【ヴェラン】Austauschtagebuch ランスロットは自身の執務室で、一冊のノートを前に「うぅ〜ん……」と呻き声を出していた。
というのも、ノートに記す内容に困っているからだ。
澄みわたる空の蒼さを写しとったような、綺麗な色の表紙だ。心が穏やかになる色。
けれど、うらはらにランスロットの心は乱された。
このノートは、ある日ヴェインが「ランちゃん、『交換日記』しよう!」と持ってきたものだった。
「交換日記?」
その日、ヴェインが淹れてくれたお茶をひと口飲み、聞き返した。ランスロットにとっては馴染みのない単語だったから。
「そう! 巷で流行ってるんだってさ〜! 俺、ばあちゃんたちに誘われて〜」
どうやら、一冊の日記帳をふたり以上で共有するものらしい。手紙のやり取りとは違うのだろうか。
「手紙は遠くにいる人とやり取りするもんだけど、交換日記は身近にいる人とやり取りする……ってトコが違うのかも?」
ヴェインと仲の良いお婆さんの孫娘は、結婚相手と『交換日記』をしているらしい。身近も身近だ。
「ケンカして口をきかなくても、交換日記は普段通り書いて、日記に『ゴメン』って綴ったりするんだってさ! 口にしづらいことも、文字には出来るっていいよな〜!」
そうだろうか? 口にしづらいことは、文字にもしづらいと思うのだが。
ランスロットはそう思ったが、ヴェインがあまりにも期待のこもった顔でノートを手にしているので、断れなかった。
そもそもヴェインは、ランスロット宛によく手紙をくれる。
それは遠征で離れている時はもちろん、日常的にくれるのだ。
例えばランスロットが会議続きで疲弊している時。
執務室に戻ると、机の上には差し入れと手紙が置いてある。こんなふうだ。
『会議おつかれさま! 会議の後は甘いモノ! ってことで差し入れだぜ〜!
今日はみんなにドーナツを作ったから、お裾分け! ランちゃんには特別クリームたっぷりだからな!
このドーナツは、この前雪が降った日に、雪かきを頑張った団員たちへ配るんだ。
みんな率先してじいちゃん、ばあちゃんの家に向かってくれたから、俺、みんなの優しさに涙が出たぜ!
あいつら、騎士として日々、優しく逞しくなってるよな』
ひと言メモを超えた手紙……頻度が多く、日記とも思える内容だ。
どうして今回は手紙じゃなくて『交換日記』をしたいと言うのか。
(ふふっ、でもいつも返事は書けないから、日記なら『ヴェインの指導のおかげだな』って返せるのかもな)
見習いたちが優しく逞しく成長しているのは、ヴェインの背中を見ているからだろう。
ランスロットが交換日記を始めようと思ったのは、ヴェインへの感謝の気持ちを毎回伝えたいと思ったからだった。
それが交換日記を始めて、僅か二ヶ月で行き詰まるとは思わなかった。
「うう……」
昨日綴った交換日記は、今、ランスロットの手元にある。
つまり昨夜ヴェインへ手渡した直後に、彼は机へ向かって日記を綴ってくれのだ。そして翌日の昼前に手渡された。数時間で手元に戻ってきた交換日記。
遅い時間に手渡したので、眠りに就くのも遅くなったのではないか。
ランスロットは翌日に手渡せないことも多いのだが、ヴェインは遠征中でなければ必ず翌日には交換日記を手渡しに来てくれる。
無理をしていないだろうかと心配もするけれど、交換日記を持ってくるヴェインの顔を見れば、彼が楽しんでいるのがよく分かった。
(ヴェインは、純粋に楽しんでくれているのに……)
手にした空色のノートをペラペラと捲ると、対象的な文字が交互に目に映る。
ヴェインの文字は、彼の性格をよく表した元気な文字だ。力強く、大きな文字が愛しくて、指先でなぞった。
その文字が綴る日常は、ヴェインの見るている世界。優しく、愛に溢れた世界だ。
日々、彼が何を見て、何を感じているのかがよく分かる。
『聞いてくれよ、ランちゃん!
今日は鍛練でひよこ達と裏山を走ってきたんだけどさ、途中で花畑を発見したんだぜ!
俺、今まで存在を知らなかったー!
斜面一面青い花! あんな斜面でも、しっかり根付いて元気に、綺麗に、一生懸命咲くんだなって、感動しちまった!
ランちゃんにも見せたかったぜ〜!
もし時間があったら、時季が過ぎる前に、ランちゃんとも一緒に行けたらいいな』
『裏山を走ってきたのか? みんな随分体力をつけたんだな。ヴェインがしっかり鍛えているお陰だな。
花畑は俺も知らなかった。地図に印をつけておいてくれ。
今年は難しいかもしれないが、来年必ず行こう。ふふっ、感動しているヴェインの姿が目に浮かぶよ』
『今日の午後は時間があったから、町のばあちゃん達とお菓子作り教室を開催したんだぜ!
生徒は俺ひとりでセンセーは五人! ワハハ! バランスおかしいよな〜?
木の実を使ったケーキを教わったんだ。ばあちゃん達は、食える実と食えない実について色々教えてくれた。
戦とか、飢饉とか、食べる物に困った時の非常食として、代々庭に植えているらしい。だから詳しいんだって。
非常食なんて考えないで済むように、俺たちでがんばろうな!
あ、木の実を使ったケーキは、ランちゃんにも作るから、楽しみにしていてくれよ〜?
ちなみに、クリームはたっぷり必要ですか』
『城周辺の木々も、全部食べられる木だよ。俺たちで必ず安心して暮らせる世界にしよう。
五人もの熟練教師は心強いな! 俺はヴェインも先生になれる料理の腕だと思うけど。
たっぷりクリームは、ヴェインのオススメか? ヴェインのオススメの方がいいな。
ヴェインの作ってくれるケーキは、どんなケーキでも美味いから、本当に楽しみだ。いつもありがとうな!』
日記をパラパラと捲り、見返してみて、もう一度ランスロットは呻き声を出す。
(……ヴェインは自分の体験したことを書いてくれてるのに、俺ときたら……)
ヴェインの綴った日常への感想と、返事しか書いていない。
これには理由があるのだが。
昨夜も自分の行動を綴ろうとしたのだけれど――。
『朝からたまった書類を片付けた一日だった。ヴェインとのお茶の時間はリラックス出来るから、その時間が待ち遠しくて仕方がないよ。
お茶の後、お前が書類を配達してくれて助かった! いつも気を遣ってくれてありがとうな。
夕方になっても俺は書類仕事が残っていたけど、ヴェインはみっちり鍛練をしていたんだな。執務室まで、頑張るひよこ班の声が聞こえてきたぞ。ヴェインの声がいちばん通る。まあ、俺はお前の声を聞き逃したりしないけどな!
窓から覗いたら、ヴェインが楽しそうに笑っていて、つられて笑顔になってたよ。お前の笑顔が、いつだって俺のパワーの源だ』
別の用紙に下書きをしてみて良かったと思う。交換日記には書けない内容だった。
(だって、こんな内容、想いが溢れていてマズイだろ)
自分のことを書いてみれば、ヴェインばかりになってしまう。
毎回そんな内容を綴っていたら、いずれヴェインへ抱いている想いに気付かれてしまうだろう。
「バレバレのダダ漏れってやつだろう……」
(だから……)
無難な選択として、ヴェインへの返信を綴るしかなくなる。
(しかし、改めて日記を書くと、いかに自分の気持ちがヴェインへ向いているのか、嫌というほど自覚するな)
交換日記に誘われた時、真っ先に懸念したのはそれだ。自分の想いが隠せないのではないかと。
一日の行動を振り返ると、お茶の時間が近づけばソワソワし、ヴェインの声が聞こえれば姿を探し、存在を感じると姿を覗きに行って。それらを無意識で行っているのだから。
ヴェインへの想いは、口には出来ない。
日記にも綴れない。
また今日も無難な内容を綴るのか――申し訳ない気持ちも溢れてくる。
ヴェインはお茶の時間だけではなく、日記でも団のことや町のことを共有しようとしているに違いないのに。彼がいつも時間をかけて、日記を綴ってくれているのが分かる。
ランスロットへの気遣いも毎回感じるのに、自分は全く返せないのだから、不甲斐ない。
ランスロットは最初のページから、またペラペラと捲り始めた。
いつもランスロットへの気遣いの言葉が綴られている。
『ランちゃん、明日は早いんだから、今日は無理せず早く寝てくれよな!』
『今日の訓練、キツかったなー! 後でヴェインマッサージ師がランちゃんの部屋に伺うってさ! っていうか、これを読んだ時はもう会ってるか!』
『ランちゃん、今夜の会食でお酒飲むんだろ? アルコールを分解してくれるものを用意しておくけど、あんまり無理して飲むなよ〜!』
殆どの日記でランスロットを気遣っている。
「ふふっ、本当にヴェインは気遣いの出来る男だよ」
それから、彼の願いも多く綴られていた。
『見上げた夕焼けにドラゴンみたいな雲が浮かんでた! ランちゃんと一緒に見たかったなー!』
『町の外れに、隠れ家的料理店がオープンしたんだって! 今度、ランちゃんと一緒に行ってみたい』
『もうすぐ夏の休暇だろ? ランちゃんは何か予定立てたか? またアウギュステへ一緒に行けたらいいなあ』
『新しい技を覚えたんだけど、手合わせしてくれるか? ランちゃん、都合のいい日があったら教えて!』
ふと、ページを捲る手が止まった。
ヴェインの願い。普段はあまり聞かない。
「……もしかして、口にしづらいのか?」
確かに子供の頃と違い、自由になる時間の少ないランスロットへ向かって「雲を一緒に見たい」なんて言いづらいのかもしれないが。元来、彼は遠慮がちだ。
(言ってくれていいのに。ヴェインの願いなら、最優先だけどな)
自分こそ、願いがたくさんある。
ヴェインと一緒にしたいこと。行きたい場所。食べたいもの。
なんだってヴェインと共にしたい。
だって自分は、ヴェインを好きなのだから。
「……ん?」
ランスロットはヴェインを好きだから、多くのことを望むけれど、じゃあ、ヴェインは何故望むのだろう。
淡い期待が胸の中で膨らんでいく。
一緒に見たいもの。行きたい場所。味わいたいもの。感じたいもの。
どうして共有したいと望むのか。
「お前も……?」
気付けば、机の上で開いたページにペンを走らせていた。
『お前も、俺を好きなのか?』
ヴェインがランスロットを気遣い、願いを綴るのは自分と同じ気持ちでいるからではないか。
指に力が入り、ペン先が紙に食い込む。インクは染みになって広かった。
「……あっ!」
慌ててペン先をノートから離す。ページを捲ると、次のページは幸い無事だった。
溜息が漏れる。
走り書きされた自分の問。滲んだインクが、滲み出る己の気持ちに見えてくる。
「ヴェインが俺と同じ気持ちのわけないだろ……」
ヴェインは誰にだって気遣いの出来る男だ。ランスロットの知る中で、誰よりも優しい。
親友思いなヴェイン。
彼に親友以上の想いを抱いてしまったのは、自分だけだ。
ランスロットは静かにページを破り、綴った問をなかったことにした。
果たして翌日、ヴェインから戻ってきた交換日記に綴られていたのは、『俺も同じ気持ち!』という短い文だった。
どうしてその一文が綴られているのか。問は破り捨てたはずなのに。
「筆圧がな〜!」とヴェインに言われるまで、暫く悩むランスロットだったが、もう交換日記に何を書くのかを悩む必要は無くなった。