選ぶべきは「怪我をされた方はいらっしゃいませんか!治療致します!」
下区の混乱した町を駆ける、素早く動く大型分霊からは目を離さぬように注意しながら。
突如として上区と下区に出現した大型分霊は以前中区に現れた個体よりも小さく、俊敏な動きで私たちを攻撃する。そして何より、以前とは異なって初めから人間への殺意を持っていた。
一般市民の避難すらままならない状況で発令された討伐命令に従い、私は出来る限りのことをしようと走った。上区には家族がいる、だけど皆さんなら生き延びてくれるだろうと私は信じることした。
「う、うぅ…」
「大丈夫ですか?すぐに手当致しますね」
道端に倒れる職員の傍に寄り、怪我の状態を確認する。脇腹が大きく裂けている、身体を貫かれていれば即死だったでしょう。
ジャケットから御札を取り出して患部へと貼り、術を唱える。傷口が閉じて完全に治ったのを確認し、職員の表情が和らいだのを見て一息吐く。
「これで大丈夫です」
「ありがとうございます…」
「戻られますよね?」
「はい…怖いけど、市民を守らないと」
武器を手に取り、立ち上がる職員に問えば、恐怖を飲み込んだ顔でそう答える。
自分が死ぬことになったとしても、誰かが死ぬよりはマシ、ということなのでしょう。
「…少しじっとしていただけますか?」
「?」
職員の手を取り、術を唱える。淡く白い光が職員を包み込む。
これは、と自身の体を見つめる職員に微笑む。
「物理攻撃を無効化する障壁です。私は攻撃するための術が使えませんから」
「!…ありがとうございます!」
「いえいえ、障壁の有効時間は5分ほどになっています。どうかお気をつけて」
「はい、貴女もお気をつけて!」
職員を見送って、他にも怪我人がいないか周囲を見渡す。怪我人だけじゃない、ここには身寄りのない孤児がたくさんいる、子どもたちを守らないと。
そう考えて足を動かしたその時、スマートフォンの着信が鳴る。
高月で支給された端末ではない、私用のスマートフォンから。
「…え?」
かけてきたのは姉上だった、今こんな時に、一体何の用事が…?
震える手で通話開始ボタンをタップして耳元に当てる。聞こえ始めた人々の話し声と悲鳴が上区の状況をありありと伝えてくる。
「どうかなさいましたか、姉上」
『綾愛、あんた今どこにいるの』
「私は今、下区で避難誘導を…」
半分は嘘だけど仕方がない、機密組織故に仕事の詳細は言えないので。
警察官であることを知っている姉上は小さく舌を打つ、遅くても30分はかかるか…なんて独り言が聞こえた。
『今さぁ、あんたが仕事で着てるのと同じデザインのジャケット着てるヤツらが変な武器持って、見えない何かと戦ってんだよね』
「…はい」
『てことは、同じの着てるあんたもなんか出来るんでしょ?その辺燃えたり建物壊れたりでやばいし、あたしら守ってよ』
「……え?」
今回の討伐命令の時に一般市民の前でも武器や術の行使が許可されている、まさかそれを見て気がつくとは思わなかった。震える手を抑えるように両手でスマートフォンを握る。
「わ、私は…他の方とは違って攻撃する手段は持っていません。人を癒やすことしか…」
『ふぅん…使えねぇな。でも居ないよりマシでしょ、早く来いよ』
「え、あ…」
何かを言い返す前に通話は一方的に切られる。
姉上の命令なら、上区に言って家族を守らないと。いつもそうしてきた、姉上の命令だから、ずっと。早く向かわなければ、姉上の言う通り早くて30分はかかる。今の状況だとそれ以上の時間がかかるかもしれない。
でも、でも…下区には助けを必要としてくれる子どもたちがいるかもしれません。誰かが守らなければ死んでしまうほどの小さな命を守らなければ…
上区に行くべきだと言う私と、下区に残るべきだと言う私、2つの意見が頭の中をぐるぐると回る。
分からない、分からない、気が狂いそうです。誰か教えてくださいませ、私はどちらに行くべきですか?
「わ、私は…どうすれば、よろしいのですか…?」