TV「はぁ~、流石プロフェッショナルですね」
サンウォンが手書きのデザインをPCで再構築したリフォーム案を眺めながら、ギョンフンはまた、けったいな即席麺をすすっている。
サンウォンもコーヒーを淹れ、イナが好きなアーモンドチョコをつまむ。
昔ピンチに手助けしたことのある元同期が、細かい仕事をいくつか回してくれた。おかげでギョンフンとの計画に金を使っても、無一文にはならずに済みそうだ。
「わざとらしく褒めても、好感度は上がらないぞ」
凄腕でやり手の退魔師は、食い意地の張ったリスみたいな顔で頬袋を膨らませている。
「好感度?アジョシ、もう既に僕のこと、割と気に入ってるでしょうに」
マイペースに麺を咀嚼した後、ギョンフンはそう言ってにたりと笑った。
珍しい生き物を眺めるような気持ちで、不思議とイライラはしない。
「俺の他に、泊めてくれる友達いないのか?」
「四十路ともなると大体、友人には家庭がありますしね」
「俺の家庭は無視か」
あの事件の報酬を、ギョンフンの蔵をリフォームすることで払うと決まってから、ギョンフンはほぼずっと、サンウォンとイナの住む家のガレージを中心に、入り浸っている。
特に行動制限もしていないし、キッチンもランドリーもバスルームも出入りは自由だから、ガレージにいるのはギョンフンの仕事が忙しい時だけで、夕食はほとんど一緒に取っている。最初は車で寝ていたのだが、寒くなってきたので、父娘が滅多に入らないウォークインクローゼットにソファベッドを入れ、そこで寝ている。
まだ調子を崩しがちなサンウォンを病院へ送迎したり、帰りが遅くなりそうな時にイナをサンウォンの働く現場まで連れてきてくれるのは、助かる。
仕事中のサンウォンの様子を見せることは、これまであまり無かった。
ギョンフンはサンウォンが聞き出せない話をイナから聞いて伝えてくれる。本当は自分で聞き出せなければならないのはわかっているが、イナはイナで、サンウォンに直接は言いにくいことがあるようだ。父娘がお互いを理解するのに必要なことが少しずつわかってきて、夕食時の会話のぎこちなさも減ったように思う。
スンヒがいた頃と近い暮らしを、意外な縁で得てしまった。
「友達少ないのはお互い様でしょう。利害がたまたま一致してるだけの知人と同業者、それから、似た者同士でほど良い距離感の変人が少し。あとは、誰にでも親切で優しい善人で、自分だけの親友というわけでもない誰かだ。そんなもんです」
「……まぁな」
知的というのとは違う人種だが、観察力と分析力は結構ある。ギョンフンが自分のことも分析できているのかは甚だ疑問だが。
「イナちゃんが嫌がっているなら、出て行きますよ。というか、僕とアジョシは友達なんですかね?」
「違うだろ」
今ギョンフンが言った中の、どれかだ。
イナはどのナニーやシッターよりも、ストレス無くギョンフンと接しているように見える。多分、お互い評価しなくていい関係だからだろう。
友達や教師には、父親の仕事上のアシスタントだと説明してもらっている。それらしくなりきるのは得意だから、ギョンフンも上手くかわしているようだ。『ホ室長』という呼び名も、ひと役買っている。
「僕はアジョシのこと嫌いじゃないですよ。極端なところがあるのも面白くて興味深いし。友達と呼んでくれてもいいです」
「まあ……嫌いではないかな」
友達になりたくないと言われるよりはいい気がして、そう応じてしまう。
「でしょ~?僕も大して人間が好きなわけじゃないので、貴重な関係だな」
即席麺を食べ終わり、ギョンフンは満足げな笑みで伸びをして、デスクにぐにゃりとへばりついた。
「――恋人は?結婚願望とか無いのか」
友人がいなくても、恋人がいる男はそこそこいる。サンウォンも恋なんて言葉とは遠い人間だが、少なくともスンヒが結婚してもいいと思える程度の頼りがいと、それなりの色気はあったのだろう。
「あれぇ?聞きたいですか、そういう話」
「いや別に。概要だけでいい。話によっては二階の間取りも違ってくるし、他に家を買ったり建てたりする必要が出てくるだろ」
「概要ねぇ」
妙に若く見えるが、ギョンフンも四十路に入ったところだ。
家庭を持つことを特に意識してなくても、最低限でなくやや大きめのベッドやソファ、広めのキッチンが縁を呼ぶこともあるかもしれない。
「結婚願望は知らんが、恋人がいたら、こんなところに転がり込まず、そっちに行くだろうから、いないんだろうけど」
「まあ、正解ですよ。恋する相手ができて一緒に暮らしたいなと思えば、そうなる可能性は無くはないですが、これまでお互いそう思えた相手はお察しの通り、いないですね。まず親に追い返されますし」
お互い、と言うからには一方的な関係はあったのだろうか。
「悪霊とか、病んでる客には好かれそうだな」
「ん?アジョシのことですか?」
「――俺以外で」
退魔師らしくしている時は、それなりに頼りがいはあった。才能もあるのだろうと思ったし、ミョンジンの父親に襲われていた自分を助けに来てくれたのも、感謝している。
「さぁ。見た目は無駄にいいみたいなので、老若男女問わずナンパはされますよ。アジョシだって、結構モテるんじゃないですか?ほら、似てるし。あの『神と共に』のカン――あ、観てないんでしたね。この性格が好きという人もいましたが――僕、喋るのそんなに好きじゃないって言ったでしょ。マイペースで自由過ぎて、ついていけないってよく言われます。病んで見えても悪霊憑いてるだけの人は、祓ったらおさらばですし、退魔師と付き合うメリットが仮にあったとしても、デメリットの方が目白押しのてんこ盛りでして」
目白押しのてんこ盛り。
一応、素材の良さに自覚はあるのか。
「そうか?よく喋る方だろ。今だって小説なら六行ぐらいは喋ったぞ」
「あれ――確かにそうですね。何でだろ。無自覚でした」
「何か憑依してるんじゃないのか?」
「そうかもしれない」
冗談のつもりだったが真顔で返され、困惑する。
「おい、ホ室長」
「そうだなぁ、アジョシは喋りやすいのかな。聞き上手?相槌とか軽々しい同意はしないけど、割とちゃんと話を聞いてくれてますよね。病んでるけど壊れてないし、不器用だけど悪い人でもない。僕のペースにもついてこられます。頭もいいし、勇気もある。自分を釣り餌にするような真似ができたなら、退魔師の助手の素質が元々あったのかも。僕と波長が合うのは確かです」
「波長が合う?冗談きついな」
こんな変なやつと波長なんぞ合ってたまるか。
ギョンフンは身体を起こし、椅子の背もたれにしがみつくように体勢を変え、不敵な笑みでサンウォンを見つめた。
「病気と一緒にしちゃ駄目なんですけど、状態や仕組みは近いんですよ。アジョシの特性は、一般的な説明をすれば、感受性が強いってことですよね。母や僕の憑依体質も、似たようなものです。周囲のものから影響を受け過ぎて、良いものにも悪いものにも同調してしまう。それで失敗したり傷付いた経験があるから、警戒心を強めて疑り深くなったり、観察力がついたり、自己防衛のために詭弁を弄したりすると――さらに感受性は高まってしまう。その過剰な感受性や警戒心を鈍らせるのが、アジョシにとっては薬、家族、仕事です。僕にとってはこの数珠やお札が、その役割を担っている。僕が普段、鈍く見えるのは――意図的にノイズを発生させ、感覚を鈍らせているから。ほどほどの霊感だったら道具に頼らなくても、どこにミョンジンがいるかすぐにわかったし、あんな装置を使わなくても済む。その代わり、秒で取り憑かれてしまうでしょうけどね」
ギョンフンの鈍さは必要なものだったのか。いや、感応する力は鈍っても、言葉や行動の選択が独特なのは本人の素養じゃないのか。
「おい今、十行近く喋ったぞ」
「やだなぁ。今のは仕事の話みたいなもんですよ」
「お母さんも霊感が強すぎた?」
トランス状態の中、不自然に腕を悪霊に操られ自害する映像。サンウォンが彼女に会ったのは夢だけとはいえ、存在感のある人だった。
「母は、アジョシが病気で陥っていたような心身の状態を行き来するのが上手いってとこですかね。あの時までは戻って来られていたんですが――ミョンジンは悲しみがきっかけでできた存在でしたから、同情して隙を見せてしまったんでしょう。さすがの僕だって何度も、死にかけましたから」
「お守りが無いと、どんな感じなんだ?」
「この前の事件もクライマックスは力を解放しないといけませんでしたが――日常では、危ないのでやったことないです」
なるほど、漫画みたいな話だ。
「高いお札を奮発して部屋に貼りまくれば、その腕輪が無くても家では素の自分でいられたりしないのか?」
「母には、寺院や教会のような場所にさらに結界を張れば、そうなれることもあると言われました。母のような守護者が管理していればより、理想的です」
「それを建物として作るのは、流石の俺でも難しいか」
「そういうのって、お金と時間が凄くかかるんですよぉ。寄付とかお布施がいくらあっても足りないんです。むしろ、車くらいの大きさの方が安全で簡単です。コアになるところにお札貼っておけばなんとかなります。出入口の限られた広い空間の方がむしろ、気を使うんだな」
「その腕輪一本でできることなのに、建物となると難しいのか」
「腕輪は所詮、道具です。形あるものは壊れますし――己の身体をどうにかする方が確実で――仕方ないな、そんなに知りたいなら見てください」
「え?」
ギョンフンはおもむろに立ち上がって、黒いタートルネックのシャツを脱いだ。
腕以外にもいくつか入れ墨が入っていて、ないところには傷痕もある。
確かに――目白押しの、てんこ盛りだ。
半袖も着られないし、海水浴にも行けないだろう。このヴィジュアルと職業で娘との結婚を承諾してくれる親は、そういない。
自分もイナが将来こんな男を連れて来たら、絶対に反対する。
「腕輪が効くのはこの入れ墨とか、色んなものの相互作用です。アジョシの病気だって、きちんと食べたり眠ったりしていないと薬を飲んでも効かないし、なんならその薬を飲むためにさらに、きちんと食べられるようになる薬と、よく眠れるようになる薬が必要になるでしょう。そういうことと同じです」
緊張感の無い顔や喋り方と、その身体とのギャップに驚いて、まじまじと見つめてしまう。
「辛いだろ」
「――え?」
「その体質でいるのも、抑えているのも」
薬に頼らざるを得ないのは辛い。ギョンフンの言った通り、食べるため、眠るための薬を飲む虚しさと、あまりに弱い自分。思い出さざるを得ない悲しい記憶。
貴重で大事な家族を事故で無くした過去は、ギョンフンとサンウォンの共通点でもある。
「……ええ、まあそれなりに。でも、生まれた時からこうなので、普通がわからなくて」
ギョンフンは変な顔でそう言って、服を着た。
「仕事は楽しいのか?」
襟元と髪をいじりながら、ギョンフンは回る椅子でゆらゆらと揺れている。
「面白い時はありますが、楽しくはないですね。今回だってアジョシが死んでたら――立ち直れなかったかも」
危険な状況からサンウォンが無事に帰ってきた安心感があったから今、サンウォンに心を開いているのだろうか。
サンウォンも感謝はしているし、出会った時より尊敬もしている。
「予算を先に明示するから、その範囲内で最大限、その腕輪に頼らずに済む場を作る」
「アジョシ、やっぱり僕のことが大層お気に入りなのでは?」
ギョンフンはまた、満足げな猫みたいに笑った。
「……そうかもな」
医者と患者に近いような関係だから、手を刃物で傷付けられた時も必要なことだからと意識せず身を任せていた。そのまま少しずつ距離を詰められ、絆されて、取り込まれてしまうのかもしれない。
「ねぇ、シアタールームって作れます?」
「リビングじゃ駄目なのか」
「霊障ですぐ家電が壊れちゃうのが悩みで、部屋を分けた方が影響は少ないかなって」
「車は大丈夫なのに」
「車は移動できるし、ある程度は防御もしてます。安全な霊脈の上なら更に安定する。室内で電波を呼び込む系が無理めなんですよねぇ。最近の家電ってICチップとか通信機能とかAIが入ってるでしょう?連携できちゃったりして。あいつら壊れたら素人には直せない部品が入ってるのに、結構すぐボタンとか液晶が駄目になるんですよねぇ。素人でもわかる配線で、恐ろしく単純なスイッチの付いたものがいいんです。ああでもそれはそれで、物理に強い悪霊には逆に動かしやすくなっちゃうんですけど」
「あぁ……へぇ」
使っていたモニターやなんかも、ちょっとレトロでローテクだなと思ったら、そういうわけだったのか。
「めんどくさいなって今、思ったでしょう」
「いや、俺も未だに紙で設計図を引くタイプだ。ネット回線をぶっ壊したのは君だったけど、便利すぎる機械の不便さは、わかるよ。イナと暮らすのに古い家を選んだのも、そういう理由だし」
少しずつ理解してきた気になる。
「……アジョシ」
ツッコミを待っていたのに意外と受け入れられてしまった、という顔で、ギョンフンはそう呟いた。
「何だよ」
「騙されやすいタイプなんですねぇ」
詐欺師が値踏みをするような表情でしみじみ言われ、気分を害される。
「あ?また俺を騙そうとしてるのか?」
「いえ――ははは、今の話はちゃんと本当ですよ。もう変装して騙したりしません」
ギョンフンは心底楽しそうに笑っている。
「何を笑ってる」
「随分、好感度が上がりました。いい人ですね。それに僕、ハ・ジョンウは好きで」
「ハ・ジョンウ?ああ――似てると、スンヒが言ってたな。フライドチキンのCMに出てた俳優だろ」
髪型や眼鏡によっては言われないこともあるから、大して似ていないのだと思っていたが、サンウォンに直接言ってこないだけで、かなり似ているのだろう。
「そういう認識?結構、世界的にも有名な俳優ですけどね」
「テレビや映画は影響を受け過ぎるから、あまり観るなと母に――」
思えばあれは、母なりの防衛行為だったのか。
「ふふ。アジョシ『ハ・ジョンウ』って入れ墨彫りましょうよ」
「なんでだよ」
「僕は『キム・ナムギル』って彫ります。似てるって言われるんで」
「――誰だ?」
「ははははは」
自分は本当に、芸能人に疎い。大規模な施設の建設時にゲストとして来ていても全然、関心が無かった。
「芸能人が好きなのか?テレビがすぐ壊れるんじゃ、満足に観られないだろ」
「壊れますよ。でも全然観られないわけじゃないです。テレビは映らなくても円盤は観られたり、ゲームはできることってあるじゃないですか。昔は、そういう感じでビデオを観てましたね。今は、孤独死ばかり起こる部屋なんかにオーナーからの依頼で徐霊に行くと、遺品は自由にして良かったりするんで、霊現象を待つ間、映画マニアが死んだ部屋で映画観たりしてます」
テレビが映らなくてもゲームはできるテレビ。今の世代の若者にはわからないかもしれないが、ブラウン管テレビが主流だった自分達の世代なら通じるだろう。
「高校まで、俺の部屋のテレビがそれだった」
古いテレビをテレビ線に繋がず、モニターとして使ってゲームをやっていた。
「お?てっきり、お金持ちの子かと思ってました」
「親は公務員だ。教養もあったし安定はしてたが、金持ちじゃない」
「納得です」
ギョンフンが空の容器を持って立ち上がったので、作業の続きに戻る。
「リモコン操作が少なくて、単純な仕組みの電子機器にすればいいんだな」
「よろしくお願いします」
ギョンフンは軽い口調でそう言いながら、変に目を細めて、サンウォンを見つめた。
「――ん?」
「……ちょっと失礼」
そう言ってギョンフンは、真顔でサンウォンの肩と背中を少し強めに数回叩いてから、撫でた。
凝り固まっていた首が少し楽になって、血行のせいなのか霊的なもののせいなのか困惑する。
「お祓いか?」
「まあそんな感じです。ほどほどの没頭と逃避は良いですが、疲れをため過ぎないように」
「コーヒーを飲み終わったら、買い物にでも出るよ」
「いいですね。僕もお供します」
穏やかに笑んだ顔と、さっき見た入れ墨だらけの身体のギャップにドキリとした。サンウォンは誤魔化すようにチョコレートをかじり、コーヒーを飲み干した。