【ヴェラン】「ひとすじの」 一週間の遠征を終えて、フェードラッヘ王城に戻った俺は、真っ先に陛下の元へ伺った。その場にランちゃんも居るかと思ったけど、不在だった。
陛下のおつかいで某伯爵家を訪問してるんだって。
「ざーんねん!」
副団長執務室で報告書を書きながら、うっかり呟いちまった。
だってさあ、ランちゃんが「おかえり、ヴェイン」って言ってくれると思ってたからさあ。
労いの言葉を掛けてくれるランちゃんは、いつも柔らかい笑顔を見せてくれる。
「よくやったな」と褒めてくれる気持ちと、「よく無事に帰って来てくれたな」って安堵の気持ちが混ざり合った笑顔。
その笑顔で俺も「帰ってきた」って思えるから。
まあそろそろ戻ってくるだろうから、そうしたら俺に顔を見せてくれるよな!
窓の外に視線を向けると、空は濃紺とオレンジが鬩ぎ合う時刻だった。騎士団も夜勤の団員以外は終業の時間だ。
「よし、報告書終わりー!」
後でランちゃんに提出しよっと。
紙束を机の上でトントンと音を立てながら整えた。その音が聞こえたのか、扉の外で猫の鳴く声がする。賢い猫は、仕事が終わった音をちゃんと聞き分けるみたいだ。
「ムート〜! どこ行ってたんだ〜?」
扉を開くと尻尾を震わせた愛猫ムートが、「ナーン」と声を上げ、スルリと入ってくる。足元に寄せてくる体温が可愛いんだよな〜!
ムートは俺が拾った猫だけど、城内を自由に歩き回っている。俺もランちゃんも不在の時は、侍女や騎士団団員たちのお世話になっていた。みんな可愛がってくれてるのが嬉しいぜ!
「ただいま、ムート」
「ンン」
返事をくれたムートが、ぴょんと俺の腕の中へ飛び込んできた。
「わはは! さみしかったか〜? ごめんなー! 後でおみやげやるからなー」
遠征帰りに城下の店へ立ち寄って、鳥のササミも買ってきたから、後で湯がいてやろう。ランちゃんと一緒に夕飯を食べたかったから、色々買い込んできた。
「ん〜、ランちゃんを一緒に待つか?」
抱っこした猫に話しかけると、返事の代わりに肉球で顔をペタペタ触ってくる。おみやげを早くくれ、と言われてるみたいで笑ってしまった。
ムートと先に帰宅していようか少し考えたけど、もう暫く城にいようと思う。ランちゃんの留守を守っておかないとな!
それにランちゃんも、一刻も早く俺の顔を見たいと思ってるかもしれないし? なーんてな!
明日の予定を確認して、少し書類を片付けてから部屋の隅にあるソファーへ向かった。
一応、来客対応も出来る立派なソファーセットだけど、もっぱらランちゃんとの休憩や、仮眠を取るのに使用している。
遠征前にソファーカバーを洗濯して、綺麗に整えておいた。戻って来た時に綺麗だと気分がいいからな! 整えて、皺一つなかったカバーだったけど、端っこに猫が丸まったらしき皺がある。どうやら俺の留守中にムートが使ったらしい。
大事な書類は鍵付きの戸棚に入れて、ムートが出入り出来るよう扉の鍵は開けて行った。賢いムートは、実はドアノブも自分で開けられるから、お気に入りの場所で眠ったんだろう。
留守の間も、俺の匂いのする部屋で眠っていたの、可愛いよな〜! ムートにとって、俺も安心できる場所なんだ。
「よっし、ムート! 一緒にダラダラしようぜ〜」
「ニャー」
ランちゃんが戻るまで、ムートとソファーでまったりしようと座面にダイブした。俺の重さでソファーが軋んだけど、気にしない! クッションを手繰り寄せた時、あるものに気が付いた。
「……ん?」
髪の毛?
俺の髪じゃない。もちろんムートのものでもない。
一本の、クセのある黒い髪の毛。
ランちゃんの髪の毛だ。
ソファーカバーは洗濯して、クッションカバーも一緒に洗濯していた。皺ひとつなく綺麗に整えておいたソファーに、ランちゃんの髪の毛が落ちている。
「……もしかして?」
ひとつの仮設が脳裏に浮かび、身体を起こした。起こさないと、悶えてそのままソファーから転がり落ちるところだったからな!
だってさ! ランちゃん、ムートと同じ行動をしてたってことだろ〜
俺がいない間に、俺がいつも仮眠を取るソファーで、ランちゃんも休憩したの? 少しでも俺を感じたくて?
「……待って! 待って! そんなの可愛すぎるーッ!」
腰掛けた膝の間に頭をツッコむ勢いで悶えた。結局、悶えた。
無理! 可愛い過ぎる……!
俺のいない間に、俺を恋しく思ってくれたって、そういうことだよな
「――何が可愛過ぎるんだ?」
愛しい笑いを堪えた声がして、反射的に声の方へ顔を向けた。
「ランちゃん!」
開けた扉から、会いたくて堪らなかったランちゃんが顔を覗かせている。もしかして、ノックしてくれてた? 全然聞こえてなかったぜ!
一週間ぶりのランちゃんは、いつも以上にキラキラ眩しく映った。俺の心臓が高鳴るのが分かる。この心臓は、何度だってランちゃんにときめくよな!
「ヴェイン、おかえり……、ふふっ、可愛いのはムートか?」
今度はランちゃんの腕の中へ飛び移ったムートを撫でながら、楽し気な表情で言った。
「ただいま、ランちゃん! そんで、おかえり! ムートも可愛いけど、これはランちゃんに悶えてたとこ!」
「俺?」
大声で正直に応えたもんだから、ランちゃんは慌てて扉を閉め、鍵も掛けてしまった。
さすがランちゃん! 俺がランちゃんを抱きしめたくて仕方ない気持ちでいるって、瞬時に判断したんだ。
流石に城内でそんな姿は見せられないもんな〜!
「俺を可愛いと言うのは、お前くらいだぞ、ヴェイン?」
「そりゃ、そうだろ」
思わず真顔で応えると、ランちゃんは目を見張った。
当たり前じゃん。いつもどんな時もカッコイイランちゃんの可愛い姿って、恋人だから見られるんだぜ?
俺の前でだけ可愛いの! 他の人が知っててたまるかよ。
「俺はヴェインの方が可愛いと思うけどなあ」
ムートを腕に抱いたまま傍に来たランちゃんは、おもむろに俺の額へ唇を寄せる。チュッと可愛らしいリップ音と、濡れた感触。
「ふえっ?」
予想外の行動に、間抜けな声が出てしまった。
「あはは、ほら、可愛い、可愛い」
「もー! ランちゃんはー!」
俺の驚くツボを心得過ぎてるぜ!
「ふふっ」
お詫びのように抱えたムートの鼻先を、俺の額にくっつけた。
やること、可愛いんだけど。
「それで、俺の何が可愛かったんだ」
自分が目の前にいないのに、「ランちゃん、可愛い!」って悶えていたんだもんなー。そりゃ疑問に思うか。
「いやあ……」
「妄想の俺か?」
「イヤイヤ、妄想じゃなくてえ〜……、ランちゃん、俺が留守の間、このソファーで眠ったりした?」
「ん?」
笑みを浮かべたまま固まってる! やっぱりそうなんだ!
俺が留守の間、俺のソファーで寛いでる姿が脳裏に浮かぶ。
会議の終わった後なのかもしれない。癒しが欲しくて、俺の執務室へ。誰にも見られないよう周囲を警戒したかもしれない。鍵も掛けてさ。
「あー! 疲れたー!」ってクッションに顔を埋めたかもしれないし、「ヴェインのオヤツが食いたい……」って呟いたかもしれない。
ランちゃんの行動を想像するのは、付き合いが長いから簡単だった。
「探偵くん、それが妄想じゃないって証拠はあるのか?」
ムートをソファーに下ろすと、ランちゃんは俺の隣へ腰掛けた。優しく軋む音がする。
どうやら、俺の部屋で寛いでいたのは秘密にしたいらしい。
俺は手にしていた髪の毛を一本、ランちゃんの前に差し出した。
「ここにあるぜ! これが証拠だ! ソファーの上に落ちてました!」
「髪の毛? それが俺のだって、どうして思うんだ」
「お前はいつも鍵を掛けないで出るから、誰かが侵入してるかもしれないだろ」なんて、コワイ事を言った。
確かに落ちていた黒髪がランちゃんの髪じゃなかったらコワイけど!
どう見たって、この髪はランちゃんのだ。
「俺、ランちゃんの髪の毛を間違えたりしないけど」
「なんでそんな風に言い切れるんだ」
「えー? そんなの愛しかないだろ〜?」
なんでって聞かれても困るぜ〜。
たった一本の髪だけど。見た瞬間に「ランちゃんのだ」って思っただけだ。
子供の頃からずっと傍で見ていた。
大人になって、その髪に触れられるようになって。
髪の毛ひとすじだって愛しくて。
全部、全部、全力で愛すって思ったから。
理由なんて、それしかない。
「……まったく、お前には敵わないよ」
両手をあげて、降参してみせる。
「俺はランちゃん一筋だからな!」
このくらい分かって当然!
ランちゃんは俺のいない間、毎日ムートと一緒に副団長執務室で休憩をしていたんだって。
何度か仮眠もとったらしい。
「知られるのはなんだか恥ずかしいから、しっかりカバーの皺を伸ばしておいたのにな」
「甘いぜ、ランスロット」
掃除が苦手なランちゃんだもん。髪が落ちてるのには気付かなかったんだ。
「って言うか、堂々と使ってくれていいのに!」
「ふふっ、お前はそう言うと思ってたけど。でもさ、恥ずかしいだろ? 年々、お前と離れがたくなってるなんて」
小さな声で、目元を染めて秘密を打ち明ける。
一週間でも耐え難い。
そんなの、俺だって同じ気持ちだ!
遂に堪えきれなくて、両腕でランちゃんの身体を思いっ切り抱きしめた。
髪が頬を擽る。
この髪ひとすじだって、俺のものだって思っていいんだよな。
ランちゃんの腕が俺の背中にまわされた。同じ想いだって伝えてくれているみたい。
俺の髪の毛ひとすじだって、ランちゃんのものだぜ!
「はあ……、やっぱり、本物が最高だな」
なんて、やけにしみじみと実感のこもった声が耳元で聞こえて、そんなに飢えてたのかと俺を悶えさせた。