モクチェズ推しの僕が転生したらルーク・ウィリアムズだった件 『前世の記憶』としか言いようのない大量の情報が脳裏にブワッと溢れ出したのは、よりにもよって飛行船の、テロリストたちに一人じゃんけんを披露している真っ最中だった。緊張の糸が張り詰めた状況で、ふと集中力が途切れた一瞬。いったい僕は何をやってるんだろう……と遠くに思いを馳せてしまったそのとき、急激に『思い出してしまった』のだ。
これが失っていた七歳以前の記憶であったなら、唐突ではあるがいつかは戻る可能性のあったものだしなんらおかしなことはなかった。ところが脳裏に甦ったのは、幼い頃の記憶でもエリントンでの思い出でもない、不可思議な記憶。
【ここではない全く別の世界で生きていた人間】の記憶である。
自分が置かれている状況を理解して、サアッと血の気が引く思いがした。まずい、まずいぞ、よりによってこんなときに思い出さなくたっていいじゃないか!
『思い出す』前の情報を整理しよう。僕ルーク・ウィリアムズは今、エリントンで知り合った怪盗ビーストことアーロンとともに、DISCARDなる組織の足跡を追ってミカグラ島に向かっている最中だ。乗り込んだ飛行船の中でショーマンのモクマさんと出会い、ひょんなことから配膳室を占拠するテロリストたちの存在に気づいてしまった。なんやかんやありつつも地道な聞き込み捜査で情報を集め、操縦士の身柄開放のためにアーロンとモクマさんが地下の関係者フロアを通って操縦室に向かい、その間僕は飛行船内にいるテロリストたちの気を逸らすため、舞台の上でこうして即席ショーをして見せている。
ではここから『思い出した』内容だ。〝僕〟はこの状況を『読んだことがある』。〝ルーク〟が一人じゃんけんをすることはアーロンたちの会話を見て知識として持っていた。
そう、甦った記憶に間違いがなければ、この世界は【バディミッションBOND】というゲームの中であるはずだ!
……ちょっと待ってくれ。さすがに頭痛を覚えてきたぞ。まさか僕の身に起きたのは、ネット小説や漫画でよく見る転生モノってやつか 嘘だろ……?
この仮説を正しいと前提して、僕が転生したのはよりにもよって、主人公の【ルーク・ウィリアムズ】であるらしかった。らしいっていうか、実際に四半世紀をルークとして生きてきたわけだけれど。〝僕〟もバディミは大好きな作品だよ、でもこういう転生モノって、普通は悪役令嬢として転生するものじゃないのか? ストレートどまんなかに主人公として転生するなんてアリなのか いやいやルークとして生まれたことに不満があるわけじゃないが、〝僕〟の中の常識とのズレが大きくて混乱してしまう。
バディミでの悪役令嬢ポジションって誰だろう、と考えて、瞼の裏に浮かんだのはマイカの里長であるフウガの顔だった。男性だけどポジション的には間違いじゃないだろう。……うん、ルークに転生したのは幸運だったかもしれない。仮にフウガとして転生していたら、予測される未来をひっくり返して幸せを掴む道が少なくとも僕にとって想像が難しかった。
話が脱線してしまった。つまり僕は、この先の展開を知っている。今のルークが知るはずのない、マイカという地名も、会ったことのないそこの里長の顔すらも、〝僕〟は知っているのである。
さて、【バディミ】の世界をルークとして生きるならば、これは大問題だ。なぜならバディミは綿密に散りばめられた伏線と、〝ルーク〟の失われた記憶を基に描かれるある種の叙述トリックが面白さの肝と言っていいからだ。終盤には甦る記憶とはいえ、『今の』ルークが知っていていい情報じゃない。なのに僕はもう全部知ってしまっている。そう、相棒のアーロンの正体もだ!
僕はこれからどうすればいいのだろう。何も知らなかったことにして、ゲームのとおりに生きるべきか。それともゲームの知識を活かしてアナザーのさらにアナザールートを作り出してしまうか。今の僕には、どちらが正解なのかがわからない。それに……
「おいどうした、手が止まってるぞ!」
テロリストたちからの野次が飛んでくる。そうだった、何をするにもまずはこの状況を切り抜けないと。現実に引き戻されて、僕の全身は冷や汗でダラダラだ。だって、ゲームのルークが一人じゃんけんするシーンなんて、実際には描かれていなかった。アーロンたちがそんな会話をしてたのをテキストで読んだだけなんだぞ!
いきなりゲームの知識だけでは太刀打ちできない状況に身を置かれて、いっそ気絶してしまいたい気分だった。
▷▷SKIP
アーロンとモクマさんの活躍で、どうにかテロリストから操縦室の奪還を果たせたものの、テロリストたちは船尾のハッチを開けて飛行船からの脱走を図ろうとした。しかもテロリストのボスは、よりにもよって撃ち殺されたCAさんの身体を担いで飛び降りようとしたのだ。もちろん、この展開も〝僕〟が知るところのバディミのストーリーをそのままなぞっている。しかし僕は、ここで大きなミスを犯してしまった。ゲームのとおり生きるか違う道を歩むか、どっちつかずな気持ちでいたせいで、テロリストのボスとともに空へと墜ちていく彼女の姿に、うっかり叫んでしまったのだ。
「チェズレイ!」
今のルークが知るはずのない名を。
僕の横を黒い影が駆け抜け、墜ちていったその人を追って飛び出していった人がいる。もちろんモクマさんだ。知っているシーンとはいえ、実際に目の前で空中に飛び出し、人ひとり抱えて軽やかに舞い戻る光景を見せられると、ニンジャってすごい!と興奮させられる。しかもモクマさんがCAさんをお姫様のように抱く姿は、二次創作で見たとおり、いや、それ以上に様になっていて、僕の中の乙女心が大喜びだ。なにせ、前世の僕はモクチェズ推しだったので。
「おっさん、なんだ今の動き」
アーロンもニンジャさんのすごいスタントに驚きを隠せないでいる。うんうんわかるよキティ、モクマさんの超人ぶりには目を瞠るものがあるよな。
「おめでとうございます。あなた方は見事テストに合格なさいました」
横たわらせたCAさんのご遺体(仮)から声がするのもゲームのとおりだけど、実際に目撃してしまうとやっぱり怖いな。知っているくせに思わず慄いてしまった。
「かくなる上は、あなた方にこの身を捧げると決めました。私を傷物にした責任、取ってくださいますよねェ?」
そんなこんなで仮面の詐欺師ことチェズレイ・ニコルズが僕たちの仲間になって、いざミカグラ島へ! ……となるわけだけど、ここでさっき犯した大きなミスが多大な影響を及ぼしてしまったのだった。
窓の向こうにミカグラ島が見えてきたとのアナウンスがあり、モクマさんが「見といでよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて見に行くことにしたのだ、が。
「私も参ります」
チェズレイが僕にピッタリくっついてきたのだ。おや? ここは僕とアーロンが見に行っている間、彼とモクマさんの重要なイベントがあるはず……。なのに彼は僕についてきて、逆にアーロンがチェズレイと一緒の行動を嫌がってモクマさんと残ってしまった。あれ?
窓のそばには我も我もと客が詰めかけてごった返している。
「こちらの方が空いていますよ」
とチェズレイの言葉にほいほいとついて行って、まんまと人気のない場所へと誘き出されてしまった。何かがおかしいと気づいたときにはもう遅く、美貌の上に不気味な凄みを浮かべたチェズレイに追い詰められていた。いわゆる壁ドン状態だ。
「ルーク・ウィリアムズ……なるほど、リカルド国家警察の中では異端でも、個人では優秀ということか……?」
上から下まで舐めるような目線で観察されるのはどうにも居心地が悪い。相手がどれだけ美人であってもだ。
「あ、あの、チェズレイさん……?」
「あァ、それですよ」
何がだろう、という疑問はすぐに解けた。
「あなた、私がテロリストたちと空にエスケープしようとした瞬間叫びましたよねェ、『チェズレイ』と。どうして私の正体をご存じだったのです?」
そう問われて、僕の全身から、さっきの一人じゃんけんのときの比ではないくらい血の気が引いた。なんてこった、あそこでうかつに名前を呼んでしまったせいで、誰にも見破れないはずの仮面の詐欺師の変装を、僕がたやすく見抜いたことになってしまったのだ!
それは彼の興味関心をモクマさんから引き剝がすほどのものであったのだ。いや待てよ、ドラマCDまで全部網羅してる僕の解釈では、墜ちていく彼の母親(の姿)を救い上げるモクマさんには相当な執着を抱かないとおかしいはずだ。と、現実逃避的にいくら理屈を捏ねくり回そうが、実際に『今の』『目の前の』チェズレイの関心は僕に寄せられている。さっきから妙に見つめられてるなと思ったんだ、その時点で失態に気づくべきだった!
頭の中にガンガンと警鐘が響き渡る。こ、これは、モクマ×チェズレイのCP不成立の危機じゃないか そんなのは駄目だ、モクチェズのないバディミなんてバディミじゃない!(暴言)
いいかルーク・ウィリアムズ、いいか〝僕〟!
僕(ルーク)とアーロンは強い絆で結ばれた相棒にならなきゃ駄目だし、モクマさんとチェズレイだって一生どころか来世まで共に生きることを約束する永遠の伴侶にならなきゃ駄目なんだ! それにチェズレイには僕(ルーク)の母(概念)になってもらわなきゃいけない!
どうして一瞬でもアナザーのさらにアナザールートを進む可能性なんて考えてしまったのだろう。バディミを愛しているなら公式が作り上げた作品に手を加えようなんて考えるべきじゃなかったんだ(注:〝僕〟個人の解釈です)。これからはちゃんと、【バディミのルーク】として生きていくことにしよう。
……そう決意したはいいものの。
まずはこの窮地をどう潜り抜けるべきなのだろう。チェズレイの目線に射抜かれた僕は今、ヘビに睨まれたカエル状態だ。いやドギーだけど。いや人間だけど
ゲームならここらへんで『HERO CHOICE!』の文字が出てくるはずだが、悲しいかな、ここは現実なのだった。ああ、ヒーローゲージを減らしてもいいから先に進ませてほしい。助けてアーロン、助けてモクマさん、助けてヒーロー!
僕はただひたすらに、飛行船が早くミカグラに着陸することを願うばかりだった。