猫とクッキー小麦粉とセモリナ、豆の粉のベサン粉にバターと砂糖を混ぜてカルダモンパウダーをひとつまみ入れる。清涼感と柑橘類を彷彿させる香りの独特なスパイス。これらを適量の水で混ぜ合わせて小さく丸めて平べったくしてカシューナッツを乗せる。オーブン皿に並べて焼き上がるのをじっと待つ。
そろそろ頃合いだろうか、という時。
扉をいつものリズムで叩く音がした。
ドアを空けると風と共にアクタルが笑顔で立っている。
「兄貴!腹減った!」
開口一番に自分の腹を擦りながら堂々と言う青年に私は表情が緩む。
「ナンカタイが丁度焼き上がったんだ、食べて行くか?」
「いいのか!?」
嬉しそうに目を輝かせるアクタル。彼は多分、人を疑う事を知らない。だからこそつい構い倒したくなる。叔父からは彼は弟の代わりではないんだぞと忠告を受けたが、そんな事はとうに分かっているのに面倒を見てしまうのだ。アクタルの世話をしてる間、私は自分の立場を忘れられた。
血に染まったこの手でもナンカタイを焼いてもいいのだ、と。
アクタルは素早く台所へ上がり込む。
「火傷に気をつけろよ」
「平気だって!兄貴は心配性だな」
――それは君だからだ、と喉元まで出かけた声を飲み込む。
アクタルは、親友で弟分だ。それ以上の感情を抱いてはいけない。……ましてや、ムスリムの青年だ。
アクタルは皿にナンカタイを載せるといつものように床へと胡座をかいて美味しそうに口へ運び始めた。
「君は、」
「何だ?兄貴」
「猫みたいだな」
アクタルは不思議そうに首を傾げた。そんな仕草すらどこか猫を彷彿とさせる。
「どうしておれが?」
「気紛れにやって来て、気紛れに餌を強請って、餌を食べたら満足して帰ってしまう所が猫みたいだ」
図星なのか、アクタルはうぐ、とナンカタイを頬張ったまま呻く。喉に詰まらせてはいけない、と私はすぐに牛乳を差し出す。急いで飲んだものだから髭の先端が白くなっていて、益々猫のようで私は笑いを堪えた。
「幾ら兄貴でもそれは失礼だぞ!」
「あっはっは!!!せめて虎の方が良かったか?」
こんな風に心の底から笑えたのはいつぶりだろう。
アクタルはいつだって私に暖かい感情を届けてくれる。
其処に存在するだけで人を微笑ませる猫のように。
「虎――」
アクタルの顔が一瞬だけ強ばる。彼の表情に翳りが見えた事に私は焦った。猫は気紛れだ。不機嫌になったら、それこそもう懐いてはくれない。
「……すまない。幾ら力が強くても、君は人の子だったよな」
褐色の肌に映える純白のクルタを纏ったアクタルは時折神聖めいた雰囲気を纏う事がある。喩えば逆光に照らされた時。
深い森に入った時。水辺に立つ時。
そんな時、アクタルは猫ではなくやはり虎の化身なのではないかという気持ちになる。
或いは、星が人の姿を借りて地上へ降りてきたか――。
「当たり前だ。猫や虎じゃ、兄貴とこんな風に話せない」
「うん?私と話したい事でもあるのか?アクタル」
「ああ!兄貴ともっと沢山話したい!そうそう、この間母さんが両手いっぱいにこんなに長い人参を持ってきて……」
大きな身振り手振りで語るアクタルの膝にある皿はすっかり空になっていた。うん、うん、と彼の声を聞きながら、私は今度は何を馳走してやろうと思考を巡らせる。
この自由を謳歌する猫は、とても気紛れだけど、とても可愛くて、私を飽きさせない。だからこそ、自分の元に留めたい気持ちが沸き立つ。
ああ、アクタル。
こんな私の本音を聞いたら。
此処に居着いてくれるのだろうか。