噂話を聞いたランちゃんの話 ランスロットがその噂を聞いたのは、一ヶ月間の遊学から戻り、その足で国王陛下へ報告する為、玉座に向かっている時だった。
数人の騎士団団員たちとすれ違い、挨拶を交わしながら歩いていると、まだ声変わり前だと思われる少し高い少年の声が聞こえたのだ。
「――団長と副団長が?」
「ああ、あのお二人、所謂そーゆー関係なんだってさ!」
「そ、『そーゆー関係』って……、男同士で?」
柱の影に騎士見習いの制服を着た少年達の姿が見える。彼らは声を顰めているつもりらしいが、大広間に続く天井の高い通路に声が反響していた。
手には掃除用具を持っている。どうやら掃除をサボって無駄話に興じているようだ。人が近づいているのにも気付かない程、夢中らしい。
(俺の足音がこんなに響いているのにな。注意力が欠如している)
これが魔物や敵兵なら、彼らは確実に命を落としているだろう。
騎士たるもの、いかなる時にも気を抜かず、周りに神経を張り巡らせておかなければ――などと、まだ騎士団に入団したばかりの子供に求め過ぎかもしれない。
(まあ、その集中力は褒められる所かもしれないな)
「ランスロット団長とヴェイン副団長、ただの幼馴染みって言うには、距離が近いと思ってたんだよ!」
彼らが興奮しながら話す内容は、しっかりとランスロットの耳に届いていた。
「……『そういう関係』とは、恋人同士だとか、そういったことか?」
少年たちの背後まで来てしまったので、声を掛ける。
素通りしても良かったのだが、噂の内容と出所を把握したかった。
「ひ……っ!」
「ランスロット、だ、団長……っ!」
ドラフとエルーンの少年は飛び上がって驚き、ヒューマンの少年は勢いよく後退った。彼らの手から掃除道具が離れ、床で派手な音を響かせる。
少年たちの顔色が見る見る青くなっていった。一瞬で血の気が引いたのが分かり、貧血でも起こさないかと心配になる。
「ちが……、あの! 噂をき、聞きまして……っ」
手を握り合いながら、お互いの背中に隠れようと落ち着きがない。言い訳をする声が裏返っていた。やましい話をしていた自覚はあるようだ。
「そうか。その噂は事実とは違うから、訂正させてくれないか」
子兎のように震える少年たちを見ていると、こちらに非があるように感じ、ランスロットは苦笑しながら、極力優しい声を出した。
しかし立場上、言うべきことは伝えておく。
「それから、立派な騎士を目指すなら、噂話などに惑わされないようにな。他国の情報操作の場合もある」
「は、はい!」
「掃除もサボらないこと」
「承知しました……っ」
少年たちは頭を下げると掃除道具を拾い、脱兎のごとくその場を逃げ出した。あっという間に通路から姿が見えなくなり、誰もいなくなった空間がしんとする。
少年達のあまりの慌てぶりに悪いことをしたな、と反省した。
しかし、まだ幼い少年たちにあの様な噂をされるとは、留守の間に騎士団が弛んだのではないかと心配になった。
(いや、ヴェインに頼んであるから、大丈夫だろうけど)
他人の恋愛事情や、性事情に興味の湧く年頃だとは思うが、現を抜かされては困る。プライベートな時間ならまだしも、今は勤務中なのだから。
(まったく……、年齢や性別にかかわらず、皆、噂話が好きだな)
ランスロットはまるで興味がないけれど。
(そういえば……)
騎士団に入団したての頃、先輩騎士たちから、「ヴェインと身体の関係があるのか」と聞かれたなと思い出す。一度だけではなく。
今でも時々、噂をされているのも知っている。もしかして、自分が思っているより噂は広まっているのかもしれない。
(……そんな風に見えるのだろうか)
ヴェインは幼馴染みで、子供の頃からずっと一緒にいる親友だ。これまで一度だって喧嘩をしたことがないので、仲はいいと思う。
それは、ヴェインがランスロットに譲ることが多い為だけれど。もしヴェインが気の強く、我も強い人間であったなら、何度も衝突したのではないか。
(ヴェインが優しいからなんだよな)
いつだってヴェインはランスロットに優しく、優先してくれる。
そんなヴェインの傍にいるとリラックスして、他の誰にも見せない姿を見せている自覚はある。
なんせ我儘を言っても、聞き入れてもらえるのだから、甘えてしまっても仕方がない。
自分の甘えが、噂の元になっているのだろうか。
これまでの行動を省み、その場で考えに耽っていると、大きな足音と鎧の触れる音が響き、「ランちゃーん!」と名を呼ぶ大声が聞こえてきた。
ヴェインが手を振り、通路を駆けて来る。
静かだった通路が急に騒がしくなった。たったひとり登場しただけで。
「ヴェイン」
「うおー! ランちゃん、今日戻りだったのかよ〜!」
勢いのままヴェインが飛びついてくる。飼い主に会えた大型犬並だ。
「わっ、コラ! 飛びつくな……っ」
「予定より一日早いじゃん⁉」
約一ヶ月振りの再会を全力で喜んでくれるのは嬉しいが、飛びつかれ、太い腕で抱きしめられ、圧迫感が苦しかった。
「分かった! 分かったから! 苦しい、ヴェイン!」
「ナハハハ! 悪い、悪い! 久々だったからついな!」
ヴェインは力を緩め、ランスロットの身体から離れると、肩を掴んで顔をのぞき込んできた。
「うん、うん、顔色良好、旅の疲れはないみたいだな!」
まず一番に体調を心配してくるのは、ランスロットが仕事に没頭しがちだからだ。
「歓迎してくれるのは嬉しいが、時と場合と場所と力加減を考えてくれ……」
「えっ そんなに考えないとダメ も〜、なんだよ〜、ランちゃんは嬉しくないのか〜?」
シュンとする姿はやはり大型犬っぽく、素直に感情を表す彼が相変わらずで、嬉しさが込み上げる。
知らない土地で知らない人と過ごした後に会うヴェインの存在が、なんだか心に沁みてきた。
ヴェインに会うと「帰ってきた」と思える。
「ふふ、嬉しいよ。ただいま、ヴェイン」
「おかえり、ランちゃん!」
破顔したヴェインはもう一度、力いっぱいランスロットを抱きしめた。
(……全然、分かってないな)
逞しい腕に抱きしめられて、呼吸が苦しくなってしまう。
それは動悸がするせいでもあるけれど、ランスロットは肺が圧迫されているからだと言い訳をした。
「……おい、ヴェイン。俺達が噂されてるって知ってるか」
こうやってヴェインが感情のまま抱きついてくるのを、どこかで目撃されているのかもしれない。
ランスロットがまるで抵抗しないのも、噂に拍車をかけ、信憑性を増しているのか。
(抱き合ってるようにしか見えないだろうし……)
噂をされているのは、ヴェインの腕を振り払わない自分が原因なのだろう。
噂をされるのは困る。事実ではないから。
けれど、ランスロットはヴェインの腕を振り払えない。
ヴェインに抱きしめられると、甘く胸が疼く。
その甘さをいつまでも享受していたい。
(この想いが噂の出処)
噂は真実ではないけれど、想いはあるのだ。
「えー? 噂って?」
「俺達が付き合っているとか、恋人同士だとか……、こうやってお前がところ構わず抱きつくと、皆、噂を信じてしまうだろう?」
今は通路に誰もいないけれど、一秒後には人が通り掛かるかもしれない。
早く離れなければ。
ヴェインを低俗な噂に巻き込みたくはない。
「『ランスロットとセックスしてるのか』って聞かれたな、俺も」
「……な」
そんなあからさまに問われたと言うのか。流石に騎士団長であるランスロットへ直截に言う者はいなかった。
「俺は、別にさあ……、ランちゃんと噂になっても全然困らないし、寧ろ噂になって欲しい」
抱きしめたまま、ヴェインは低い声で耳元へ囁く。
「何、言って……」
「だってさ、ランちゃんに下心がある奴らが『お前はランスロット団長と付き合ってるのか?』とか確認してくるんだぜ? そりゃあ、否定しないで、返事をぼかすだろ?」
「え?」
(つまり?)
ふたりの関係が噂になっているのは、否定しない上、寧ろ肯定に取れるよう返事を曖昧にしているヴェインにも原因があるということか?
「何で」
「わはは……、何ででしょうか〜? って、いけね、鍛錬抜けてきたんだ! んじゃあ、ランちゃん、また後でな!」
「……おいっ!」
ヴェインはランスロットから離れると、来た時同様、大きな足音を立てながら、手をブンブン振って去っていく。吹っ切れたような笑顔で。
ヴェインの姿が見えなくなっても、ランスロットはその場で暫く呆然とした後、我に返った。
(仕事中だぞ!)
陛下に遊学の成果を報告しなければ。
けれど、今は顔が赤くて、発熱しているのかと心配を掛けてしまいそうだ。
ヴェインは「また後で」と言っていた。
今夜の夕食を作ってくれるのだろう。
その時に改めて確認してみようと思う。
「噂を事実にする気はあるか?」――と。