溶かされたのは、なに 休みの日の昼。ぼんやりとベッドから起き上がろうとしたとき、ス魔ホが鳴った。
『もしもしアザミくん!? 今日休み?』
「休みだが、来るな」
『今から行くね。愛してる』
「だから来るなと――切れた……」
ため息をついても無駄だ。昔からこっちの話をまったくなん聞かない年下の幼馴染だ。
どうして私はアレを好きになってしまったのだろう。アレの『愛してる』は、口先だけで、付き合ってすらいないのに。
寝直したい気持ちを抑え、起き上がる。身支度を終えて洗面所から廊下に出たところで呼び鈴が鳴った。
「こんにちは! お昼ごはん買ってきたよ!」
「はー、これだから。まあいい。上がれ」
「ありがとー」
ヤツは満面の笑みでズカズカと上がる。図々しいが、実家にいた頃からこうだし、たぶん死ぬまで変わらない。
「というか、お前は家の鍵を持っているのだから、勝手に上がればいいだろう」
テーブルに食事を並べる彼女にそう言うと、きょとんとした顔でこちらを見上げた。
「えー、ヤダよ。アザミくんがドア開けてくれるのがいいんじゃん」
「意味がわからない」
「アザミくん、頭いいのにね」
うるさいと軽く小突いて向かいに座る。
適当に置かれた食事に手を付けると、彼女は目的らしい愚痴をぶつぶつとこぼし出し始めた。
「ほんと、信じらんない。フラれた理由、あたしが魔関署の本採用になったからだよ!? ありえなくない??」
「ありえないのはお前の男を見る目だ」
「だってずっと研修行ってたじゃん! 四年のときからさー。卒業したらそのまま魔関署で働くに決まってんじゃん!」
「シイタケをうちの皿に入れるなと何度言わすん」
「入れるとアザミくんの話し方がかわいくなるから、つい」
「出ていけ」
「やだよ」
シイタケを彼女の口に突っ込むと愚痴が再開した。
「傷だらけだの、女らしくないだのってさ! 当たり前でしょ、毎日あれだけ訓練してるんだから〜〜〜」
「お前が顔だけで男を選ぶからだろうが」
そういうと、彼女はピタッと黙って私を見つめた。無視して食事を終わらせて片付ける。
付いてきたので冷凍庫に入っていたアイスを渡すと、ニコニコしながら受け取って、そしてまた真顔になった。
「アザミくんのせいじゃん!!」
「はあ?」
「私に、こんなにかっこ良くて頭が良くて、仕事ができてランクも高い幼馴染がいるのがいけないんでしょうが!」
味の違うアイスをもう一つ取り出して蓋を開ける。スプーンで掬って彼女の口に突っ込むと嬉しそうにしたので、もう一口突っ込む。
「もー! そうやって甘やかすからハードル上がっちゃうの! アザミくんよりかっこ良くて優しくて、頭が良くて、あたしのことわかってる男なんて他にいるわけないじゃん!」
「……アホ」
「え〜罵倒〜」
「それで、私にしておこうとは思わないのか」
そう言って、アイスで冷えた手で鼻を摘むと、「ふぎゃっ」と目をつぶる。口を塞ぎたい衝動をこらえ、テーブルに戻って今度は並んで座る。
頭半分ほど低い彼女を見下ろすと、まだ目をぱちくりさせている。
「お前にとって、私は何だ?」
「最強かっこいいあたしの幼馴染」
ぱちくりしたまま、一瞬も迷わず即答する。
……手強い。たぶん、そんじょそこらの犯罪魔や、なにかと揉めがちなキマリスなんかより、ずっと手強い。
「……よし、わかった」
「えっ」
彼女の手から、歪んだアイスのカップを取り上げて蓋を開ける。スプーンですくい、自分の口に入れてから彼女の口へと流しこむ。
「ん、ん……?」
そこで可愛げのある声の一つも出せないから、振られるんだ。もっとも、その可愛らしい声を聞くのは私だけでいい。
しばらく味わってから、ゆっくりと離れる。
彼女はまだポカンとしているから、口端に垂れたアイスをわざと音を立てて舐め取る。
「あ、アザミくん、やらしいこと、すんね?」
「ああ。これからもっとやらしいことをする。嫌なら逃げろ」
「えー……。あの、考えさせていただいても?」
「何をだ」
「アザミくんと、そういうことをしたいかどうか」
彼女の目が逸らされた。
――今までになかった反応だ。つまり、もうひと押し。
「いつまで考える?」
「えっ、えっと……アザミくん、次のお休みいつ?」
「……次の金曜日」
「じゃ、それまでに。あ、あの、お邪魔しました……また来ます」
「――ああ」
ソワソワしながら彼女は部屋を飛び出していった。
あの程度で落ちるなら、もっと早くやっておけば良かった。
「……また来ます、なんて。答えを言ったも同然だろうが」
溶けかけたアイスを食べる。
あいつの舌のほうが、ずっと甘かった。