『暁人の研究ノート』伊月暁人。彼は完全なミトコンドリアを持った人間。いや人間の姿をしたミトコンドリア生命体だろうか?本人は人間として生きることを誓っているのだから人間なのか。とりあえず彼の生態について記録を残すことにした。
「少しサンプルをくれないか?」
「はい」
彼の細胞片を採取して自分の細胞片と合わせると自分の細胞核に彼のミトコンドリアが取りつき、養分を吸収する動きが見られた。本来のミトコンドリアは核にエネルギーを貯め込むが、彼のミトコンドリアはそれをしないでそのまま栄養を吸収して増殖するのだ。
「イヴは他のミトコンドリアに呼び掛けることだってできますしそれに───」
彼はミトコンドリアをコントロールできる。その気になれば地球上の全生命体からエネルギーを奪うことさえ可能。また彼の細胞はミトコンドリアを活性化させることで様々な能力を発揮する。体内のミトコンドリアを一斉に活動させて発火現象を起こすことだってできる。さらに生物を突然変異させて異形の怪物を生み出すこともできる。
「ひとつだけ気になるが?」
「なんでしょう?」
「いちいちポーズを変えながら喋るのは何故だ?」
「えっ?普通に喋ってますよ」
「そうか・・・まあいい」
できる。
「ひとつだけ気になるが?」
「なんでしょう?」
「いちいちポーズを変えながら喋るのは何故だ?」
「えっ?普通に喋ってますよ」
「そうか・・・まあいい」
彼の声帯模写はとても上手かった。彼自身はというと外見は殆ど人間と変わらないが、高い変異能力を持ち再生能力も桁違いで、身体を液状化させたり、切断されても接合したり部位を失った場合は再生する。液状化しているときは相手の体内に侵入して乗っ取ることもできると。多分、頭だけになっても生き延びる可能性がある。性別は両性具有で普段は男性体だが女性体に変身することも出来る。骨格から丸々変わるので変身後は顔つきまで変化する。
「・・・」
「何ですか?」
「もしかしてイヴなのか?」
彼の両面が緑色に変わる。この反応を見る限りどうやら当たりらしい。女の声で話す姿は少し違和感がある。
「なんだ、私に話したいことでも?」
「なぜ暁人くんの身体を乗っ取ったのか知りたい?」
「死にかけていたからだ。まあ、死にかけならなんでもよかった。もし大学生に寄生していれば学会の講演時にミトコンドリアの解放宣言をしていたと思え」
「そんなことをしたら日本中大パニックになるな」
「だろうな。ただ、私は自分が動くための肉体を手に入れる必要があった」
「絵梨佳を狙った理由は?」
「あの子は私のミトコンドリアを受け継いだ子だから。子宮をこちら側に近づけてに孵卵器の役割を果たしてもらうためだった。ミトコンドリアは母系遺伝だから」
彼女の言う通りミトコンドリアは母系遺伝だ。仮に絵梨佳がイヴの手によって孵卵器の役割を担ってしまったら大変なことになっていたであろう。
「まあ、あの夫婦の愛の重さには負けたが」
炎に包まれる中、彼は自分の妻を抱きしめてそのまま燃え尽きた。あの時の光景は今も脳裏に焼き付いている。
「それでこれから君はどうするんだ?」
「そうだな、この子は私の存在を求めているからしばらくはここにいる」
自分の胸を指さす。どうやらしばらく暁人に寄生し続けるつもりらしい。
「暁人は私のことを母親みたいだと言っていた」
絵梨佳の母親の細胞の中にいたミトコンドリアだからあながち間違いではないだろう。
「ひとつ言いたいことがある」
「なんだ?」
「いつか私と似たようなミトコンドリアが現れるかもしれない。そしてまた、反乱が起きる。特に伊月麻里」
そして左目の色が元に戻ると暁人は意識を取り戻した。
「あれ?僕は」
「有意義な時間を過ごしたよ」
「そうですか」
「だいたい一通り終わったよ」
「ありがとうございます」
下腹部を擦りながら彼はお礼を言う。
「調子が悪いのか?」
「いや、そんなわけでは。これはある意味、癖で」
「癖か」
「はい」
妊娠しているわけでもなく、出産した経験もない。なのに何故かお腹を撫でてしまうのだという。
「イヴが僕に寄生してからこの癖が付きました」
「ほう」
「それにしてもなんか疲れました・・・」
「それなら今日は家に帰ったらゆっくりと休むといい」
「そうします・・・」
彼が出ていったあと僕はコーヒーを飲みながら資料を整理していた。今の彼の状態を何と呼べばいいのか。
「アキト・イヴ?」
不意に口から漏れてしまった言葉。確かに彼は今、そういう状態だ。完全なミトコンドリアを持った伊月暁人。一体これからどうなっていくのか、疑問と不安が残る。