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    zeppei27

    @zeppei27

    カダツ(@zeppei27)のポイポイ!そのとき好きなものを思うままに書いた小説を載せています。
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    鍵と錠の第五話目、隙間時間にちょっと進めた分〜〜〜多分三分の一程度は書けたんじゃないかと思う、おうちデートらしきお話のレッスンだよ!

    鍵と錠#5「はい、もう一回。アー」
    「アー」
    「もう一度」
    「アー?」
    「うん、よくなってきた」

    全くもって差のわからぬ評価に、クリーチャー・ピアソンは思い切り顔を顰めた。教師役のナワーブ・サベダーが自信たっぷりに頷いたところで、いっかな説得力はない。勧められるがままにグラスに入った水を飲んで、深々と息を吐いた。同じ水道水だというのに、他人の家の水はちょっぴり甘いような気がする。そう、他人の家――今日はまさかのナワーブの家でのトレーニングなのだ。

    「ピアソンさん、次は話し方のトレーニングをしよう。今の話し方も可愛いけど、これは誰に対してでも役に立つことだからね」

    昨日、束の間の休暇をナワーブと二人でゆっくりと過ごした後、トレーナーは次の課題を打ち立てた。話し方?頭の中を過ったのは、いかにも気取った様子で女性を口説く常連客の一人の姿だった。そんなことはどうでも良い。今ナワーブはなんと言った?自分の聴力が確かならば、と思考が回ると同時にカッと頬が熱くなった。

    「か、可愛いなんて、言うんじゃない!ば、ばばばかにしてるのか!」
    「してないよ。でも、傷ついたならごめんね」

    心底すまなそうな顔をするナワーブが恨めしい。顔貌が整った男が謝る姿の、なんと様になることか。自分が逆の立場であれば相手の怒りをさらに買い、殴り合いにまで進展しかねない。苦い経験を思い出しながらクリーチャーはモゴモゴと続けたかった文句を口の中で殺した。相応しい話し方を身につけたならば、自分が思うままの世界に近づくだろうかと思う。例えば会いたい人に会いたいと、なんら悩むことなくするりと誘いかけることだってできるだろうか。

    「それじゃあ明日は俺の家に来てね」
    「君の家?」
    「うん。明日は俺が先生。こう見えてもプロだし……それに、家の方が気楽にできるかなと思って。あ、ピアソンさんの家でも良いよ」

    自分の家。別段汚くはないが、他人をあげたことのない部屋を思い返してクリーチャーはムウと低く唸った。確かにナワーブの提案には一理ある。彼は紛れもなくプロフェッショナルだ。パートナー代行というのは口が立たねばならぬ職業に相違ない。そして、話し方の練習をしている姿は他人に見られたいものではない。家で行えば余計な金もかからないので一石二鳥だ。しかし自分の家というのは不安な話で、ならば当初差し出された餌の方がマシだと判断するまでは光の如き速さだった。

    「君の家に行く。……簡単なもので良ければ、夕食を作るのはどうだろう?君がい、嫌ならやめる、」
    「ピアソンさん料理できるの!」
    「あ、ああ。一人暮らしが長いからな」

    料理をすると言っても簡単なものばかりだ。プーティーンにサーモンベーグル、少し凝ったものは家で作るよりも外で買った方が安くて美味しい。それでも休日にやりたいことがあるでなし、時間潰しにもなり身にもなると何とはなしに続けてきた習慣だった。他人の手料理は嫌いだろうかと心配したが、ナワーブの目はキラキラと輝き眩しいほどである。どうやら嫌ではないらしい。

    「もっと早くに教えてもらえたら……いや、そうじゃなくて。すっごく嬉しい。どんなものでも良いよ。好き嫌いもないから、ピアソンさんが得意なものとか食べたいものを作ってくれたら嬉しいな」
    「わ、わかった」

    しまいには、俺ってついてる、と訳のわからぬことを言い始めたナワーブに気圧されるようにして予定は決まった。相手の家に行き、トレーニングの後に料理をするのだ。翌日、クリーチャーは出張しなければならないので、学べるうちにできる限り学んだ方が良い。家で学べば、移動時間をいくらか節約できるというものだった。飛び込みで入った仕事の予定を告げた際、ナワーブがあまりにも残念そうな表情を浮かべたので心がぐらついたのは忘れることとしよう。彼の一挙手一投足に振り回されるようなど全くの無意味だ。

     かくて、クリーチャーは仕事上がりにナワーブの家へと向かったのである。食材はせっつかれたので買ってきてもらうこととした。気が引けたものの、自分が仕事帰りに寄り道をするよりも時間が節約できるとの彼の申し出は効果覿面だった。ならばと料理名ではなく、必要な材料だけを告げたのはクリーチャーなりのサプライズである。もっとも、ナワーブはほぼ自炊をしないとのことなので、知ったところでピンとはこないかもしれない。今日作るのは家で食べるならではの一品である。

    ナワーブの家は自宅とは真反対の、三つの駅に歩いていけるという便利な場所に立地していた。自然、あちらこちらに勤めにいく人が集まる場所ということになり、道ゆく人も異国の人間が多い。飛び交う言葉も見知らぬもので、角にあるスーパーマーケットでは見たことのない食材が破格の値段で売られていた。ちょっとした旅行気分の中で深く息を吸うと、空気までもが自分の住んでいた街とは異なるような心地になる。スケートボードで駆け抜けてゆく学生群を見送り、似たり寄ったりな赤煉瓦のアパートの中から目当ての場所を見つけた時には、本当に時間を節約できたのかと疑いたくなるほどに歩き回ったような錯覚を覚えていた。

    「来てくれて嬉しいよ、ピアソンさん。迷子にならなかった?」
    「少し、ま、迷った。けど、大丈夫だ。私は大人だからな」
    「ごめんね。駅まで迎えに行けば良かった」

    扉を開けるなり抱きついてきたナワーブは、心底会いたくてたまらなかったという様子でクリーチャーの度肝を抜いた。ついで、まるで新居のようにさっぱりとした部屋の中へと引っ張り込まれる。若者らしい、ごちゃごちゃとした部屋か、あるいは洗練された趣味の良い(と言っても具体的にはまるで想像できない)部屋か、大体そんなところだろうというクリーチャーの予想は大きく外れ、彼の部屋には何もなかった。何もなさすぎたのである。

     入ってすぐに見えるキッチンが、自炊しない人間には不釣り合いなほどに広い。これほど広かったらば自分も凝ったものを作りたいという気分になるかもしれない。にも関わらず、ナワーブはクリーチャーが指示するまで鍋すらなかった。曰く、電子レンジとフライパン、それにポットがあればどうにでもなるそうである。彼の自宅における食生活は推してしるべしだ。カウンターにはスツールが二つあり、ナワーブは座るようにと身振りで示した。いつもここで飲み食いしているのだろう。

    勧められるがままに座ると、奥に大きめのベッドがどんと鎮座しているのが目に入った。窓辺に近いので、うたた寝を誘うように陽が投げかけられている。四階に位置するのだから、窓を開け放った先の景色は胸が空くだろう。そうして何よりも目を引くのが、不恰好なほどに大きなワードローブだ。確かに、ナワーブは会うたびに違う衣装を身につけている上におしゃれへの造詣が深い。シンデレラのようにクリーチャーの手持ちを洗練させたのは、つい数日前のことだ。とは言え成人男子のものとしては大きすぎはしないだろうか。小首を傾げていると、コーヒーカップを目の前に置いたナワーブが視線をたどってああ、と頷いた。

    「あれね。別に死体が入ってるわけじゃないから、安心していいよ」
    「し、死体?」
    「だから入ってないって。仕事で必要な服は、特殊なもの以外はできるだけ自分の服を着るようにしているんだ。普段から着慣れているものを着た方が、落ち着いてやれる気がして……まあ、今は趣味もあるけど。良かったら後で見せてあげるよ」
    「なんだ、脅かさないでくれ。そうか、君の仕事は色々な……その、役割をするんだからな」

    パートナー代行と言うからには、恋人役はもちろんのこと、自分が想像だにしない役回りを演じることもあるに違いない。その中で、自分の目の前に立つ『ナワーブ・サベダー』はどんな役回りなのだろう。クリーチャーの魅力を引き出すことを目標とするトレーナーは、全て役割の上にしか存在しないものなのだろうか。考え始めてしまうと、自分を喜んで迎えてくれたナワーブの姿が疑わしく見えてくる。目を細めて迷妄をやり過ごすと、クリーチャーはコーヒーに口をつけた。覚えのある甘い香りがほんのりと鼻をくすぐり、口中に柔らかな味わいが広がる。

    「ん、美味しい」
    「良かった。メープルコーヒーだよ。ピアソンさん、甘いの好きでしょ」
    「覚えててくれたんだな」
    「うん」

    続けて何事かをもごもご述べていたが、話し方を教える先生役はどうやらうまく話せないらしかった。若干の懸念を拭えぬままだが、ナワーブが水の入ったグラスを並べ、スツールに腰掛けたので合わせて居住まいを正す。今日の本題はこれからだった。




     話すとは不思議なことだ。まず気持ちがあり、形にならない想いを言葉に落とし込む。そうして苦労してもなお、自らの意図するものが相手に伝わるとも限らない。それでも舌の根が乾き、荒い息をついてでも人は言葉を投げる。息を吸って、吐いて。音を鳴らして囀る様は動物となんら変わるところはない。ナワーブが、誰かと繋がるための試みの難しさを認識したのは皮肉にも、この仕事についてからのことだった。

    「『話す』には訓練が必要なんですよ」

    成り行きでパートナー代行という仕事の扉を叩いたナワーブに、哲学めいた言葉で殴りつけてきたのは先輩にして導き手でもあったイライ・クラークである。面布の下に見える様子からして自分とそう年齢が変わらないだろうに、老成した物言いは発言した内容と相俟って不信感を抱かせるに十分だった。片眉を上げると、ナワーブは相手の心中を確かめるかのように相手の目があるあたりを見つめた。

    「じゃあ今俺たちが話してるのはなんなんだ?」
    「ただ音を出して遊んでいるようなものです」

    今からそれを教えてあげます、とイライが連れて行った道のりはナワーブが想像するよりも遥かに厳しいものだったと言うにとどめておこう。結果だけ述べるならば、ナワーブは『話す』ことを理解し、以前よりも『話せる』ようになった。そしてイライに対する信頼と尊敬の両方を胸の内に育むに至ったのである。何気ない日常の所作を洗練させたのはマルガレータ・ツェレだが、考え方の基礎を打ち立てたのはイライあってのものと言えるだろう。

    「話す時には、一番大事なのは話す内容なんだけれど、話す内容が伝わるには相手に伝わる話し方をする必要があるんだ」

    そんな自分が、こうして誰かに話し方を教えるようになるとはついぞ思いも寄らなかった。それも話し方を学んでもなお、どう話せば迷ってしまうような相手に教えるなど、昔のナワーブが知ったならば耳を疑うに違いない。真剣にこちらを見つめるクリーチャーの目に吸い寄せられそうになりながら、一つ呼吸を置いて話し続ける。

    「でも、話してる時は出す声の音とか大きさに気を取られがちなんだよね。時間がないから、今日は基本的で一番大事なことだけを教えるよ。話す時に気をつけるのは呼吸法だ」
    「呼吸?ヨガじゃあるまいし、話す時に呼吸なんてどう関係するんだ」
    「言いたいことはわかるよ」

    こんな切れ端ではなく、クリーチャーの心を知ることができたらばどんなに良いだろう。相手の疑問を柔らかく受け止め、ナワーブはヨガを始めたという彼に腹式呼吸をするよう頼んだ。

    「最初は10秒。次は15秒、20秒と5秒ずつ伸ばして。60秒まで続けたら、今度は音を出しながらやってみよう。話しながら俺たちは呼吸をするし、息をするタイミングで区切ってる。呼吸の仕方をコントロールできれば、強調したいところを際立たせることもできるし、頭の中を整理しながら相手の様子を見て話し方を変えることだってできる」

    やや戸惑いがちな目は静かに閉じられて、静かにクリーチャーの胸が上下する。始めたてのヨガのお陰か、すんなりと従ってくれたのはありがたい。

    「今度は音を出して。同じ量の息を吐き続けることに気をつけてね。はい、アー」
    「アー」
    「はい、もう一回。アー」
    「アー」
    「もう一度」
    「アー?」
    「うん、よくなってきた」

    違いがわからない、というクリーチャーの表情はこちらにすがる様で愛しい。どんな泥舟にも乗せて行くし、藁束だって差し出してやりたい。そうして二度と岸に戻れぬことを頭の天辺から爪先まで思い知らせるのだ。残酷な想像を巡らせながら、ナワーブは今度は今教えたことを踏まえて話すように指示した。

    「テーマは……そうだな、今日の仕事で面白かったことにしようか。何もないなら、昼ごはんの話でもいいよ。途中でつっかえたり、『えー』とか言わないように注意してね。急がなくて良いから、ゆっくり俺に話したいことを伝えてみてよ」
    「わかった」
    「話す時の姿勢について、マルガレータから教えてもらった?」

    今度は黙って頷きが返される。集中して話そうと言うのだろう。緊張しているのか、グラスの水を一気に飲み干してゆく姿は実に微笑ましい。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。七夕を楽しむ二人と、夏の風物詩たちを詰め込んだお話です。神頼みができない人にも人事を超えた願いがあるのは良いですね。
    >前作:昔の話
    https://poipiku.com/271957/11735878.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    星渡 折からの長雨は梅雨を経て、尚も止まぬようであった。蒸し暑さが冷えて一安心、と思ったが、いよいよ寒いと慌てて質屋に冬布団を取り戻そうと人が押しかけたほどである。さては今年は凶作になりはすまいか、と一部が心配したのも無理からぬことだろう。てるてる坊主をいくつも吊るして、さながら大獄後のようだと背筋が凍るような狂歌が高札に掲げられたのは人心の荒廃を憂えずにはいられない。
     しかし夏至を越え、流石に日が伸びた後はいくらか空も笑顔を見せるようになった。夜が必ず明けるように、悩み苦しみというのはいつしか晴れるものだ。人の心はうつろいやすく、お役御免となったてるてる坊主を片付け、軒先に笹飾りを並べるなどする。揺らめく色とりどりの短冊に目を引かれ、福沢諭吉はついこの前までは同じ場所に菖蒲を飾っていたことを思い出した。つくづく時間が経つ早さは増水時の川の流れとは比べるまでもなく早い。寧ろ、歳を重ねるごとに勢いを増しているかのように感じられる。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。リクエストをいただいた、諭吉の「過去のやらかしがバレてしまう」お話です。自伝の諭吉、なかなかの悪だからね……端午の節句と併せてお楽しみください。
    >前作:枝を惜しむ
    https://poipiku.com/271957/11698901.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    昔の話 気まぐれに誰かを指名した後、その人の知り合いを辿ってゆけば、いずれ己に辿り着くらしい。世界広しといえどもぐるりと巡れば繋がっていると聞いたところで、福沢諭吉には今ひとつわかりかねる話だった。もっともらしい話をした人物が、自分に説諭しようという輩だったから反発心を抱いたということもある。その節にはいくらか激論を戦わせてもの別れになり、以来すっかり忘れてしまっていた。
     だが、こと情人である隠し刀に関していえば、全ての人と人が何某かの形で繋がっているのではないかという気にさせられる。勝海舟邸に出入りするようになって日が浅いが、訪れる人が悉く彼の知り合いだった、などは最早驚くに値しない。知らぬうちに篤姫からおやつを頂戴していた際には流石に仰天させられたし、勝の肝煎である神田医学所はもちろん、小石川植物園にまでちゃっかり縁を繋いでいる。幕府の役人でさえそう縦横無尽に出入りすることはままならない。彼の自由さは本物であり、語る冒険譚は講談の域に達している。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。御前試合の後、隠し刀が諭吉に髪を整えてもらうお話です。諭吉の断髪式に立ち会いたかった……!どうしてなんだ、諭吉!
    >前作:探り合い
    https://poipiku.com/271957/11594741.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    枝を惜しむ もう朝である。障子を通り過ぎた陽の光に瞼をぴくりと動かすと、諭吉はうっすらと浮かび上がっていた意識を完全に現実へと上陸させた。つい先ごろうたた寝をしながら書物を読んでいたつもりが、いつの間にやら轟沈してしまったらしい。やるべきことは山積していると言うのに、ままならぬものである。光陰矢の如しというが、このところは本当に年中時間が勝手に体を通り抜けていっているような気がしている。国全体が大きなうねりの中にあって、置いていかれぬためには必死で鮪のように泳ぎ続けねばならない。
     無意識のままに簡単に身支度を整え、ここが勝海舟の邸だということを再認する。要するに仕事で一日を食い潰したのだろう。どこを向いても自分くらいしかできないだろうという未来が転がっているので、少しも気の休まる日がない。顔を洗ってもしっくりしないので、朝食を終えたら(もちろん太っ腹な勝であれば出してくれるに決まっている)朝湯に行って仕切り直しを図ろうか。鏡を見て、自分の髪を整え直し――諭吉は鏡の端に写った相手に会釈した。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。数年間の別離を経て、江戸で再会する隠し刀と諭吉。以前とは異なってしまった互いが、もう一度一緒に前を向くお話です。遊郭の諭吉はなんで振り返れないんですか?

    >前作:ハレノヒ
    https://poipiku.com/271957/11274517.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    答え 今年も春は鬱陶しいほどに浮かれていた。だんだんと陽が熟していくのだが、見せかけばかりでちっとも中身が伴わない。自分の中での季節は死んでしまったのだ、と隠し刀は長屋の庭に咲く蒲公英に虚な瞳を向けた。季節を感じ取れるようになったのはつい数年前だと言うのに、人並みの感覚を理解した端から既に呪わしく感じている。いっそ人間ではなく木石であれば、どんなに気が楽だったろう。
     それもこれも、縁のもつれ、自分の思い通りにならぬ執着に端を発する。三年前、たったの三年前に、隠し刀は恋に落ちた。相手は自分のような血腥い人生からは丸切り程遠い、福沢諭吉である。幕府の官吏であり、西洋というまだ見ぬ世界への強い憧れを抱く、明るい未来を宿した人だった。身綺麗で清廉潔白なようで、酒と煙草が大好物だし、愚痴もこぼす、子供っぽい甘えや悪戯っけを浴びているうちに深みに嵌ったと言って良い。彼と過ごした時間に一切恥はなく、また彼と一緒に歩んでいきたいともがく自分自身は好きだった。
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