【ヴェラン】君の髪と君の恋「ランちゃん、髪伸びたなあ」
ヴェインが優しい手つきで癖の強い俺の髪にブラシを通す。
少し前まで低かった背が伸び、今はちょうど目線の高さが一緒になった。ブラシを握る手も小さな頃とは違う。
「ランちゃん〜」と伸ばしてきた手は、細い指で、でも手のひらはふくふくしていて、可愛らしかった。今じゃあ、指の太さなんて俺の倍はあるんじゃないか?
顔を上げると鏡越しに視線があった。俺が椅子に腰掛けているので、目線の高さは違う。
「ふふふ、俺は今、髪を伸ばしてるんだよ、ヴェインくん」
「え? なんで? 願かけとか?」
子供の頃からずっと短髪のヴェインが、鏡の中で首を傾げた。
長い付き合いで、髪が伸びるたび「鬱陶しいな。切ってくれよ、ヴェイン」と聞かされてきたから、そりゃ疑問も湧くよな。
首を傾げながらも、器用にブラシを動かして黒い髪を束ねてくれた。
一年中穏やかな気候のフェートラッへだが、流石に夏は暑くなる。ヴェインは白い布を胸ポケットから取り出すと、結んだ束にリボンを作った。
「よし! できたぜ、ランちゃん!」
「ありがとう、ヴェイン。お前は器用だなあ」
「ランちゃんが不器用なんだろー」
「器用な幼馴染みをもって、俺は幸せ者だ」
「そうやっておだてても何も出ません!」
ブラシを片付けながら、チラチラと持参した鞄へ視線を向けているのが鏡に映っているぞ。きっと鞄の中にはおやつが入っているんだろう。
俺の好きなクッキーかも。ベイクドチーズケーキとか?
ヴェインは俺に甘いから、休みの日は俺の好物を作って持ってきてくれるんだよな〜。ヴェインの作るものは何でも好物だ。
今日も朝から宿舎の最上階にある俺の部屋へ来てくれて、寝具の洗濯を手伝ってくれた。ふたりで屋上へ出てシーツを干すのは楽しかったな。
いつも部屋も片付けてくれるし、今日のように髪も整えてくれる。癖が強すぎて、放っておくとアチコチ髪が跳ねて大変なんだ。
……「髪を乾かさないで寝たんだろ」って、ヴェインにはすっかりバレているが。休みの日はヴェインが来てくれるって分かっているから、ついな。
ヴェインが優しく髪に触れてくれる時間が好きだから。
鏡に映る自分の顔が、締まりなく緩んでいた。
今のうちに甘やかされる時間を満喫しておかないと、そのうちヴェインだって休日は他の誰かと過ごすようになる。その時が来たら、邪魔はしたくない。
「……それで、なんで?」
「ん?」
「髪」
「ああ、理由は単純だぞ。髪を伸ばして、ジークフリートさんのようになる!」
「……へ? ジークフリート団長?」
その通りだ。
我が黒竜騎士団の騎士団長であり、フェードラッヘの英雄。国に、王に尽くす忠騎士。
俺の理想とする騎士像は、ジークフリートさんだった。
何も分からずにいた俺に、騎士としての全てを一から教えてくれた人。ジークフリートさんのような立派な騎士になりたくて、鍛練に励んだ。
俺に期待をしてくれて、全てを叩き込んでくれたジークフリートさんに恩を返す為、何より俺の背中についてきてくれるヴェインに恥じない騎士になる為。
時間が許す限り身体を鍛えているつもりだけど、中々ジークフリートさんみたいな鍛え上げられた肉体にはなれないんだよな。むしろ、ヴェインの方がジークフリートさんの肉体に近づいてるんじゃないか?
剣技は少し上達したと思うけど……。多分、俺の剣はジークフリートさんの剣に似てると思う。だが他は全く足元にも及ばない。
髪型から真似てみたくもなる。
恩師の髪は栗色で、肩より少し長かった。
「少しでも近づきたくてさ」
早く成長して、その背中をヴェインに見せたい。
「……カタチから入ろうってこと?」
「うん、駄目か?」
鏡の中のヴェインが微かに眉を寄せたから、なんだか悪いことをしている気分になった。
そうだよなあ。無造作に伸ばした髪を手入れしてくれるのはヴェインだし、そりゃ短い方が楽だよな。いや、そもそも自分で手入れも出来ないなら、伸ばすなって思われたかも。俺がヴェインを当てにしているのも、筒抜けだろうし。
思わず結んでくれた髪に手を伸ばした。リボンが指先に触れる。わざわざ用意してくれて、これだって手間を掛けさせてるよな。
「ランちゃんは、自分のことに無頓着だから」と言いながら、俺の世話をしてくれるヴェインに甘え過ぎていたのだろう。
ヴェインが俺を甘やかしてくれる時間が心地よくて――。
「……あのな、ヴェイン……」
「ダメじゃねえけど……」
ふたり同時に口にして、ふたり同時に口を噤む。
鏡に映るヴェインの顔が曇って見えて、勢いよく身体を反転させた。
鏡を通さずヴェインを見つめる。急に振り返ったから、ヴェインは目を丸くした。
俺と対象的な明るい髪の色。短い髪はヴェインによく似合っている。
座ったままの俺がヴェインを見つめると、「……ランちゃんはさ、ランちゃんのままでいて」と消えそうな声が聞こえてきた。
「……え?」
「ランちゃんは、ジークフリート団長にならなくて、いいだろ? ランちゃんはいいところがいっぱいあるし! 俺が見てきたランちゃんは、そのままでずっと、子供の頃からカッコいいぜ!」
「ヴェイン……」
――ああ、俺が焦っているように見えたのかな。
もっと強く。もっと立派な騎士に。ジークフリートさんに追いついて――そんなふうに。
形を真似ても意味はないって。
ヴェインが真剣な瞳で俺を見つめていた。誰よりも案じてくれる瞳。
「……ふふっ、ヴェイン、ありがとう」
「うん! 本当だぜ! ランちゃんはいつだって俺のヒーローだから!」
「俺にはお前こそヒーローに見えるけどなあ」
「だからあ、おだててもなんにも出ないって〜」
また視線が鞄に向かうので、可愛くて声に出して笑ってしまう。こんなところは身体が大きくなっても、子供の頃と変わっていない。
「ふえ? なんで笑ってるの?」
「いや……、なあ、ヴェイン。このまま髪を伸ばして、次の宴会でジークフリートさんのモノマネをしようと思うんだが」
「え? いつもやってるやつ? 『また成長したな、ランスロット』……って、もしかしてモノマネがしたくて髪を伸ばしてた」
それも理由のひとつだ。
憧れている人に近づきたくて、というのも本当だけど。
真実は別のところにある。
「ランちゃん、イタズラは徹底してるからなあ……」
「イタズラじゃないだろ」
「……うん、でも、そっかあ。じゃあ、次の宴会が終わったら、髪切るんだあ……」
どこか安堵の声を滲ませ、ヴェインがつぶやいた。
そんなに俺の髪が長いのは嫌なのか? 長いって言っても、まだジークフリートさんには及ばない。次の宴会は二ヶ月後だ。
その期間、ヴェインを不快にさせるなら、今すぐ切ってもいい。
「だって、ランちゃん、長髪はあんまり似合ってない……」
「あ! 言ったな!」
それは自分でも感じていたから、ヴェインに思いっ切り飛びつくと、難なく受け止められてしまった。
最近、めきめきと筋力をつけ、俺より立派な体躯だもんな! くそ!
子供の頃みたいに両手を使って、金色の髪をわしゃわしゃにした。見た目よりも柔らかな手触りが、心を和ませる。昔から、大好きなんだ。でも、実際は髪の手触りも変わっているのだろう。
日々、あらゆるものが少しずつ変化していくんだ。
変わらないのは、子供の頃からずっとヴェインが隣にいること。
ヴェインは髪をぐちゃぐちゃにされても、朗らかに笑っていた。
「わははは! ゴメン! 宴会までは俺が髪のお手入れがんばるから許して!」
「それだけじゃ足りないな! おやつがあるだろ!」
要求すれば、ヴェインの瞳がまた丸くなる。コロコロと素直に変化する表情も大好きだった。
「えっ? なんで知ってるの?」
「フフフッ、ヴェインのことなら何でもお見通しだからな!」
「えぇ〜……」
眉を下げたヴェインは俺の手から逃れ、鞄から可愛くラッピングされた袋を取り出した。袋の口はリボンで上手に閉じられている。クッキーだな。
「驚かせようと思ったのにな〜」
「全然隠せてなかったぞ? ヴェインには隠し事は無理だろ」
「そんなことねえもん! 俺だって隠しゴトしてるし! バレてないし!」
今度は俺の目が丸くなったと思う。ヴェインが俺に隠し事をしてるだって?
それは、遂に恐れていた日が来たのだろうか。
ヴェインが誰かに恋をして、俺と過ごす時間が減っていく日が――。
「俺がランちゃんを好きだって、全然バレて……あッ!」
来てなかった。
ヴェインはまだ恋を知らない。ほっと胸を撫で下ろした。
「ヴェインが俺を好きなんて、皆知ってるだろ。俺も知ってる」
「そうじゃなくて! 俺の好きは尊敬とか、幼馴染み愛とか、友愛じゃないやつ!」
「え?」
それ以外の、好き?
これまでの長い付き合いで、いちばん赤い顔をしたヴェインに告げられる。
初めて見る顔で。
「ランちゃんに、ずっと恋してる!」
「ランちゃん、髪伸びたなあ」
微睡んでいると、優しい指先が俺の髪を梳いた。
先程まで熱を灯されていた身体が、与えられた感覚を快楽と捉えてしまう。
「ヴェイン……」
「あ、起こしちまった?」
「いや……」
懐かしい言葉を聞いたな。
ジークフリートさんを真似て、髪を伸ばしていた頃、同じ言葉を言われた。
「最近、忙しかったからな……、伸ばしてるわけじゃないよ」
色々と立て込んで、髪を切る時間も取れなかった。こうしてヴェインと過ごす時間も取れなくて、体温を感じたのは久し振りだ。髪を切るより、ヴェインと過ごす時間を優先したいのは当然だろう。
もっと感じたくて、ヴェインの胸に擦り寄る。しっとりと、まだ熱を孕んでいる肌。
「わはは、ランちゃん、甘えたさんだ〜」
「昔から……、俺はヴェインに甘えてるだろ」
「そうかも〜?」
あの頃、ヴェインに触れて欲しくて髪の手入れをしてもらっていたなんて、恥ずかしくて言えないけど……。
まあ、今のヴェインにはお見通しだろう。
「ふふっ、でも久々に伸ばすのもありか? 少しは風格が出たりしないかな?」
「えー! ランちゃんは少し短めがいいと思う!」
やけにきっぱりと言う。そういえば「似合ってない」って、昔も言われてたか。
ヴェインが短い方がいいと言うなら、伸ばす理由もないけどな。
おっと、少しでもヴェイン好みでいたいなんて、恋する乙女か、俺は。
だがヴェインに好かれる要素なら、多いに越したことはない。
「うーん、でも今なら……、いやいや」
ブツブツ呟きながら、ヴェインの硬い手のひらが俺の頬を撫で、そのまま髪に触れる。地肌を撫でる指先に、眠気が消え去った。
「ヴェイン……?」
「ランちゃんは髪が長いと美少女になっちまうから、俺、ホントに心配で」
「ん?」
なんか今、聞き捨てならない言葉が聞こえなかったか?
「ヴェイン?」
「……うん、ランちゃんは短めの髪がカッコいいぜ!」
髪を耳の下でまとめて納得している。
「お前、本当にそう思ってるのか?」
「わははっ! 思ってるってえ! ランちゃんは最高にカッコいい男だぜ!」
そう思ってくれるなら、俺の努力も報われる。
「それから」と、低い声が耳元で響いた。
「ランスロットは最高にかわいい、俺の最高の恋人」
同じセリフを返したかったけど、口を開いたと同時に唇で塞がれて、飲み込まれていった。