穏やかな日々 黒の一帯が拡がるこの灰の大陸で、白い羽根を靡かせ颯爽と歩を進めるチョコボがいる。
その背に乗ったクライヴとバルナバスは、エーテルのある土地を求め当てもない旅をしていた。
この大陸中央部に入りもう幾日経っただろうか。今は見渡す限り険しい山道を、クライヴは同乗者が落ちぬように気を付けながら先を急いでいた。
「なぁバルナバス。確かこの近くに村があったはずだ。今晩はそこに立ち寄ろうと思う」
クライヴは腕の中に居るバルナバスに優しく話しかける。だが話し掛けられた当人からは、返事どころか身動ぎひとつもない。
クライヴが覗き込んだ青灰の瞳は閉ざされてはいない。だがそこに自我の輝きは見られなかった。
この旅の始まりはどのくらい前になるだろうか。
かつてクライヴは幻想の塔でイフリートとなり、同じくオーディンに顕現したバルナバスと死闘を繰り広げた。
あれだけ自我を手放せと諭していたバルナバスが、クライヴとの激戦の末に自我を取り戻し、その果てにオーディンの力をクライヴに喰わせ満足気に意識を手放した。
その後、力の継承の苦しみから解放されたクライヴが、倒れて伏すバルナバスを捨て置く事ができずに隠れ家に連れ帰ったのが始まりなのだろう。
隠れ家に連れ帰ったバルナバスは、意識を取り戻すこともなく昏々と眠り続けていた。
これには隠れ家の治療を一手に引き受けているタルヤにも原因は分からず、唯一の手掛かりとなったのは語り部であるハルポクラテスからの『回復に至るエーテル不足』との見解だけだった。
連れ帰った以上はバルナバスの安否には責任がある。クライヴは藁をも掴む気持ちで眠るバルナバスを隠れ家から黒の一帯の外に連れ出した。
すると今にも事切れそうなバルナバスの顔に朱が差し始めたのだった。
それからクライヴは、眠るバルナバスを連れて黒の一帯を避けながらヴァリスゼアの国々を渡り歩いていた。
本当は一箇所で療養するのが一番なのだろうが、シドの名を継いだ大罪人と一国の王だ。
どこで嗅ぎつけるのか、時折二人の命を狙う刺客や金目な物を奪う目的で野盗が付け狙うようになり、ひとつの場所に留まり続ける事が困難だったのだ。
薄曇りが続く世界でも日が暮れる。あと少しで日が落ちるところで目的の村が見えてきた。
「さぁ着いたぞバルナバス。今夜はこの村の一角を借りよう」
クライヴの言葉を合図に、この旅にずっと着いてきていたトルガルが狼の俊敏さを活かし、偵察を兼ねて村に飛び込む。
クライヴも辺りを慎重に見回すが、この村には生活の伊吹がどこにも感じられなかった。
以前から寂れた村であったが、どうやら住民は誰もいなくなったようだ。
誰もいないのはかえって好都合だ。物資の補充は出来ないだろうが、バルナバスの為にしばらくこの村に滞在するのもいいかもしれない。
これからの予定をあれこれ考えていると、村を調べていたトルガルが唸るように吠える声が聞こえクライヴの顔が曇る。
「どうやら魔物か野盗の類が居たらしいな」
この喧騒の中でも静かに微睡んでいるバルナバスをアンブロシアに預け、クライヴは愛剣を握りトルガルの唸り声をめざして走り出した。
村に巣くっていた魔物を倒し安堵したクライヴは、アンブロシアからバルナバスを降ろすと、動けぬ彼を慎重に抱き上げる。
「アンタも戦ってくれたら楽なんだがな」
先程の戦闘の疲れもあり少々口も悪くなるが、返事をしない方が悪いと決め込みクライヴはバルナバスに話しかける。
「まぁアンタが剣を振るえば、俺の出番はなさそうだがな」
話し掛けられたバルナバスの瞳が少し揺れたような気がしたが、それ以上の反応はみられない。
落胆する気持ちを呑み込み、クライヴは今宵の宿を借りるために、廃村の中でも比較的きれいな空き家に足を向けた。
広さのある部屋が満遍なく暖まるよう暖炉に火をくべながら、クライヴは自分の食事を手短に終える。その横では先に食事を済ませたトルガルが、暖炉の近くで寛いでいる。
クライヴは月明かりに照らされたベットに眠るバルナバスに視線を移す。
今はその瞳を閉じ規則正しい呼吸をしている。どうやら眠っているようだ。
クライヴはバルナバスが寝ているベッドへ近づくと、オーディンの力を己の手に込める。
闇を帯びたエーテルがクライヴの腕に纏い付き膨らむ。その手を眠るバルナバスの額にそっと翳し、エーテルを分け与える様に力を込める。
闇色のエーテルがバルナバスの体に溶け込むと、僅かに表情が穏やかになったような気がした。
全身がアカシアであるバルナバスは食事を取らない。その代わりに、エーテルを吸収する事で体を維持しているらしい。
今のバルナバスが求めるエーテルの量は分からないが、旅を始めてからは、意識がなくともその青灰の瞳を覗かせる程には回復しているらしい。
エーテルを分け与えたクライヴは、翳した手をバルナバスの額に置き優しく話しかける。
「なぁバルナバス。俺とアンタが最後に戦った時の事を覚えているか?」
バルナバスの表情は変わらず穏やかに眠っている。
「アンタとは何度も戦っているのに、そのどれもがアンタに遠く及ばなかった」
バルナバスの額に置いたクライヴの手が、顔の輪郭をたどり温かな鼓動を刻む胸にたどり着く。
「最後に戦ったあの時、楽しそうに剣を振るうアンタにやっと追いついたと思ったんだ」
どうか少しでも回復して欲しいと願いながら、胸に置いた手が腕をなぞりバルナバスの手にたどり着く。
「それと同じぐらい、アンタが俺の事をクライヴと呼んでくれた事が嬉しかった」
力なくされるがままのバルナバスの指に己の指を絡める。
「なぁバルナバス。もう一度……俺の名前を呼んでくれないか」
絡めた指に力を込めるも、握り返されることは無かったのだが。
ふと窓の外を見ると、綺麗な月とその傍らに寄り添うように輝くメティアが見えた。
よく幼馴染の少女がメティアに願いをかけていた。
クライヴはバルナバスの手を両手で包み込みながら、メティアに祈りを捧げた。
「帰ってきてくれ。バルナバス」
クライヴはトルガルが控えめに己の体に寄り添う振動で目が覚める。
窓の外は薄明るく、早朝の少し肌寒い空気にクライヴの目が冴えてくる。
「……もう朝か」
どうやらバルナバスの手を握り込んだまま眠ってしまったらしい。
クライヴはバルナバスの顔を見ようと視線を向ける。
バルナバスは相変わらず自我のない瞳をのぞかせるだけだったが、そこに体調の悪さは見えず胸を撫で下ろす。
体調が良いのなら朝の支度をしなければと、クライヴは手に力を入れようとして違和感に気づく。
その違和感の正体を確かめるために、己の手に視線を向ける。
祈りのために握りこんだバルナバスの手の指がクライヴの指に絡み付いていた。
まるでバルナバスが己の意思で触れたかのように。
「あぁ、アンタはちゃんとここにいるんだな」
クライヴの瞳から温かい雫がこぼれ落ちた。
いつ終わるともしれない旅路に、僅かな希望を灯しながら、クライヴはバルナバスと共に前に進もうとしていた。