2025‐03‐25
アナベルの助けになってやりたくはある。それは本当だ。だけど、と二の足を踏む自分がいるのもビクトールは知っている。
ネクロードの奴が死んで、トランの戦争も終わって、いつまでも根無し草を続けている。その間に人が集まって、なんだかんだと集団になり、周りにはいつも人がいるようになった。それは正直、素直に嬉しく思っている。賑やかなのは好きだ。気のいい奴らだし、傭兵としての腕も立つ。
こういう武力集団を取りまとめる必要があることだって流石に分かる。頭を決めればそいつらをまとめて扱えるってんだから、アナベルがビクトールにそれを望むのも単なる昔馴染みに仕事を作ってやろうという優しさからだけじゃない。
全部分かっていて、まだぐずっている。
だってあいつがどうするかが分からない。トランからつい連れてきてしまった男が、ここにとどまる理由なんていくら考えても思いつかないのだ。
日が陰り、店の前の明かりが灯る。いつの間にかたまり場になっている酒場のドアをくぐれば、いつもの通り傭兵たちがなにやら騒いでいる。ビクトールに気づいた一人が、杯を掲げた。
「お、おかえり」
陶器のカップを押し付けられ、何も言わないうちからワインが注がれる。どこででも手に入る安酒だが、ビクトールが気に入っている事をここにいる奴らは知っているのだ。それがなんともこそばゆい。
「おうただいま」
杯を煽りながら定位置に向かえば、なにやらげんなりした顔のフリックがビクトールを一瞥して、ため息をついた。それに周りの傭兵たちが笑う。
「なんだよ」
「お前がいちいちぐずるからこいつ等が変な気を回すんだ」
「はあ?」
おかしな事を言う青年の向かいの席がビクトールの定位置だ。
まだ宵の口だから、卓の上には来たばかりの料理が揃っていた。ビクトールの帰りを待っていたわけでもあるまいに、ちょうどいいタイミングでビクトールの好む料理が卓の上に広がっていた。
それがなんとも嬉しくて、頬が緩むのを抑え切れない。
アナベルの役には立ちたい。
だけれどその結果として、今のこの状況が変わるのも耐えられない。
「変な気?」
「変じゃねえよ俺たちの飯の種にかかわる大問題だ」
「そりゃさっきも聞いた」
フリックが一つ見せつけるようにため息をつき、指先でグラスを持ち上げる。分厚いガラス越しに青い目が瞬いた。周りの傭兵たちが、何かを期待するようにこちらを見ている。
「なんか企んでんのか」
「違う。おまえがさっさと進退決めないからこうして俺にお鉢が回ってくる」
「ひでえ言いぐさ」
揚げた芋をつまんで口に放り込む。進退を決めぬというが、話はビクトールをおいてどんどん先へ進んでいるのだ。傭兵隊を作ることは既定路線。その上で、誰が。というだけの話。ビクトールが断れば、この中の誰かがきっと収まるのだろう。
その時、ビクトールも傭兵としてそこに収まるなら、トップをやっても一緒だろう。その理屈は分かる。
こいつらと傭兵隊なんか作ったらきっと大事な場所になる。いつか壊れるかもしれない、大事な場所。壊れた時が恐ろしい。
だけれどもう一度、と願う心はある。怖いだけだ。本当に、それだけだ。
「傭兵隊のことだろ。ちゃんと考えてるよ」
「こいつらがしびれ切らしてるんだよ。なあ、ビクトール」
グラスを支える指の爪がきれいに切り揃えられている。怖いのはなんだ。作った場所を失うことは当然だ。それだけだ。
ほんとうに?
「俺も一緒にやってやるから、この仕事受けろよ」
つまんだピクルスをとり落とした。とり落とした事を自分でも意外に思う。何がそんなに衝撃だったと言うのか。
「……お前も、ついてくんの?」
「……思ったリアクションと違う」
フリックもまた心底意外そうにビクトールを見つめた。
「俺がいるからって、何が変わるもんか」
「変わるだろ……」
何が、と明言は出来ぬまま、ビクトールは呟いた。傭兵隊を率いるようになれば、多分この男はついてこない。ジョウストンは赤月帝国の宿敵だ。ここにいることがそもそもおかしいというのに。
「ほら、俺たちが言った通りだ」
「フリックがいるんなら、この話受けるってな」
「賭けにすらならねえ奴だったぜ」
「いや俺は別に」
受けるとも何も言っていない。ましてや、目の前で眉を寄せる男がまだ一緒に居てくれるから、などと思われるのは業腹だ。是が非でも否定しなければ、と思いはするが、ではなぜここまで愉快な気持ちになるのか。どうしていままでの半端な気持ちが消えたのか。
「……どうすんだよ、ビクトール」
傭兵たちはくいっぱぐれのない仕事が見つかったと喜び踊る。その中でフリックだけが、困ったように笑っていた。
「まあ、面倒ごとをお前に押し付けられるってことだろ」
「絶対に拒否するからな』
そうは言っても、きっと出来る範囲で最上のことをやってくれるに違いない。近い将来のビクトールの砦の中で、フリックが渋い顔をしているのが目に見えるようで、ビクトールはだたおかしくて笑った。