アイスまだ梅雨も終わっていないというのに、この暑さはいったい何なのか。
土方は購買部で買ったアイスを一口齧ると、ほっと息をついた。
週末には体育祭が控えている。テレビに写し出された一週間の天気予報は晴れマークが並んでいた。気温も平年を上回るとか言っていなかっただろうか。
想像するとげんなりするが、今年が最後の体育祭だ。練習にも自ずと気合いが入る。
応援団の練習もそろそろ大詰めの段階で、一年、二年の練習に付き合っていたら、少し遅くなってしまった。
部活の予選も近いから、近藤と沖田には剣道部の方を優先してもらっている。このまま鞄を取りに教室へ寄って、土方も参加する予定だ。でもその前にさすがに一息つきたくて、中庭でひとりアイスを齧っていた。
口の中にソーダ味が広がり、ひんやりとした冷たさに少し体温が下がったように思える。
何となく校舎の方を眺めていると、一階の渡り廊下に見知った男が姿を現した。
銀色のふわふわとした髪は、遠目でも目立つ。国語の教師のくせになぜか羽織っているいつもの白衣姿ではなくて、青いジャージ姿なのは、全体練習のまま着替えていないのだろう。
スリッパを引っかけ、ペタペタと音が聞こえてきそうなやる気のない足取りで歩いているのは担任の坂田銀八だった。
ジャージ姿というあまり見ない格好に、少し新鮮さを覚えながら、土方はぼんやりとその姿を目で追った。
どこかに荷物を運ぶのか、両手でダンボールを抱えている。腕まくりしたジャージの袖からのぞく色白の腕は、案外筋張っていてまあまあ逞しい。
ジムにでも通っているのかと思っていたら、家でちょっと筋トレするぐらいだけど? と銀八が女生徒からの質問に何でもなさそうに答えていて少々ムカついた。どれだけ鍛えても筋肉がつきにくくて、細身の自分にはうらやましい。
いや、俺だってもっと鍛えたら、あれくらい…。悶々としながらじっと睨みつけていると、銀八がこっちを振り向いた。
やべ、見過ぎたかと土方は反射的に下を向く。別にただアイスを食べてただけですけど~のフリをしていると、ふいに青色のジャージの脚が視界に入ってきた。
「それ、美味い?」
「え、ああ、まあ」
見ていたことに気付かれただろうか。何となく気まずくて、土方は下を向いたまま渋々答える。
「一口ちょーだい」
そんなこと言われるなんて思っていなくて、は? と怪訝な声を出して顔を上げると、銀八は段ボールを持ったままかがみ込み、土方の手の中のアイスを齧った。軽い小さな音が響く。
イイなんて言ってねーのに!
心の中で叫び声をあげながら、目の前で揺れる銀色の癖っ毛に、土方の心臓は軽く跳ねる。
「はー、生き返った」
銀八は体を起こすと唇を舌で舐めた。ピンク色の舌から視線を外すことができなくて、土方はその動作をじっと目で追う。
「まだ、それ売ってんだな。俺が学生の時にもあったけど、久しぶりに食ったわ」
銀八の軽い声がふと止まり、首を傾げた。
「土方、大丈夫か?」
「えっ、あ、いや、何?」
「いや、顔真っ赤だけど、熱中症とかじゃないよな?」
土方はしばらく黙って銀八の顔を見つめていたが、言われた意味に気付いて、慌てて、だ、大丈夫です、と答えた。
「そうか? まあ、体育祭が近いから根詰めてんだろーけど、ほどほどにしろよ。気分悪いなら早く帰れよ」
「はい」
銀八は土方の返事に頷くと、段ボールを抱え直す。はー重ぇな、ったく理事長、人使いが荒ぇんだよ、と文句を呟きながら校舎の方へ向き直った。
「ああ、そうだ」
銀八が歩みを止め、顔だけ振り返るとふっと口元を緩ませる。
「応援合戦、楽しみにしてるからな」
そう言って銀八は背を向けると校舎の方へと歩いていった。
土方はしばらく銀八が消えた方から視線をはずせなかった。
妙に白かった…。
銀八が屈んだ時にTシャツの襟ぐりから見えた首筋と鎖骨が目の前に浮かぶ。暑くて汗ばんでいたのか、わずかに銀八の汗と体臭が鼻を掠めた。
なんか甘い匂いだったな……。
ぼんやりと銀八の香りを思い起こしていると、違和感を感じて目を見開く。
う、嘘だろ、た……起った!?!?!?
下腹部に熱が集まっていて、明らかに兆しをみせているそれに、土方は前屈みになりながら戸惑う。
いったい何に…まさか、銀八?
自分でも訳が分からなくて、頭の中でぐるぐると疑問符が巡っている。そのとき、指を伝う感覚にはっとして視線をやると、アイスが溶けてジャージのズボンに染みをつくっていた。握りしめた棒を辿って指も濡れている。
土方は崩れ落ちそうなアイスを慌てて口の中にほうばった。キーンとした冷たさに少しだけ頭の中は冷静さを取り戻す。そのお陰で下の熱も少しだけ後退してくれた。土方はほっとしつつも、二、三度大きく深呼吸した。
「まったく、なにを血迷ってやがる」
土方は誰に言うでもなく、ぼそりと呟く。
銀八になんてある訳がない。どうやら体育祭と応援団の練習で、よほど疲れが溜まっているらしい。
相手は担任で、しかも男だ。さらにできる先生とは言い難く、銀八の適当でやる気のなさはほとんどの生徒が周知している。生徒の自分から見ても、よく教師を続けていられるなと思う。尊敬しているかと問われたら、自分だけでなく大部分の学生がいや~…、と首を傾げるだろう。
そんなやつに?
「いやいや、ねえな」
土方は再び声に出して、手を左右に振る。
『応援団、楽しみにしてるから、な』
そう言って笑った銀八の顔が、ふいに脳裏へ甦った。
自分の感情とは関係なく、じわじわと頬が熱くなってくる。心拍数も走った後のようにドキドキと早い。
いや、だから違うだろっ!
土方はギュッと体操服の胸の辺りを握りしめて、なんだよこれ…と苦々しく呟いた。