マネージャー×俳優4(水麿) こんなにもやめてくれと思うこともない。水心子は会話が電話なのをいいことに口元を引きつらせた。
「……ええと、それは条件、ということでしょうか」
『条件なんて大仰なものではないのですが、お願い、ということで……』
断りたいが断りきれない、なにせこれは事務所の社長のツテの仕事だ。ソファの隣から黙って視線を送ってくる清麿をうまく見られない。
『では、よろしくお願いしますね!』
明るい声を最後にぷつっと通話は切れた。物言わなくなったスマートフォンを下ろして、はああっと息を吐き清麿の肩にもたれかかる。ほぼ同棲状態の清麿の部屋、テーブルにはコーヒーがミルクの渦を巻いている。
細い指がそっと頭を撫でてくれて、その感触に身を委ねながら清麿に向けて口を動かした。
「……CM決まった」
「うっすら聞こえていたよ。お仕事取りつけてくれてありがとう、マネージャーさん」
「ほとんど取ったのは社長だ……それに、嫌な条件つけられちゃったし」
「まあ、それこそお願い、という程度のものだと思うけれどねえ」
すいしんしは嫌なんだよね、と少し笑声混じりに言われて、つい口を尖らせてしまう。
若手俳優として活躍中の清麿の新しい仕事は男性向けスキンケア用品のテレビコマーシャル。メーカーのお偉方と事務所の社長が知り合いだったことから結びついた話だが、清麿に任せるにはひとつ『お願い』が突きつけられた。
『源さんの清潔感溢れる素肌を活かすために、上半身裸でお願いしたくて』
ひそめた眉を清麿の指先につつかれる。拗ねたまま顔を向けると、清麿は特段嫌そうでもなしに微笑んでいた。
「いいじゃないか、認めてもらえたうちのひとつだよ」
「よくない。……だって、清麿が素肌出したシーン見て魅力的だって思った時点で許せないよ……僕のものなのに」
ふふっと清麿が笑う。
「君のものだけれど、これは商品だからね?」
くやしい。――俳優として活動すると決めた清麿を誰より傍でサポートすると、水心子もあの日また決めたのだ。でも、こんな思いをするとは考えていなかった。
分かってる、と口にして、顔を背ける。子供のようだと分かっていても、清麿の前では理性なんて働かなかった。
「……まあ、こんなふうに独占欲の強い恋人さんを宥めるのも、僕のお仕事だしね?」
「……仕事でやってるのか?」
「ある意味お仕事だよ。専業主婦だってお仕事だろう?」
つまりはそういうことだと、本当に口ではどうやったって清麿には勝てない。ため息をつこうとした間際に両腕に抱き締められた。
「わ」
「CMを受けるにあたって、僕からも条件があるんだよ、マネージャーさん」
悪戯っぽい顔が覗き込んでくる。なんとなく嫌な予感がしつつ、同時に心拍は高鳴った。清麿が悪いんだ、だって、そんな色気の滲んだ目を向けるから――。
「ねえ、叶えてくれる?」
コマーシャル撮影の控室は大層戸惑いが流れていた。まだ若いメイク担当者が声を揺らしている。
「あ、あの、虫刺されですか、この時期でも蚊っているんですね~」
「ううん、人刺されです」
さらりと清麿は人の厚意を無駄にする。せっかくごまかしてくれたのに、と、カーテンの仕切りの外で水心子は人知れず顔を押さえた。
清麿が突きつけた『条件』がこれだ。曰く、『水心子のものだって主張したいから、撮影前日に痕つけてくれなきゃCM出ない』とのことだった。
己の独占欲もあり、抗いきれず痕を残す行為に及んだ自分も悪いが、それにしたって清麿の小悪魔っぷりはどういうことだろうか。他人を巻き込んで、商品に傷を、と思うもつけたのは確かに自分だ。頭を抱える。
「え、っと……」
大慌てのメイク担当者に、清麿は意にも解さぬ明るい口調で依頼した。
「隠してください。あなたならしてくれるんじゃないかって、僕、勝手に期待してしまって……助けてくれるかい?」
今絶対に彼女頬染めてるな。水心子は誰からも見えていないのをいいことに口を尖らせた。
清麿は本当に処世術が完璧だ。しかしそのぶん自分を軽く扱う傾向にもあるので、そこは水心子が傍にいて補ってやらなければいけない。壁を数度ノックして、慌てたようなどうぞという声にカーテンを開けた。
「こら源、君はまた勝手ばかり言う。申し訳ありません、しっかり言って聞かせますので、うまく隠していただきたいのですが……可能ですか?」
「あっ、はい!」
担当者は必死にこくこくと頷く。頭を下げた水心子に、清麿が『言って聞かせる、ねえ』と至極楽しそうに呟いたので、強く睨みつけた。
「どうせ隠すなら、意味なくないか?」
誰もいなくなった控室、清麿のバスローブの襟元を指先で下げて今は見えなくなった痕を見つめる。
清麿は可笑しそうに笑った。
「痕があったんです、って、噂になるだけでいいんだよ」
そういうものなのだろうか。清麿はよく分からない。彼のことを本当に理解できたことなんて出会ってから一度もないのではと思う。
分からないけれど、それでも、尊重して守り力になりたい。それだけはきっと一生変わらない。
「ところで水心子」
唐突に、何かとっておきの悪戯を隠し持った顔で清麿がこちらを向くので、なんだと若干焦りながら問い返すと、彼はにこにことスマートフォンを握った。
「上の人からね、公式ツイッターに宣伝に企業アカウント名つけてメイキング写真載せなさいって言われていてね。さっき自撮りしておいたのだけれど、投稿してもいい?」
「? ああ、それくらい……」
「ほんとーに、いい?」
楽しそうな顔を、こてんと傾げて。
――さっと、ひとつの可能性に思い至って血の気が引いた。
「待て、それいつ撮った」
「さっきだよ、さっき」
「メイク後は撮ってないだろう、ずっと一緒にいたぞ!」
「つまりいつでしょう?」
「それはだめ、ほんと、きよまろ!」
スマートフォンを持った清麿を追いかける。いい歳をした男二人が何をしているんだと思うが、だって阻止しなければ。
――痕を隠したメイクのあとに撮っていないのなら、写真に収まっているのは痕を隠す前の姿だ。それを晒すなんて、とんだ匂わせ、どんなお叱りが飛んでくるか!
「きよまろ、ほんとに! 噂で済まないだろー!」
「僕は水心子となら炎上するのもやぶさかではないよ~」
「きよまろ~!」
ばたばたばたと追いかけっこを繰り広げて、騒音に怒った隣の控室の共演者・山姥切長義が殴り込みをかけに来るまで、あと数秒だ。