2話『皆様、本船はまもなくフェーネルリア帝国、帝都フランツェのステーラ港に着岸致します。長らくのご乗船お疲れ様でした。』
船内に響くアナウンスで目が覚めた。
目の前の窓に視線向けてみると先程まで雲の上を泳いでいた船は大陸に近づいている。
しばらく眠っていたせいもあり、固まっていた体を伸ばしていると後ろから足音が近づいてきていた。
「シラーさん、そろそろだから降りる準備してね」
「うんわかった。⋯どう?船の中は楽しかった?」
「それはもう!!見た事ない楽器に食べ物が沢山あってさ!」
目をキラキラさせ、初めて見るものがどんなに素敵なものなのかを教えてくれるヘルラにシラーは合図値を打った。
『お客様にご連絡申し上げます、本船はステーラ港に只今着岸いたしました。係員の指示に従い、後方出口より下船ください。本日は、クリスティーラ号をご利用下さりありがとうございました。またのご乗船を心よりお待ちしております。』
「そろそろ降りないとね、行こうか」
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ステーラ港のバースには多くの船が停泊している。
浮遊大陸で構成されているこの世界、メルヴェーゼルでは飛行船は重要な交通手段であった。
天空鉄道や魔法使いの使う飛行用魔導具はあるが、一度に多くの人、物を運べる船は交通、運搬などの多方面で運用しやすく重宝されている。
船から降りたシラー達は大きな港に停泊する船郡を見たあと、フランツェの中心地へ向かうことにした。
眩しいほどに照り付ける太陽、花の都と謳われるだけあり色とりどりに咲き狂う花々達の風で踊る花弁を見ながら、笑顔の溢れるこの都市は少年の好奇心を満たし、理想的に映る。
今まで何も無い小さな村で過ごしていたせいということもあり、花やら、魔道具やらと見たことの無いものが溢れ返る都市は、青年の意識を持っていくには十分だった。
あらゆる品々が集まる活気のある市場の中心で気になるものから、興味のあるものへ忙しく視線を動かし、興奮で抑えきれないこの思いを走る力へと変える青年は、目をキラキラさせながら道をかけていく。
「周りに気をつけて!」
坂道になっていることもあり、息を切らすシラーを尻目に先へ先へと上がっていく青年。
掛けられた声も距離があり聞こえていなかったらしいヘルラは、尚もきょろきょろと自身の好奇心を満たすものへ視線を流していた。
注意の欠いた体力有り余る若人ほど怖いものなどない。さながら、今の青年は興奮した猪とでも言えよう。猪突猛進という言葉の通り、突き進むだけの猪をこんな人混みの中離してしまったらどうなるか、考えたくもない最悪の事態に頭痛を覚えそうである。
実際にことを起こす前に何としても止めなくては⋯こればかりは自身の体力のなさを恨むのも仕方がない。
ふと前を見ると、追いかけていたはずのヘルラの姿がなくなり、人々の波が散策を阻んでいた。
シラーの予想は当たり、よそ見をしていたヘルラは目の前に立っていた人に気づいて避けることも出来ず、そのままぶつかってしまった。
「わっ!」
走ったそのままの勢いでぶつかってしまったため、反動で後ろのレンガへと投げ出される形となった。が、その結果は裏切られる形となっる。
「おや、これは失礼。お怪我はありませんか」
その男性がヘルラの腕を掴み、地面スレスレで止められた。
「だ、大丈夫です⋯すみません」
謝りつつ立ち上がりやっと周りが見えるようになってきた少年は、先程までそこにいたシラーがいなくなっていることに気がついた。
「あれ、シラーさんは⋯」
周りを見渡すも見慣れない景色しか情報が入ってこない。その状況に段々と不安が煽られてくるシラーは人混みから一度退却することにし、近くにあった路地裏に入った。
表通りの騒がしさとは打って変わり、影になっているせいか気温の下がっているそこは少々の不気味さを含んでいた。
しかし、気持ちを落ち着かせるには丁度いい。
少し冷たい空気を体内へと送り込み脳の熱でも冷ますようにゆっくりと吐き出した。
「お嬢さん、どうかなさいましたか」
まさか声をかけるとは。予想もしていなかったせいでびくりと体を大きく震わせつつ、振り返ったシラーの視界に映ったのは、二人の若い青年であった。青い制服に包まれた体格の良い体はそこらの青年よりも随分鍛えられていると服の上からでも伺える。
腰から下げられている剣を見るに、彼らがこの国の平和を守る聖騎士なのだろう。
人の良さそうな笑顔を浮かべ、まるで迷子の子供でも相手しているかのような態度は、不安に駆られた気持ちを落ち着かせる材料たり得るものだ。
「ぁ、あの実は、同行人が何処かに行ってしまって···」
「それは大変だ、今日は人が特に多いですから見失いやすいですよね。仲間に通達しておきましょう、見つかるかもしれません。良ければその方の特徴を···」
紙とペンを取り出した青年の傍ら、もう一人の青年は何かを伺うようにシラーを見つめる。
その様子に少し疑問を抱きながらも、今はヘルラの方が先決だと情報を口にしようとした。
「ん···?おい!こいつ···」
が、それも阻まれてしまった。こちらを疑うような目で見ていた青年はもう一人の青年に耳打ちをする。
「ぁ···あの···?」
耳打ちを受けた青年の表情がだんだん曇っていく様子を見ていると、今の状況が非常にまずいことなのだといやでも理解してしまう。
「···申し訳ありません。ご同行願えますか」
手に持っていたものを片付けた青年の表情からは先程の笑みは消え、犯罪者でも見るような蔑んだ目でこちらを捉える。
「ぇ、ご同行って···どういう···?」
その圧に気圧され一歩下がったのが良くなかったのか、その屈強な青年達はジリジリとシラーの方へと歩みよった。
「聖騎士団管轄の留置所です」
「留置所···!?な、なんでそんなところに···!」
留置所に入れられる覚えなど一切ない、それに仮に素直に従ったとして何が待っているかわかったものでは無い。
シラーはどうにか逃げる画策を立てなくては行けないと、横目で周りを見ながらまた一歩体を下げた。
「兎にも角にも来ていただきます。さぁ」
手を掴まれたシラーは覚えのない行為に思わず目を瞑った。
「おや、気高き聖騎士が白昼堂々女性に言いよっているのか?」
ふと聞こえてきた声にこの状況から助かるのかという一筋の光が見えた。
その声を辿ると青年たちの後ろに彼らと似た赤い制服を纏った女性が立っている。
「ヴ、ヴァレンテ団長どうしてこんな所に···」
また仲間が増えてしまったのか。と思ったが発言の内容からしてどうやらこちらの味方のようだ。
カツカツとその女性の靴の音が静かな路地裏によく響く。
表通りの逆光で掛けられていた影のベールが溶け、ようやく見えるようになっていたその女性の右目には金の刺繍が施された眼帯が着けられていた。
「ほら、こんなに怖がってるじゃないか···もっと女性に優しく接したまえよ紳士諸君」
「し、しかし⋯」
「ヴェロニクにも謝らせたい所だが⋯あいにく今日は別の地区へ行っていていないようでな、彼らの上司に変わって私が謝ろう。すまないね、いつもはしっかりとした優秀な奴らなんだがな···祭りが近いからか浮かれてるようだ」
「ぃ、いえ···」
こちらを気遣うように笑ってそうかけてきた言葉に、先程までの緊張感は薄まる。
「あの⋯貴女は⋯?」
彼らの上司かと思えば聞いた限り違う様だ。
「ん?あぁ申し遅れたな!私はアルベロ・ディ・ジウダ=ヴァレンテだ、フェーネルリア帝国聖騎士、ディ・ゾンネ団の団長を仰せつかっている」
彼女の名前には聞き覚えがあった。
フェーネルリア帝国には二つの聖騎士団があり、そのうちのディ・ゾンネ団の団長ヴァレンテは、帝国内でも随一を誇る優秀な騎士なのだと昔村の人が喋っていたのを覚えている。
確か、昔行われたフェーネルリア含む三国を巻き込んだ長きに渡る戦争でも、華々しい戦果を収めたとか。最早、彼女が居たおかげで戦勝できたとさえ囁かれていたらしい。
左胸に吊り下げられた徽章達に、彩り豊かな略章がそれを静かに語っている。
「彼らはデァ・モント団の方でな、直属の上司がヴェロニクと言うんだが随分と優秀なやつで⋯」
お喋りが好きなのか、思った数倍の情報を提供してくれる彼女に、この調子だと機密情報まで喋ってしまいそうだ、と他人ながら少し心配の念も抱く。
「ヴァレンテ団長!」
部下に呼ばれたことにより彼女の話は遮られてしまった。
「な、なんだ、そんなに大声を出さなくてもいいだろう」
びっくりするじゃないか、と心拍でも大きくなったらしい胸を抑えつつ、部下の方を振り返る彼女に部下達は言葉を続けた。
「そいつ"例の魔女"ですよ!」
魔女?確かに私は魔法は使えるが、逮捕をされるような悪事を働いた覚えはない。
「ほう」
その言葉を聞きこちらに向き変える彼女は、何処からか取り出したコンパクトの様なものに視線を落とした。
「⋯なるほど、」
「ぁ、あの⋯?」
事態の把握が出来てない私を置き、何やら事態は無情にも悪い方向へと向かっているようだ。
これは逃げた方が良いのだろうか、しかし逃げてしまってはまた容疑が増えるだけだ。それに、かの帝国内随一の剣士と噂される彼女から逃げ切れるとは限らない。
心ではそう分かっていても、体は怖気付いてしまっていたらしい。一歩と足を引いた所で気づけば彼女は目の前に迫っていた。
「すまないな」
にこりと笑を零す彼女の目は先程のような優しさに溢れた笑顔では無い。
ガチャんと嫌な音がなる。恐る恐る視線を手首へと向けるとその両手には頑丈そうな銀の輪がはめられていた。
「やはり君は逮捕だ」