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    わけあって姿は子ども中身は大人な五と、元の姿戻せる鍵役伊の五伊地
    突っ込みどころ満載でもスルーしてほしい

    #五伊地
    goiji

     呪術高専とよく似た自然に囲まれた都会の奥地に重たい影を背負ってそれは佇んでいた。療養を目的に作られた病院は人けもなく静寂に包まれている。元はどうだったか知らないがとても心が休まる場所に思えない。昼間だというのに周囲一帯がどこか薄暗く、人の身長を優に越える塀は外界から隠れているような、あるいは内側からナニモノかを逃がさない閉鎖的な作りをしていた。
    「ここが今日の任務地? うへぇ、廃病院なんていかにも出そうな場所」
    「廃墟となってかなりの年月が経ってます、建物の老朽化が酷いので足元には気をつけてください。……ターゲットの一級呪霊以外も多数の低級霊が徘徊していることでしょう。くれぐれも無理はしないでくださいね」
     気遣わしげに覗き込んでくる伊地知の手を握りながら安心させるようにニパリと無邪気な笑みを向ける。まるでこれから遊びに行く子どものように、五条に気負いはなかった。
    「大丈夫──僕、最強だからさ。でも、いざというときは伊地知の力を借りるよ」
     ぎゅっと繋いた手に力が込められる。細い手だ、肉付きの悪い骨ばったなんの変哲もない成人男性の手。だが、五条の小さな手を包みこめてしまう程度には大きくあたたかい。五条にとってこれ以上とない力を沸き立たせてくれる特別な存在。
     ふにふにと指の付け根をなぞりながら名残惜しさを残しほどく。一歩踏み出せばズウウンと音を立てて空が暗闇に覆われた。
     御武運を、背中越しに告げられた緊張をはらんだ声にヒラヒラと紅葉のような手を振って応えた。
     
     
     伊地知が言ったように建物内は形を保ちながらも天井から落ちてきた塵や瓦礫に埋もれている。
     昔は立派な大病院だったそれは今や見る影もなく大きな体にいくつもの呪いを蓄えていた。そこかしこから怨嗟の声が響く───寂しい、苦しい、助けて、死にたい、死にたくない。
     人の形を保ったおぞましい低級霊を一つ一つ祓いながら五条は残穢が色濃く残る深層へ近づいていく。
     なんとも陰気な場所だ──。
     大きな施設ほど呪いの受け皿になりやすいとはいうが、かつて精神病院だったこの場所は酷く重苦しい気配に満ちている。人間の負の感情から生まれる呪霊、精神を壊した人間から濃縮された呪いは如何程のものか。
     ちらりと頭の片隅に心配そうに見つめる伊地知の姿が浮かんだ。常とは違う体だ、用心するに越したことはないか。
     
     
     とうの昔に止まったエレベーターを素通りし、壊れかけの階段を越えた最上階、左奥行き止まりの大きな部屋に残穢は続いている。傷だらけのプレートには娯楽室と書かれていた、入院患者向けに開放されたであろう影が満ちる窓際にソレはいた。
     
     
    『あら? 新しいお客様かしら』
     
     廃墟に似つかわしくない黒髪の美しい少女が、壊れかけの椅子に腰かけながらヒビの入ったティーカップを優雅に傾けている。少女の向かいの席にはこれまで遭遇してきた人形の、しかし片腕が千切れ明らかにボロボロの姿をしている低級霊が不釣り合いなドレスを纏ってダランと項垂れている。
     まるで子供のままごとのような、歪なお茶会に現れた予定外の訪問客に少女はパアッと顔を輝かせる。可憐な声で囀ずるもザリザリと耳障りなノイズが混じって鬱陶しい。
     行動は不気味なれど姿はとても呪霊には見えない、それでも術師ならば気づくだろう。
     いくら外見を取り繕おうがおぞましい臭気と禍々しい呪力はあの少女こそがターゲットの呪霊だと告げている。
     
    『嬉しい! ちょうど新しいお人形が欲しかったの、でも男の子なのね……それは少し残念だわ。お顔はこんなにキレイなのに』
     
     少女は音も立てず一足飛びで入口にいた五条に近づくとニタリと気色悪い笑みを浮かべながらこちらに手を伸ばしてくる。不粋な手は触れることなく無下限によって阻まれる、少女はコテンと首を傾げながら己の手を一瞥すると元の場所に戻ってパタパタと不機嫌そうに足を振っている。
     
    『遊ぶ気がないなら帰って、つまらないわ』
    「そうはいかないよ、僕は君を祓いに来たんだから」
    『ふうん、あなたみたいな子供が私を消しにきたの? 気が変わったわ……そのキレイな頭を千切って彼女の首とすげ替えましょうか』
     
     なるほど、道中落ちていた腕や足をもぎ取られていたり、サイズの違った手足をくっつけられていた低級霊はすべて少女の仕業だったわけか。呪霊に善悪を問うなどおかしなことだが、幼稚で残酷なことだ。少女にとって同じ呪霊もままごとのおもちゃでしかない。
     獲物を弄ぶ悪辣な呪霊こそめずらしくはないが、余裕ぶった態度といいビリビリと肌を打つ圧力。間違いなく実力は一級を越える、負ける気は更々ないが想定していた以上に厄介な任務になりそうだった。
     
     五条は小さな体を屈め少女の行動を返すように一足飛びで接近すると、呪力を纏わせた拳を躊躇なく少女の顔に叩きこんだ。ガツリと嫌な音を立てて向かいに座っていた呪霊の頭が弾け飛ぶ。
     
    『あーあ、お人形壊れちゃった。まあ、いいわそろそろ新しいのと取り替えるつもりだったから。素敵なお人形になってくれる子をみつけたの』
     
     身代わりにした呪霊を躊躇することなく床に投げ捨てると、少女は頬に手をあてながらまるで恋する乙女のように恍惚の笑みを浮かべている。興奮しきったノイズ混じりの醜い声に合わせて綺麗な顔面が大きくヒビ割れる。中央から裂けた内側からブチュブチュっと粘着音を立てながら触手の花弁が開いた。蠢く触手からポタリと落ちた粘液がコンクリートを溶かす。
     本性を現したことにより呪霊の力が高まっていく。それ以上に呪霊が溢した〝お人形〟という言葉が引っ掛かった。人けのないこの場所で、該当する人物など限られている、五条の全身に嫌な予感が走る。警戒していた通り、想定する中で一番最悪な選択肢を選びやがった。
     
    『お外にいる黒髪の彼、素敵ね。あの黒い眼、えぐりとって食べちゃいたい。二つあるんだもの一個くらい味見してもきっとダイジョウブ。彼、あなたのお人形でしょ……うんと大事にするから、ちょうだい? ぢょうだい、ぢょうだい!!』
    「? ふざけんな、あれは僕のものだっつーの。……いい加減おまえのお人形遊びに付き合ってる時間ないんだよね、僕も伊地知も。不愉快だからさっさと消えてくれる」
     力が抑制された今の体では特級を相手にするのは確かに骨が折れる。だが、やりようはいくらでもある。
     伊地知には怒られるだろうが、一分一秒でも早くコレを始末したかった。
     ケタケタ狂ったように笑っている呪霊の横を素通りしガラス窓まで走るとハリウッドもかくやといった勢いで脆くなっているガラスの一面を蹴破る。ガシャンと破片が散らばる音を後にしながら重力に抵抗することなく四階から落下していく。ちょうど真下にいた伊地知がギョッと蒼白顔をしながらこちらに向かって必死に両手を伸ばしていた。飛べることも知っているだろうに非力な身でこちらを受け止めるつもりでいるらしい。
     ああ、なんて愚かで可愛い僕だけの軛。
     
    『あら、逃げるの? じゃあ、彼は置いていってね』
     
     呪霊が何かほざいているが伊地知が奏でる悲鳴混じりの呼び掛け以外聞く必要もない。
    「五条さんッッッ!!」
     伊地知の上空数メートルから浮遊に切り替えると落下スピードを調節する。ふわり、ふわりとまるで白羽根が生えた天使が舞い降りるように落ちてきた五条は、間近に迫った伊地知の頬に手を添えると宙に浮かんだまま軽やかな口付けを施す。抱き止めようとした伊地知の両手が宙をさ迷いながらホールドアップした状態でピキリと固まった。
     倫理観やら常識にとらわれ一向に抱き返してくれないお決まりの伊地知の反応に、唇が重なりあったまま五条はクツクツと喉奥で笑った。
     それは少年が漏らすにしては低く甘やかな美声だった。
    「慣れないねぇおまえも。約束通り力、借りるよ」
    「なっ、あ……お、お気をつけて!」
     小学校低学年ほどの姿だった五条は、すらりと手足が伸びたとびきり美しい成人男性の姿に変化している。
     ──否、本来の姿を取り戻したといったほうが正しい。
     
     さて……、この姿も久々だが伊地知から返還された呪力は今か今かと解放を待っている。
     
     絶対強者ぶって傍観していた呪霊は肥大化していく五条の呪力に壊れた窓から慌てて身を乗り出しているが、もう遅い。
    「それじゃあ、さようならだ───虚式「茈」」
     一切の容赦などなく、過剰戦力を持って廃病院は内部に残っていた呪霊もろとも消え去った。宙を舞う粉塵を前に悲鳴を上げた伊地知だけが頭を抱えていた。
    「ああぁぁ……建物が、学長に怒られる……始末書、事後処理……どうしたら」
    「緊急事態でしたって僕からも言っておくよ。封印を解いたことは向こうもわかってるし大丈夫でしょ」
     子供の姿に戻った五条はポスンと伊地知の胸に飛び込む。浮遊が切れてずり落ちる体を慌てて両腕で支えながら伊地知はほっと安堵の息を漏らした。スリっと肩に寄りかかってきた頭を労るように撫でながら腕にかかるこの重さこそが五条の無事を確認する儀式に二人の中でいつしかなっていた。先ほど見せた大人の五条こそが本来の姿だと伊地知も知っているのに、ぐずる赤子をあやすように慣れた手つきでまろい頭を撫でている。
    「……力を使ってお疲れでしょう。高専に戻るまでそのまま寝ていてください。ご無事でなによりです、おかえりなさい」
    「子どもの体って不便だねぇ、すぐ眠くなる。……ただいま、伊地知……それから、ふぁ……おやすみ」
     意識が落ちた子どもの体は想像以上に重い。両手で大切に抱えながら、振動を与えないようゆっくりとした歩みで車に戻る。助手席に寝かせてシートベルトをしても起きる気配はなかった。無防備な寝姿を見ていると伊地知の口元も自然と綻ぶ、こうしていると本当に子どものようだった。
     いけない、力を使った戦闘後の五条をいつまでもこんなところにいさせるわけにいかない。早く安全な高専で休ませないと。
     ぐっと気を引き締めると、しかし安全運転を心がけた最速の動きで帰還する。慣れ親しんだ心地よい揺りかごに包まれた五条は高専に到着しても目を覚ますことはなかった。
     
     
    「んあ? 医務室かここ……僕を置いていきやがったな、あんにゃろう」
     パチンと爆睡といっていいほど深い眠りから目覚めた五条は伊地知の不在を察知すると不機嫌そうに唸る。数秒の間を置いて物音を聞き付けた部屋の主がシャっとカーテンが反対側から開き呆れた表情を浮かべていた。
    「や! 硝子おはよう、ベッド借りてるよ。ところで薄情にも僕を捨て置いていった伊地知はどこ?」
    「報告だよ、おまえが壊した廃病院や事前告知のない封印解除も含めてね。今頃絞られてるだろうね、可哀想に」
     それはまた、上からグチグチと耳障りなことを言われているだろうがあれで強かな面もある男だ。討伐対象が思っていた以上に強敵だった、封印解除は必要な措置だったと嘯けば爺共は渋々引き下がるはずだ。実際にあの少女は軽く見積もっても特級まで育っていた呪霊だったのだから。手の内を見ることなく五条が瞬殺したため伊地知も呪霊について事前情報しか把握していないがそこは上手くやるだろう。
    「いい加減伊地知に甘えすぎるなよ。見た目は子どもでも中身はれっきとした二十八歳の大人だろ。……やめろ、かわいこぶるな」
    「ひっどいなぁ、実際こんなに可愛いのに。……いいんだよ、伊地知は僕だけの軛なんだから目一杯甘えるし甘やかすよ」
     きゅるんと手を胸元で交差し砂糖菓子より甘い顔を作っている五条の頭を書類で軽く殴った、無下限を通過し甘んじて殴られた本人は痛がる素振りも見せずけろっとしている。ため息を飲み込み渋面を浮かべた家入はあの時、ついぞ触れられなかった理由を問い質した。
    「なぜ、今更力を封印しようと思ったんだ。なぜ……伊地知を、人のいい後輩を巻き込んだ」
    「あれ? 言ってなかったかな……元々、僕が生まれてから呪霊が年々力を増しているだの世界の均衡がーとか上から難癖はつけられてたんだけど。ついに僕を幽閉、あるいは力を封印する話まで出てきた。まあ、僕なりに抵抗してこうなってるわけ。
     ───え、肝心のところを有耶無耶にせず詳しく話せ? 面倒くさ……はいはい! その振り上げた手はしまって乱暴だなぁ。……うーん、どこから話したもんかな」
     前提として五条もタダで幽閉、封印されるつもりはなかった。それもあちら主導でなど考えたくもない、のらりくらりと躱しながらどうしたものかと五条家の古い書物や呪具が納められた倉庫をあさっていた時だ。ポトリと五条の手の内にとある禁書が落ちてきた。
     中身はまあ、ろくでもない呪霊を使った実験や人道に反する益もない紙くず。ただ一つだけ五条の目を引く記述が書かれていた。
     対象の呪力、術式を一定の手順を持って封印と解除がセットになった秘術。元は巨大な力を生まれながら持った術師の子どもが制御できるまで安全化に置く軛、あるいは罪を犯した術師を無力化するために使われていたものだった。あの書物に記されているだけあって禁を破ればそれなりの反動もあるが、そうでなければ罪人を戒めるために使われていない。
    「鍵役──僕の場合伊地知さえいれば元と脚色ない、それどころか鍵役に預けた力は増幅して返ってくるメリットもある。術の指定、主導はこちらが握らせてもらう。望み通り力は封印されてやるから文句ないでしょ? って僕から爺さんらに提言したわけ」
    「あのお歴々が鍵役をよく伊地知に譲ったものだ。特級術師、それも問題児の五条悟を自分の制御下に置けるんだ……是が非でも手にしたいはずだが?」
     コトリと可愛らしく小首を傾げている家入に五条はふっと吹き出す。その通り、ごうつくばりの年寄り達は我こそが五条悟を制御する鍵に相応しいと争いだした。喧喧囂囂と議論が止まらぬなか五条から提示した条件は二つ。
     
     一つ、力は封印するがあるプロセスを行うと一時的に封印が解除される
     一つ、その役目は伊地知潔高に一任する
     
     前者に関しては渋りつつも即時承諾された、世界に何かがあった場合対処できる特級術師は必要だ。現状、五条悟の戦力は無視できない。
     後者は提案したその場で直ぐに却下された。五条を制御する首輪とも言える重要な役目を五条とズブズブの身内に任せるなど言語道断、家入の言うようにあわよくば最強を自分の手元に置きたい、利用したいという爺達の醜悪な思惑もあったのだろう。
    「私も有事の際に無防備でいたくないのでね、鍵役は側に置きたいのですよ。その点伊地知潔高なら補助監督として常に同行可能、かつ私が信頼できる数少ないうちの一人でもある。……これが受け入れられないのであれば今後封印の話自体もなしということで。お時間を取らせてすみませんね」
     未練もなく衝立に背を向ける五条に待ったの声がかかる。ピタリと歩みを止めた五条は勿体つけた動作で振り返る。
    「待て、……わかった。鍵役は伊地知潔高と認めよう。ただし、有事を除き封印解除の決定権はこちらが優先される。努々忘れるでないぞ」
     ええ、それで構いませんよ、過分なるお心遣い感謝します。深々とお辞儀しながら五条は殊更わざとらしい声でポンと手を打つ。
    「ああ──言い忘れていた注意事項が一つ。伊地知潔高が外部から殺された場合、私にかけられていた封印は即時破棄される。それも正しい手順を破ったとなると蓄積された呪力が暴走して何が起こるか私自身わかりません。街一つの破壊で済めばいいが……いやぁ、さすが禁書に記されていただけありますね、怖い怖い。鍵役には僕の術の一部が預けられているわけだから、生半可な力じゃ殺すことも不可能だと思いますけど、そこのところ〝よろしくお願いしますね〟」
     くぐもった老人共の唸り声に釘をさしておいて正解か。気に入らなければ鍵のほうを始末すればいいと浅はかにも考えたのだろう。これは五条を縛り付ける鎖でもあるが、同時にあらゆる全てから伊地知を守る檻ともいえる。 
     片方の意思が尊重されぬまま契りはここに結ばれた──。
     
     
    「クズだな」
    「ここまで聞いといて第一声がそれ?」
    「伊地知の同意を得る前に決めたんだろう、受けるしかない状況に追い込んで。クズ以外何者でもないな、その姿も計算のうちか?」
    「いやいや、体が縮んだのは僕も想定外だよ!? 元々、子どもが使っていた術だからかなぁ……昔と現在、二つの姿を切り替えて力を慣らしていくのが在り方なんだけど……僕の場合、契約時は既に大人だったからね。必然的にまだ力が弱い幼少期が封印時の姿に選ばれたのかな」
     高専時代から平均以上の身長を持っていた人間がいきなり小さな体に押し込められたんだ。歩幅やバランス、呪力の込め方、戦闘から生活に至るあらゆる差違に苦労したはずだ。弱さや不自由すら飲み込み、わざわざこんな回りくどい方法でただの後輩を守る。それはもう庇護を通り越した縛り付ける行為だと本人は自覚しているのか。家入は肩をすくめると手遅れだなと匙を投げた。
     会話がとぎれたその時、トントンと控えめなノックが聞こえた。部屋の主が入室を許可すると、両手が塞がった伊地知が器用にも肩を使ってスルリと体を滑りこませる。家入の向かいに座っている五条を目にすると、伊地知はふわりと顔をほころばせた。一人の部下が上司に向けるにしてはなんとも甘ったるい、だというのに伊地知は自身の変化に気づいてすらいない。受け取る方も当然の顔をして享受している。
     部屋に満ちる甘い空気に舌が苦味を求めてムズムズする。顔をしかめる家入に気にする様子もなく、ぴょんっと椅子から降りると小さな弾丸は勢いよく伊地知の腰に飛び付いていた。
    「っと! 五条さん危ないですよ、飲み物が溢れたら火傷するのはあなたなんですから。いや、無下限があるから大丈夫か……ということは火傷するのは私だけ?」
    「ごめん、でも意識のない僕を医務室にほかっていく伊地知も悪いからね。一応加減したから大丈夫だよ、仮に火傷しても硝子がいるじゃん」
    「任務でもない避けられる事故に誰が力を使うか。安心しろ伊地知、痕が残らないよう私自ら丁寧に処置してやるさ」
    「……わるかったよ、今度から気をつけるから。硝子も伊地知のこと誘惑しないで」
     憧れの女性から流し目で微笑みを受けた伊地知はぽうっと顔を赤らめている。五条が必死に注意を引こうとぐいぐい下から手を引っ張っても反応は乏しい。降参だと家入にむかって両手を上げれば鼻で笑われた。
     形振り構わない無様な姿に一先ず許されたらしい、伊地知に向けていた笑顔を引っ込めると視線を下にやり飲み物が乗っているトレイを見ながら話の流れを変えた。
    「えらく大荷物だな、伊地知。まあ、座ったらどうだ」
    「あ、はい! ありがとうございます、珈琲を用意したのでよければ家入さんもどうぞ」
    「ねえ、ねえったら! もちろん僕のもあるよね」
    「ええ、もちろん。そろそろあなたが起きる頃合いだと思って甘いものを用意しておきました」
    「ふーん、ふーん! そっか、僕のためか。だって聞いた? 硝子」
     瞳を輝かせながら伊地知から受け取ったホットココアを大事そうに両手で抱えながらちびちび飲んでいる。中身まで外見に引っ張られてるんじゃないか、そう思っても家入は口にすることはなかった。
     代わりに伊地知から渡されたブラックコーヒーを口に含み、舌に纏わりつく甘ったるさを苦味で打ち消す。
     伊地知は用意した飲み物に手を着けず、ベタベタに汚している五条の口元を甲斐甲斐しくも拭いていた。カフェイン程度の苦味では目の前の光景を流すことはできないらしい、タバコか酒を求めて唇を食む。
     ないものをねだっても仕方ない、ぼんやりと二人のやり取りを眺めていればパチンと伊地知と目が合った。照れたように笑った伊地知はおもむろにペコリ頭を下げた。
    「家入さんもお忙しいのに五条さんを任せてしまってすみません」
    「いや、空いてるベッドに寝かせていただけだ、気にしなくていい。それより伊地知は大丈夫だったか」
    「あ……はい。事前報告のない封印解除にお叱りの言葉を受けてしまったのですが、なんとかわかっていただけました」
    「どうせまた〝アレ〟言われたんじゃない? もちろんきっぱり断ってくれたよね」
    「〝アレ〟って?」
     ジト目で睨み付けてくる五条にコクコクと頷く。子どものなりをしているが眼光は鋭い。もし伊地知が圧力に負けて承諾していればどんな目にあったか。伊地知にしてみれば遠くの上層部より側にいる五条の怒りのほうが余程恐ろしかった。
    「その……〝荷が重いなら鍵役を辞退してはどうだ〟五条さんに言いにくいならこちらから手を回すと、忠告されまして」
    「ハッ! 往生際の悪い、既に決まったことをいつまでもグチグチと、爺共はこれだから嫌になるよ」
    「その件で五条を問い詰めていたんだが……伊地知は、納得して受け入れたのか。この契約はお前の意思を無視して決められたんじゃあないのか」
    「硝子!!」
     遮ろうとする五条の叫び声にどちらも反応しない。家入は他者を気づかい自分を蔑ろにする後輩の本心を探る、変化一つ見逃さないよう観察している。全身に刺さる熱視線にフイッと体が逃げようとするが、それでは同意なく強制されたと訴えているようなものだ。うろうろと彷徨わせていた視線を疲れが滲んだ目元に合わせる。伊地知も人のことは言えないが彼女はちゃんと眠れているだろうか、慢性的な睡眠不足による張りついた隈だと知ってはいるが心配だった。気遣わしげな伊地知の眼差しに女史はコテンと首を傾げる。はっと我に返った伊地知は家入の質問の意図を懸命に咀嚼した、おそらく純粋に心配をかけてしまったのかもしれない、胃痛の原因である五条含めて先輩方はなんだかんだと伊地知に優しいから。
    「同意があったかと言われれば流されるままに頷かされたので。ことの次第を私が知ったのは鍵になってから随分と経った後のことでした」
    「五条……」
     家入の軽蔑の眼差しより、伊地知の返答が堪えたらしい。折り曲げた膝に顔を埋めてちらちら続きを伺っている。
    「結論から言うと、後悔はしていません。五条さんが決めたのなら、どんな形であれ最後までお供したいと私は思っています」
     まあ、あの五条悟の急所になってしまうのは些かプレッシャーが半端ないですけど。伊地知は最後に胃を押さえながらははっと乾いた笑みで締めくくった。
     口元を両手で覆いながら感極まった表情をしている五条には触れず、家入は結局こうなったかと諦めの吐息をもらした。
     伊地知にかけられた術の代償を伴わない正式な解除方法を調べていたが、当分日の目を見ることはなさそうだ。七海や夜蛾を中心とした東京高専をはじめ、京都の歌姫の伝すら使って五条が使用した禁術を調べたのは最悪の事態を想定してのこと。上層部に向けて五条が言った脅しは虚偽ではない、伊地知に危害が加えられれば蓄積された五条の呪力(のろい)が溢れだし東京は壊滅するであろう。
     疑似的に無下限がかけられている伊地知を害することは不可能に近いがこの世に絶対はない。とは言ったものの、協力者の大半はそんな御大層な理由ではなく憐れな後輩の逃げ道を作ってあげたかったから調査したに他ならない。
     
     この術は本来、鍵役が主体となって行われる。当たり前だ、未熟な子どもが自ら鍵をかけることなど不可能。罪人の拘束も然り。
     不可能を可能にできるのが五条悟といえど、大本の術は改変されていない。封印と解除がセット、五条が指定した口づけによる一時的解除とは別に鍵役から完全に術を解くすべもあるということだ。
     それは五条も知っているはずだ、尚更先ほどの伊地知の言葉を大袈裟なほど喜んでいたことも家入の癪に障った。
     そういうことは正々堂々告白してからやれ、騙し討ちなどするなといっそぶちまけてもよかったが、いつの間にか伊地知の膝に乗り上げ上機嫌に鼻歌を歌っている五条と甲斐甲斐しく世話をしながら穏やかに笑っている伊地知の姿に今暫く見守ることにした。
     五条のお守りなどもう嫌だ、役目を降りたいと伊地知から泣きつかれたならばその限りではないが。
    「んんっ、なんだろう……体がゾクッてした」
    「風邪でしょうか? 今日はもうお休みしましょう。すみません、家入さん私達はこれで失礼します」
    「うーん、そういうじゃないと思うけど早く帰れるならいいや」
    「気にするな伊地知。五条も〝お大事に〟、な」
     含みを持たせた家入の言葉にゾワゾワと体に走る悪寒に小さな首を竦める。悪寒の出所を薄々感じながら家入に声をかけようとするが、伊地知に抱き上げられるとくたんと体から力が抜けてすべてがどうでもよくなる。ペコリと丁寧に会釈して去っていく伊地知の後ろ姿を見送りながら、家入はやれやれと肩を回した。
     後に起こる伊地知家出騒動にまさか五条に泣きつかれる未来など、家入は知らない。
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