続きしねえけど」
黙って聞いていると、後輩は続ける。
「今までの彼女、仕事関係ないとこで知り合うの子の方が多かったっすね。仕事と全然関係ないお喋りして、遊び行って、いちゃついて。お酒飲んでる顔が可愛いーとか、一緒にサッカー観て騒ぐの楽しーとか、好きになんのなんていろんな理由あったけど。先輩の場合は・・・・・・」
そこでこいつは言葉を止めて、俺の顔を見てちょっと笑った。
「南城部長に褒められて嬉しそーにしてたのが可愛かったからっすね」
「嘘だろ」
「嘘じゃねっすよ。からかってもいません。ねー、俺結構マジなんです。ダメ?」
「ない」
「・・・・・・ない!?即答!?ひどくないすか!?」
ーーーーーー
「お、おお〜・・・・・・」
「あっ、気に入りました?良かった〜。わー、すげ、めっちゃ海見えますよ」
移動も宿泊も、手配をすべて「俺がやっときますんで!」という後輩に丸投げしていたが、予想以上にきれいなホテルだった。ツインのベッドはそれぞれクイーンサイズほどの広さがある。照明も椅子も、雑誌で見るようなデザイナーズ家具だ。窓際には、小さなテーブルと椅子が二つの、「あのスペース」もある。
「ちょっと前に全面改装したんですって。だから内装も家具もまだ新しくてピカピカっす」
「へえ、どおりで」
荷物を下ろして椅子に腰掛けると、不意に旅の疲れがどっと足に来た。さほど歩いていないのだが、座りっぱなしでダルくなっている。後輩はあちこちの扉を開けて、中に何があるかチェックしていた。チェストの引き出しにバスローブを見つけて取り出すと、
「バスローブも浴衣もありますよ」
とそれらを広げて見せた。
「温泉、8階ですけど、着ます?浴衣」
「あー、うん。そうだな」
渡された浴衣を広げて大きさを見る。ちょうど良さそうだ。
後輩を見ると、鞄から財布を出して鍵を手にしていた。
「俺、下に酒とつまみ買いに行ってくるんで、風呂どーぞ」
「風呂は?」
「後で行きます。先輩何飲む?」
「ビール、2本くらい」
「了解〜」
俺は旅行に行くと温泉に入るのが楽しみなので、風呂より酒を優先する気持ちがわからない。買ってくると言うのだからありがたく風呂に行かせてもらおう。
大浴場は室内に大きな浴槽と、小さいジャグジーと、それから屋外に岩で囲まれた露天風呂、打たせ湯、そしてなんかでっかい壺みたいなのがあった。それぞれちょっとずつ入って楽しむ。気持ちいい。特に露天風呂は、涼しい風を浴びながら体が温かいのが最高だ。夏だからそこまでではないが、冬ならもっと温度差があって好きだ。それに何より星空を眺めながら風呂に入れるのがいい。
だいぶ堪能したが、のぼせる前に上がることにする。
後輩は来なかった。
浴衣を着て部屋に戻ると、後輩が部屋で浴衣を着て、窓際の「あのスペース」で椅子に座ってビールを飲んでいた。俺が帰ってきたことに気づいて振り向くと、ビールを持った手をひらひら振り、
「おかえりなさーい、あっ浴衣、いっすね!似合う〜」
と言った。髪が濡れている。
「なんだ、お前内風呂入ったのか?大浴場結構良かったのに」
「行きますよ〜、朝ね。今日はもう内風呂で良いっす。どんなでした?」
「室内は普通のでっかいのと、ジャグジー」
「ふんふん」
「露天風呂もある」
「あ〜、いっすね、俺露天風呂大好き」
「俺も」
応えると後輩は、ふはっ、と笑う。
「先輩顔緩んでる」
「風呂入って神妙な顔するか」
「それもそっすね。はい、先輩もビール」
俺も椅子に座ってビールを受け取る。プシ、と缶を開けて飲むと、冷たくて気持ちいい。
「ッはー、うまい」
「風呂上がりのビール最高っすね〜」
〜、と唸りながらビールを飲む。テーブルに置かれたビニール袋から、柿の種とホタテの燻製、茎わかめが出てきた。
「柿の種ってお前、なんてベタな」
「ロングセラーは信頼の証っすよ」
「めちゃくちゃ久しぶりに食う」
「俺も」
なんだかんだ言いながら、ぽりぽり柿の種を齧ると止まらない。
「メシ美味かったっすね」
「美味かったな〜」
「写真撮れば良かった」
「撮ってたじゃねえか」
「料理じゃなくて弟さんの」
「あ〜・・・・・・」
「明日もっかい行きましょっか。ランチ」
「いいな」
「他行きたいところあります?」
「ない」
「ガチでシアラルーチェ目当てだこの人」
「そうだが?・・・・・・あ、でも風呂は良かったな・・・・・・、温泉久しぶりだった。星見ながら風呂はいんの最高。お前もくれば良かったのに」
「へへ」
「へへじゃねえよ」
「流石に好きな人の裸見て勃たない自信ないっす」
「は?」
「は?じゃなくてね」
「・・・・・・え?」
「え?でもないんすよ先輩。さっき言ったじゃないっすか」
「マジでってこと?」
「マジですって。いやマジで全然本気にしてなかったんすね、おもろ」
「おもろ、てお前」
咄嗟に部屋の中を振り返る。
ベッドがある。
ベッドがあるな。
すると後輩はぶんぶん首を横に振る。
「いやいやいやいや、合意なく何もしませんからね?だから風呂も避けたんでしょーが!」
「ウッ意外と紳士、いや、何つうか、悪い、マジでマジとは・・・・・・」
「いいっすよ、マジでマジだってわかってたらそもそも旅行一緒に来てくんなかったでしょ」
「それはそう」
「即答だし!!」
「だってお前・・・・・・マジでマジとは思わねえだろ」
首をすくめて言うと、後輩はビールをテーブルに置いて言った。
「俺、先輩が俺のことウゼーって思ってるのわかってる」
ドキッとして、俺は手が止まる。
ずっと言葉に出して本人に伝えてきたことなのに。
まともに受け止められていないだろうと思っていたからか。
後輩は続ける。
「チャラくて、ちょっと怖がられてのもわかってる」
うん、とも、違う、とも返事できないでいると、後輩は少し悲しそうに眉を下げて言った。
「あのね、実は、ちょっと傷つくんす」
罪悪感が。
ドバッと。
「けど」
後輩は続ける。
「なんだかんだ、話しかけたら返事してくれるし、誘えば付き合ってくれるし。それが嬉しーんすよ。ま、ぜんぶ南城部長絡みなんすけどぉ」
「・・・・・・南城部長以外に俺ら共通の話題ないだろが」
「そんな事ないっすけど!?」
「お前みたいなチャラいやつと・・・・・・」
いつもみたいに言いかけて、言葉に詰まる。
その様子を見て後輩が、仕方ないな、みたいな顔をして、
「チャラいのは否定しませんけどぉ」
と言って真顔になり、一段低い声で言った。
「ーー落ち着いて話すこともできますからね。以前リモート会議の様子をご覧になっていたので、先輩もご承知のことと思いますが」
「急に社会人みたいになるのやめろ!!」
「わはははは、だから社会人ですってば」
結局、その夜はビールの缶が空いたところで、「おやすみなさーい」といつもの調子で切り上げられ、それぞれベッドで眠りについた。
朝、目が覚めると、後輩の姿はベッドになかった。
スマホに「風呂いってます」とメッセージがあり、ぼんやり歯を磨いていると、興奮した様子で後輩が部屋に戻ってきた。
「せ、先輩!」
「なんだ、どうした」
「風呂にふふふふろに」
「風呂になんだ」
「桜屋敷薫いた」
「桜屋敷薫いた!?」
「なんかフワフワしたの2匹連れてた」
「フワフワしたの2匹連れてた!?」
「まだ間に合う、多分まだ間に合うから先輩も見に行って!」
「えっ、おう、わかった」
慌てて大浴場に行くと、
確かに、桜屋敷薫とフワフワしたのがいた。
えっ・・・・・・桜屋敷薫めっちゃ美・・・・・・
そんでそのフワフワしたの何?
ーーーーーー
やんつよ
ーーー
「おまえな、それ……それは……セクハラだぞ!」
「すげえタメたわりに普通のお叱りだった」
「おまえ全然悪いと思ってないな!?」
「嫌でした?」
「は?」
「嫌だったらゴメンナサイします。ね、嫌だった?」
「子供か!?決まってるだろ、」
「ねー先輩、絶対嫌?死ぬか俺とやるかだったらどっち?」
「その2択の設定おかしいだろ!?大体、おまえ、死ぬほど女と遊んでるくせに、男とそんな想像よくできるな?!」
ーーー
では、今回いただいた2点のご質問については持ち帰り確認の上、メールでご連絡差し上げます。
本日は貴重なお時間を頂戴しありがとうございました、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
……あーッ疲れた〜! もー俺さっきから腹の音すげーんすけどマイク拾ってませんでしたかね〜⁉︎
あれっ先輩どーしたんすか、変な顔〜って嘘嘘、かわいいっすよ今日も!
……えっなに? もしかしてマジで俺敬語喋れねえと思ってましたあ⁉︎ ウケる〜‼︎ 社会人ですってば〜‼︎
ーーー
「まずいんだよ」
薫が憎々しげに差し出す皿から、俺はフォークでちょいっと取ってそのパスタを食べた。ボロネーゼだ。見た目はちゃんとしている。腹が減った薫が適当に買ったパスタソースで、悪くはない。
「いや不味くはねえんだよ、味がぼんやりしてるだけで」
「ぼんやりしてるってことはまずいんだ」
「はいはい」
薫が押し出す皿を受け取り、上からガリガリ岩塩を挽く。パルメザンチーズをたっぷり。フライドガーリックを少々。ついでにレモンをキュッと絞って、ざっと混ぜたら薫の元へ。ものの2分のおめかし完了。
「どーぞ」
「うん」
うんってなんだ。
「まだ食ってねえのに満足げな顔しやがる」
「美味いんだろ?」
「美味いよ」
ーーーー
「なんかすごい甘い匂いがするぞ」
薫がキッチンに現れて言い、カオルが答えた。
「龍太郎がおしえてくれたおやつつくってる」
「俺がパキパキした」
コジロウも言う。
「取り出すのは熱いから虎次郎がやる」
カオルが付け足す。
「そう、あつあつだからな。薫、その袋にリッツ入ってんの出して」
「リッツ?」
「お前も食うだろ」
虎次郎が言ったところでオーブンが終わりの音を鳴らした。虎次郎は鍋つかみを手にはめて中身を取り出す。
「板チョコ割って敷き詰めた上にマシュマロ敷いて、オーブンかトースターで焼いて、リッツですくって食う。スモアの高カロリー版……」
虎次郎が取り出した深皿をカオルとコジロウに見せると、ふたりは「わあ〜!」と歓声を上げる。
「薫、リッツ!リッツ!はやくだして!」
「つけてたべるから!リッツ!」
「うっわ……糖と脂肪と炭水化物じゃねえか……」
「薫!はやく!あーっ!ずるい!」
「美味くないわけがないよなあ……」
ーーーー
「うまい。どうしたこれ?」
「龍太郎がつくってくれた。とてぽさらら」
「とてぽさらら」
虎次郎は復唱する。ポテトサラダか。しかしポテトサラダにしてはマヨネーズもきゅうりもロースハムも入っていない。つぶしたじゃがいもの上に生ハムがドーンと乗っている。
「じゃがいもチンしてつぶして、にんにくとバターとコンソメとしおこしょうとおさとうちょっととまぜるんだって」
「うえに、なまハムと、ゆで卵のせるんだって」
「気がむいたら、じゃがいものかわをカリカリにいためてのせるとおいしいって。おれは、すきだ」
カオルとコジロウが説明する。虎次郎に作ってもらうため聞いてきたのだろう。
「ゆで卵とカリカリの皮が見当たらないけど……?」
虎次郎が言うと、カオルとコジロウがおなかをぐいっと前に突き出して、
「ここ」
と言った。
ーーー
「今日はいい兄さんの日だぞ、虎次郎。日頃の感謝を伝えられに来た」
「勤労感謝の日だよ」
「勤労感謝の日兼いい兄さんの日だ」
「おまえわざわざそれ言いに沖縄来たの?」
「実弟は可愛くないな。薫はいいワインくれたのに……」
「あっ、それ、薫がさっき勝手に持ってったやつ! うちの!」
ーーー
「ひとりでいいことしてるじゃないか。僕にも……」
「いけません」
「なんだと」
「これは……いつものとは違います。あなたには刺激が強すぎる」
「主人を子供扱いか?」
「いえ、そんなことは。……では」
「ふん、刺激など、…………いや熱い熱い熱い忠おまえ皮膚の神経死んでるのか!?」
ーーー
「昔、龍太郎がさ、くれたことあったろ。万年筆」
虎次郎が言った。高校生の頃のことだ。
「ああ。……ていうかまだ使ってるだろ?ペリカンのスーベレーン。緑の」
「使ってる。店でさ、やっぱボールペンよりかっこいいよな」
「そうだな。ボールペンは便利だし最近のやつは本当に滑らかだが、万年筆の美しさは格別だ。お前の緑のスーベレーン、あの繊細なペン先……から描かれる線が……あんなにぐにゃぐにゃでなければいいのに……」
「長い長い。思いを馳せるな」
「お前もうちょっと練習しろよ、せめて自分の名前だけでも」
「ごめんって」
「で、それがどうした。龍太郎が昔万年筆くれたがどうした?」
「今年の誕生日プレゼントなんだったと思う?」
「お前、いい歳してまだオニイチャンから誕生日プレゼントもらってんのか」
「もらっ……もらってるよ知ってるだろ。てか薫だってもらってんだろうが!今年はなんかあのかっこいいサンダル!」
「いいだろ。エルメスだ」
「エ、エルメスゥゥ〜〜?!」
「お前は?何もらったんだ?」
「山田の醤油」
「ん?」
「醤油」
「誰の醤油?」
「山田の醤油。すげえ美味いらしい醤油。すげえ美味いらしいけど醤油!!お前エルメス!俺醤油!!」
「ワハハハハハハ醤油!!マジか、うわマジだ、ラッピングしてある、ワハハハハハハお前これちょっとなんか冷蔵庫にあるもん切れ、味見しようぜ味見」
虎次郎は「エルメスと醤油〜」と文句を言いながら、冷蔵庫から刺身用の鮭を取り出した。手早く切って皿に盛る。ご丁寧に大葉も添えた。
そしてくだんの醤油を小皿に盛り、ペロンと鮭に付けて口に入れた。
「どうだ?」
「うっま」
「え、俺も」
箸を奪って口に入れる。
「うっま……えっ?美味いな?」
「おい薫全部食うな、待て!」
「美味いな?」
「おい待て!」
「さすが龍太郎……」
「俺エルメスも醤油もねえよ!!」
ーーーーーー
10分くらいは迷ったと思う。
夜中の3時だ。
だが結局俺はスマホに手を伸ばした。
着信履歴の一番上にある虎次郎の番号をタップする。
プルルル、と呼び出し音が鳴り、「かおる?」とすぐ、虎次郎の声がした。当然、寝ていた声だ。
「どした」
「……眠れない」
「そうか、今度はちゃんと連絡したな」
「いちおう迷いはしたぞ」
「行くか?」
「いい」
少しだけ、声が聞きたかっただけだ。安眠を邪魔して悪い。なんて、声にしては言わないが。
「今日、めずらしくさむいもんなあ。おれも服着て寝てる、さすがに」
「ふ、人間みたいに」
「にんげんだっつの」
「寒いな、確かに……ゴリラも服を着るくらいだ」
虎次郎は眠そうな声だが、不機嫌にもならず付き合ってくれている。
「あのな、カーラに、虎次郎オーダースイッチオン!って言ってみろ」
「なんだと」
「試して」
「おまえカーラに何した」
「信頼関係を築いてる。ほら、早く」
「『虎次郎オーダースイッチ、オン』」
恐る恐る言ってみたが、特に何も起こらない。
「何も起きないが」
「まあまあ。そしたらもっかい布団に入って寝てみろ」
「何が起こるんだ。虎次郎オーダースイッチってなんだ。勝手にカーラをカスタムするな」
「布団入ったか?」
「入ったが。カーラ、虎次郎と勝手に何されてるんだ」
『マスター、虎次郎とはウィンウィンの関係なのでご心配なく。さあ寝ましょう』
「ええ……」
ええ……と思っていたら、いつのまにか、寝られた。
「カーラ、虎次郎オーダースイッチってなんだ」
『"電気毛布のスイッチを入れる"です、マスター』
「なんだと。あっ、いつの間に、電気毛布が敷いてある」
『虎次郎が3日前に敷いていました』
「いつの間に……」
『寒いと入眠がしにくく、目が覚めやすいようです、マスター。私はスイッチは入れられますが電気毛布を敷くことは出来ませんので、虎次郎にお願いしました』
「お前たち、いつの間にそんな……」
ーーー
休暇を合わせて訪れた標高900メートルにある寺。参拝までには険しい山道、なんと木の根をや鎖をたどって歩く箇所もある。岩には、今まで長い間踏みしめられて足の形に窪んでいるところがあった。
「おまえ、その上踏んで岩を砕くなよ」なんて薫に言われながら歩き、ようやく目の前にお目当ての国宝が現れた。
「すっっ……げ」
断崖絶壁。
としか言いようがない場所にお堂が建っている。
「どうやって建てたかわかんねえらしいけど、本当不思議だよなあ! なあ、薫……? あっ、これマジで考えてるやつだ。薫、観光、観光だぞ、おーい、帰ってこい、薫〜」
ーーー
「愛之介様、そろそろお休みになられては」
書類から顔を上げると、忠が立っていた。
「これが片付かないと休めないのは、お前の方が知っていると思っていたが?」
忠は躊躇いがちに、
「まだ期限まで1日あります。僭越ながら、一旦休まれてからの方がよろしいかと」
「本当に僭越だ」
僕はそう言って書類に視線を戻す。と、忠が、
「失礼致します」
と僕の手を取った。驚いていると、
「お休みになられないのでしたら」
忠はそう言って握る手を強くする。親指が少し食い込むほどに。
まさか、怒っているのか?
忠は続ける。
「私は隣で控えておりますので……」
それから意味ありげに僕の小指を撫でて、付け根をつねるようにして、そっと手を離した。
「何かありましたらお呼びください」
「ということがあったんだが、どう思う、ジョー」
「知らん。勝手にやってろ」
「ああ、僕は、そのあと驚いて……なんだか肩もスッキリして仕事が片付いてしまったよ……」
「あっ愛抱夢それ、あれだわ。菊池サンに手のツボ押されてんだわ。肩こりの」
「なんだと」
「さりげな〜い治療」
「治療」
ーーーー
「お前たち、そろそろ寝る時間だぞ」
薫が言った。言われたコジロウとカオルはまだ遊び足りないようで、
「まだねない」
「おれもねない」
と動かない。すると薫は、
「そうか。……今日はあの話を読んでやろうと思ったんだがな」
と残念そうに言った。
「あのはなしって」
「あれか?!」
コジロウたちは耳をピンと張った。薫は荘厳に続ける。
「そうだ。『じゃがいもの芽取り』だ」
「なんだそれは」
俺は思わず口を挟んでしまう。
「『じゃがいもの芽取り』だ。知らないのか。南城家に伝わる昔話だが……」
「いや知らねえよ?!なんだよ『じゃがいもの芽取り』って?!どんな話だよ!?」
「どんなって、じゃがいもの芽取りを仕事にしていた女が来る日も来る日も上司から業務改善を求められ、意識高い系の同僚に嫌味を言われながら、それでも己の信念を貫いて昔ながらのじゃがいもの芽取りを続け、しかし旅に出てみれば世界は広く、じゃがいもの芽取り以外にもやるべきことはあるのではないかと女が目覚めた時に、じゃがいもの芽取り業の根幹を揺るがす男が現れ、女は歌って踊れる書道家に転身するという話だが……知らないのか?南城家の一員なのに?」
「知らねえよって突っ込む前にその話詳しく聞きてえよ」
ーーーーー
やんつよ 土鍋の話
「先輩、明日の休みなんか予定あります?」
金曜の夕方、俺は先輩に声をかけた。何もなかったら飲みに行きませんか、というつもりで。そしたら先輩は「ある」と言った。
「あるんだ」
ざんねん、と思ったら、先輩は言った。
「めどめ」
「めどめ?」
意味がわからず聞き返すと、
「土鍋買ったから目止めする」
と先輩は補足してくれた。ああ、土鍋の目止め!買ったらなんか、米のとぎ汁とかで陶器のこまかーい穴を埋めるんだっけ。やったことないけど聞いたことはある。
「休日の予定が土鍋の目止め……」
え、自分でやるんだ先輩。いやそりゃそうか。
「悪いか」
「いえとんでもない」
てか土鍋買ったんだ。一人暮らしなのに。……あっ?
「もしかして間接的に『おうちに遊びに来ていいよ♡』って言ってます?」
期待を込めてかわいく聞いてみる。
「言ってない」
「言って!」
も〜〜〜〜〜〜〜つれないな〜〜〜〜〜!だがそこがいい。
『来ちゃった♡』
『ええ……』
土曜日の夕方、先輩の家の近くで先輩にLINEする。一応ね、家の前まではまだ行ってない。
ええ……、と困惑の返事が来たものの、それ以上の返信はない。それ以上の拒絶もない、ということで、もう一押し。
『いい肉と豆腐とネギもあるよ♡』
既読、からしばらくして、
『うう・・・・・・』
嫌なら嫌って言えばいいのに、嫌じゃないんだね、先輩。ということで、もう一押し。先輩んちに向かって歩きながら。
『先輩鍋のシメ何派です〜?』
『何派です〜?じゃなくて呼んでない』
ようやく文章で返事が来た。
『わかる〜』
『わかる〜 じゃない』
『ちなみに南城部長派雑炊ですって。そんでね、俺が今持ってる肉は、なんと、南城部長がいつも買ってるスーパーのやつ!』
『なんだと』
さすが南城部長の話題になると即レスだよこの人。
『ということは?』
先輩んちが見えてくる。もうこれ行っちゃっていいよね。
『まさか聞いたのか』
『せいか〜い!南城部長んちの鍋のレシピ聞いてきましたよ〜!』
『入れ』
「イエーイ」口にしながらピンポーンを押すと、頭ぼっさぼさの先輩が出てきた。ひゃー。
「はあい♡いい豚肉と豆腐とネギと白菜と鶏ひき肉とニラとキムチです♡先輩んち味噌ある?」
スーパーの袋を掲げながら聞くと、先輩は袋を見つめながら、「ある」といった。食材をガン見しながら。そんな見る?・・・・・・あっ、これ産地とか値段とかしっかり焼き付けてる。南城部長の好みを把握したいってこと?わあ・・・・・・。
「土鍋目止めしました?」
「朝からした。そこ」
先輩が指差す。コンロの上に土鍋があった。
「朝から?すごいな」
土鍋は明らかに1人用のサイズではない。
「でかいすね」
と言うと、
「あのな、俺は1人でもそのくらい食うんだよ」
「えっ、すご」
そんな食うように見えないのにな〜。
「先輩この後用事ない?鍋作っちゃっていいすか?」
「用事があったらどうすんだお前、家主のいない家で鍋作んのか」
「鍋作って先輩の帰り待ってますけどお。ちょっと居眠りしちゃうかもしんないなー、おふとんあるし」
「なんでだよ。家主がいないなら帰れよ」
「用事あるんすか?あったらまあ・・・・・・、まあ、鍋の下拵えして冷蔵庫に入れて帰りますけど・・・・・・」
「ねえよ」
「よかった〜!」
ーーーー
やんつよ 家族の話
「え?」
その顔を見て、しまった、と思った。藪蛇をついた発言だったか、あるいは、人の気持ちを踏み躙るような発言だったか、咄嗟にどちらかわからなかった。
"お前、俺のこと好きって、良いのかこんな、応えてもやれないのに"
数秒前に俺が言った、そのセリフへの反応だった。
「良いっすよ」
後輩は笑った。いつものような軽い顔だった。
「無理言って遊んでくれなくなったらやですもん。俺別にがっついてねーんで」
「……良いのかよ」
「何を心配してます?」
「普通は、何かしらの答えが欲しいもんじゃないのか」
「付き合うとか付き合わないとか?」
「とか」
「とか、そうっすね、やるかやんないかとか?」
「……」
「いやまあそりゃね!恋人になってくれて、そんでその……へへ……その……ね……へへへ……」
「急にもじもじするな」
「へへへへ……ね、できたらウワーッ、嬉しいですけど!ヤダーッ何言わせんの!?」
「その反応が予想外だが」
「できたら嬉しいけど先輩やでしょ?したらさー、したくない事しようとしてくるやつと遊びたくないっしょ?だから良いんす。遊ぶの優先」
「あ、でも、もし先輩に好きな人ができたら、なるべく早く教えて?」
後輩が言う。上目遣いでかわいこぶるな。
「……なんで? てか、いいのかよ」
「えーっ、よくない! よくないけど……、そんなの強制するもんじゃないからなー! だから教えて!」
「だから、それ……、教えてどうすんだよ」
お前また傷つくだけじゃないか。
すると後輩は、
「えっ、そんなの、先輩が惚れた要因探って奪い返すに決まってんじゃないっすか?」
「そっち?」
言っておいた方がいいかもしれない。……と思って、俺は口を開く。
「俺は、……人を好きになったことがない」
え、とか、はあ、とか、相槌が来なかったので、続ける。
「女でも男でも」
後輩は驚いた風でもなく口を閉じて俺の言葉を待っている。
「女と付き合ったことはある。向こうから付き合ってくれって言われて、嫌じゃなかったから付き合った。付き合ってるうちに情も湧いたし、恋人らしいこともした。……でも向こうが嫌になって、別れた。ってのが2回」
「そうなんだ」
後輩がようやく口を開く。俺は続ける。
「俺に好きな人ができたら教えてってのはな、そう言うわけでこれから先あるとは思えない。けど絶対ないとも言い切れない。俺に好きな相手ができる可能性は低いが・・・・・・、お前に、お前と同じ気持ちを返せる可能性も低い。だから」
だから、にかぶせて後輩が言う。
「先輩それ、今までの彼女に言った?」
「言ってない」
「あ、そう」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
嬉しい話をした覚えはない。
「先輩、優しいね」
「はあ?」
「つか、ド真面目。そういうとこがね、俺は好き」
後輩は、あのね、と、静かに言った。
「恋じゃなくてもいいから、一緒にいて」
後輩の言葉に必死さはない。すがるような気配もない。
「俺のじーちゃんとばーちゃん、見合い結婚なんすよ。2人ともあんま惚れた腫れたに興味ない人たちだったし、当時はそれが普通だったから、親が決めた相手とスッて結婚して。で、別に恋じゃなくても、仲良く一緒にいましたよ」
それからちょっと慌てたように、
「あっ、結婚したいって意味じゃないっすよ。恋人になりたいって話でもなく・・・・・・いや、なりたいけど、なってくれって話でもなく。なんつうかな、あの、俺は好きだけど、先輩は好きじゃなくても、一緒にいてくれたら嬉しいってことっす。どっか遊びに行きてえなーとか、なんか喋りてえなーって時に、まず俺呼んでくれたら嬉しいっす」
「・・・・・・俺に合わせなくていい。そのうち無理が出てくる」
俺が言うと後輩は、あー、とちょっと渋い顔をした。
「元カノさんたち、無理になっちゃったんすね・・・・・・」
「……」
「俺、無理して合わせないですよ。だからプレッシャーに感じないでください」
「……?」
「え、何すかその微妙な顔?いや、俺は先輩好きだけど無理に恋人になってくれなくていーっす、でも俺と遊んでね?」
「お前そんなんじゃ、俺と遊んでる時間、お前の人生無駄になるだろ」
「無駄て!無駄じゃないよ!?」
「お前こそ、他に好きなやつができたらどうすんだよ」
聞くと後輩は、
「もし先輩の他に好きな人できたら、それは好きな人と付き合いますけど・・・・・・」
「・・・・・・」
「えっ、その時点でも先輩が俺のこと好きじゃなくて、付き合ってない状態ですよね??その状況で俺が別の人好きになったら好きな人と付き合っても良くない…??」
「……」
「待って先輩、それねー、多分先輩俺のこと好きよ!?」
ーーーー
映画デートでゲ謎見るやんつよちゃん
「・・・・・・なあ、」
先輩が潤んだ目で俺を見つめて、
「もう一回・・・・・・だめか」
と言う。夢かな?
「先輩、えっ、もちろん俺は嬉しいけど・・・・・・!でも、先輩もう3回も・・・・・・次いったら4回目だよ、体大丈夫・・・・・・?」
「いい。なあ、お前も・・・・・・」
先輩の目から涙が溢れる。
「先輩、・・・・・・そんなに良かった?」
涙を流して俺に「もう一回」をねだる先輩なんて、夢みたいだ。
「お前は良くなかったのか」
ちょっと口を尖らせて先輩は言う。俺は慌てて言う。
「んなわけないじゃん!めちゃくちゃよかったよ!」
「そうか」
「そうだよ。先輩と・・・・・・ゲゲゲの謎見られて超ハッピーだよ!」
今日の昼、先輩が「映画を見てほしい」と俺に持ちかけてきたのだった。
「映画見にいこ!じゃなくて見てほしい・・・・・・?」
「見てほしい。見てきて、感想を言い合いたい」
「それぞれバラバラで見て感想言い合う想定なの!?いや一緒に見にいこうよ!」
すると先輩はちょっと渋い顔をした。あとで思い返せば、「必ず泣くので泣き顔を見られたくない」ということだったのだと思う。
先輩は、「まあいいが・・・・・・」と、人に映画を勧めておいてなにその返事、みたいな返事をくれて、仕事終わりに2人で映画を見に行くことになった。デートだ!
「え、先輩もう見たの?」
「2回見た。これが3回目だ」
「めちゃくちゃ見てるじゃん!」
「あのな、公開中だから円盤が手元にないんだよ。そうしたらどうする?」
「ど、どうするんだろう・・・・・・」
「見たいなら劇場に行くしかないだろうが」
「そうですね・・・・・・?」
先輩はスマホでチケットを予約してくれていた。まさか離れた席じゃないだろうな(やりかねない)、と思って確認するとちゃんと隣同士の席だった。良かった。
「なんか食うか」
「あっ、俺チュロス食いたい。買ってきます。先輩は?」
「俺はいい」
先輩はきっぱりという。画面に集中する気の顔だ・・・・・・。これ、手を握りに行ったりしたらキレられるやつだ。
「め・・・・・・めちゃくちゃ面白かったっすね・・・・・・びっくりした・・・・・・」
「だろ・・・・・・」
ハンカチで目元を押さえる先輩の姿を俺は目に焼き付ける。
「エンドロール後が特にすげかったっす・・・・・・水木・・・・・・鬼太郎・・・・・・」
「エンドロールで退出しちゃう人がさ、やっぱいるんだよ。なんか都合もあるのかもしれないけどさ、もしあれがあることを知らないで、ただ単に終わったーって思って帰っちゃってたらどうしようかって毎回思うんだよな・・・・・・」
「行かないでー!って声かけそ、俺」
「言うなよ」
「言いませんけどお!」
そして冒頭の会話になる。ごめん先輩、ちょっと俺、脳内で変換しちゃった。ナニとは言わないけど。
「じゃ、もう一回見ましょっか!終電だいじょぶ?」
「大丈夫ではない」
「大丈夫ではないんだ」
「見終わったら、・・・・・・まあ、お前が良かったらだけど、飲みに行こうぜ、始発くるまで。金曜だし・・・・・・って、嫌ならいいけど」
「嫌なわけないですね!?」
嘘でしょ、先輩の理性を狂わせるゲ謎、超サンキュー!!