純白の、ドレスではないけれど1五条悟はいつも突拍子のないことを言って周囲を困らせるのが得意だ。それは相手が恋人であっても変わりない。
たびたび、なぜこの人と恋人になんてなってしまったのだろうかと疑問が脳裏をよぎるが、この交際を今日ほど後悔したことは未だかつてないと断言できる。
面倒くさいからと人様の家に窓から侵入きてきたその男は、プレゼントだと言って四角い箱の入った紙袋を渡してきた。
「ありがとうございます」
お礼を言って受け取れば、五条さんはにこりと笑った。
彼は、よく私にプレゼントと称しては何かとものをよこしてくる。それは、美しい夜景が見下ろせる高級ディナーの特等席であったり、希少価値の高い年代物のワインであったりと、様々ではあるが、私を着飾るための装飾品の類いであることが割合の大部分を占めている。正直、五条さんがくれる装飾品なんて、私には分不相応なものばかりなのだが、受け取りを拒否すれば、例え一流の職人が素材からこだわって作り上げたプレミア付きの腕時計だって、ごみ箱に直行することを私はよく知っている。
本人曰く「だって僕はいらないもん」とのことだ。
早く開けてほしいと、期待を孕んだあおい瞳がうるさいくらいキラキラと見つめてくるので、一応許可をもらって開封作業へと移った。
ソファに座り、ローテーブルに置いた紙袋を見る。描かれたロゴはシンプルかつ上品であったが、見覚えのないものであった。
どけた紙袋は適当に畳み、本題の箱に取り掛かる。赤茶色のそれは、小物を入れるには大きいが厚みさしてなく、大した重みもない。シャツか何かだろうか?
雑な予想を立てつつ、上蓋を外す。中から覗いたのは、私の予想とは全く異なった、白い布であった。
「これは、なんですか?」
「広げてみせてよ」
「はぁ」
そっと触れた布は、手触りが良く、それだけで脳内を舞う数字の桁が増えていく。はたしてこの男はこんな布を使って、いったい何を贈ってきたのか。恐る恐るそれを持ち上げ眼前で広げてみる。はらりと、音まで品の良さげなそれは、純白のエプロンであった。
「もう一度聞きますが、これは、なんですか?」
「ななみぃ、目ぇ悪くなったの?どっからどうみてもエプロンじゃん」
「どっから、どうみても、エプロンだから聞いているんですっ」
純白のエプロン、機能性を考えれば、あまり選ばない色ではあるが、問題はそこではない。いや色も含めての問題ではあるが。
照明を反射し白く光るそれは、裾に行くにつれ生地の幅が広がっていき、先にはかわいらしいフリルまで付いている。しかも、よく見れば隅にさりげなく同色の刺繍まで施されていた。
「いい出来栄えだろ?ふだんは別にエプロンなんて作ってないらしいんだけど、腕のいい刺繍作家いるって聞いて、作らせたの」
刺繍作家とは刺繍をする人であってエプロンを一から作るためにいるわけではないことをこの人はご存知ないのだろうか?
しかし、幸いなのか不幸なのか。繊細な刺繍だけでなく、縫製まで美しい。これを作った人が裁縫の仕事も苦に感じない人であることを祈った。
「それで、これをどうしろと?」
「ん?もちろん、着てもらおうと思って」
「あなた、私が180半ば近い大男だとお忘れですか?」
「忘れるわけないじゃん!お前の体のことなら隅々まで記憶してるもん!」
「安心して?ちゃぁんとお前サイズに仕立てさせたから」
この男は馬鹿なんだろうか?いや馬鹿なんだろうな?
何が楽しくて、かわいげもない大柄な男にこんなものをプレゼントしようと思ったのか。理解できなさすぎて頭痛までしてきた。
「これ作るのけっこう楽しかったんだよ?直接、依頼に行って、作ってほしいイメージ伝えて、あと何より大事なこと!お前の魅力を存分に教えてやったからね!」
「それは良かった」
誰だろうこの馬鹿に巻き込まれた哀れな人は。申し訳なさすぎる。菓子折りとともに謝罪文を送りたい。あとで調べればどなたかわかるだろうか。
そんなことを考えていれば気付かぬうちに五条さんの顔が目の前に迫っていた。
「で?どう?気に入った?」
きた。表情には出さず、心の内でそう思った。
気に入ったかだと?気に入るわけがない。
別にものが悪いわけではない。ただひたすらに、私には不要なものなのだ。しかし、と横目でそのエプロンを見やる。いったい、これを作るのにどれほどの時間と金がかかったか。この美しい刺繍の命運はいま私の手にある。哀れにも似合わぬ男に着られるか。はたまた、ごみ箱に投げ捨てられるかの二択だ。
どちらの選択肢を選び取るべきか。
与えられた時間がはそう多くない。逡巡したのち私は重い口を開いた。
「き、にいり、ました。ありがとうございます」
「よかったぁ!七海ならそう言ってくれると思ったよ!」
このクソ野郎っ!
絶対に、わかっていてやっているなんてわかっているんだ。
そうは思いつつ毎度この男の思惑はまってしまう自分が悲しい。
「でね、本題なんだけど」
「はい?」
これ以上になにがある?
嫌な予感に耳を塞ぎたくなったがそれを許す五条悟ではない。
「七海にはこれで裸エプロンやってほしいんだよね」
「知ってはいましたが、あなたって本当に馬鹿ですよね」
「あららぁ?そんなこと言っていいのかなぁ七海くん」
「何をお考えかは知りませんが、絶対に同意しませんよ」
チッチッチ、と舌を鳴らしながら人差し指を振る様が私の苛つきを煽る。そのお綺麗な指をへし折ってやろうか、と考えていれば、目の前に五条さんの携帯の液晶が突きつけられた。
「っ!」
「ここぉ、七海前に行きたいって言ってたよね」
それは、銀座のとあるイタリアンレストランのビュッフェを紹介しているサイトであった。現在、予約でさえ数ヶ月待ちの超人気店である。
予約はあくまで待てばいい。しかし呪術師という仕事上、そんな先の休みを確約はできない。予約したところで、任務で潰れる未来が容易く想像できると半ば諦めている店だ。
「五条家ってさぁ、まぁ呪術界ででかい顔してる家ではあるけど、表向きはいろいろ手広く商売してんだよねー」
「何が言いたいんです?」
「僕ならとれるよ、ここの予約。今週末にでもね」
今週末。仕事が落ち着いたからと珍しく2人揃って取れた休暇だ。予定自体なら空いている。
五条さんの顔を見れば、私にふざけたプレゼントを渡したとき同様、にっこりと笑っていた。あぁ、私は知っているのだ。この顔を。これは、獲物が落ちてくるのを待っている、そういう顔だ。
はぁー、と深くため息を吐く。
馬鹿なプレゼントに馬鹿な提案。なぜこんな人の恋人なんてやっているのだろうか。何度もそう思ったし、一週間に3回は必ず後悔する。今回は中でも特大だ。
それでも結局別れないのも、プレゼントを受け取るのも、ふざけた提案を受けいれてしまうのも、なんやかんやとこの人のことが好きだからで、特にこの美しい顔が、何でも持ってるはずのこの男が、私の前でだけ、独占欲や執着心あるいは征服欲といったものにその顔を染めるのを見るとたまらなくなるからだ。
この人はどうしようもない人だけど、私だってそう変わらない。
「わかりました。手を打ちましょう」
「やったぁっ!」
「ただし、条件が3つあります」
「じょうけん?」
同意を取ったとたん、かわいらしく目を輝かせる憎たらしい顔が、条件という言葉に眉を顰める。しかし、こちらとて裸エプロンなんぞというふざけた案を飲むのだから、多少のわがままは通させてもらわねば割りに合わない。
「一つ、任務が入ったらビュッフェは諦め、任務を最優先すること」
「おっけー」
人差し指を一本立ててそう告げれば、五条さんは若干不服そうな顔をしつつも了承した。私たちの等級を考えれば休暇中でも任務が入ることは多々ある。それを懸念しているのだろう。
「二つ、このエプロンの製作者様にお詫びをしたいのでお名前とアトリエを私に教えること」
「りょうかい!」
人差し指の横に中指を並べる。こちらは軽く了承された。まぁ五条さんにとって困ることもないだろう。
「最後に、」
そう言って3本目の指を立てる。
「もし任務が入ってビュッフェがおじゃんになったら、私あなたのことしばらく許さないので、一月はしませんから」
「はぁ!?一月って!」
「あぁ、それと伊地知君や他の術師、補助監督の方々に無理を強いてはいけませんよ?」
「それじゃあ、条件4つじゃん!」
「これは1に含まれます」
そんなの無理!耐えらんない!なんて子供みたいに喚いて駄々を捏ねる28歳児なんて無視して話を続ける。
「いいですか?ブュッフェに行くのは2人で、です。あなたか私、どちらかが行けなくなったら、条件3に抵触しますので、お覚悟を」
「そりゃ2人揃って行けるのがベストだけどっ!最悪お前だけでも行けたなら見逃してよ!」
「嫌です」
まぁ、五条さんの言い分も分かる。先も述べた通り私たちの休みは不確実だ。一応休暇はとってあるので絶対に潰れるわけでもないが絶対に行けるとも限らない。でも、これはきっぱりと断らせてもらう。私にも私なりの通したい意思というものがあるのだ。
「なんでよぉ!?」
みっともなく私の腰に縋り付く五条さんの顎を取り、目が合うようにその顔を持ち上げる。頬に手を添え、覗き込んだその顔は情けない表情であったけれど、やはり美しかった。
「だって私」
一度だけ、囁くように呟いて、ちゅっとその唇に軽くキスをする。滅多にない私からの口付けに惚けた顔をする五条さんはなんともかわいらしかった。
「久々のデートも、あのお店にあなたと2人で行くのも、とても楽しみにしてましたから、もし任務が入ったら、私、絶対に五条さんのこと許しません」
「なっ!っう、ぐぅぅ!」
変な呻き声を上げてジタバタしだした五条さんは、しばらくすると私の腰を強く抱き込んで、ぎゅうっとお腹に顔を押し付けてきた。
「なんで、かわいいこととひどいこと、一緒に言うのぉ!」
「別にかわいいことも酷いことも言ってませんけど」
言ったぁ!言ったもん!と未だに私の腹部に顔を埋め、うるさく叫んでいる五条さんではあるけれど、その耳が赤く染まっているのが見えている。なんとも愛おしいその姿に私も悪戯心が湧いてきて、その耳にそっと唇を寄せた。
「ねぇ、五条さん」
耳をくすぐる音に五条さんの肩がピクリと跳ねた。
「私がエプロンきてるところ、みたく、ないんですか?」
「みるっ!」
「条件は?」
「厳守します!」
「はい、いい子ですね」
ガバリと顔を上げた五条さんはそのお綺麗なご尊顔を真っ赤に染め、珍しく私にしてやられた悔しさに顔を歪めていた。