2025-06-06
城は今だの手狭で、いまだに狭い部屋に二人で押し込められている。まあやることいったら夜に寝るのと、寝る前に寝酒をあおるぐらい。それだけだとしても、余人の入ってこない空間という奴はありがたい。大部屋でこんな会話なんて出来るはずもないからだ。
「キスしていい?」
距離は詰めない。今まで通り、卓の向こう側からお前の酒を寄越せと同じ温度でいう事にしている。フリックは毎回、思いもかけない事を望まれた、と言わんばかりに目を見開き、そらして、困ったように首をかしげる。考えこむように唇に指をあてることもある。
今日は頭をかいた。風呂に入って後は寝るだけだから、固い髪が素直に額に落ちていく。
「なんで聞くかな」
「そりゃ、嫌なら言ってほしいし」
まるで優しくしているようだ。俺の言葉に、フリックは眉を寄せた。酒に依らず、頬がさあっと赤くなるのは何度見ても楽しい。
「いや……別に嫌ではないんだが」
知っている、とは口に出さない。嫌なら断る奴だなんて分かっているし、断られないというのはそう言う事なんだろう。それは素直に嬉しい。
フリックは指の先を合わせて、なんとも言えない微妙な顔をして見せた。俺を責めるような、責めるのも酷だと分かっているような。
責めてもらっても構いやしないんだけどな。
好意を伝えて、口づけまで許してもらった。なんだかんだ言っても長い付き合いだ。フリックの方は今までそんな目で見ていなかった分、戸惑いやらがあって当然だ。急にいろいろとねだって、全部嫌だと言われてしまうなんて耐えられない。
「嫌では、ないんだが」
もう一度繰り返し、だんだんと視線を落としていったフリックはすっかり頭のてっぺんを俺に向けている。灰色と茶色が混ざったような髪の毛の隙間から見える耳が赤くなっていて、俺はなんだかそれがひどくうれしい。
ちゃんと意識してもらえている。
だけれどここで笑ってしまえば、多分機嫌を損ねるだろう。口につけたグラスの中にだけ笑みを残して、いつも通りの軽い口調で言った。
「嫌じゃねえのは嬉しいなぁ」
順番に、一個ずつ手に入れたいんだと思う。俺だけが望んでいると思いたくないという我がままだ。
フリックは顔を上げないまま手の動きだけで自分のマグを手に取ると、まだ冷えたそれを自分の頬に押し付けた。
「お前が聞くだろう。キスしていいか、って」
低い声に怒りはないが、薄い苛立ちはある。まあそれはいつもの声音と言ってもいい。
「おう」
「そしたら答えなきゃいけねえだろ」
そんなことはない。そんなことはないが、拒絶の可能性をフリックに気づかせるのは面倒だ。
別にいいか、ぐらいの温度で今は構わない。
俺と近づくのは普通の事で、触れあう唇は特別な事ではない。
キスの許可を請われて、頷くことで少しは錯覚してくれないかと望んでいる。
「キスしていい?」
「いいけどさ」
俺が望んでいるから仕方なく。自分はたしかに好意に応えたのだから、聞かれて拒否をする程の事もない。
身を乗り出して、触れるだけのキスをする。寝る前だから頬と、唇に一回ずつ。ほんの少し、吐息が触れそうなぐらいの近さでささやいた。
「もう一回していいか?」
「……しろよ」
許可をする課程を面倒に感じるぐらい、俺とのキスに慣れればいい。わずかに傾けた首筋、細い腰、薄く開いた口の中。触れたい場所はいくらでもあるけれど、いまはまだ、まだまだまだ早い。
怖がらせたくはないんだよ。それで離れてしまうぐらいなら、キスだけで終わったほうがずっとずっとマシだ。
額を合わせてゆるく笑う。
「近い」
「そりゃキスができる距離だからな」
フリックの手からマグカップが零れ落ちた。自分たちは今、口づけなど交わしているのだ。それを思い知らせたくて、俺はまたキスをねだる。