豆腐花この青年は本当に飯を奢り甲斐がある、と目の前の男の食べっぷりを眺める。龍捲風はいつものように叉焼飯を食べ終えた後、豆腐花と自分を交互に見遣る陳洛軍に餌を目の前に待てと言われてる犬のようだと内心呟いて苦笑を浮かべた。
「食べないのか?甘くて美味いぞ」
甘味のついた滑らかな豆腐を掬い取る。
シロップに浸された豆腐を洛軍は相変わらず不思議そうに見遣っていた。
「甘いものなのか、これは?」
「……苦手だったか?」
龍捲風は豆腐花を口に運んだ。豆腐花は龍捲風の好物で、阿七は叉焼飯の後の食後のデザートとしていつも出してくれる。
「苦手とかじゃない。――毒でなければ、何でも食べていたから」
そういえば、密航者だったか。食べ物の取り合いもあっただろうし、飢えと空腹を凌いだ日々もあっただろう。
洛軍は恐る恐るまず匂いを嗅いでから豆腐花をつるりと平らげた。澄んだ瞳がきらりと煌めくとそのまま黙々と食べ始める。良かった、気に入ったようだ。
龍捲風はブラウンシュガーを付け足した。途中で味変するのが龍捲風流だ。
「あんたは、」
不意に洛軍が口を開く。
「うん?」
「どうしてそこまで俺に親切にする?」
龍捲風は真っ直ぐに向けられる洛軍の視線に居たたまれなさを感じた。彼の名を聞いた時、あの陳占の息子だとすぐさま気付いた。赤子の時抱いたきりの親友の忘れ形見。
それが、突然成長した姿で現れた。
「九龍城砦はお互い助け合う所だ。お前は俺への金を返しても尚懸命に働いてるからな。住民達もお陰で助かってる」
尤もらしい言葉で龍捲風は誤魔化した。
本当はお前の父親を殺した罪悪感があるからだとか、お前が陳占に似ているからだとか理由は幾らでもあったが、それを明かしてしまえば洛軍はきっと自分を恨む。
それが怖かった。
この瞳が憎悪に変わる瞬間を見るのが。
「あんたが俺の親父なら良かったのに。信一が羨ましい」
やがて、豆腐花の入った器あっという間に空にした洛軍がぽつりとそう呟いた。
「信一とは血の繋がりはないぞ」
かちゃり、と龍捲風はレンゲを器へ入れると懐から煙草を取り出した。
「……知ってる。けれど、本当の親子のように見える」
純粋純朴な洛軍の事だ、その言葉に嘘偽りはないのだろう。
確かに、11歳の頃から信一の成長をずっと見守ってきた以上義父のようなものだ。だが信一は龍捲風の庇護下だけでは満足せず自ら右腕になる道を選んだ。彼を黒社会から遠ざけたかった筈なのに。
「だがな、理髪店を継ぐかと聞いたのはお前だけだ」
「え」
小さく息を飲んで目を見張る洛軍に龍捲風は煙草へ火を点け煙を大きく吸う。
「信一の奴、ナイフの腕は確かだが鋏はからっきしでな」
紫煙を吐きながら肩を竦める龍捲風に、洛軍が控え目に笑って答えた。
「俺が継ぐなんてまだ早い。あんたの方が俺よりずっとここの住民達に慕われてる」
そんな洛軍に龍捲風は眩しさすら覚えた。
お前は真っ直ぐな性格だからな。その内俺以上に此処の人達から信頼されるようになる。
だが、ぐっと呑み込んだ。
「やれやれ。隠居生活をさせてはくれないようだ」
お前の所に行くのは当面まだ先のようだ、と龍捲風は心の中で陳占へと謝罪した――。