夏の終わり 師匠編「夏じゃないと入れないよな~」
弟子たちが去った後、靴を脱ぎ衣服を膝まで捲り上げた魏無羨は冷泉の端に腰掛けた。
その水の中に足を浸けると頭の先まで冷たさが走り、一気に体温が下がった気がする。
「冷た〰️!」
残暑と言えども暑さはまだ厳しく、弟子と夜狩りで動き回っていた魏無羨の額にはうっすらと汗が浮いていた。
だが、冷泉に足を浸けるやいなやその汗もどこかに消え去り、時間が経つにつれ逆に寒気を催す。
冷泉の冷たさに魏無羨が震えている横で、藍忘機は下履き1枚の姿になるとその身を冷泉に沈ませた。
その淡々とした動作に躊躇いはない。
昔、魏無羨は1度この冷泉に入ったことがあるが体を浸けるなど正気の沙汰じゃないと思っている。
「……よく入れるな……」
潔い藍忘機の姿を見て、凄いとか流石とかよりも呆れた声が漏れた。
「慣れている」
「いや、慣れないだろ〰️!」
ムリムリと、魏無羨は冷泉から足を上げ両手で擦った。
少しの間しか浸けていなかったのに、足の感覚が麻痺して、触っている感触がしない。
「あいつら、よくこんな所で騒げたな」
一緒に夜狩りに行って傷ついた弟子たちは体を治すべくこの冷泉に浸かり、お互いに水を掛け合ってはしゃいで騒いだのは、ほんのちょっと前。
弟子を冷泉に置いて歩いていた帰り道に、冷泉に浸かりに来た藍忘機と魏無羨は鉢合わせた。
下から聞こえる賑やかな声と水音に、騒いでるなと魏無羨は思い、藍忘機を見ると何も言わずに弟子を見つめている。
「藍湛、怒らないのか?」
「冷泉に浸かる程の痛手を受けたのだろう?これ以上の叱責は無用だ」
「へぇ……」
魏無羨の返事が気になったのか、藍忘機の目が細められた。
「何か?」
「いや、お前も丸くなったなぁって。まぁ、それだからあいつらも慕うんだろうけど」
弟子たちが藍忘機を尊敬しているのはわかってはいるが、慕うとは違う。慕われているのは魏無羨の方だ。
「……思追、あいつ、また離れてる」
冷泉で騒ぐ一団が起こす水飛沫から逃げるように距離を置いた藍思追を、魏無羨は目敏く見つけた。
「何であいつはいつも一歩、みんなと距離を置くんだ?一緒にはしゃげばいいのに」
「それは思追の性分だろう」
「楽しむ時は楽しむんだよ!機会を逃したら楽しめないんだからな!」
この冷泉は、魏無羨と藍忘機の運命を決めた場所でもある。
戦いに巻き込まれ、様々なことがあった当時の2人が、楽しむという機会を得ることは無理に等しかった。
だからこそ、弟子たちは楽しめる時に楽しんでほしい。
「あ…………」
下にいた藍思追がこちらに気づき、顔が強張った。魏無羨は笑い、しーっと唇の前に人差し指を立てる仕草を返した。藍忘機も頷き返すと、明らかに藍思追はほっとした顔になる。
だが、これで終わらない。
「お・ま・え・も・い・け!」
魏無羨は藍思追を指差し、そのまま冷泉へと指を動かした。
その途端に、藍思追の顔に動揺が走る。
「さあ、思追、どうする?」
にやにや笑いながら魏無羨は藍思追を見つめている。意地悪ではあるが、愛しい子供を見守る親の瞳だと藍忘機は思った。
口を一文字にし、暫し悩んだ藍思追は思いっきりよく校服を脱ぎ捨てると友がはしゃぐ冷泉へと飛び込む。
ぎゃー、わーと声が上がった。
「あはは、行ったな!」
魏無羨の笑い声も下の騒ぎに消されて弟子たちには聞こえないだろう。
弟子たちの楽しい声と、愛する人の笑顔。
こんな時間も大事だと、藍忘機は微笑した。
チラッと藍忘機が視線を向けると、魏無羨はまだ足を擦っていた。
冷泉に慣れていない者なら、感覚が戻るまでにしばしの時間がかかるだろう。
「魏嬰」
「うん?」
ざばっと水音を立てて立ち上がった藍忘機は魏無羨に近寄ると、むき出しになっていた足を片方持ち上げた。
「な、何!?」
魏無羨は後ろに転げそうになる上半身を後ろに手を着いて堪える。藍忘機が何をしようとしているのかわからない。
「擦ってはいけない」
「……ああ」
昔も注意されたなと、考えていた魏無羨の足に藍忘機は身を屈めるとちゅっと脛に口付ける。
「ちょっと!!何してんだ!?」
もがいてどうにか足を引き抜こうとするが、藍忘機の方が力が強い。蹴飛ばそうとしたもう片方の足も捕まってしまった。
「楽しむ時は楽しむ、だったな?」
「はあ!?」
「機会を逃したら楽しめない」
魏無羨の足を掴んだまま、藍忘機は冷泉に体を沈めていく。魏無羨の体もひっぱられるまま冷泉に沈んだ。
「はーなーせー!!ヒー!冷たい!!」
「慣れれば大丈夫」
「慣れないよ!バカ藍湛!」
魏無羨のぎゃーと言う叫び声だけが冷泉にひびき渡った。